1905年の論文では2つの時計の時刻合わせについては「定義で定める」となっています。
その定義では
『光がAからBに到達するのに要する”時間”は、逆にBからAに立ち戻るのに必要な”時間”に等しいという要請を定義として前提におくことである。』
それから
『・・・これら2つの時計は(定義により)合っている(等しい時間を表している)という事にする。』
と定めています。
しかしながらアインシュタインは「単に定義で時刻合わせを決めた」のではなくて「そこには片道光速」という「物理過程を前もって想定していた」のです。
その部分は前のページで示した様に
引用『K の他の点で起る出来事はしかしこの時計で直接に時を定めるわけにはゆきません。K の原点には時計の傍にいる観測者が光線に依ってその出来事の報知を受けとる時刻をしるすとしますと、この時刻は出来事自身の時ではなくて、出来事から時計に達するまでの光線の伝播時間だけ出来事の時刻から遅れて[#「遅れて」は底本では「運れて」]いるのです。
もし私達が K 系に対するその方向の光の伝播速度を知っているとすれば、出来事の時刻はその時計で定めることが出来るのでしょう。』
という部分に現れています。
K 系(原点)に対するその方向の光の伝播速度<--これは光の片道光速の事です。
そうしてこの光速はK系での時間の進む速さで計った光の速度のことです。
それはつまり「K系におかれたどの時計で計ってもよいのですが、必ず『一つの時計で計る事が必要』」なのです。
そうして「2つの時計の時刻合わせ完了の状態」については前のページで示した様に「つねに2つの時計の針の位置が文字盤の同じ場所を指している事」となっています。
このことについては「明示されてはいないのですが通常は『時刻合わせでの暗黙の大前提』となっています。」
さてそうであれば2つの時計の時刻合わせは次のようになります。
時計Aが1時を指していた時、「時計Aは今1時だ」情報を10分かかって時計Bに伝えるのであれば時計Bはその情報を受けた時に自分の時刻を「1時10分にすればよい」のです。
何となれば「その時には時計Aの時刻は1時10分になっているから」ですね。
さてそうであれば「時計A時刻情報を10分かかって時計Bに伝える」のがポイントであって特に『10分かかって』の部分が重要です。
この「10分かかって」の「10分」というのは「この慣性系で時間が進む速さで計っての10分」です。
そうであれば「この10分」は時計Aで計っても時計Bで計っても同じ10分となっています。
但し「この10分」については「どちらか一つの時計で計る事が必要」なのです。
それに対してアインシュタインの示した解法は「片道光速は一つの時計で計る」ではなくて「片道光速は2つの時計で計る」でした。(注1)
引用『けれども光の伝播速度の測定は私達の取り扱っている時間決定の問題がすでに解かれたときにのみ可能なのです。<--引用注「時間決定の問題」とは「距離が離れた場所に置かれた2つの時計の時刻合わせの事」
すなわち一定の方向における光の速度を測るためには、光線の伝わる二点 A 及び B の間の距離と、そのほか A において光を送り出した時刻ならびに B において光の到着した時刻とを測らなければならなかったでしょう。
つまり諸処での(=あちらとこちらでの)時間測定が必要であるわけですが、それは私達の求める時間の定義が既に与えられた時にのみ実行し得るのでしょう。』
「時間の定義」<--随分と大げさな言い方をしているが結局のところは「距離が離れた場所に置かれた2つの時計の時刻合わせの事」ですね。
そうして2つの点AとBに置かれた時計の時刻合わせが済んでいればそれを使って「光の片道測定が出来る」と主張しています。
それはまた「2つの点AとBに置かれた時計の時刻合わせ」というのは「2つの時計の針の位置が常に同じ位置を指す事」と言っている事になります。
そのようにできれば「点AとBに置かれた2つの時計を使った光速の片道測定」は実質上は「一つの時計を使った光速の片道測定と見なすことが出来るから」です。
そうして「その様にできた2つの時計Aと時計Bの針の位置が同じ時は『同時である』としたのです」。
