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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

体育

2018-03-02 22:56:08 | 教育
>体育>最後に体育について言及しよう。>体育イメージ昭和の40年代まではスポーツクラブに入って、早朝、放課後、休日を問わず練習に専念する学生は頭が空っぽで、本も読まず知性もない、という評価が漠然とあった。>何も差別的な見解を強調しているわけではなく、単に当時は知的であることが一般的に今よりも高く評価されていたという事実を伝えたいだけだ。

その知性の方も大したものでも無かったのでしょう。

>当時のスポーツ選手も自分が知的でないことを謙虚に受け入れ(実際はそうでもなかったのだが)、偉そうなことを言ったり尊大な態度を取ることはなかった。>では今と何が違うのか。>今の世の中は社会的風潮として、有名になって金さえ儲ければ人間の中身など問題としないという風潮がある。

拝金主義ですね。

>あらゆる分野、あらゆる活動において金が優先され、金を持っていれば他の事は大目に見られ、許されてしまう。>そこで知性だの精神性などと言うと、ダサイ、ウザイと見られてしまう。

昔風ということですね。

>こうした傾向に拍車をかけているのがマスコミだろう。>教養もなければ礼儀作法も知らない若者をタレントとしてテレビにどんどん出し、愚かな視聴者に優越感を味わわせて視聴率を得る。>こうして無知が市民権を得るようになった。>有名になって金を儲けた人たちを毎日テレビで見せられ、それに憧れる若者たちが教養を身に付けることよりも、単に有名になること、あるいは有名な人と結婚することだけを夢見て虚しく過ごしているかも知れない。

大衆文化の普及ですかね。

>体育の話に戻るが、いったい何をもって格闘技や走ることや跳ぶことに価値を置いているのだろうと疑問に思ってしまう。

ひとえに健康のためでしょうね。

>いくら強い格闘家になっても所詮オラウータンやゴリラに勝てはしない。>早く走るならチーターに勝てはしない。>高く飛ぶなら蛙のように自分の身長の何倍も跳ぶ生き物に勝てはしない。>いったい人間として彼らは何を求めているのだろう。

アニマル相手の競争ではないようですね。あくまでも人間相手の金メダルを求めているのでしょうね。

>私はスポーツ自体が馬鹿げていると言っているのではない。>趣味として、あるいは健康や気晴らしとしてするのは有用だと思う。

健康第一ですからね。末永く続くことでしょうね。

>しかしそれが生活のほとんどを支配し、金儲けという目標まで付いてしまっては、いったいこれでいいのかと思ってしまう。>実はこれも支配者の思う壺と言わざるを得ない。

それは、うがった見方ですね。無哲学・能天気の民は、支配者に打って付けですね。

スポーツに夢中になる者を増やし、それを観戦する熱狂的なファンを増やし、一般大衆を日本の現状や世界の情勢、人生の意味などについて考えることから遠ざけようとする支配者の策略に見事に嵌っていると見做せるからだ。

我が国民の無哲学・能天気は、今に始まったことではありませんからね。政治哲学とは初めから無縁ですね。

>教育水準が上がった先進国では、支配者にとって一般大衆はただ仕事のためにだけその知識を活用すればいいのであって、冷静に物事を考え、支配者の意図することを見抜くようなことになっては困るからだ。

これは、衆愚政治ですね。’考える人’ になるのは難しいですね。


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外国語

2018-03-02 18:25:56 | 文化
>外国語>次に外国語について述べよう。>昭和の50年頃までは、ヨーロッパ言語に偏っていたとはいえ、様々な言語が大学などで教えられていた。>学生は第二外国語が必修とされ、ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ロシア語、中国語などの中から自由に選んで英語以外の言語に触れたものだった。

私の場合は、第二外国語はドイツ語でした。

>しかし今は第二外国語を必ずしも履修しなくてもよい大学が増えている。>英語以外はどうでもいいという風潮のせいだろうか。

そうですね。英語は、世界の第二言語 (習得する価値のある言語) となりました。中国語などは、母語としての話者は英語以上に多いのですが、第二言語としてはなされることはあまりありませんね。

>言葉は先ほども言ったように文化であり、それを学ぶことは、たとえ完全に習得できなくても異文化に触れることになると思う。

そうはそうですね。ただでさえ役に立たないとされる教養教育に、第二外国語は拍車をかけることになりますね。

>ある国が他国を征服すると自国の言語を押し付けるということは歴史上いくらでもあった。>ラテン語(かつてのローマ帝国で用いていた言語)は近代までヨーロッパの学術用語として生きていたし、ナポレオンが西欧諸国を席巻したときにはフランス語がヨーロッパの共通語になり、ナチスがヨーロッパを支配したときにはドイツ語が共通語になった。>日本も第二次世界大戦で支配した南太平洋の島々や朝鮮、中国などで日本語を強要している。>現在これらの地域に日本語を話せる高齢者がいるのは、こうしたことの名残でもある。

