どこか遠くでフッチボル

鹿島サポだが裏の顔は日本代表サポ組織「食う軍」の司令。徒然なるままボソボソと。

旅。九州上陸/4月1日

2004-09-07 | TROUBLE TRAVEL
素泊まりだったので、朝を迎えるとあっけなく出発した。
天気は晴れ。
走り出して分かったが、今朝は風が本当に冷たい。
寒さで動きが悪くなった指は、思うようにクラッチを切ってくれなかった。

船を使って瀬戸内海の島に渡るという事も考えていたが、この寒さで気持ちが変わった。
南に行けば暖かいかな。
今日中に九州に渡ってしまおう。
目標を決めれば後は走るだけ。毎日聞き続ける排気音は、既に日常に同化した。

丸亀市のあたりで、交差点で並んだバイクがあった。
しばらく走ると再び信号に止められた。
思い切って、隣に並ぶライダーに声を掛けてみた。

「どちらまでですか?」

西に向かって、途中から瀬戸内に渡ります。
そう、答えが返ってきた。

再び信号が青に。
暫く走ると、信号でまた話をする。
これを繰り返していくうち、話が弾んできたので、休憩がてら喫茶店に寄った。
バイクはオフロード用の小型バイクDT125だ。
名前は聞かなかった。それぞれ、DTさん、SRXさんと呼び合う。
ライダーの決まり事の一つかな。
彼も野宿ライダーで、瀬戸内海を一周しているところ。
予定は4,5日との事であった。

松山でDTさんと別れる。
俺は信号を直進、DTさんは右折しながら片手を振って走り去った。
短かかったが、楽しい時間を持てた。
知らない人と話をする。
それを楽しいと感じる事が出来た。
嬉しい。
本当に嬉しい。
もっと話したい・・・。

楽しみにしていた佐田岬半島に差し掛かる。
四国から西に大きく張り出した、細長い半島。
地図を見ていて、景色が良さそうな雰囲気が溢れかえっていた場所だ。

国道197号線は、丘陵の高い場所を走る国道だ。
途中遥か下に小さな漁港が見える。
バイクを止めて景色を楽しむ。
綺麗だ。
小さな漁港と、青く太陽を照り返す海。
そのコントラストに目を細くした。

フェリー乗り場は三崎港にあったが、そこから更に西へ向かい、半島の突端、佐田岬灯台まで足を伸ばしてみた。
四国最西端だ。
ライダーは端っこが好きだ。
大満足でフェリー乗り場の三崎港へ戻る。

大きなカーフェリーだった。
遠距離に使うような大きな船。
バイクを載せると、子供の様に階段を駆け上がって、デッキの前を確保。
これで海は俺のものになった。

同じ事を考えるライダーは多いようで、俺の他に3人のライダーがいる。
昼間のDTさんとの会話の楽しさから、気軽に自分から声を掛けた。
男性2人、女性1人の3人だ。
会話を始めて知ったのだが、自分以外の3人もそれぞれソロ。
俺も含めて、4人のソロライダーが揃ったわけだ。
みんなも驚いていたが、俺を除く3人は先生だった。
先生密度が濃いフェリーのデッキ。
変な偶然に驚きながら、到着までの話は笑いっぱなしだった。
全員九州在住と言うことで、観光情報を始めて聞く。
本当に沢山の情報とアドバイスを貰った。
その中で、女教師ののりこさんのアドバイス
“ユースホステルは一人旅に最高だよ。”

九州の佐賀関にフェリーは到着したようだ。
みんな名残惜しくて話しこんでしまい、フェリーの乗員の方に、早く降りてくれと怒られてしまった。
また雨だ。
全員で記念写真を撮影、別府に向かう俺を知って、他の3人も遠回りだが先導してくれた。

こんなに気持ちが良かった走りは今までない。
雨で前は見にくかったが、仲間を感じるバイクのテールライトを追うと、変に暖かい気持ちになった。

別府で別れた。
今度は俺が左折で、みんなは直進。
いっそ付いて行きたい気持ちだった。
俺は寂しがり屋なのだろう。
バイクの単独行は、本当は嫌なのかもしれない。

薦めて貰ったユースホステル、別府ユースに向かった。

飛び込みで入ったユースだったが、幸いベットは空いていた。
“本当は会員じゃないと泊まれないよ。早く会員になってね”
と言うアドバイスを貰い、割り当てのベットへ。

大きな部屋で、片側に10個前後のベットが並び、それが両側に。
一部屋で20人ぐらいが泊まれる部屋だった。
既に部屋にいた7,8人は、それぞれ何か作業をしている。
みんな、ソロの旅人だ。
心の中では、“先輩達、よろしく”そんな気持ちだった。