その時に時計Aの場所でイベントAがおこり時計Bの場所でイベントBが起きました。
この距離が離れた場所で起きた2つのイベントに対してアインシュタインは「同時に起きたイベントである」としたのです。
なんとなれば「それぞれの場所に置かれた時計の針の位置が同じであるから」と言うのがその理由です。
さてこれがアインシュタイン流の「離れた場所で起きたイベントAとイベントBの同時である事の定義」となっているのです。
つまり「同時である事」は「同時刻である事」がアインシュタインの定義です。
しかしながら「その定義は静止系では正しい」のですが残念な事に「運動系では間違っている」というのが「ローレンツ変換が主張している内容」となります。
引用『しかし一つの速度特に光の速度を測ることが、任意の指定なしには原理的に不可能であると云うならば、私達は光の伝播速度に関してなお任意な指定をなしてもよいのです。』
ここでは「片道光速を計る問題」は「このままでは循環論に陥って解決できない」と言っています。
そうして「その状況を打開する為」には「任意な指定をなしてもよい」というのがそもそものアインシュタイン コンベンションの起源になっています。
つまりは「人が勝手に片道光速について何かの決定を下してもよい」と言っているのです。
なんとなれば「人には一つの時計を使った片道光速の値を測定する手段がないから」と言うものが「そのようにアインシュタインが主張している理由」です。
これはまた言い変えますと「一つの時計を使って片道光速を計る手段を人類は持ってはいない」と言う事でもあります。(注2)
そうしてその状況を指してアインシュタインは『光の(片道)速度を測ることが、原理的に不可能である』と言っているのです。
引用『そこで私達は真空中の光の伝播速度は一点 A から一点 B へゆく途(=道すじ)で B から A への光線の伝播速度と同じ大きさであると定めます。<--(引用注:この部分がアインシュタインが導入した規定=慣例=コンベンションになっています)』
こうして光の片道光速(=上がり光速と下り光速)を決めたのですが、この片道光速については物理的には「一つの時計で計った光の速度」に相当します。
そうして静止系に於いては「上り光速と下り光速」という区別は始めから無いのでアインシュタインの規定には問題はありません。
つまりは「光の伝播速度は一点 A から一点 B へゆく途(=道すじ)で B から A への光線の伝播速度と同じ大きさであると定めて」も問題はないのです。
しかしながら運動系に於いては実際に「上り光速と下り光速」は違う値になっています。
さてそうであるにも関わらずアインシュタインはこの2つの光速を「同じ速度である」としました。
さてこれがアインシュタインが犯したミスとなります。(注3)
引用『この指定のお蔭で私達は K 系に対し種々の点に静止して列べられた同じ性質の時計を実際に合わせることが出来るようになります。
例えば二点 A と B とにある時計を次のことが成り立つように合わせましょう。
A において時刻 t(A の時計で測って)に一つの光線を B に向けて送り、それが時刻 t+a(B の時計で計って)に B に到着するとしますと、逆に時刻 t(B の時計で測って)B から A の方へ送られた光線は時刻 t+a(A の時計で測って)に A に来なければなりません。
これが K 系に配置されたすべての時計を合わせるための規定なのです。』
静止系では上記のやり方で問題は無いでしょう。
静止系では片道光速に異方性はないのでその速度をV(静止系)とします。
そうして点Aと点Bとの間の距離を距離(A~B)と書くならば移動にかかった時間 a は
a=距離(A~B)/V(静止系)
となります。
そうできればこの a をつかって
引用『A において時刻 t(A の時計で測って)に一つの光線を B に向けて送り、それが時刻 t+a(B の時計で計って)に B に到着するとしますと、逆に時刻 t(B の時計で測って)B から A の方へ送られた光線は時刻 t+a(A の時計で測って)に A に来なければなりません。』
