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かやのなか

あれやこれやと考える

やばい

2016-03-02 23:31:14 | 日々のこと
とりあえず「新規作成」ボタンを押してみましたがものを書く体力が残っていません。
なら書くな。そのとおりです。











P波に耐えたのでもう少し書きます。
さっきまでYMOを聞いていました。1000のナイフです。
https://www.youtube.com/watch?v=J9bA34-mR1A
リンクはパフュームのダンスを有志が勝手に編集したものですが好きです。よくできてる。

こういう同じメロディーをちょっとずつアレンジを変えながら何遍も何遍も繰り返す音楽が好きなんですがある種の偏執狂なんですかね?

昨日、とある事情で「やばい」というセリフを50回くらい聞いたのですが、「やばい」という言葉に含まれるニュアンスは非常にたくさんあるので、毎回これは一体どの程度の意味なんだろうと思いながら聞いていました。

雨月物語の語りの中で「すさまじき◯◯」という形容詞が同じ段落に続けざまに使われている箇所があるのですが、文脈を追って読めば同じ「すさまじ」でも一つ一つ違う情景が読者の脳裏に浮かぶよう巧みに使われているそうです。クドクド細かい描写を重ねることをせず、あえて「すさまじ」で済ませることによって、読者のイマジネーションの広がりを助けていいるわけです。微に入り細に入ればいいというものではないってことですね。
ところで最近マンガなり(漫画はまだ少ないですが)ドラマなり映画なり見ていて、説明過多だなぁと思います。みんなすごい自分の感情を説明するし、みんなすごい自分の意見もってるし、みんなすごい理解力あるやんすごいやんって思いますが、現実との乖離が激しすぎて一体どこの次元に住んでるみんなの話だろうと思ってしまいます。逆に、ギャグ漫画日和なんかの説明過多の風潮をを逆手にとった笑い(たぶん)がツボにはまるっていう。
本日のまとめとしては、「やばい」だけしか使ってはいけない縛りで一日社会生活を送れるかどうか実験できるかしらと思いました。
誰か既にやってそうですが・・・。






追記。
昨日某場所某シチュエーションで繰り返された会話。

Hさん「いやーやばい、マジやばいすよね」
me「そんなにやばいかなぁ」
<A>
Hさん「やばくないんすか?!まじですか?」
me「どの程度やばいかによるやん」
Hさん「やばいでしょまじで。うわやばいわ」
me「だからやばいってどういうことなん。やばくはないんじゃないの」
<A>にもどる、繰り返し

これが昨日最低三回は繰り広げられました。書き出して気が付きましたがお互い最低一回はセリフにやばいを使っていますね。『発言するときは最低一度やばいを使うこと」というルールを定めれば現実的にも実験可能なのではないかと思いました。いわば俳句における季語ですね。不幸にもこの記事を読んでしまった人は明日会話の中に毎回最低一度、それとなく「やばい」を入れてみましょう。もしそれで変に思われなかったら会話の相手がやばい奴です。