2食付で寝場所も確保。
それで2000円ちょっとなのだからありがたい。
もっと早くから知っていれば、不安な夕方を過ごす事もなかったのかなと思う。
しかし、一方で寂しい気持ちも。
孤独より、人を選んでしまった。どこかで何かに負けた気もした。

外は豪雨。
しかし部屋の中は濡れないで移動できる。
当たり前のことが嬉しかった。

九州上陸はあっけなかった。
明日から海岸線を南下するつもりだ。
どんな出会いが待っているのか。
そんな事にわくわくする自分に驚いた。

つづく・・・。

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 天気:晴のち曇り、夕方から豪雨
 時間:8:00~19:00
 距離:370km
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緊急指令10-4・10-10:対インド戦/“食う軍”出撃準備っ!

2004-09-07 | 食う軍
気が着けば、今度の水曜がW杯アジア地区予選。
<インドvs日本>が行われる!
格下とは言え、オマーンとの勝ち点差を維持する為には、勝ち点3、つまり勝利しか道はないのだっ!

まずは試合の諸条件を晒しておく。
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         W杯アジア地区1次予選
 インド(FIFA Rank 142) vs 日本(FIFA Rank 18)
         (会場/インド・コルカタ)

 2004/09/08 KICKOFF/21:00(日本時間)
 TV中継/TBS系列(解説 金田喜稔 実況 清水大輔)
      /BS-i   (         同上        )
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気を緩めるでないぞ。
相手に合わせてレベルを下げてしまう日本代表。
十分な調整とモチベーションが、勝利を導く唯一の方法なのだ!

ヒデの欠場に、俊輔の辞退も決まった。
試合間の戻らない高原、好調だが負傷で静養中のヤナギ、負傷明けで本調子には程遠い久保。
それにJで得点がない隆行か・・・。
攻撃陣で不安を述べれば切がないが、トップした先発と予想される本山・小笠原の出来に期待が掛かる。
※本山は昨日入籍! おめでとー!パチパチ♪

中盤から守備に関してはまったく心配していない。
GKの先発が楢崎とされているが、アジア杯優勝の立役者川口の先発もあり得ると見る。

※代表組欠場の昨夜のナビスコ杯。代表4人を欠く鹿島は敗退してしまった・・・。
 この代償は日本が勝つ事でしか償えん(怒)


さて・・・。
女子オリンピック代表がアメリカに敗戦して以来の“食う軍”の出番がやってきた。
日本がインドと闘うなら、我々も代表と一緒にインドと闘うのだ!!!
“インドを食う”として、食い尽くすっ!

で、何を食うか?
まず頭に浮かぶのはカレーだわな。
これはもう定番だろう。
インドと闘うという事なので、間違っても“マルシェ(欧州風カレーのレトルト)”など買って来ぬ様に注意が必要だな。
出来れば、汗が噴出すような辛さ度合い高いやつを食べて、インドと闘いたいね。

他に何か武器はないか?

会場がコルカタ・・・こるかた・・・凝る肩。
よーっし、凝る肩には、マッサージじゃあ!

ラジャ!( ̄- ̄)ゞ

・・・・・・誰の肩を揉めばいいんだ・・・?

※この記事のタイトルを正確に読める人は同年代

旅。北米と爺さん/3月31日

2004-09-06 | TROUBLE TRAVEL
せっかくの温泉旅館だが、なぜか落ち着けない。
6時前に目覚めてしまい、風呂に入りに行く。
途中、女中さんに会ったので、食事の時間を早めてもらう事にした。
名残惜しい気もしたが、ゆっくりしてはいけないんだと、何かが囃し立てていた。

8時。
早いが、宿を後にする。
小さな温泉街だったが、とても静かで気に入った場所となった。
いつかまた来れるだろうか・・・一度振り返ってから、バイクを西に向けて走り出した。

再度新宮に出て、本土最南端の紀伊白浜を見たいという気もあったが、半島を横断して、西岸に出る事を目指す。
細い山道は延々と続いたが、昼過ぎに海を見る事が出来た。
国道42号線だ。

