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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

我が国の教育

2019-04-12 16:31:25 | 政治

> ・明治から変わらない学校の教育。今こそ転換期では? 

そうですね。我が国の教育の転換期でしょうね。

> 現在の日本人が考える「明治維新」は、とてものんびりとしたもののように思います。 >その結果、「日本が戦争をしたのはなぜか?」とか「軍国主義」などを間違って考えているように思います。

そういうこともあるでしょうね。

> 西暦1600年。日本はポルトガル、スペイン、オランダの脅威に晒されていました。>1494年にスペインとポルトガルの間でトリデシリャス条約が結ばれ、日本では1543年の鉄砲伝来、1550年キリスト教の伝来などとしてヨーロッパの影響が及んできたが、それは偶然の出来事ではありませんでした。

彼らは、世界戦略を立てて日本にやってきましたね。

>もしその時代、日本が武家政治ではなく戦国時代でなければ、日本の軍備が遅れ、アジアの諸国のようにたちまち日本は植民地となり、大勢の人が殺されたでしょう。

タラレバの話では、そうなりますね。

>ところが幸いなことに日本は戦国時代でしたから、当時の世界でもほぼ最強の軍隊を持っていました。 >それを織田信長らの武将が率いていたので、ヨーロッパ勢は日本だけは手がでませんでした。 >だから「鎖国」ができ、「キリシタン禁止」が可能だったのです。

日本は運が良かったですね。

>それから約250年。ポルトガル、スペイン、オランダに代わって新興勢力として台頭していたアメリカ、イギリス、フランスなどが大挙して日本に襲ってきたのが幕末だったのです。
>アメリカは浦賀に軍艦(黒船)を停泊させて強引に日本を開国させましたが、長州が四国戦争で頑張り、薩摩が薩英戦争で勝利して、一段落したのですが、ヨーロッパ勢の圧力は相当なものでした。

日本は、四苦八苦していましたね。

>アジアの独立国としてなんとか国力を上げようとした日本は、近代国家になり、富国強兵を唱え、教育に力を入れました。>その時の教育の目的は「日本を守るため」だったのです。

国防教育とでもいうのでしょうかね。切って揃えられたような能力の開発でしたね。

>・日本を守る教育
>スポーツならだれでもイチローになれるわけではないことはよくわかりますが、「頭の性能」は目に見えないので理解が難しいのです。

そうですね。現実の内容は、頭の外にある。見ることができる。だから、見ればわかる。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。見ることができない。ただの話である。話の筋がわかる為には、その文章の理解が必要である。

>もちろん記憶力や考える力は人によって大きく違いますから、もし本当の「教育」なら、「合格点のある試験をする」とか「入学試験を行って学生をふるいにかける」などは必要ないのですが、国家を守る教育となると、優れた人を選抜し、合格点をつけて何が何でも国民を一定レベルにしなければなりません。

規格製品の製造計画ですね。落ちこぼれが出てきますね。

>それはスポーツで言えば、スポーツが下手でボールを投げれば60キロしかでない女子高校生に無理に筋肉をつけて100キロという合格点まで行くようにすることと同じですから、その苦痛たるやひどいものなのです。>当然、落ちこぼれもでるし、かわいそうな子供を大量に作ります。>それでも日本の独立のためには必要だったのです。

全体主義でしたね。その方法には、問題もありましたね。

>・今の教育
> 今は全く違います。>私たちの先祖が頑張ってくれたおかげで、有色人種では唯一、立派な独立国として続き、今では白人のトップのグループであるサミットにも有色人種で日本だけが参加しています。

そうですね。日本は、今でも異質の国でありながら先進国ですね。

>しかし、日本社会の一部のシステム、たとえば教育などは明治時代のままで変化はしていません。

そうですね。詰め込み主義は、昔から変わりませんでしたね。個人主義の理解が難しい。利己主義と間違えやすい。

>変えなくても良いものもありますが、「本来の姿」に戻る必要のあるものは戻さなければならないのは当然です。

各人に哲学は、必要です。Everyone needs a philosophy.
現実のみを語る人は、軽薄である。浪花節調になりやすい。
現実と非現実 (考え) を並べて語ることは、思慮が深い。中庸の徳かある。

>・「入試」は必要か?これからは「個性を伸ばす教育」
> 「教育は何のために誰のためにやるのか」と「教育は本来、何をやるべきなのか」の二つが基本的に決めなければならないことです。 

教育は、本人のためにやる。教育は、本人の自己実現を助けるためにおこなう。ということでしょう。

>まず、教育は一人の人が幸福になるために行うことで、国家は総合的に良い方向に行きますが、直接的に国家のために教育をする必要はないということです。

そうですね。個人主義が守られなくてはなりませんね。個人が国家の犠牲になってはなりません。

>人間の大脳は何の知識もなく生まれてきますし、人間が人間たる理由の一つは大脳に知恵が詰まり、それによって野獣のような人生を送らなくてもよいのです。

リーズン (理性・理由・適当) のある個人に育つ教育が良いですね。

>だから、古今東西の哲学や文学、歴史、社会の仕組み、それに科学や地球、宇宙などを知ることによって、喧嘩もしなくなり、人生が豊かになり、判断が正しくなります。>それが教育の第一の役割です。