そうですね。

>かつては戦力が勝敗を決め、言語の強要が行われたが、現在は経済力が勝敗を決め、経済大国の言語が強制されるのではなく羨望の的となって学ばれている。

そうですね。第二言語は、習得する価値のある言語ですね。

>確かに英語ができれば就職も有利、仕事上でも有用であり、外国旅行に行けば世界中どこのホテルでも苦労することはないだろう。>私はこれ自体を悪く言うつもりはない。>しかし地球全体を考えれば、多様性こそが人類の宝であり、日本のように論文や小説、日常会話までが英語に侵され、激しい英語教化にさらされている現状は憂うべきものに思う。

どうしたら良いのでしょうかね。日本人は、ただ単語を並べて話すことが多いので、日本語にカタカナ英語が入りやすいのですね。文章にならない場合も、忖度 (推察) により伝達されたことにしています。

>アフリカでも英語化は進んでいるが、彼らアフリカ人は自分たちの部族の言葉と英語の両方を話すので、すなわち両方を使い分けるので、自分たちの言葉自体が侵されることはない。

そうかもしれませんね。私は、アフリカの言語を知りませんので、何とも言えないのですがね。

>しかし日本では英語を話せない圧倒的多数の人が、日本語の中にめちゃくちゃな形で英単語だけをはめ込むので、何がなんだか分からない状況が生まれている。

そうですね。カタカナ英語は、日本語ですね。和文の中では成り立ちますが、英文の中には入りません。

>誰かが皆の前でカタカナ英語をふんだんに使って得意気に喋っていても、誰一人英単語の意味を聞く人はいない。
>ほとんど全員が意味が解らないのにである。>こんな光景は日本中どこにでもあるだろう。

一億総ハクチ化ですね。日本語の言語環境ですね。単語をただ羅列するばかりで、文章にならない。だから、意味もなければ、矛盾も指摘できない。聴衆はただ忖度 (推察) を働かせて話を聞いています。ですから、意味は各自が自分勝手に考えます。忖度は、聞き手の勝手な解釈でありますから、話がうやむやになっても話者に責任は有りません。

>こうした馬鹿げた状況が生まれているのは冒頭で話したように差別化の教育の結果なのだ。

お互いに表面を繕いあっているのですね。

>カタカナ英語をふんだんに使う人も、それを解らぬまま質問もしない人も、どちらも劣等意識を植え付けられているので、一方は劣等意識からくる自己顕示欲がカタカナ英語を使わせ、他方は劣等意識から皆の前で質問できない気持ちを作り出している。

裸の王様の現実を知らせることは誰にとっても難しいですね。

>数少ないきちんと英語を話せる人は日本語と英語を分けて使うので、日常会話の中に多量に英単語を入れたりしないだろう。

そうでしょうね。タカナ英語は、立派な日本語ですね。和文の中では成り立ちますが、英文の中には同居できない単語です。

>もっと異様なのはテレビのコマーシャルだ(コマーシャルも英語としてはちょっとおかしいが)。
>化粧品の宣伝など8割方がカタカナ英語で、何を言っているのか皆目分からないことが多々ある。

そうですね。スポンサーは、気分・雰囲気に関する宣伝をしているのでしょうね。

>これは多量の英単語を日本語の文法(すなわち語順)に当てはめるからだ。
>これよりひどいのが大手車メーカーの用いている英文のコピーだ。Shift the future も Drive your dreams も意味不明だ。
>これらは英語を母国語とするイギリス人やアメリカ人が読んでも意味が解らない。>もちろん日本人にも解らない。
>すなわちこの広い世界に誰一人解る人はいないことになる。
>こんなものを平気でコマーシャルで流しているなど、開いた口が塞がらない。

気分・雰囲気を楽しんでいるのでしょうね。言語ではない。非言語である。ちょうど、絵画・音楽・風景のように楽しんでいるのでしょうね。日本語の言語環境とは、こう言ったものでしょう。勝手な解釈に任せられている。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは考えではない。
単に単語をちりばめただけのものは文章にはならないので、意味が無い。矛盾を指摘することもできない。
歌詠みの様なもので、日本人は忖度 (推察) により、気分・雰囲気を楽しんでいる。言語の様でありながら、文章にならない。作者の正当な主張というものがない。これは、日本文化の伝統なのでしょう。