半島の東側と違って、西側は賑やかだ。
ドライブインが多いし、交通量も多い。
バイクとすれ違うことは少なかったが、自転車でのツーリング姿が目立つ。
昨夜の温泉で気分がよかったので、追い越し際に左手でピースサインを送ってみる。

「ありがとぉー!」
「イェーーーイ!」

元気な返事が次々に返ってきた。
バイクも自転車もない。旅人同士の挨拶だ。
気分は更に晴れた。

大阪まで上がってしまう事も考えたが、このまま都会に出ると今夜の野宿場所で苦労しそうな予感がした。
地図を調べると、深日と言う場所から、淡路島にフェリーが出ている事を知る。

四国か・・・。

旅行を含めて四国には足を踏み入れた事がない。
気持ちは直ぐに決まった。
フェリー乗り場を目指す。

思ったより大きなフェリーにバイクごと乗り込み、その後デッキに上がってみた。
ライダーと思わしき人達がちらほら見受けられた。
ボンヤリと海を眺めていたら、声を掛けられた。
FZ、FZR。同じヤマハ党とう事で、色々な事を話す。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎる。
結局住所を交換する間もなく、淡路島の洲本に到着となってしまった。
彼らは鳴門大橋を渡り、四国入りするとの事。
俺はと言うと、時間がすでに3時と言う事もあり、淡路で野宿場所を決める事にした。

地図にキャンプ場と出ている“由良”に向かってみる。
小さな港町。
せまい街角を曲がって、キャンプ場を目指してみるが、一向に見つからない。
駄菓子屋があったので、中でキャンプ場の事を聞いてみた。

「地図の場所はここだけど、キャンプ場なんかないよぉ。」

見えるのは堤防に囲まれた小さな港。
確かにキャンプ場は存在していない・・・。
途方にくれていると、目の前を爺さんが乗ったバイクが通り過ぎた。
古いビジネスバイクで、爺さんはヘルメットもかぶっていなかった。
ボーっと眺めていると、通り過ぎた爺さんのバイクが止まり、そしてUターンして戻ってきた。

「こんなところで何しとるの?」

訳を話してみた。

「キャンプ場はないなぁ」

一瞬泊めてくれるのかと思ったが、そうではなかった。
バイクのエンジンをかけると、爺さんは帰る準備を再び始めた。

「今度なぁ、このバイクで北米大陸横断しに行くんだぁ。
       兄ちゃんはどこまで行くの?あぁ、九州かぁ。あそこもいいところだなぁ。」

凄いことをポロッと言って、爺さんはさっさと走り去ってしまった。
“はぁ?アメリカだってぇ?”
間違いなく70歳近い爺さん。
俺の一人旅が突然小さく感じた。

“爺さん、あんた凄いや”

結局淡路では野宿場所は見つからなかった。
こうなったら四国に入ってしまうしかない。

風が強いと聞いていた鳴門大橋は、噂にたがわぬ強風ぶりだった。
下の海で渦巻く鳴門の大渦は気になったが、バイクを真っ直ぐ走らせるのに必死。
直線でもバイクを傾けていないと、あっと言う間にコケそうだった。

四国上陸の地は鳴門。
色々歩き回りたいところだが、野宿地を探さなければいけない。
海側では見つかりずらいと判断。
四国の真ん中を東西に走る国道を西に向かう事にする。

しかしこの日もいい場所は見つからなかった。
適度に人家が続いてしまって、いつまで経っても駄目。
いいかげん、野宿地探しも飽き飽きだ。
いっそ今夜もどこかの旅館にでも泊まればいい。
開き直って、国道をひたすら西へ向かっていた。

途中、高校野球で有名な池田の文字を見つける。
深く考えもせず、バイクをその方向に向けた。
池田高校を過ぎたのだろうか。夕方6時を過ぎて暗くなった景色では、正直何も分からなかった。

案内板に高松の文字が見える。
高松?大きな町だった気がする。
何かあるだろう・・・。

結局高松まで来てしまった。
思いの外大都市。
とても旅館なんてみつかりそうもない。
かといって、ホコリまみれのこの格好では、ホテルに“泊まれますか?”と聞く勇気もなかった。

公園ででも寝ちゃうか。
一休みしていた場所で諦めていると、目の前に小さなビジネスホテルが。
いくら呼び鈴を押しても出てこないカウンター(喫茶店のレジ程度の大きさしかない)で駄目かと諦めた頃、迷惑そうに従業員が現れた。

