(略)
>私たち日本人は程度の差こそあれ、物質的には豊かな生活を送っていますよね。>にもかかわらず国民の幸福度は先進国下から2番目です。(略) >経済危機が起こったギリシャが先進国最下位なのはまだわかります。>でも、日本は43点で下から2番目ですからね。(略) >しかし、それを差し引いても日本だけがずば抜けて異常だと思うのは私だけでしょうか?>ほかにもこの手のデータを見るといつも日本のデータは低いですしね。>これは何かがおかしいと思ってしまっても不思議ではありませんよね。
本当におかしいですね。
> 1.日本人を不幸にしている原因とは?>では、何が日本人をこれほどまで不幸にさせてしまっているのか?>私は今の経済優先の社会システムと和をもって尊しとする日本人のお人よしさがマッチしていないのではないかなーと思っています。
経済優先で社会システムが変化したのでしょうね。日本人の精神的な変化は、それに追いついて行けない。
>みんながよりよい生活になるよう国民一丸となって頑張っていた高度経済成長期は日本人のポテンシャルを最大限に引き出しました。>まさに和をもって尊しです。>みんなで困難を乗り切っていこうぜって感じですね。
高度経済成長は、まさに序列協力のたまものですね。
>一方、不景気になり終身雇用制度も崩れ、個人の力により力点が置かれるようになった今の社会では日本人の全体としてのポテンシャルは抑え込まれてしまったように感じます。
そうですね。序列協力の成果ではなく、個人の能力が試されるような仕組みになったのでしょうね。
>結局、ひとりひとりが明確な目標もなく何のために働いているかが分からない。>極論を言えば今の日本のシステムでは個人の存在意義を見いだせていけないのだと思います。
そうですね。正しい個人主義の理解が必要ですね。
>食べるためには働かなきゃって感じですかね。
社会が、個人の能力の自発的な出現を期待しているのでしょうね。序列関係の保証なしですね。
> 2.日本における社会システムの崩壊 >仕事だけではありません。 >ひと昔前までは地域がコミュニティとしての役割を持っていました。>地域全体がひとつの共同体として健全に作用していたのです。>まさに和をもって尊しです。
序列社会制度の営みですね。序列の考えの矛盾を解消しなければ、和を保つことは難しいでしょうね。
>しかし、いつのころか、隣人の顔すらもわからないような殺伐とした社会に突入していきました。
日本人が、外国に移民として働きに出かけたようなものですね。心身ともに疲れ果てます。
>この環境の変化は、終身雇用制度が崩壊した時期と重なります。>このような状況下では、物質的に豊かになっても精神状態は予想がつきます。
‘人はパンのみにて生くるものに非ず’ ですね。人間には、精神的なよりどころが必要です。日本人は、序列関係を頼りにしています。
>人間は一人では生きていけません。>にも関わらず、周りが敵か味方かもわからない状態では気苦労が増す一方です。
そうですね。その点、序列制度は ‘敵か味方か’ わかりやすいですね。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。’上と見るか、下とみるか’ の判断を人間関係に当てはめて延長して行くと、縦に連なる序列が出来ます。序列内の人は、’うちの人’、そうでない人は ‘他所の人’・’外人’・’非国民’ です。’うちの人’ は味方、’よその人’ は信頼が薄いのであります。
>とはいえ、長い年月をかけて変化してきたシステムをもとに戻すことは難しいでしょう。
そうですね。歴史を戻すことは難しいです。
>では、どうすればいいのか? >私は私たち一人一人の意識を変えていくしかないと思います。
そうですね。意識改革ですね。
>私たちの生活環境を見直し、どのように幸福度を上げて行くかをしっかりと考えることが大切だと考えています。
考えが大切ですね。
>そのためには、私たちが持っている従来の考え方や価値観を今一度、取捨選択していく必要があります。
序列の価値観を捨てることですね。
>Ⅱ.アドラー心理学における幸福度 > 一方、アドラーは「人間の悩みはすべて人間関係にある」とも言っています。 >人は共同体の中で自分の存在価値を感じ続けるために生きているのに、その人間の悩みはすべて人間関係にあるのです。 >この相反する心理を持つ人間が幸福になるためには、「共同体感」を持つことが大切だとアドラーは考えました。>「共同体感覚」とはこれら一見矛盾する価値観の中で人がしあわせに生きるために必要となる感覚です。>簡単に言えば、和をもって尊しとなす日本のよき文化そのものです。>協和、協調を重んじることこそが人が共同体の中でしあわせに生きていける方法だということです。
