かわてつ日記 

三線弾いてハッピーライフ
クイチャーパラダイス三線教室(富山・高岡・金沢・野々市・京都・大阪)

桜の話題 噂の桜と噂の女

2015年04月09日 10時07分23秒 | お知らせ
高橋さんから最新の桜のお話です!

かわてつ日記に桜の特集を掲載していただいていますが、またまた、私は桜の旅をしてきました。
気に入った旅は紀行文を書く癖があり、それを人に読んでもらうように押し付ける悪癖があります。
今回もその類です。
・竹下桜の前で、桜守I君と筆者。


・かなりの胴回りだがまだ83年しかたっていないらしい。後ろの家が桜守I君の家。


・桜守I君のベランダから見た竹下桜。



広島市から20kmほどの山間部に名桜「竹下桜」があります。
広島では有名な桜で夜にはライトアップもされており毎年桜祭りも行われています。
旧友I君がこの桜の桜守をしているというので一度訪ねてみたいと思っていました。
行ってみると巨大なエドヒガンの枝垂桜で、その枝が触れるほどの所に彼の家があります。
その180度反対側にこれまた枝が触れるほどのところに「お好焼屋」があります。
この「お好焼屋」の話から始めます。
前川清の「噂の女」という唄があります。
女心の悲しさなんて、わかりゃしないわ、世間の人に・・・という詩です。
なんと、その噂の女がここのお好焼屋の女将がモデルだというのです。
ここの女将が銀座でクラブのママをやっていた時に山口洋子が出入りしていて彼女をモデルに詩を書いたという実話なのです。
I君夫婦とここへ夕食を食べに行ったのですが、彼女は美人で気品があり、さもありなんという人でした。
店には大きな鉄板が一枚あるだけで、メニューは「お好焼」のみ。
実は、私は昨日の夕食がお好焼だったので、できたら「焼きソバ」または、「広島風お好焼」
がいいと密かに思っていたのです。
そうこうするうちに以心伝心か、噂の女は鉄板の上にドーンとソバを乗せてキャベツとモヤシも乗せて焼き始めました。
あれ、確かI君は「お好焼」と言ったはずなのに・・。
と思っている内に焼きソバの入った「広島風お好焼」ができあがりました。
「あれ、これは「お好焼」じゃなくて「広島風お好焼」ですね。」
「いえ、このへんではこれが「お好焼」でソバのはいってないのは「関西風お好焼」と言います。」
なるほど、納得の話です。広島の人がいちいち「広島風お好焼」というわけがないですね。
さて、本題に移ります。
I君は、太田洋愛の甥でして、桜には縁の深い人なのです。
太田愛洋は、桜の画家で、多くの品種を描いて画集の出版も数多くあります。何よりも「太田桜」の発見者として知られています。
彼の家には、太田画伯の桜絵の原画も置いてありました。貴重なものです。
奥さんは絵心があり桜の模写に熱中し太田画伯の後継者になるのではないかと思われるほどの腕前でした。ここのところ彼の年賀状には彼女の桜絵があしらわれています。
I君は広島勤務の時に竹下桜の直下に土地を買い家を建てました。これを植えた竹下一族が管理しきれないのを知って桜守を買って出たのです。
昨年は、竹下桜にベッコウタケが侵入し40万円かけて樹木医に治療してもらったとか、肥料をやり過ぎて徒長枝が増えて花付きが悪いとか桜守らしい話がいろいろありました。
彼の家は、ベランダからはもちろんのこと寝ていても竹下桜が見えます。
そして、庭にはいろいろな種類の桜が植えられていて桜の事はなかなか詳しい。彼にはやはり太田洋愛の血が流れているのかな。
ことしは、花期が短かったようで、先週大阪から来た人が、まだ早すぎたので来週来ますと言って帰ったところ一週間後に来てみたらもう散っていたという話でした。
私が訪れた時もほとんど散っていましたがその巨大な桜の威容は十分に体感できました。
                           (2015年4月8日)

追記
I君はコゴミ、ワラビ、タラノメ、アマゴのテンプラを用意していてくれた。
I君とは若い頃よく山奥へアマゴを釣りに行ったものだ。山里で山菜を採って帰ったこともしばしばでした。
久々に桜の技術的な話と昔話ができ楽しい旅でした。