部屋に入ってみると、それは過去経験がないぐらいの狭い部屋。
安かった事はあったな。
それでも今夜の寝床が見つかったのは嬉しい。
食事がまだだったので、夜の高松を散策に出かけた。

山ばかり見ていた目には、それは強烈なネオンと感じ、町を歩く人達の勢いに目を回し、賑やかな店ばかりが目立つ明るい店には入りにくかった。
結局、マクドナルドでハンバーガーを買い込み、ホテルで夕飯。
大都市に来て人は多いのに、山にいるよりどこか孤独。

ホテルは嫌だな。
大きな町も避けよう・・・。
外の喧騒が聞こえるビジネスホテルで、有料のテレビにお金を入れる気にもならず。

淡路の爺さんは凄かったな。
ビジネスバイクでアメリカかぁ。
その事を思い出した時、少し笑えた。

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 天気:曇り時々晴
 時間:8:00~20:00
 距離:340km
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旅。深夜の訪問者/3月30日

2004-09-05 | TROUBLE TRAVEL
深夜に一度目が覚めた。
いや、覚めたと言うより、覚めさせられたと言うのが正解だろう。

深い眠りについていたが、テントを照らす強烈な明かりに気が着いたのだ。
時計を見ると深夜の2時半。
訳がわからず次の事態を待ち構えていると、バタンと言うドアを閉める音。
気が着かなかったが、車でテントを照らされているようだった。

ジャリ・・・ジャリ・・・ゆっくりと誰かが近づいてくる。

幽霊も怖いが、夜中に山の中で人と会うのも相当怖い。
何か用がなければ通らないような峠道だったからだ。

息を押し殺して待ち構えていると、足音が数メートル先で止まった。
数分にも感じる沈黙があった。

怖さから、やけくその反応をとってみる事にした。

「ウォッホン!ゴホゴホ」

唐突に咳払いをしてみた。
すると・・・

“うぉっ”

相手が小さな悲鳴を上げた。

ジャリジャリと車に戻る足音。
車は急いで車道に戻り、走り去っていった。

ホッ・・・。
本当に焦った。
なんだったんだろう。

待てよ。

夜中に峠道を走っていたら、変な場所に変なものが置いてある。
(テントだが、穴倉テントの為、恐らくそうは見えなかったろう)
思い切って車から降りて何があるのか確かめようとした。
ゆっくり近づいてみる・・・。
何だこれ・・・何かのシート・・・何かを包んでいるのか・・・
ソーーーーッ・・・・
突然、その物体から
“ウォッホン!”

驚いたろうなぁ。
悪い事しちゃったと思いながら、笑いをこらえるのが大変だった。
深夜の山中に静かに響く忍び笑い。
誰かが聞いていたら相当怖かったろうな。

再び眠りに着いたが、日の出の時間が過ぎ、周りが明るくなった頃にははっきり目が覚めた。
小用でテントの外に出てみる。

おっ!?

夜にテントを張ったので気が着かなかったが、直ぐ横に冷蔵庫などの不法投棄ゴミが捨ててある。
それも相当の量。
その横に俺のテントとバイク。
昨夜の訪問者も不法投棄でもしに来たのかな?
なんにせよ、変な場所に張ってしまったものだ。

持参していたラジオで天気予報を聞いてみる。
今日も紀伊半島は午後から雨と言っている。
2日連続の寝場所難民で疲れ果てた。
3日ぶりの風呂にも入りたいし、まともな物を食べたい。
思い切って、今夜は旅館にでも泊まってしまおう。

旅館と決めたら、心が楽になった。
安心して眠れる場所・・・家にいると何も思わないけど、それって本当に生活の基本なんだな。
頭の中は、今夜の風呂で満たされてしまった。

地図で現在地を確認してみる。
恐らく三重県の南島と言う辺りだ。

雨が降り出す前に、行けるところまで行ってしまおう。
昨日借りたストーブで米を炊き、早々に胃に押し込んで出発した。
峠はほんの数分走るだけで降りる事が出来た。
そこは小さな漁港で、海辺にはテントを張れる場所がゴロゴロみつかった。
“もうちょっと走っていれば、ここにテント張れたのに”
ちょっとした事で簡単に落ち込む。
昨日の自分を怒ってやりたい心境だった。