とできるのです。
さてこれで静止系に於いてはアインシュタインが言う所の「距離が離れた場所に置かれた2つの時計の時刻合わせができた事」になります。
しかしながらアインシュタインが置いた規定は静止系ではこれでOKなのですが運動系では成立していません。
運動系に於いては「上り光速<1C<下り光速である」というのがローレンツ変換が教える事実であります。
そうであれば上記の記述 a と言う値は一つにはならずに2つの値 a1 と a2 になってしまうのです。
そうなりますと
『A において時刻 t(A の時計で測って)に一つの光線を B に向けて送り、それが時刻 t+a(B の時計で計って)に B に到着するとしますと、逆に時刻 t(B の時計で測って)B から A の方へ送られた光線は時刻 t+a(A の時計で測って)に A に来なければなりません。』
は
『A において時刻 t(A の時計で測って)に一つの光線を B に向けて送り、それが時刻 t+a1(B の時計で計って)に B に到着するとしますと、逆に時刻 t(B の時計で測って)B から A の方へ送られた光線は時刻 t+a2(A の時計で測って)に A に来なければなりません。』
となります。
これを運動系の相対速度が0.6CでAとBの距離が0.5Cの具体例で示しますと
『A において時刻 0秒(A の時計で測って)に一つの光線を B に向けて送り、それが時刻0秒+0.8秒(B の時計で計って)に B に到着するとしますと、逆に時刻0秒(B の時計で測って)B から A の方へ送られた光線は時刻0秒+0.2秒(A の時計で測って)に A に来なければなりません。』
となります。
つまりこのままでは時計Aと時計Bの間を行きかう片道光速はこうなります。
時計A=0秒 光が時計Bに向かうー>時計B=0.8秒 片道光速=距離(A~B)/0.8秒
時計B=0秒 光が時計Aに向かうー>時計A=0.2秒 片道光速=距離(A~B)/0.2秒
さてこれでは「時計Aと時計Bを使った片道光速の測定では異方性が検出できる」=「片道光速は1Cからずれる」となります。
そうして「現実のこの宇宙では2つの時計を使った片道光速の測定では常に1Cとなる」と言うのが実験事実です。
さてそうであれば「このように2つの時計の時刻を合わせるのは間違っている」となるのです。(注4)
つまりは運動系に於いては「実際に光が移動するのに必要な時間を使って時計Aに対して時計Bの時刻をセットしてはいけない」のです。
そうなりますと
引用『そこで私達は真空中の光の伝播速度は一点 A から一点 B へゆく途(=道すじ)で B から A への光線の伝播速度と同じ大きさであると定めます。<--(引用注:この部分がアインシュタインが導入した規定=慣例=コンベンションになっています)』
引用『この指定のお蔭で私達は K 系に対し種々の点に静止して列べられた同じ性質の時計を実際に合わせることが出来るようになります。
例えば二点 A と B とにある時計を次のことが成り立つように合わせましょう。
A において時刻 t(A の時計で測って)に一つの光線を B に向けて送り、それが時刻 t+a(B の時計で計って)に B に到着するとしますと、逆に時刻 t(B の時計で測って)B から A の方へ送られた光線は時刻 t+a(A の時計で測って)に A に来なければなりません。
これが K 系に配置されたすべての時計を合わせるための規定なのです。』
というアインシュタインがたてた一連のロジックは「静止系では成立しているが運動系では成立しない」となります。
そうしてその代わりに静止系、運動系を問わずに成立しているのがアインシュタイン同期の条件式
『常に光の往復時間の半分を時計Bに割り当てる』となっているのです。
そうしてそれが『K 系に配置されたすべての時計を合わせるためのルールになっているのです。』
さてそれでアインシュタインは「こうして時刻合わせが済んだ2つの時計は単に『人が決めた規定=決め事』である」としました。
それは言い変えますと「人の都合でその様に決めただけの事であって、実際の宇宙に存在する慣性系の時間がその様になっている保証はない」としたのです。
