交野市立第3中学校 卒業生のブログ

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「天災と人災による悲嘆の状況はまるで違う」

2012-12-03 18:25:01 | 徳育 人間力

┌───随想ベストセレクション───────────────────┐


   「悲嘆を乗り越えるために」


     高木慶子(上智大学特任教授・上智大学グリーフケア研究所所長)

                『致知』2012年11月号
                       致知随想より

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私がシスターであるから特にそう感じるのかもしれません。
しかし世の中には「時の印」というものが
確かにあるように思います。

時の印とは、いま、私に、何が求められているかということ。
神戸市民、あるいは兵庫県民、あるいは日本国民として、
自分に何が求められているのか。

現在はやはり東日本大震災によって苦しんでおられる方々が、
以前の平穏な生活へと戻っていかれるのに
どういうお手伝いができるのか。
それが私を動かす原動力になっているような気がします。

ご家族や友人を亡くされるといった
大きな悲嘆を乗り越えようとする人をサポートする
「グリーフケア」を神戸で始めたのは、二十五年前のことです。

友人のお父様が末期がんを患われ、
その最期を看取ってほしいと声を掛けていただいたことが
そもそものきっかけでした。

しかし患者様がお亡くなりになれば、
今度は遺族となられたご家族の心のケアも
していかなくてはなりません。

あちらでも、こちらでも、という皆様からの頼みに応じているうち、
これまで様々な原因で悲嘆に暮れている
数千人に上る方々にグリーフケアを行ってきました。


この二十五年間を振り返ってとりわけ心に残るのは、
平成七年に発生した阪神・淡路大震災です。

それまで病院や自宅で闘病生活をされている
患者さんの元をお訪ねし、
愛する家族を残して逝くことをとても辛い、
不幸なことだと思っていたのですが、
実はそうばかりでもなかった。

災害で突然命を奪われてしまった方が大勢おられる中、
家族や友人たちに看取られながら亡くなっていけるのは、
実はとても幸せなことだったのだと気づいたのです。

それだけの大きな災害に遭うと、地元では
「命を大事にしよう」ということが合言葉のようになっていました。

しかし二年後、そんな私たちを嘲笑うかのように起きたのが、
酒鬼薔薇聖斗を名乗る少年による神戸連続児童殺傷事件でした。

その後も関西では次々と児童殺傷事件が発生し、
遺族の元を訪ね歩く日々が続きましたが、さらに平成十七年、
決定的とも言える事件が起こります。

乗客百六人が死亡し、五百六十二人に上る負傷者を出す
大惨事となったJR福知山線脱線事故でした。

その一年後、JR西日本の本社から
私の元に一本の電話がありました。


「私たちにはどのようにご遺族の方々と
 関わっていいかが分かりません。
 どうか協力してもらえませんか」。


私は幹部の方々に、ご遺族や負傷なさった方が
いまどのようなお心でおられるのか思うところを話し、
弔問に訪れる際の細かな注意点なども含め、
お話をさせていただきました。

多くのご遺族とも接していく中で
私自身、気づいたことがありました。


阪神・淡路大震災から数年間、ご遺族と接する中で、
家族や友人を亡くされた方の悲嘆の状態とはこういうものなのかと、
分かったような気になっていたところがあります。

ところが脱線事故によるご遺族や負傷者の方に接して、
私は完全に鼻っ柱を圧し折られてしまいました。
震災と脱線事故の経験を通じて学んだこと、それは
「天災と人災による悲嘆の状況はまるで違う」
ということだったのです。

天災は、それが地震であれ台風であれ津波であれ、
「加害者」の姿が見えません。

家族や友人を亡くした悲しみや喪失感はあっても、
恨みつらみの対象はない。

そして日本が災害大国であることを知っている私たちは、
どんなに辛いことがあったとしても、
これは仕方のないことだったのだと、
どこかに落としどころを見つけることができる。

ところが、その落としどころが恐ろしいくらいに
見つからないのが人災です。

福知山線の脱線事故から七年以上が経ったいまも、
ご遺族や負傷者の方の怒りは一向収まる気配がありません。
これは加害者がはっきり見えているか、
見えていないかの違いによるものでしょう。