電話ボックスで旅館を探してみる。
国の経営だと安いなと思い、和歌山の国民休暇村、同じく淡路島と電話で聞くが、どちらも満員と言う事で断られた。
近くに旅館がありそうな場所を探す。

地図を眺めてみる。
和歌山の新宮から山に入った辺りに“湯峰温泉”と言う文字を発見。
どうせなら温泉だっ。
旅館の予定はグレードアップして温泉と変わった。

海岸線を沿うように南下を始める。
昨日紀伊半島に入り、四日市、津を過ぎた辺りから、景色は激変している。
車の数が減り、山がちな景色が目を楽しませてくれる。
走り出してみると、薄曇りの天気に合う、静かな小さな町をいくつも通り過ぎた。

尾鷲~新宮と走ると、湯峰温泉への分岐点に到着。
海辺から山へと気持ちもスイッチした。

山道へ入ったとは言え、右手に大きな川があり、道幅も広く景色も最高。
本当に気分が高揚した。
誰もいない道を走っていると、全てが自分の為に用意されたものだと思えてくるから不思議だ。
走りながら、思い切り叫んだ。

“ワーーーーーーーーァァァァァッ!”

道が狭くなり、温泉が近いと感じてきた。
こんな山の中に温泉が本当にあるの?
そう思い始めた昼過ぎ、湯峰温泉に到着した。

華やかな温泉街を想像していたが、宿も10数件しかない小さな温泉だ。
左手の温泉街を流れる小さな川からは湯煙が上がっている。
本当に静かな温泉で、聞こえてくるのは川の音しかない。

一件目で断られたが、二件目に聞いた宿は空いていると言う事。
ライダーをやっていて、ナリの汚さから宿泊を断られるのは慣れている。
ろくに着替えもしていない俺を泊めてくれる宿に感謝した。

通された部屋は二階の和室。
表て通りに面しているので、窓を開けると温泉街を一望できた。

温泉は小ぶりながら情緒がある岩風呂。
湯量が豊富な温泉だそうで、源泉の温度も高い。
体を洗い、頭を洗うと人間に戻った気がする。
最高の気分で部屋に戻ると、ビールを片手に温泉街を見ながら一杯。
つまみは川の音だ。

その夜は川魚主体の料理を堪能。
一人日本酒をかたむけていると眠気は直ぐにやってくる。
何十日振りにも感じる布団の感触は、瞬く間に俺を明くる日に連れて行ってしまいました。

つづく・・・。

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 天気:曇り時々雨
 時間:8:00~12:30
 距離:144km
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旅。言葉にならない感謝/3月29日

2004-09-04 | TROUBLE TRAVEL
辺りが明るくなったのが、テントの中にいてもわかった。
どうせ寝ていられないのならと、起き出してしまう。
外に出て時計を見ると6時前だった。

とにかく夜を越える事が出来た。
大袈裟だと自分でも思っていたが、本当にそんな気持ちだった。

天気は曇り。
海辺を見ると、数100m先の砂浜に大きな看板が見える。
何て書いてあるのか分からなかったが、人は多い。
自分に気が付かなければいいが・・・ひどく自虐的な気持ちが現れ、人から逃げたい心境だった。

コーヒーを飲もうと、お湯を沸かす事に。
ストーブ(携帯コンロ)は側面のポンプバーを押し込んで空気を圧縮し、その圧力を使ってガソリンを気化するタイプ。
まずはポンプで圧力を・・・。

いきなりトラブルだ。
昨夜、砂の上で使った為、空気を圧縮する箇所に砂が入ったようだ。
押し込めど押し込めど、どこからか空気が抜け圧力が掛からない。
やるしかないと諦め、ストーブの分解に入る。
砂が入っている箇所は見つかり、綺麗にして再度組み込んでみた。

やはり圧力は掛からなかった。

こうなるともう手には負えない。
一度の使用で使えなくなるとは、我ながら情けない気持ちになった。
それに、火が使えないとなると、米と水だけでは食べる事が出来ない。
いきなりの出費を覚悟し、暗澹たる気持ちになった。

食事を取れないとなると、他にやる事もなく、出発の準備に取り掛かる。
風になびいて畳みにくいテントに苦労し、海でのキャンプは快適さとは程遠いと実感。
今夜こそは、野宿場所を早目に決めて、慌てない夜を過ごそうと思った。

