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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

新・旧日本人 2/2

2019-06-02 17:10:32 | 文化

(1/2) の続き
>【権威主義・虚礼重視】>たとえ無能で、年功で出世した者でも、あくまでもメンツにこだわる

見栄と外聞の世の中ですね。

> メンツの後ろ盾になっているのはカイシャ。>肩書きを取ると、途端に無力になる

あくまでも序列に対する価値判断が頼りですね。

>【親分肌の明るい笑顔】> 性格は明るく、根拠なく楽観的。

無哲学・能天気の人ですからね。罪の意識にさいなまれたこともない。

>人に好かれる。

そうですね。危ないところがない。

>それは資源をばらまいて、人にいい顔をするのが仕事だと思っているからである。

昔読んだ ‘花咲じじい’ が手本となっているのでしょう。

>その資源は自分のモノではないのだが……

それが、大振る舞いの好機となる。

>【即物的】> 所有という概念に執着する

物欲にこだわる。見える内容は、本当の内容である。

>無形資産の価値を理解しない

見えない内容は、嘘の内容である。嘘には、価値がない。その価値を信じたら損をする。

> ・価値志向性
> 【価値軽視】>モノの「価値」をあまり深く考えようとしない 

水と安全は、只である。

> だからさし迫った危機意識を持たないし、価値観の違いを根拠にして他人に「NO」を言わない

無哲学・能天気である。非現実 (考え) というものがない。考えは人さまざまであるという考えはない。考えの違いは、通常無視されている。

>「現状のままでいれば、常に明日という日は来るはずだ。何が問題で騒いでいるのか」と他人事に受け流している

あいかわらずの無哲学・能天気ですね。

>【保守主義・前例主義・教条主義・拝外主義】> 「現状を改変してはならない」という信念を持ち、革新的なことは認めようとしない

お変わりの無いことは、何よりなことですね。天下泰平の世の中ですか。

>自分たちと異なる立場は絶対に許容しない。

考えの多様性を認めていない。現実の内容がただ一つであるように、非現実 (考え) の内容もただ一つだと信じている。だから、没個性的である。

>新日本人を敵視する 

日本人は、考えの多様性には対処できない。だから、ご唱和の世界を心から願っている。

>【ご都合主義・相対主義】> 何事にも「白黒」をはっきりさせず、自分の態度を表明しない

日本人には、意思がない。自己の意思を表明すれば、その人は当事者・関係者になる。表明しなければ、傍観者にとどまる。日本人は、孤高の人になる。

>付和雷同的に「他人がよいと言っているものはいいんだ」と思い込み、物事を実質本意に判断しようとしない

実質本位に判断は難しい。あくまでも簡単な耳学問で世渡りを済ませたい。この世は、仮の世か。

>【中庸・無為無策を尊ぶ】> 決して「物事の大元を変更してはならない」と思っている。

大元に代わるものは無い。

> 前任者の責任を問うような方針変更は「過激」として排除され、「改革」は単なる弥縫策に矮小化される

そうですね。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。建設は無いが、補修はある。
>*****************************
>★新日本人★ >メンタリティー
>【自立・自制・自然】 > 精神的にしっかり自立している >自分をコントロールできる

自分自身の哲学がある。

>自然でいられる 作為がなく、無理な負荷もなく、常に平静な心持ちでいられる

自分に基準があるから、世俗の作法がどうなっているかをいちいち気にしなしで済みますね。

>【自由な精神】 > 「自分は何ものにもとらわれず、何でも思ったことができる」と考える、何物にもとらわれない自由な精神を持つ

そうですね。義理と人情の世界に囚われなのですね。

>【利他精神】 > 他人に対する自然な思いやりを持つ 

自分自身の ‘あるべき姿’ があるのですね。

>【自己責任原則】 > 根拠に基づいて合理的に判断し、自己責任でリスクを取る

自己の意思決定ができるのですね。意思があれば、責任がとれます。また、意思の内容は文章になるので、説明責任がとれますね。

>【自己認識】 >しっかりした自己認識を持つ。 >自分の得意不得意を客観的に把握する。

自分と他人が区別できていますね。

>得意な部分を伸ばし、不得意を克服しようと努力する

立身出世とは関係のない向上心がありますね。

>【思慮】 > 知的好奇心を持ち、情報を収集する >論理的に推論して的確に判断・洞察する力を持つ 

非現実 (考え) の内容を現実の世界において実現できれば、それは創造力を発揮したことになります。

>【合理主義】 > 目的合理的に行動する

意思のあるところに、方法 (仕方) がある。

>【プライド】 > 自分の仕事、仲間や自分の属する組織に誇りを持っている

仲間と共通の目的を持っているのでしょうね。

>【内的世界の充実を志向】 > 心の豊かさを追求する。>豊かな文化(内的世界)を持っている >価値志向性

‘衣食足りて礼節を知る’ ようなものかな。

> 【価値を追求する】 > 「価値」って何?

