帰りの電車で、頭の禿げた人をみた。それもただ単に髪がないとか少ないとかいうのではない。頭頂部がきれいに禿げている。それもただ頭頂部が禿げているだけならいちいち気にも留めないが、その人は頭の側面の主に左サイドにまだ幾分かの毛量があって、それを伸ばして頭頂部に向かって禿の部分に被せるようにに流すことで頭頂部を隠していた。簡単に言えばバーコードスタイルである。しかしバーコードよりは毛量が多めなのでまさしく自家製の簡易カツラだった。
もしもそれが何の心配もいらないバランスをキープしあるべき姿のままでいたなら、私も特に注目せずそのまま読書を続けていたはずだ。しかし恐らく朝は無事セットされていたその部分は、夜七時過ぎには固めていた整髪剤が落ちてしまったのか、頭頂部を守るという任務を放棄し、塊になってごっそり顔の方に垂れ落ちていた。絶妙なバランスで眉毛と上瞼に引っかかっていた。頭がそんな状況であるにも関わらず、宿主はよりによって顔をやや下目に俯けて読書をしていた。完全に崩れてしまわないか、毛先が目に入ってしまわないか、本人は気にならないみたいだが、見ているこちら側は気が気でない。たったワンモーション、片手で掬って頭頂部に流すか諦めてサイドに流すかしてくれたら私の気は休まるのに、一向にやってくれない。彼がページをめくったり身体を揺らすたびに、見てはいけないと思っているのに何度も勝手に視線がそちらにいってしまった。あそこまでいくと読書する視界にも影響がありそうなものなのに。結局、何故ワンモーションを出し渋るのかわからないまま、私が先に電車を降りるまで彼は一度も自分の髪に触れなかった。
基本的に父の自虐ハゲネタにすらあまり笑えた試しがない私ですが、今回わかったのは、ああいうのは運悪く崖に際どいバランスでひっかかっている岩を発見してしまったのと同じようなもので、一度視界に入るとその不安定さ故に本能的に否が応でも注目してしまう、不可抗力の側面が強いということです。そこに揶揄とかバカにするなどの意味が含まれるとすればそれはあくまで観察者の人間性による副次的な生産物で、本質ではありません。前段階に、テーブルの隅に置かれたガラスのコップ(落ちたら割れる!)とか、岩場をよちよち歩きする子供(こけたら危ない!)を目の当たりにしたとき人間なら誰しも抱く、プリミティブな心理の動きがあることを我々は忘れてはならないと思いました。
実は最近ちょっと額の生え際が気になり出し、人様の視線が怖くなってきた矢先だったのですが、もし自分がそのような含みを感じる視線に晒され、はっきりそれだと気付いてしまうことがあったとしても、それはいわゆる崖の岩の心理に過ぎないのだと、”ああ、この人はいま私を通して崖をみている。私の崖の不安定な岩が落ちないか心配してくれている。ありがとう。いつも見守っていてくれて。”と、逆に感謝の念を胸に抱く位に、己に誇り高く生きていくべきであると私は髪に誓いました。
もしもそれが何の心配もいらないバランスをキープしあるべき姿のままでいたなら、私も特に注目せずそのまま読書を続けていたはずだ。しかし恐らく朝は無事セットされていたその部分は、夜七時過ぎには固めていた整髪剤が落ちてしまったのか、頭頂部を守るという任務を放棄し、塊になってごっそり顔の方に垂れ落ちていた。絶妙なバランスで眉毛と上瞼に引っかかっていた。頭がそんな状況であるにも関わらず、宿主はよりによって顔をやや下目に俯けて読書をしていた。完全に崩れてしまわないか、毛先が目に入ってしまわないか、本人は気にならないみたいだが、見ているこちら側は気が気でない。たったワンモーション、片手で掬って頭頂部に流すか諦めてサイドに流すかしてくれたら私の気は休まるのに、一向にやってくれない。彼がページをめくったり身体を揺らすたびに、見てはいけないと思っているのに何度も勝手に視線がそちらにいってしまった。あそこまでいくと読書する視界にも影響がありそうなものなのに。結局、何故ワンモーションを出し渋るのかわからないまま、私が先に電車を降りるまで彼は一度も自分の髪に触れなかった。
基本的に父の自虐ハゲネタにすらあまり笑えた試しがない私ですが、今回わかったのは、ああいうのは運悪く崖に際どいバランスでひっかかっている岩を発見してしまったのと同じようなもので、一度視界に入るとその不安定さ故に本能的に否が応でも注目してしまう、不可抗力の側面が強いということです。そこに揶揄とかバカにするなどの意味が含まれるとすればそれはあくまで観察者の人間性による副次的な生産物で、本質ではありません。前段階に、テーブルの隅に置かれたガラスのコップ(落ちたら割れる!)とか、岩場をよちよち歩きする子供(こけたら危ない!)を目の当たりにしたとき人間なら誰しも抱く、プリミティブな心理の動きがあることを我々は忘れてはならないと思いました。
実は最近ちょっと額の生え際が気になり出し、人様の視線が怖くなってきた矢先だったのですが、もし自分がそのような含みを感じる視線に晒され、はっきりそれだと気付いてしまうことがあったとしても、それはいわゆる崖の岩の心理に過ぎないのだと、”ああ、この人はいま私を通して崖をみている。私の崖の不安定な岩が落ちないか心配してくれている。ありがとう。いつも見守っていてくれて。”と、逆に感謝の念を胸に抱く位に、己に誇り高く生きていくべきであると私は髪に誓いました。