出発の準備が整いかける折、朝の生理現象がやってきてしまった。
場所を探す余裕もなく、砂の丘に挟まれたくぼ地を目指し小走り。
ライダーブーツで砂を掘り、用を足した。
そこで気が付いてしまった。

紙がない。

しちゃったものはどうにかするしかない。
近くにあるものは・・・砂のみ。
やるか・・・。

砂で処理しました。

出発は午前8時。
この場所からだと、大都市の名古屋が近いか。
とりあえず国道1号に出、南下する事とした。
そのまま浜松~豊橋とバイクを走らせる。
見える景色は、大きな町のみ。
景色がいい場所はないか・・・予備知識無しで走ると、観光地なんてどこにあるかわからない。
浜松でうなぎと思ったが、お金が心配なので寄らなかった。
朝飯はまだ食べていない。

天気は曇り。
風が冷たいし、ヘルメットに入り込んでくる風が湿っている。
おそらく雨が降る。
大型車に囲まれた国道で、雨の中を走るのは避けたい。
名古屋は近い・・・このまま京都方面へ出るか・・・いや、まっすぐ九州を目指すのが目的じゃないはずだ。

名古屋を通過すると、道を三重県方面に方向転換。
紀伊半島を回る事とした。

雨が降ってきた。
本降りになりそうなので、道路際に寄せ雨具を着込む。
暑い・・・。
エンジンから立ち上る熱気。
通気性をまったく無視した雨具。
背中を汗が流れているのが判った。

三重県に入ると、大きな町が現れてきた。
四日市だ。
ストーブの修理が出来るかもしれないと思い、中心街を目指してみる。
大きな町だが、人気はあまりない。

そうか・・・平日か。
平日に、ぶらぶらしている俺がおかしいのか。

諦めかけた時、商店街入口近くにアウトドアショップを見つけた。
壊れたストーブを持ち、店に入ってみる。
小さな店だ。

40代後半の店主らしき人が一人座っていたので、要件を告げてみる。
ストーブを目の前でばらし始め、手際よく掃除を始めた。
ものの4,5分で組み立てて、圧縮を始めたが・・・やはり圧縮は掛からなかった。
ゴムパッキンにオイルが染み込み、化学変化して駄目になってしまっている。
店主はそう言った。

どうしようもない。
諦めて店を出ようとした。

「ちょっと待って」
無愛想な店主がそういって奥に消えた。

「これ持ってけよ」
“えっ?”
俺が持っているストーブと同じメーカーのもので、年代が古いものだ。
戸惑う俺に店主は言った。

「どこ向かってんだ?ストーブないと困るだろ。俺のだけど、持って行っていいよ。」
「使わなくなったら送ってくれればいいから。」

戸惑う俺の手に店主はストーブを押し付けた。
「気をつけてな」
名前と住所を書いていくという俺に、店主はそんなものはいいよとだけ言った。
店を去る時、しっかりと店の名前は覚えた。
こんな事があるのか?
不思議な気持ちとともに、
“人って温かいな”
そんな気持ちが現れ、突然一人じゃないという気持ちになった。

夕方のと言ってもいいぐらいの薄暗闇の3時。
再び、寝場所の心配が始まった。
雨だ。
テントを張るにも条件は更に厳しくなる。

国道23号を南下。
牛肉で有名な松坂を過ぎる。
志摩半島が近いらしく、鳥羽の案内が見え始める。
頭の中にあるのは、橋の下で雨が掛からない場所・・・。

見つからない。
あせる気持ちが現れ始め、スピードもオーバー気味だ。

鳥羽を過ぎた頃には夜の7時になっていた。
しかも、峠道になってきてしまった。
このまま雨の中、狭い峠は厳しい。
コーナーを曲がろうとしたら、そのふくらみ部分に小さな草むらがあった。

ここにテントを張ってしまえ。
自棄気味に野宿地を決定。
雨に体を叩かれながら、砂混じりのテントを張る。
15分前後で張れたろうか・・・。
雨具を脱ぐと、穴倉テントにもぐりこむ。
また食べ物はなしだ。

寝袋に入りながら、借りたストーブを見る。
古くて、焦げ後が沢山あるストーブ。
間違いなく、現役で店主が使っていたものだ。

ありがとう。
小声で口にしてから、頭の横に置いて眺めた。
いつの間にか、その日は寝入ってしまっていた。

雨がテントに落ちる音。
パラパラと不規則に落ちてくる。
大きなボタッと言う雨音は、樹の枝から落ちてきたものか。
その音さえ気持ちよく聞こえた。

つづく・・・。

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 天気:曇りのち雨
 時間:8:00~19:00
 距離:379km
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旅。初めての夜/3月28日

