どこか遠くでフッチボル

鹿島サポだが裏の顔は日本代表サポ組織「食う軍」の司令。徒然なるままボソボソと。

旅。早朝の出発/3月27・28日

2004-09-02 | TROUBLE TRAVEL
半年に一度程度、物件が重なって危険なゾーンに突入する。
前から話が出ていた物件が、本当に突然息を吹き返して本設計に突入したりするのだ。
それが“嘘だろっ!?”と言うくらい同時期に重なる。
俺にとって、9月がそうなるようだ。


では、現実逃避で若かりし頃の小話でも・・・。

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20代の前半、とにかくバイクでの一人旅にのめりこんだ。
社会人になってもその熱は覚めやらず、悶々とした気持ちの整理もつかず、ついにと言うか、たったの1年で会社を辞め、放浪の生活に・・・。

厳しい父親でしたので、無職の息子が家にいる現実が許せなかったようだ。
結果、家に軟禁状態。勝手に次の仕事を見つけてくる雰囲気となっていた。
幸いにして手元には、わずかばかりだが退職金が残っている。

旅に出よう。

計画を練れば実行は早い。
夜中に準備をする事数日、初春でまだ寒い早朝家を出る事にした。

家を出る前夜の事。
気付いていたらしい母親が部屋に入ってきて、一言
“気を付けて行って来なよ”
無言で返事もしなかったが、その時には母親に感謝した事を思い出す。

YAMAHAのSRXと言う400ccのバイクが愛車。
テント・寝袋・米・地図・炊事用具・着替え数点等を積み込み、朝日が顔を出す前に家を出た。
見つかる恐れもあったので、数100m押して人家が少ない場所まで行き、エンジンに火を入れたのだ。

どうなるんだろう、俺・・・。
社会からドロップアウトした。
そんな意識しかなかったと思う。

茨城を出発して南下。
家を出るまで目的地は特に決めていなかったが、本土最南端・九州佐多岬・・・とりあえず目標は定めてみた。
帰ってくるのはいつなのか?
帰らないままなのか?

予算は20万しかなかったので、高速は走らず一般道を使う。
1日目、まだ都会を脱しきれないと判断。
神奈川の友人宅にその日はお邪魔させてもらった。

その夜は、自分の旅を祝福してくれた友人と飲み明かし、明方まで話した。
普通に社会人になるとは思っていなかったぞ。
友人は笑いながらそう俺を評価してくれていたっけ。

あくる日は昼頃までお邪魔したまま。
これからの南下では、友人を頼る事は出来ない。
いよいよと言う気持ちもあり、走り出す事が出来なかった。
貧乏旅行の始まりだ・・・。

家を飛び出る男っぽさを出そうとしていたが、実際の俺は小心者だった。
友達も少ない方だと思う。
そんな俺に、ホームシックの気持ちは出てこないのか。
不安は胸の中で大きく育ってきていた。

エンジンに火を入れた。
単気筒の心地よい排気音がこだまする。

その日の午後、ようやく一人での旅が始まった。
夕方までに静岡に到着できるだろうか。
不安な気持ちを抑え、天気のいい春の道を走り始めた。

つづく・・・。

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 天気:晴れ
 時間:4:30~17:00
 距離:379km
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