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道徳の定番

2018-05-02 23:44:14 | 教育
>もちろん、正式な教科になる前から道徳の授業はあった。>だが、成績を付ける必要がなく、副読本を使うも使わないも基本的に自由。>授業は個々の教員の裁量で行われてきた。

日本人は、従来の道徳教育に自信を無くしているのですね。

>元小学校教員で自然科学教育研究所代表の小佐野正樹氏が語る。>「ほとんどは副読本を形だけ読ませるか、NHKの教育番組を見せてお茶を濁してきました。一方で、学級会やホームルームを行い、毎日の集団生活の中から起きてくる問題を話し合う時間にしていた教員もいました。文科省は盛んに『いじめのない学校』と言いますが、学力向上の名の下に遠足などの行事が削られ、いま学校はストレスで溢れ、いじめはいつでも起こり得ると考えるべきです。いじめが起きたときに自分たちでいかに解決するかが重要で、最も大切なのは子どもたちの自治だと思います」

毎日の生活が ‘上と見るか、下とみるか’ の相克では、子供たちの気持ちも荒んできますね。結果として、個性的な個人を認めるよりも、没個性の序列を確認するようになるのでしょう。日本人には人間が、値段のつけられた物質の様に見えているのかもしれませんね。

>昨年3月の小学校道徳の教科書検定に合格した教科書の中には、「国旗や国歌を大切にする気もちのあらわし方」と題して、日の丸と卒業式の写真を掲載して「き立して国旗にたいしてしせいをただし、ぼうしをとって、れいをします」などと記述したものもあった。(略)

我が国においては、個人判断は、信頼されない無傾向にあります。個人判断は、多種多様ですからね。我が国においては、いつでもどこでも唯一の正解が求められる傾向にあります。

>小佐野氏はこう言う。>「日の丸・君が代には国民の間でさまざまな意見がある。都立高校で君が代斉唱の際、起立しなかった教員を減給処分などにしたことに対し、裁判所は都教委の『懲戒権の逸脱、濫用』を認めて処分を取り消している。(略)

>道徳で定番となっている「星野君の二塁打」という小学6年の教材も、教員たちの悩みの種だ。

監督の『懲戒権の逸脱、濫用』ですね。

>バッターボックスに立った星野君に、監督が出したのはバントのサイン。しかし、打てそうな予感がして反射的にバットを振り、打球は伸びて二塁打となる。この一打がチームを勝利に導き、選手権大会出場を決めた。

監督のサインは、ファースト・オピニオン。星野君の反射は、セカンド・オピニオン。
前者よりも、後者の方がより大衆に納得される場合もある。しかし、監督のサインには、監督責任により裏付けられている。
矛盾のない内容は、すべて正しい。だから、正解は唯一ではない。いくらでもある。もし、監督のサインが間違いである場合には、監督はその責任を取らなくてはならない。しかし、間違いがなければ犠打の精神も必要ですね。監督は、それでそれを指示した。

だが翌日、監督は選手を集めて重々しい口調で語り始める。チームの作戦として決めたことは絶対に守ってほしいという監督と選手間の約束を持ち出し、みんなの前で星野君の行動を咎める。「いくら結果がよかったからといって、約束を破ったことには変わりはないんだ」「ぎせいの精神の分からない人間は、社会へ出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ」などと語り、星野君の大会への出場禁止を告げるシーンが展開する。

監督の「社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ」は、少々言い過ぎですね。個人の臨機応変というのか、機転を利かせることもあるでしょう。学校の皆さんは監督の『懲戒権の逸脱、濫用』を認めて、星野君の出場禁止処分を取り消したらよいでしょうね。そうしたら、教員たちの悩みも解消することでしょう。


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