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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

意思のないこと

2015-05-15 22:05:56 | 国際・政治
文法とメンタリティ (考え方) の間には、密接な関係が有る。
各民族で言語は違う。だから、'日本の常識は、世界の非常識' ということもありうる。
意思があれば、個人・個人で違う。だから、個人を意識せざるを得ない。個人主義も成り立つ。
意思がなければ、個人は見えず、すべての動きが自然の流れに見えている

キリスト教関係の本では、'神のみこころ' という言葉が出てくる。'神のみこころ' というのは、'神の意思' のことである。だから、キリスト教では、一人の神の意思の内容を大切にしていることがわかる。独断専行の善さか。
我が国の神様は大勢いるが、自己の意思の内容を表さない。毎年、全ての神様が出雲に集まって談合をしているらしいが、意思決定は無いようだ。民主的のようであるが、意味が無い。

プログラム通りに動くロボットを信用するか。それとも、心のある人間を信用するか。どちらを取るか。
予定通りの玉砕・特攻隊となるか。それとも、自分の頭で考え直す余地が有るか。
考え直すことのできる人は、信頼できる。これは、優柔不断・意志薄弱と同じことではない。考え直すということは、文章の筋を考え直すことである。
自分自身の考えが無い '愚直' ではだめだ。'黙って俺についてこい' と言われたら、どうするのか。
この人は、わかっちゃいるけどやめられない状態にある。信なくば立たず。

日本人には意思が無い。だから、意思の自由を認めようとすれば、恣意の自由を認めたことになる。これはとんでもないことになる。
意思には文章内容が有る。筋が有る。恣意は文章にならない。筋が無い。説明責任はとれない。国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。この状態には、今も昔も変わりがない。

日本人は、この世の内容を、事の次第と成り行きで説明する。
個人に意思がなければ、責任の話は出て来ない。
とかく、この世は無責任。

意思がなければ、自由が利かない。
危機に及んで、座して死を待つ。
望まずして、危機に陥る民族である。
優柔不断・意志薄弱。意思の内容が無ければ自滅する。一億総玉砕で死ぬ。

意思は未来時制の文章内容である。
日本語には時制が無く、日本人には意思の内容が無い。
だから、意思決定が難しい。

意思のある人には、加害者意識も、被害者意識も有る。
加害者意識のある人は、深い反省をする。自分自身で以後の行動を改める。
意思の無い人には、加害者意識 (罪の意識)は無い。被害者意識だけで生きているアニマルのようなものか。浅薄である。安らかに眠ってください。過ちは何度でも繰り返しますから。
意思の無い人には、被害者意識を持たせて、以後の行動を改めさせるしかない。だから、調教・お仕置きで行く。

自由とは、意思の自由の事である。
日本人には意思が無い。だから、自由もない。
自由といえば、恣意の自由しか思いつかない。これは、'自由の履き違い' になる。
恣意 (私意・わがまま・身勝手) は、どこの国でも認められていない。
恣意には、滅私奉公で対処する。
不自由を、つねと思えば不足なし。
再び元の出発地点に戻るのか。




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日本人気質

2015-05-15 05:29:30 | 国際・政治
日本語には時制が無い。
日本人の脳裏には、実況放送・現状報告の内容 (現実) しか入っていない。
'世の中は、、、' (現実) の発想法しかない。'あるべき姿' (非現実)の内容が無い。
'あるべき姿' の判断が、'ものの上下' の判断に置き換えられている。
'世の中は、、、、、、' の発想法によれば、'いずこも同じ秋の夕暮れ' に見える。
深刻な反省はどこを探しても無い。だから、浅薄に見える。

日本語には階称 (言葉遣い) が有る。
日本人は絶えず序列的判断を迫られている。だから、序列的価値観を持っている。世俗 (現実) の上下にとらわれている。
その価値は、個人の一挙手一投足の行動の中にまで浸み込む。現実的な現人神のようなものか。序列順位昇進の喜びは大きい。
他人の褒め言葉もうれしい。自己慶賀もよい。これは、おめでたいことである。
下と見られた時の怒りも、また激しい。喜びも悲しみも、見えと外聞で決まる。自己が無い。
謝罪をしたらワン・ランク・ダウンと考える。自分の価値判断を上げるとは考えられない。
かくして堪え難きを堪え、忍びがたきを忍んで、国際社会において名誉ある地位を占めたいと願う。




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