2004-09-03 | TROUBLE TRAVEL
友人宅を出て数時間。
箱根のワインディングを楽しみにしていたのだが、大型車に前方を走られ、ペースが一向に上がらなかった。
満載の荷物もコーナーの切替しにきつい。
山を下り沼津の町が見えて来た時には正直安堵した。

時間は既に3時を回っている。
野宿する場所を決めなければいけない時間だ。
雨の心配はないので、どこででも寝る事は出来る。
海岸に出ようか・・・。
何とかなるさの気持ちで、海岸の道にコースを変えてみた。

見つからない・・・。
どこでも寝る事が出来るとたかを括っていたが、以外にテントを自由に張る事が出来る場所がみつからない。
清水市をすでに過ぎ、御前崎近くの海岸通を走っていた。
車と人が多すぎる場所はとても寝る事なんて出来やしない。
かと言って、海岸沿いにある駐車場は、見るからに危険な連中がたむろしていた。

5時を過ぎた。
暗闇が迫ってくる。
あせる。

左手に見えるはずの海は、砂の丘に遮られて見る事が出来ない。
ええいっ・・・。
思い切って、海岸に出てみることにした。
すると、なんとかテントを張る事が出来る松林を発見。
選んでいる余裕もなく。今夜の野宿場所を決めた。

実は積んできたテントはまだ張った事がなかった。
普段なら家で一度組み立てるのだが、試せる訳もなく、ぶっつけ本番となったわけだ。
持参してきたテントは、小型軽量を一番に選んだもので、主に登山で使うタイプ。
テントと言うより、ツェルトと言う非常用に近い物だ。
人が布団を頭からかぶり、横になった程度の我が家。
迫る暗闇にあせりながら、1時間近く掛かって張る事が出来た。

小さい・・・。
外から見ても相当小さい。
中に入ってみる。
高さ70cm程度しかない室内。当然座る事もままならず、横になるしかない環境だ。
しかし、自由を感じる室内だ。
誰もいない、誰も知らない土地で感じる、自分のスペース。
嬉しくて、自分で顔がにやけるのがわかる。

場所探しに苦労したせいもあり、夕飯への準備を忘れていた。
あるのは、米と、水のみ。
暖かさの残る砂浜に出、コッヘルを使って米を炊く事にする。
始めて使う、ストーブ(一人用小型コンロ)。
何とか火を安定させ、夕飯準備が始まった。

暗くなった海はもう見えない。
北の方を見ると、遠くに家の明かりが見える。

あの中では、暖かい食事があるんだな。
おいしいおかずもあるんだな。

俺は何やってるのかな・・・。
親父は怒っているか。お袋は親父に責められていないか。
心配がふと過ぎった。

コッヘルから立ち上る米を炊く臭い。
蒸らした方がおいしいのが判っていたが、即食べ始める。
おかずはない。
それでも自分で炊き上げた米は甘くおいしかった。
なぜか涙がこみ上げそうになった。

風が強い海岸。
テントを張るには都合が悪いという事は直ぐにわかった。
しかし、強引に眠る。
恐らく眠りに着いたのは深夜だろう。
寝ている耳にも容赦なく、テントを叩く風の音は聞こえてきていた。

つづく・・・。

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 天気:曇り時々晴
 時間:12:00~17:00
 距離:167km
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旅。早朝の出発/3月27・28日

2004-09-02 | TROUBLE TRAVEL
半年に一度程度、物件が重なって危険なゾーンに突入する。
前から話が出ていた物件が、本当に突然息を吹き返して本設計に突入したりするのだ。
それが“嘘だろっ!?”と言うくらい同時期に重なる。
俺にとって、9月がそうなるようだ。


では、現実逃避で若かりし頃の小話でも・・・。

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20代の前半、とにかくバイクでの一人旅にのめりこんだ。
社会人になってもその熱は覚めやらず、悶々とした気持ちの整理もつかず、ついにと言うか、たったの1年で会社を辞め、放浪の生活に・・・。

厳しい父親でしたので、無職の息子が家にいる現実が許せなかったようだ。
結果、家に軟禁状態。勝手に次の仕事を見つけてくる雰囲気となっていた。
幸いにして手元には、わずかばかりだが退職金が残っている。