>日本語は日本以外のいかなる国でも話されていない貴重な文化財産であり、それをこうした形で壊してゆくのは、多様性という地球の宝に対する破壊行為だと思う。

日本語の適応能力というのではないでしょうか。話者の主張が見られない。とかく、この世は無責任。

>実はこうした状況全般は、世界の文化を単一化に導き、支配をより容易なものにしようとする、世界的な規模の闇の支配者の策謀の一環らしい。

自然の成り行きによるものではありませんか。

(略)



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日本語

2018-03-02 10:38:28 | 政治
>●日本語>次に日本語について触れよう。>古来より言葉は支配のための道具として利用されてきた。

命令・調教のためですか。今でも我々は、アニマルに対してこの方法を利用していますね。いや、英語を使って調教いるかもしれませんね。

>中国では王の名に用いられた漢字は使ってはならないという布令が出されたことがある。>使った者は死罪になったそうだが、そうした方策によって人民を精神的に支配した。

民に対して王に特別な注意を向けさせる方法として漢字を利用したのですね。

>日本では国語審査会などというものが大正12年からあって、当用漢字だの常用漢字だのを勝手に決めてきた。

日本では国語に漢字が多すぎたからでしょう。漢人 (中国人) は、自分たちの考えを表すために漢字を作ったのであって、我々のような外国人の考えを学ぶためには漢字を作らなかった。だから、中国人は、外国人の考えを取り入れるのが得意ではないですね。

>なぜ勝手に、と言うかというと、言葉は文化であり、全国民が(すなわち大衆が)様々な活動の中で作り出してきたものだからだ。

漢字は漢人 (中国人) により作らましたが、日本人にも利用されました。その利用法は、日本人が相談して決めたらよいでしょう。大衆から代表が選出されて相談することになりますね。

>政府や官僚がそれに枠を嵌めるということは、文化という最も自由な活動に規制をかけることになってしまう。

あなたは、国語の表記法に関して自由放任主義ですか。

>日本語こうした規制のため、学校や官庁で用いる文章に珍妙なことが起こっている。>その顕著な例は熟語の表記だ。>熟語にはいくつかの型があり、「年齢」とか「階級」などは同じ意味の漢字を重ねたものであり、「名月」は前の形容詞が後ろの名詞を修飾しているもの、「勝敗」は反対語を対比させたもの、「獲物」は動詞と目的語を文章的に並べたもの、というようにいくつかのタイプがある。

先人の苦心の跡が見られますね。

>これらは二つの漢字が一対となって初めて意味を成すものであり、片方だけでは本来の意味を失ってしまう。>しかし常用漢字に従っている学校や官公庁では、例えば「進ちょく」などという表記が出現する。>「しんちょく」には「進捗」「神勅」「真直」があるが、「進ちょく」は文脈によってどれか分かるかもしれない。>しかしこれでは進むという感じは掴めるが、捗る(はかどる)という感触は失われてしまう。

そうですね。

>ついでに言えば、たとえば「上げ」などと表記したら何の事だか解るだろうか。>「じょう下」と表記すればこっちの方が元の漢字にたどりつけるかも知れない。>いずれにしても「上下」という一対の漢字でできたものを一方だけひらがなにしては意味をつかみ損なうことがあるだろう。>熟語は本来二文字以上で一つの単語なのであり、片方が漢字で片方がひらがなでは本来の意味を失ってしまうことになる。

そうですね。両方平仮名にすれば、問題ないでしょう。そうすれば、漢字の数が増えることもありませんね。国を富ますには人々の知識を豊かにする必要があります。ところが我々日本人は、漢字の字形と音訓の習得に月日を費やして、肝心の勉学の成果が出るのが遅れています。こうした観察の結果により前島密(ひそか)は漢字の廃止論者でもありました。

>私に言わせれば、国語審議会などというものの存在自体が害悪なのだと思う。>国民の自由な文化的、経済的活動があって初めて言葉は生まれ、変化して行くものだろうからだ。

日本語をカナ漢字表記からローマ字表記に切り替えることぐらいは、国語審議会でしたほうが良いと思いますがね。和文の音読を容易にすることが、日本語習得を容易にする鍵になります。ローマ字表記は、日本語を非漢字圏の第二言語 (習得する価値のある言語) にする方策の第一歩になるでしょう。来日している多数の外国人研修生の更なる成果も期待されます。

>これに規制をかけるなどは一種の暴挙であり、権力の濫用だと思う。>歴史を見れば分かるように、政治が文化に介入していい結果を残したことはほとんどないだろう。

社会の規則は、個人の努力では解決できませんね。政治的な努力がどうしても必要と考えられます。

>中国の文化大革命などはその典型的な例と言える。

そうですね。でも何もしないのが、最大の功績と言えるのでしょうかね。


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