>日本人の回答では、宗教の基本的意義として「死後を意味あるものにすること」と答えた人は、9.7%と1割に満たず、世界60ヵ国で最も少ない点が印象的である。
日本人としては、’死んだらだめだ’ という想いがあるのですかね。
>それでは「現世を意味あるものにすること」が多いかというと、回答率は47.7%と死後に比べれば多いが、他国と比較してそれほど多いわけではない。
日本人は、現実の中に生きているはずですが、宗教の意義にはなっていないのですね。
>残りは「分からない」や「無回答」であり、日本人の場合、こういう訊き方をされても困るという反応であるかのようだ。
返答に困るということですね。
>中国やシンガポールといった国でも同様の傾向があり、儒教国としての宗教観が影響している可能性がある。
そうですね。儒教には前世・現世・来世といった世界観がありませんからね。
> 他方、日本人とは正反対に、「死後を意味あるものにすること」の回答率が高いのはイスラム教国の国民である。>最も回答率が高いパキスタンでは何と8割がそう考えているのだから少しおどろく。>イスラム教国の多くでは4割以上の国民がそう考えている。
死後の世界の考察が進んでいるのですね。アラビア語との関係があるのですかね。
> 近年、世界各国でIS(イスラム国)を中心としたイスラム過激派の自爆テロにより多くの命が失われている。>自爆攻撃という点では、第2次世界大戦中の日本のカミカゼ攻撃が連想されることもあるが、最近のイスラム過激派の自爆テロは、聖なる戦いであるジハードで戦死した者は、この世の終わりに最後の審判がなされ、天国で処女たちに囲まれて夢のような暮らしを送ることになるいうイスラムの考え方に基づいていると思われる点で、特段、宗教的な意味づけはなかったカミカゼ攻撃とは異なっている。
そうですね。自爆攻撃でもイスラムとカミカゼでは雲泥の差がありますね。
>図に見られるようなイスラム教国における「死後」の位置づけの大きさを知らないと、自爆するテロリストたちの心情は理解しがたいのではなかろうか。
そうですね。死後の世界は日本人には不可解ですね。
> なお、欧米主要国では、日本とイスラム教国の中間の考え方となっており、キリスト教の影響が大きい米国は「死後を意味づけるもの」という考え方も根強いが、その他では、どちらかというと「現世を意味づけるもの」として宗教を捉える傾向が強いことが分かる。>その意味では、様々な憶測が挙げられるが、要は、信仰心が小さき頃から、ついているということ。
子供は親の言動に左右されますからね。
> 神の存在について親族や仲間の皆がそうだと言っているからといってストレートに信じている方が変なのではなかろうか。
そうですね。伝説では、信じがたいですね。
>かといって反対に、一部の先進国のように神は存在していないと断定するのも大人気ない。
キリスト教と反キリスト教 (共産主義) の対立ですね。
>存在を証明できないだけでなく非存在も証明できないのだから無理に存在しないと断定することもないのである。
考えの内容は、個人個人で違いますからね。現実は見ることができるが、非現実 (考え) の内容は、見ることができない。ただの話である。文章内容には、理解が必要である。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。矛盾を含んでいない文章は、すべて正しい考えを示している。だから、正しい考えは、一つではない。多数ある。矛盾を含む考えも矛盾を取り除けば、正しい考えになる。だから、話し合いは役に立つ。
> 超越的なものへの畏れを抱きながら、宗教心を忘れず、さまざまな宗教を信じる者どうしが(宗教を信じない者も含めて)、教義を相互にたたかわせるのではなく、相互の宗教精神そのものに対して敬意を払いながら、聖徳太子が言ったように「和をもって尊しとなす」の方針で付き合っていくことが重要だと日本人は考えているのではなかろうか。
無哲学・能天気の人であれば、教義を闘わせることは無意味になりますね。キリスト教徒やイスラム教徒が無哲学・能天気になれるかどうか。
> こうした宗教的態度は、一朝一夕で形成されたものではなく、日本の長い歴史の中で繰り返された生活の知恵の蓄積によって獲得されたものだと信じる。
無哲学・能天気の日本人にとって、哲学・宗教はいわゆる ‘きれい事’ ですからね。現実に影響しない事柄に属しますね。現実の内容しか認められない日本人には、想定外の事柄ですね。
>そうであるならば、奇妙とも思える日本人の宗教的態度が世界各民族の宗教対立の融和に、かえって役立つと考えてもよいのではなかろうか。
非現実の内容を是認するかどうかは言語の問題であり、考えの融和には深い (非現実の) 考察が必要になると思いますね。
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