和の貴さを前面に出して、序列の矛盾には目をつむることですね。
>日本人の幸福度が低いのは、長い間機能していた終身雇用制度や、地域のコミュニティがある時をさかいに急激にしぼんで行ってしまったからだと私は考えています。>和をもって尊しとなす日本の古き良き文化が崩れていったことで、私たちは共同体感覚を感じにくくなってきたのではないでしょうか。
私達の序列社会 (縦社会) への郷愁ですね。
>もしかしたら、アドラー心理学の共同体感覚には日本人の幸福度を上げるヒントが隠されているのかも知れません。
そうかもしれませんね。
>なので、もう少し共同体感覚について詳しく掘り下げていきますね。> 共同体感覚には大きく分けて3つがあります。> 他者信頼 > 他者貢献 > 自己受容 >上記3つそれぞれが相互的に作用しています。
他者信頼は ‘上位の下位に対する惻隠’、他者貢献は ‘下位の上位に対する忖度’、自己受容は ‘身分相応という諦観’ ですか。これらは、私の勝手な解釈ですけれどもね。いずれも上下社会の枠組みの中で生きている共同体感覚ですね。
>2.私的理論で生きる弊害>共同体感覚とは真逆に属するのが私的理論です。
‘我利我利亡者’ の話ですね。
>これは自分さえよければいいという考え方です。
それは成り立たない考えでしょうね。自分は、各人により実体が異なりますからね。皆が議論しても話が合わないでしょうね。間違った考えということでしょうね。
>おおげさに言ってしまえば、自分一人がしあわせならほかの全ての人が不幸でもいいという利己的な考え方ですね。
自分の意味する実体が各人で異なるから、普遍的な考えとしては成り立ちませんね。
>このような考え方では幸福度をあげることは出来ません。
そうですね。
>しかし、地域のコミュニティーの崩壊や、終身雇用制度の崩壊を経験した日本人は私的理論で生きる人たちが増えてきているような気がします。
無哲学・能天気では、困りますね。皆に通じるような内容を確立する必要がありますね。
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>私たち日本人は程度の差こそあれ、物質的には豊かな生活を送っていますよね。>にもかかわらず国民の幸福度は先進国下から2番目です。(略) >経済危機が起こったギリシャが先進国最下位なのはまだわかります。>でも、日本は43点で下から2番目ですからね。(略) >しかし、それを差し引いても日本だけがずば抜けて異常だと思うのは私だけでしょうか?>ほかにもこの手のデータを見るといつも日本のデータは低いですしね。>これは何かがおかしいと思ってしまっても不思議ではありませんよね。
本当におかしいですね。
> 1.日本人を不幸にしている原因とは?>では、何が日本人をこれほどまで不幸にさせてしまっているのか?>私は今の経済優先の社会システムと和をもって尊しとする日本人のお人よしさがマッチしていないのではないかなーと思っています。
経済優先で社会システムが変化したのでしょうね。日本人の精神的な変化は、それに追いついて行けない。
>みんながよりよい生活になるよう国民一丸となって頑張っていた高度経済成長期は日本人のポテンシャルを最大限に引き出しました。>まさに和をもって尊しです。>みんなで困難を乗り切っていこうぜって感じですね。
高度経済成長は、まさに序列協力のたまものですね。
>一方、不景気になり終身雇用制度も崩れ、個人の力により力点が置かれるようになった今の社会では日本人の全体としてのポテンシャルは抑え込まれてしまったように感じます。
そうですね。序列協力の成果ではなく、個人の能力が試されるような仕組みになったのでしょうね。
>結局、ひとりひとりが明確な目標もなく何のために働いているかが分からない。>極論を言えば今の日本のシステムでは個人の存在意義を見いだせていけないのだと思います。
そうですね。正しい個人主義の理解が必要ですね。
>食べるためには働かなきゃって感じですかね。
社会が、個人の能力の自発的な出現を期待しているのでしょうね。序列関係の保証なしですね。
> 2.日本における社会システムの崩壊 >仕事だけではありません。 >ひと昔前までは地域がコミュニティとしての役割を持っていました。>地域全体がひとつの共同体として健全に作用していたのです。>まさに和をもって尊しです。
序列社会制度の営みですね。序列の考えの矛盾を解消しなければ、和を保つことは難しいでしょうね。
