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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

時代遅れ

2018-03-24 12:01:29 | 教育


>技術力が高く、戦後の焼け野原から這い上がり、凄まじい勢いがあったかつての日本企業は、先進国からは恐れられ、発展途上国にとっては羨望の的でした。

そうですね。日本人には、焼け野原に挫けてはならない人生があったのですね。

>しかし、現在の日本企業はその勢いを失っています。>歴史的に見ればわずかな期間のうちに、なぜここまで元気がなくなってしまったのでしょうか。

頭を使うことなく、身体を使ってきたからでしょう。

>メルマガ『週刊 Life is beautiful』の著者で世界的プログラマーの中島聡さんは、日本の時代遅れな企業体質と関連付けながら日本企業の衰退ぶりを自身のメルマガで分析しています。
(略)
>なぜ日本企業は競争力を失ってしまったのか
(略)
>まず「戦後の高度成長期の成功体験」の部分ですが、これは、単なる年功序列・終身雇用制だけではなく、「幸せは一流大学に行って、一部上場企業に努めてこそ得られる」「頭のいい人は、田舎にいるよりは都会に出るべき」「第一次産業よりは、第二次産業や第三次産業の会社でサラリーマンをすべき」などの日本人の価値観そのものに関わる大変革だったために、それを今更変えることは簡単ではなくなっています。

そうですね。年功序列・終身雇用の世界から一流大学が出来たのですね。

>特に問題なのは、学校教育で、個性やクリエティビティよりも知識を重視した詰め込み教育が行われているため、ソフトウェア・エンジニアのような「一芸に秀でた」人材を排出しにくくなっているのは、大きな問題です。

そうですね。同次元での序列競争では、個性無視は避けられませんね。考える人のいない社会では、暗記による詰め込み教育が重視されていますね。

>中高では徹底的な詰め込み教育をし、その反動で大学に入ると遊び呆けてしまい、大学三年になると就職活動を始めてしまうようでは、今の時代に必要な人材は育ちません。

そうですね。日本人は、考える人にはなりませんね。日の下に新しきものなし。四年間の大学生活で退屈男・退屈女を輩出しましたね。

>「中学生の頃からプログラミングばかりして過ごし、高校卒業前にはウェブサイトを立ち上げたり、スマートフォンアプリをリリースした」ような学生時代の過ごし方を許すどころか奨励するような教育システムに作り変えなければならないのです。

そうですね。学問の自由ですね。個性を伸ばすのが良いですね。

>同時代に作られた日本人の価値観・常識の中には、「市民活動とは左翼活動であり、一部上場企業のサラリーマンが関わるようなものではない」という政治的なものもあれば、「霞が関や一部上場企業で、上司に逆らわずに出世すれば、引退した後に天下りのポジションが待っている」のようなものもあります。

市民活動は、下と見られた。伝統的な一寸法師の出世欲ですね。序列社会の人間の欲望には今も昔も変わりませんね。

>特に後者は、日本の社会の隅々で寄生虫のように社会からエネルギーを吸い取る仕組みを作ってしまい、それが時代に合わせた変革を非常に難しくしているのです。

そうですね。利権が問題ですね。

>日本企業が安い労働力と勤勉な労働者を活用して、欧米の企業に「追いつけ追い越せ」とやっていた時はよかったのですが、80年代のバブルが崩壊し、90年代後半からコンピュータ、インターネットによる情報革命が始まった時に、このシステムそのものが機能しなくなったのです。

そうですね。模倣の時代は終わったのですね。我が国に人手不足はあっても、頭脳不足はありませんね。日本人は、頭を使わないからです。特亜三国 (日本・韓国・中国) は、どこの国でも頭脳不足はないようです。

>米国では、IBM、DEC、Motorolaのような旧態依然とした会社は次々に淘汰され、それに変わる、Microsoft、Apple、Google、Facebook、Amazonのような会社が生まれて次の時代になりました。

新しい考えが生まれるからですね。

>日本では、相変わらず東芝、NEC、富士通のような企業が、政府の公共投資や国策によりだらだらと延命されており、それが雇用規制と合わさって、人材の流動制を低くし、日本版Microsoft、Appleなどの誕生を阻んでいるのです。

老舗が長続きするのが我が国のお国柄ですね。序列社会では忠義な家臣が多く、人材の流動性は低くなりますね。仕来りを変えることは難しいようです。

>上の「90年代後半から始まった情報革命に構造的についていけなくなった」という部分は、政府による大企業優遇政策、雇用規制、大企業が今でも持ち続けている終身雇用制と年功序列、霞が関や大企業が天下りとして作ってしまった星の数ほどの特殊法人・子会社・関連会社が、人材の流通を阻むだけでなく、ベンチャー企業からビジネスチャンスや資金を奪っており、それが結果として、世界に羽ばたくベンチャー企業を日本から生み出すことを難しくしているという構造的な問題があるという意味なのです。

序列社会では、下の者ほど割が悪い。我が国の序列メンタリティ (考え方) は、構造的な問題を引き起こしています。

>つまり、もう少し分かりやすく言えば、高度成長期に作られた教育システムと社会システムが、変化の早い情報時代になって時代遅れになっているにも関わらず、そのシステムの中で成功して来た人たちや企業が抵抗勢力となり、Microsoft、Google、Apple、Facebook、Amazon のようなソフトウェアを武器にして社会全体を飲み込んでしまうようなベンチャー企業の誕生を阻んでいるのです。

そうですね。頭の使い方に問題がありますね。日本人には世界観が無いので、来るべき世界を想定できないのでしょう。

>そんな中でもソフトバンク、ファーストリテイリング(ユニクロ)、リクルート、セブン&アイ(セブンイレブン)のような面白い企業も育って来ているので、全くダメなわけではありませんが、残念なことにどれも「ソフトウェアで世界を変えていく」ポジションにあるわけではないのが懸念です。

そうですね。考え (非現実) の世界は、無哲学・能天気の日本人には不得意な分野ですね。

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主体性喪失の原理

2018-03-24 00:10:52 | 日本語文法
>個人主義社会では、自分の意志で、物事を判断していかなければ、生きていくことはできない。>ところが、主体性を喪失する事は、自分ではなにも判断できなくなることを意味する。>自分で決めなければならないのに、自分ではなにも決められない。>このような状況は、大変なストレスを生み出す。>解消のしようがないストレスは、やがて人格を破綻させ、精神に異常をきたす。

日本人には、意思 (will) が無い。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には、意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思が無いので、仕方がない。だから、諦める。これが、日本人の主体性喪失の原理である。
全ての考えは文章になる。文章にならないものは、考えではない。矛盾を含まない全て文章は、正しい考えを示している。だから、正しい考えは一つではない。人の数ほどある。考えは、その人そのものを表している。全ての考えを保護することは、全ての個人を保護することになる。だから、これが個人主義の目的である。
日本人には意思は無いが、恣意 (self-will) がある。意思は文章になるが、恣意はならない。バラバラな単語のままである。文章にならないものには、意味が無い。矛盾も指摘できない。だから、議論にならない。話者の発する単語をもとに聞き手は忖度 (推察) を働かして目的を達しようとする。忖度は、聞き手の勝手な解釈であるから話者には責任が無い。それで、意思疎通、いや恣意疎通に関する問題が起こる。日本人の誇る以心伝心は、日本人が思い込んでいるほど便利なものではない。
忖度をさらに発展させるために、談合を開く。お互いに腹の探り合いをして、腹を括って決着する。リーズン (理性・理由・適当) の表明もなければ、リーズナブルな答えも明らかにはならない。ああ、空しい。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、単語でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」