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高市政調会長  

2022-03-06 22:54:43 | 文化

>有事の対応「党内で議論」したい 自民・高市氏 非核三原則  > FNNプライムオンライン 2022/03/06 12:10 >自民党の高市政調会長は6日、フジテレビ「日曜報道 THE PRIME」に出演し、非核三原則の「持ち込ませず」について、有事の際の対応を「自民党内で議論したい」と述べた。  

 

非核三原則は ‘作らず、持たず、持ち込ませず。’ですね。  (佐藤栄作)    

 

>自民党・高市政調会長「非核三原則を守るのか、国民の命を守るのかという厳しい状況になったとき、この判断を時の政権がして、議論は縛ってはいけない。 

 

そうですね。政権の自由な判断が必要ですね。日本人には現実 (事実) があって非現実 (考え) がない。だから、非常時の内容は常に想定外になっている。これは不用心なことで危険なことであります。          

 

>有事のときに持ち込ませずというところについては、自民党内でも、わたしは議論したいと思う」  

 

そうですね。‘治に居て乱を忘れず’ は必要な考えですね。思慮の深い人は ‘純粋によく観察する’ が、お花畑の持ち主は ‘自分の期待したもの’ しか耳を傾けようとしない。   

 

>高市氏は、非核三原則のうち、「持ち込ませず」について、「有事でも、核兵器を搭載したアメリカの艦船や航空機が、日本の領海・領空を通過してはダメだという議論まである」と指摘し、有事の際の核の持ち込みについて、自民党内で議論する考えを示した。  

 

それは良いことですね。有事と平常時では規制の在り方を変える必要がありますね。だが、日本人には個人判断を信頼しない傾向がある事は、残念なことですね。また、事実個人判断には危険もありますね。   

日本人には意思 (will) がないが恣意 (self-will) がある。だから、我が国では恣意 (私意・我儘・身勝手) を鍛えて意思の代わりに利用する。鍛えられた恣意は意地・根性・大和魂などと呼ばれていて、日本人は意思決定 (理性判断) の代わりに恣意決定 (盲目の判断) をする。意思の内容を討論の代わりに、恣意に関する腹の探り合い (談合) をする。意思疎通の代わりに、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) をする。意思は未来時制の文章内容になるので意味があり理解が可能であるが、恣意はバラバラの単語 (片言・小言・独り言) のままで存在するので意味がない。だから責任者は説明責任を取れない。言い訳のできない理由なき反抗のようなものになり、悔し涙が出る。       

 

>また高市氏は、安倍元首相が「核共有」の議論を「タブー視してはいけない」と述べたことについて、「議論することは大事だ」と述べた。  

 

そうですね。議論をタブー視するのは良くない習慣ですね。大切な知恵を逃がしてしまいますね。       

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。 

 

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