>しかし、いつのころか、隣人の顔すらもわからないような殺伐とした社会に突入していきました。
日本人が、外国に移民として働きに出かけたようなものですね。心身ともに疲れ果てます。
>この環境の変化は、終身雇用制度が崩壊した時期と重なります。>このような状況下では、物質的に豊かになっても精神状態は予想がつきます。
‘人はパンのみにて生くるものに非ず’ ですね。人間には、精神的なよりどころが必要です。日本人は、序列関係を頼りにしています。
>人間は一人では生きていけません。>にも関わらず、周りが敵か味方かもわからない状態では気苦労が増す一方です。
そうですね。その点、序列制度は ‘敵か味方か’ わかりやすいですね。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。’上と見るか、下とみるか’ の判断を人間関係に当てはめて延長して行くと、縦に連なる序列が出来ます。序列内の人は、’うちの人’、そうでない人は ‘他所の人’・’外人’・’非国民’ です。’うちの人’ は味方、’よその人’ は信頼が薄いのであります。
>とはいえ、長い年月をかけて変化してきたシステムをもとに戻すことは難しいでしょう。
そうですね。歴史を戻すことは難しいです。
>では、どうすればいいのか? >私は私たち一人一人の意識を変えていくしかないと思います。
そうですね。意識改革ですね。
>私たちの生活環境を見直し、どのように幸福度を上げて行くかをしっかりと考えることが大切だと考えています。
考えが大切ですね。
>そのためには、私たちが持っている従来の考え方や価値観を今一度、取捨選択していく必要があります。
序列の価値観を捨てることですね。
>Ⅱ.アドラー心理学における幸福度 > 一方、アドラーは「人間の悩みはすべて人間関係にある」とも言っています。 >人は共同体の中で自分の存在価値を感じ続けるために生きているのに、その人間の悩みはすべて人間関係にあるのです。 >この相反する心理を持つ人間が幸福になるためには、「共同体感」を持つことが大切だとアドラーは考えました。>「共同体感覚」とはこれら一見矛盾する価値観の中で人がしあわせに生きるために必要となる感覚です。>簡単に言えば、和をもって尊しとなす日本のよき文化そのものです。>協和、協調を重んじることこそが人が共同体の中でしあわせに生きていける方法だということです。
和の貴さを前面に出して、序列の矛盾には目をつむることですね。
>日本人の幸福度が低いのは、長い間機能していた終身雇用制度や、地域のコミュニティがある時をさかいに急激にしぼんで行ってしまったからだと私は考えています。>和をもって尊しとなす日本の古き良き文化が崩れていったことで、私たちは共同体感覚を感じにくくなってきたのではないでしょうか。
私達の序列社会 (縦社会) への郷愁ですね。
>もしかしたら、アドラー心理学の共同体感覚には日本人の幸福度を上げるヒントが隠されているのかも知れません。
そうかもしれませんね。
>なので、もう少し共同体感覚について詳しく掘り下げていきますね。> 共同体感覚には大きく分けて3つがあります。> 他者信頼 > 他者貢献 > 自己受容 >上記3つそれぞれが相互的に作用しています。
他者信頼は ‘上位の下位に対する惻隠’、他者貢献は ‘下位の上位に対する忖度’、自己受容は ‘身分相応という諦観’ ですか。これらは、私の勝手な解釈ですけれどもね。いずれも上下社会の枠組みの中で生きている共同体感覚ですね。
>2.私的理論で生きる弊害>共同体感覚とは真逆に属するのが私的理論です。
‘我利我利亡者’ の話ですね。
>これは自分さえよければいいという考え方です。
それは成り立たない考えでしょうね。自分は、各人により実体が異なりますからね。皆が議論しても話が合わないでしょうね。間違った考えということでしょうね。
>おおげさに言ってしまえば、自分一人がしあわせならほかの全ての人が不幸でもいいという利己的な考え方ですね。
自分の意味する実体が各人で異なるから、普遍的な考えとしては成り立ちませんね。
>このような考え方では幸福度をあげることは出来ません。
そうですね。
>しかし、地域のコミュニティーの崩壊や、終身雇用制度の崩壊を経験した日本人は私的理論で生きる人たちが増えてきているような気がします。
無哲学・能天気では、困りますね。皆に通じるような内容を確立する必要がありますね。
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