旅に出よう。

計画を練れば実行は早い。
夜中に準備をする事数日、初春でまだ寒い早朝家を出る事にした。

家を出る前夜の事。
気付いていたらしい母親が部屋に入ってきて、一言
“気を付けて行って来なよ”
無言で返事もしなかったが、その時には母親に感謝した事を思い出す。

YAMAHAのSRXと言う400ccのバイクが愛車。
テント・寝袋・米・地図・炊事用具・着替え数点等を積み込み、朝日が顔を出す前に家を出た。
見つかる恐れもあったので、数100m押して人家が少ない場所まで行き、エンジンに火を入れたのだ。

どうなるんだろう、俺・・・。
社会からドロップアウトした。
そんな意識しかなかったと思う。

茨城を出発して南下。
家を出るまで目的地は特に決めていなかったが、本土最南端・九州佐多岬・・・とりあえず目標は定めてみた。
帰ってくるのはいつなのか?
帰らないままなのか?

予算は20万しかなかったので、高速は走らず一般道を使う。
1日目、まだ都会を脱しきれないと判断。
神奈川の友人宅にその日はお邪魔させてもらった。

その夜は、自分の旅を祝福してくれた友人と飲み明かし、明方まで話した。
普通に社会人になるとは思っていなかったぞ。
友人は笑いながらそう俺を評価してくれていたっけ。

あくる日は昼頃までお邪魔したまま。
これからの南下では、友人を頼る事は出来ない。
いよいよと言う気持ちもあり、走り出す事が出来なかった。
貧乏旅行の始まりだ・・・。

家を飛び出る男っぽさを出そうとしていたが、実際の俺は小心者だった。
友達も少ない方だと思う。
そんな俺に、ホームシックの気持ちは出てこないのか。
不安は胸の中で大きく育ってきていた。

エンジンに火を入れた。
単気筒の心地よい排気音がこだまする。

その日の午後、ようやく一人での旅が始まった。
夕方までに静岡に到着できるだろうか。
不安な気持ちを抑え、天気のいい春の道を走り始めた。

つづく・・・。

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 天気:晴れ
 時間:4:30~17:00
 距離:379km
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待望の、ジョン・レノン ミュージアム!

2004-09-01 | Job
スポーツクラブの設計を予定している。
そこで、今日は朝から埼玉県内の大手スポーツクラブの施設見学会があったのだ。
お施主さんと、建築設計事務所の先生、それに以前俺が在籍していた会社の担当者だ。
会社は辞めて2年になるが、設計の仕事で繋がっている。
ありがたい事だ・・・。

一件目は和光駅前に春にオープンした超大手。
施設見学を実施して思った事は、この施設のグレードが今時ないぐらいにハイレベルだった事だ。
数社のゼネコンで競わせると、コストを落とす工事になるのでまずこの建物は出来ない。
内情を察するところ、施設の土地買収から大手ゼネコンが入り、計画自体をコントロールしていたようだ。
工事業者を見極める目を持った施主、いい物を作ろうとする設計者、技術を備えた工事業者がそろうと、このような建物が建設できる。

コストと品質。

この程よいバランス感覚を持つ施主。
貴重な施設だと思いましたね~。

2件目は浦和駅近くの施設で、竣工3年目の物件だった。
コンクリート打ちっ放しの外観。
デザインに凝った施設だった。
こちらもグレード的には上位クラスの部類に入るだろう。
ただ、削除する常套手段を数箇所やっていたので、予算的に苦しかっただろうとの想像は出来た。
敷地が狭い場所にうまく収めた計画だったが、工事業者の苦労は予想できたね。
設備の心臓部“機械室”は大変狭く。もし機器がトラぶった場合は、修理に戸惑うものだと思う。
建てるだけではなく、必ず起こるメンテナンスに気を使わないと、5年後10年後に慌てる事になるのだ。
どうするのかなぁ・・・・。
※こちらの施設。法律的にたいへん際どい事もやっていた。
 所轄の保健所さんの能力を疑ったのだ。

一日外出で結構疲れたね~。
浦和付近を車で走っている時、ふと目に入ってきたのは・・・。

 ジョン・レノン ミュージアムじゃん!!!

通り過ぎましたよ。
施主さんと一緒だし、時間は圧してたし・・・。
この夏の間に行きたかったんだよぉ。
別にいっときゃよかった。