時制 (tense) の或る文章内容は、三つの独立の世界 (過去・現在・未来) を表すことができる。各世界の内容は非現実であるから、その人は自己の世界観を持つようになります。
時制というものは、英文法にあって日本語文法にない。だから、英米人には世界観があって、日本人にはない。しかし、我々は仏教徒であるから、インド人が世界観 (前世・現世・来世) を持っていることを知っている。我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学んで時制の大切さを十分に理解して、自己の世界観を語ることができるように努力しよう。さすれば、欧米人と、意見の交換も可能になり国際交流の成果も嘔気なものになります。
世界観のない人は、目先手先の事柄に注意を引き付けられて、とかく話が小さくなる。それには、それ相当の利点もあるが、見識が狭く人物が小さいと言う印象は免れない。
‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)

> 第二に、教育を受けることで知識を増やすことと、自分の中に眠っている才能を開花することです。

そうですね。自己実現の教育が必要ですね。

>前者を「伝達(伝えて覚える)」といい、後者を「教育(引き上げる)」といいます。>あくまでも教育を受ける本人のためであり、国家の利得は間接的です。

そうですね。個人主義が大切ですね。

>そうなると、「試験の目的」が変わります。>これまでは国家のために「このぐらいの知識と能力のある日本人が必要だ」ということで「一律の合格点」がありましたが、これからはその人の「目標値」を先生と生徒で相談して決めて、それに向かって勉強や訓練をすることになります。

そうですね。教育は、あくまで個人本人の為にするものですね。さすれば、わが国は、個人主義の国になりますね。


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スピード時代

2019-04-12 09:58:50 | 政治

>軍事技術ではロシアが最強となり、IT技術では中国がアメリカを上回り市場を主導しつつある。

そうですね。

>ロシアと中国がアメリカを超えつつあるのだが、それはなぜなのか。

それは、個人主義が容認されていないことに関係があるでしょう。

>それは、今までになく世界はスピードが求められる時代となったからではないか。

それもあるでしょうね。

>イギリスではEU離脱問題が完全に暗礁に乗り上げている。>国民投票と議会と政府の間で、どうするのかの意思決定がが揺れに揺れており、状況は動く気配がない。>アメリカでも、トランプといえども、議会を相手にできることに制約があり、思うようにできない状況だろう。

人の考えの内容は、様々ですからね。

>普通の人の感覚では、現代の市場社会、企業では、ますますスピードが求められる時代になっている。

そうですね。電算機が判断しますね。

>本当は、国家運営においては、さらに上を行くスピードが求められる時代になっているはずである。

そうですね。

>しかし、欧米の国家は、このような体たらくである。

せっかく努力して勝ち取った民主主義ですからね。猛スピードだけの勝負には、ならないでしょうね。

>対して、例えば中国では、共産党政治局 常務委員会の7人が実質的に国家の意思決定をしており、もちろん、除外された人が多いわけで長い目で見てどうなのか、という問題があるが、少なくとも現代は、組織運営に必要とされるスピードをリアルに実現していると言える。

反対派の意見を無視したり弾圧したりしていれば、意思決定のスピードは上がりますね。

>民主主義的でないとかいっても仕方がない、現実の力を実現している。

それは、昔からのやり方ですね。現実の力は、昔からありました。政治形態において民主主義に勝るものは、いまだに発見されていませんからね。

>そして、利害関係でゆれる欧米の民主主義と違い、トータルで中国国民にとって必要な方向へ運営されているように思う。

中国の指導者は、親切ですね。欧米には、あふれるほどの異教徒の難民が押し寄せても、中国・ロシア・インドなどの大国には、難民は押し寄せないでしょうね。難民には、単なる越境が目的ではないのですから。生涯その国の住民になりたいと考えて、命がけで考えた末の結論ですからね。欧米の価値は、スピードなどではとても測れないでしょう。

>西欧では、北欧やスイス、オランダなどが比較的小さな国が経済的にうまくいっているのも、本質的にはそういうところに理由があるのかもしれない。

そうですね。大きな国では、南端と北端では、人の考えも違ってくるでしょうね。考えの違いが存在することは、都合の良いことか悪いことでしょうかね。

>小国→外圧把握が命→国民の状況共有が確か→最速で意識決定、という構造かもしれない。

そうでしょうね。意思があれば、意思決定ができる。日本人のように意思がなければ、恣意 (私意・我儘・身勝手) 決定をする。何事も、最速であればよいというものでもないでしょうね。十分におかしな判断も存在します。
山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。


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