価値のあるものは、大切なものでしょう。

> 人はなぜ、何のために生きているのか=死生観

自己の完全な世界を実現すため。

> 本物と偽物の違いが理解できるか=一流とは何か

オリジナルであるか、どうかでしょう。

>世の中全体にプラスになるものは何か=公益に立った価値体系

この世の ‘あるべき姿’ を追及することですね。自己の世界観 (非現実) が必要ですね。

> 【変革志向性 危機意識】 > 現状認識力があるので、「常に進化しなければ競争に負ける」という健全な危機感を持つ。

我らは、何処に向かうのか。軽挙妄動では意味がない。

>だから変革を望み、価値を尊ぶ

We can change! (我々は変革できる) 価値ある世界を実現する。さしあたり、罪のない世界を実現したいですね。


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新・旧日本人 1/2

2019-06-02 16:42:31 | 言語


>これは具体的に新日本人と旧日本人のビジネスに対する意識や姿勢がどのように違っているのか、行動の傾向によって意識の違いを示すものです。
>★旧日本人★ >メンタリティー
>【集団依存】 > 会社にぶら下がっている。

そうですね。社畜ですね。

>どうせぶら下がるなら「寄らば大樹の蔭」と考えている。>数を頼む

大きいことは、いいことだ。

>【絶対平等主義】 >パフォーマンスの低い人の報酬や労働条件に、全員が「平等に」合わせるという「平等主義」

悪平等か? 助け合いか?

> 「出る杭は打つ」ものの、決定的な敗者も作らない

没個性の社会。皆さん一様にみえている。

>【他律性】 > 自律性がなく、周囲の意見に従って自分の態度を決定する。

付和雷同型ですね。

>だから思考停止していても不便を感じない

便利な世の中は、良い世の中かな。無哲学・能天気は、いつまで続くことやら。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.

>【論理性欠如】 > 論理とかセオリーに従わず、感情的、感覚的判断を行う

感情理論の達人ですね。歌詠みの世界ですか。
そうですね。山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。

>自分にとってメリットがあるか、自分の立場にプラスかどうかという近視眼的な基準で物事を判断する

現実の世の中における処世術の達人ばかりですね。

>【目的意識の欠如】 > 明確な目的意識を持たず、集団への依存心が強いので、自己を超克する努力などしない。

日本人には、意思がない。だから、優柔不断・意志薄弱に見える。
意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人は、仕方がないので無為無策でいる。
日本人には、精神修養の必要性が指摘されるところとなる。

>飲み屋で同僚とぼやき合って、マイナス方向のエネルギーを蓄積していく。

片言・小言・独り言を言っている。文章にならなければ意味がない。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

> 【「知」に対する無感覚】 > 「知」の決定的な重要性を意識していない。
>だから洞察力も判断力も磨けないし、自分で物事を考えようとしない

日本人は、’考える人’ にはなれませんね。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それを見ることはできない。ただの話である。話を理解するためには、その文章内容を理解しなければならない。だから、骨が折れる。忖度 (推察) に任せておく。忖度は、相手 (聞き手) の勝手な解釈である。それで、相手は、思考停止に陥る。後は、独り善がりになるばかりである。独り善がりを非難すると、’だって、本当にそう思ったのだから、仕方がないではないか’ と答える。だから、独り善がりは、治らない。
見ることのできる内容は、本当のことである。見ることのできない内容は、嘘である。誰も、見て来たような嘘つきになりたくない。だから、自己の非現実 (考え) を述べる者はいない。これが、思考停止の始まりである。

>組織的な判断(稟議)を行い、責任を回避する

日本人には、意思がない。意思の無い人には、責任がない。兎角、この世は無責任。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。

>自分にとってメリットがあるか、自分の立場にプラスかどうかという近視眼的な基準でしか物事を判断しない

そうですね。処世術の達人たちが幅を利かせていますね。日本人には、現実があって、非現実 (考え) がない。恣意 (私意・我儘・身勝手) があって、意思がない。

>【批判精神の欠如・内向性】> 「目上の者を指さしてはならない」と思っている

序列社会の掟のようなものですね。それにしても、目上の者にも、意思も責任もありませんね。あるのは、唯の序列だけ。

>自分の仲間なら、反社会的なことをしていても批判しない。

日本人には、批判精神がない。世界観がないので、’あるべき姿’ を持っていない。だから、自己の ‘あるべき姿’ を基準にとって、現実の内容を批判することができない。

>「身内の恥は我が身の恥」として不祥事を隠匿する。>しかし、たいていはバレてひどい目にあう

序列社会に存在する内外の格差の存在と、その障害ですね。

(2/2) に続く


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