>産経新聞 >自民に新風望む社会改革断行へ問われる当事者意識宰相の条件①「若さ」 >2時間・
>12日に告示された自民党総裁選には、過去最多の9人が立候補した。
>その椅子は首相の座とほぼ同義であり、選ばれた政治家は、日本のかじ取りを担う権限と責任を与えられることになる。
>混迷する時代の宰相に求められる条件や資質とは何か。
>「5つのキーワード」を羅針盤に、改めて考えてみたい。
>「新しい政治、新しい日本をつくろう」
>総裁選が告示された12日午後、東京・永田町の党本部で行われた演説会。
>最年少候補者の元環境相、小泉進次郎は「若さ」のアピールに余念がなかった。
>43歳。
>1961(昭和36)年にジョン・F・ケネディが米大統領に就任した年齢だ。
>「改革」という言葉を15回繰り返した小泉の言葉を、外相の上川陽子はじっと聞き入っていた。
>候補者の中で最年長の71歳。
>「法相、外相として難しい決断をしてきた。
>私以外できない重い決断もあった。
>だからこそ覚悟をもって困難に立ち向かえる」。
>要職を歴任してきた経験値を訴えた。
>戦後日本の首相では、平成18年に就任した安倍晋三の52歳が最年少記録だ。
>歴代首相の大半を60~70代が占めている。
我が国は序列社会の国である。年功序列で人の上に人を積み上げるので上位は年寄りが占めることになる。
>だが海外に目を向けると、一回り、ときには二回りも若い指導者が活躍している。
>ロシアの侵略にあらがうウクライナの大統領、ウォロディミル・ゼレンスキーは現在46歳。
>先進7カ国(G7)ではフランスのエマニュエル・マクロンが39歳で大統領に、英国のリシ・スナクは42歳で首相にそれぞれ就任した。
>4月にアイルランドの首相となったサイモン・ハリスに至っては、37歳だ。
>大政党の弊害
>なぜ、日本には若い首相が生まれないのか。
>官民有志が社会課題の解決を模索する一般社団法人「パブリック・ミーツ・イノベーション・シンクタンク」代表の田中佑典は「各国の統治体制や選挙制度を複合的に分析しなければならない」としつつ、自民党が多数の議員を抱える大政党であることが一因とみる。
>こうした大政党は「垂直方向」に人材の層が厚くなるため、当選回数が少なく下方に位置する若い世代がリーダーとなる機会は得られにくい。
‘得られにくい’ というよりも最早絶望的ですね。
>逆に、少人数の政党が群立し連立政権を組む政治体制だと、人材は「水平方向」に分散するため、若手が台頭しやすい。
>たとえば、37歳の首相が率いる統一アイルランド党の議員は、上下院合わせて50人ほど。
>自民党の7分の1程度だ。
>新総裁は、派閥のパーティー収入不記載事件によって信頼を失った自民党が盛衰をかけて戦う次期衆院選の「顔」となる。
>事前の世論調査では最年少候補者の小泉が67歳のベテラン、石破茂と人気を二分した。
>新風を求める人々の意識を、反映しているともとれる。
>「社会は、既存の構図に風穴を開けられる『トリックスター』を求めているようだ」
>田中は、政治を取り巻く現状をこう読み解く。
>トリックスターとは、既存の秩序をかき乱し、物語を進める役回り。
>7月の東京都知事選で交流サイト(SNS)を通じて存在感を打ち出し、大方の予想を覆し得票数第2位となった前広島県安芸高田市長の石丸伸二(42)は、その象徴といえる。
>深刻化する世代間対立
>「高度経済成長期の国家運営は、風に帆をゆだねていれば、船は順調に航路を保つことができた。
>極論すれば、リーダーの資質はそれほど問われなかった」
>企業の競争戦略に詳しい一橋大特任教授の楠木建は、こう説明した上で「それが脱工業化社会となり、(帆船ではなく)クルーザーで行き先を定める時代になった。
>より船長の判断が問われるようになった」と続けた。
>物価高、少子高齢化に伴う社会保障費の増大…。
>厳しさを増す情勢の中、世代間対立は深刻化している。
>日本財団が昨年、17~19歳を対象に行った意識調査では、社会保障制度を巡る国会などでの議論に、若い世代の意見が「反映されていると思わない」と回答した割合は66・6%に上った。
そうですね。わが国では若い世代は政治の蚊帳の外に置かれていますね。
北欧・スウェーデンの国会議員の平均年齢は約46歳(日本は約58歳)だそうである。閣僚の平均年齢は45歳、最年少閣僚は26歳だというから日本とは(62.4歳)かけ離れていますね。
選ばれる側が若いように、選ぶ側も若く20代の投票率が82%だという。若者の熱心な政治参加が大切ですね。彼らの政治には夢も希望もある。
>経営でも政治でも、トップに立つ者には目先の短期的な成果だけでなく、長期的な視野でグランドデザインを描く使命が課せられる。
日本人には世界観が無い。来るべき世界の内容を脳裏に宿す力が無い。
>楠木は語る。
>「有権者たちは考えるはずだ。
>40歳の指導者は30年後、70歳となる。
>まだ、現役でいるかもしれない。
>ではそのとき、100歳となる70歳の指導者がいま、改革を断行できるのか、と」
>ただ、だからリーダーには若さが必須だ、という単純な結論にはならない。
>「無謀は華やぐ青年の、知慮は春秋を重ねる老年の特性なのである」。
>古代ローマの政治家で哲学者としても名を残したキケロは著作「老年について」(大西英文・訳)に、こうつづった。
>老いという経験は、貴重な価値でもある。
そうですね。しかし、老人の政治家を多数抱えるわが国で特に価値ある政治が行われているようでもありませんね。それどころか政治家の老害が叫ばれています。
>誰よりも「当事者意識」を持ち、決断を下すことが、国を預かる者の責任。
そうですね。
>そこに年齢は、関係ない。
そうですね。 日本人には意思が無い。年齢に関係なく意思が無い。だから、政治家も意思決定に難渋している。意思のない人間には責任が無い。だから指導者にはふさわしくない。
>=敬称略
日本人は思考を停止している。それで、自分自身の意見を持たない。マスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら情報を流しても、それが社会の木鐸 (世人を教え導く人) の役割を果すことはない。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。
何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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