そして図らずもこの二つの体験がそのまま当てはまるのが、
今回の東日本大震災です。

なすすべもなかった巨大地震や津波には
恨み言の一つも口にしない一方で、
原発を推進してきた政府や民間企業に対する怒りは
日に日に増していく。

天災と人災とが同居し、
復興が思うように進まない被災地を訪ねながら、
あぁ、私の体験はいまここでこそ生かされるのだ、
神様はこの日々のために私を準備してくださったのだと
強く思います。


いま被災地へ行くと、傾聴ボランティアの方から
「ご家族はどういう状態で亡くなられたんですか」
などと聞かれて非常に嫌な思いをした
傷ついたと言われる被災者の方が少なくありません。

悲嘆の中にある人と接する上で大事なのは、
こちらが聞きたいことを聞いてはいけないということです。
相手の方の悲しみや苦しみ、お話しになりたいことを
無条件に受け入れて、時間と空間をただ共にすること。

そして何よりも大事なのは、相手の方を尊敬し、
信頼する気持ちを持つことです。

それが赤ちゃんであろうと、お年を召した方であろうと、
その人格に対する尊敬と信頼というものを持たなければいけない。
これは悲しみの中にある人だけでなく、
どんな人に対しても同じように言えることでしょう。

どんな辛い出来事や悲しみ、苦しみがあっても、
その心に寄り添い、支えてくれる存在がいてくれることを感ずる時、
人は必ずそこから立ち上がってくることができると信じています。


 「気づく人と気づかない人の違い」外尾悦郎(サグラダ・ファミリア主任彫刻家)

2012-12-03 15:45:01 | 徳育 人間力

┌───今日の注目の人───────────────────────┐



     「気づく人と気づかない人の違い」


           外尾悦郎(サグラダ・ファミリア主任彫刻家)


                『致知』2012年12月号
                 特集「大人の幸福論」より


└─────────────────────────────────┘


【記者:外尾さんのこれまでの原動力となってきたものは何ですか】


私が外国の地で仕事をするには、
労働許可を得るのにも大変な労力が要るんですね。

毎年、長い行例に並んで書類を山のように集め、
それをまとめたり、提出しに行ったり。

何日もの日数が無駄になるようなことをしながらも、
同時に他の人に打ち勝つ作品をつくっていかなければならない。

でも私は条件が厳しければ厳しいほど
逆にいい仕事ができると思っているんです。

周りのスタッフにあれこれ注文をつけ、
それを叶えてもらうより、限られたスペースの中、
道具も時間もこれだけしかないという条件で
やったほうがいい仕事ができる。

完璧な条件はこちらに仕事をさせてくれません。

仕事をしていく上では「やろう」という気持ちが
何よりも大切で、完璧に条件が揃っていたら
逆にやる気が失せる。

たやすくできるんじゃないか、という甘えが
出てしまうからです。


果物の木でも、枝の分かれた所に石を置いてやる。

そうすると木が苦しむんですが、
それによって枝が横に伸びて表面積が広がり、果実も多くなる。
大事に大事に育てた木には実があまりなりません。


私は皆さんからよく
「外尾はなぜそんなことに気づくんだ?」
と聞かれるんですが、ガウディには
皆が同じように接しているはずなのに、
外尾は電車を待っている時や掃除をしている最中でも、
ガウディのことと絡めていろいろなことに気がつく。
その理由を知りたい、と。


これは私だけでなくどんな人もそうだと思うのですが、
苦悩する人はもう、気づかざるを得ないんですよ。

同じ状況にいても、苦悩しない人は何も気づかない。
気づく必要がないからです。
本当に何かを知っていくためには、苦悩を重ねる必要がある。

人はなぜ自分の命を懸けてまで山に登るのか。
自分にできるかできないか分からないことに対する挑戦、
自らを奮い立たせる勇気、そして苦しみ。

息も絶え絶えになりながら山を登り切り、
自分の限界を超えて頂上に達した時の喜び。

その喜びがあるから山に登るのだと思う。

そうした苦悩の上に立って、当たり前のことを
心から幸せに思える人は幸せだと思うんです。


当たり前のことを単に当たり前だと言って済ませている人は、
まだ子供で未熟です。
それを今回の震災が教えてくれました。

本当に大切なものは、失った時にしか気づかない。
それを失う前に気づくのが大人だろうと思うんです。