なんとなれば「それを確かめる為には片道光速の速度を知っている必要があるのだが、それを人が実験によって知る事は出来ないからだ」としたのです。
しかしながらアインシュタインの示したアインシュタイン同期の条件式にはローレンツ変換も同意しています。
つまりは「人の都合で決めたように見えるアインシュタイン同期の条件式は現実にこの宇宙で成立している」のです。
そうであれば「人の都合でその様に決めただけの事であって、実際の宇宙に存在する慣性系の時間がその様になっている保証はない」というアインシュタインのこの主張には穴があります。
「どんな穴か」といいますれば「その様にして決めた2つの時計を使って実際に片道光速が計れる」という事です。
つまりは「前もって片道光速は知る事は出来ない」のですが「仮に2つの時計の時刻を『合っている』として使えば『片道光速は測定できる』」のです。
そうして「その様にして測定した片道光速の値が往復光速の値からずれていた」ならば「2つの時計はあってはいない」となります。
おっとこの場合の「2つの時計が合っているかどうか」の判定基準は「片道光速は常に往復光速の値と同じ1Cとなる」でした。
これが「アインシュタインコンベンションの代わりとなる新しい時計の同期ルール」です。(注5)
さてそうであればアインシュタイン同期させた2つの時計を使って「上り光速」と「下り光速を実際に測定してみればよい」のです。
そうして「その結果が『上り光速=下り光速』になっていたならば『アインシュタイン同期は正しかった』と実験によって確定できる」のです。
従って「正解は自然が持っている」そうして「その正解は実験によって確かめる事が出来る」のです。
ただし「人が知らない事」は「どうなっている事が2つの時計が合っている事なのか?」ということです。
それをアインシュタインは「静止系に於いても運動系に於いても2つの時計は常に同じ時刻表示になっている事」として話を進めました。
しかしながら実は「その事が人が知らない事だった」のです。
実際は「2つの時計が合っている」は「2つの時計の針はローレンツの局所時間分だけ常にずれている事」となっているのです。
そうして「それは宇宙が決めている事」なのです。
それは又そのまま「この宇宙ではローレンツ変換が成立している」という事です。
従って「我々は2つの時計の時刻合わせについては光の挙動についてのローレンツ変換の結果に従う」という事になります。
注1:「速度は2つの時計で計る」がアインシュタインの速度の計り方の基本です。
さてそうであれば「速度の測定についてはアインシュタインは相当に考えたのである」となります。
実際の所、実験的に可能な方法は一見「2つの時計を使って計るしかない」様に見えます。
しかしながらその理由をもってここで論理が「片道光速は一つの時計で計る」から「片道光速は2つの時計で計る」にジャンプしているのです。
さてそうであれば「厳密に言えばロジックの飛躍がここにある」となっています。
なんとなれば「2つの時計を使って計る片道光速は一見、人が定義で何とでも出来る様にみえるから」です。
他方で「一つの時計で計る片道光速」については「人には手出しは出来ない」のです。
それはすでに「宇宙が決めているから」ですね。
注2:「時計を瞬間移動させる事」あるいは、光が到達した場所に対して「遅れ時間ゼロで出発点にある時計の時刻情報を送る事」ができれば「一つの時計を使った片道光速の測定は可能」となります。
しかしながらいずれの技術も今の人類には手が届いていません。
そうではありますが「ローレンツ変換は一つの時計を使った片道光速の値を計算できる」のです。
そうして「この宇宙でローレンツ変換が成立している」ので「ローレンツ変換が示す片道光速の値はこの宇宙では実際にそうなっている」という事になるのです。
注3:確かにアインシュタインが犯したミスなんですが「アインシュタインが持っていたポリシーからすれば避けようが無い事」でもありました。
なんとなれば「相対性原理がその様に主張するから」ですね。
しかしながら「残念な事である」のは「アインシュタインは自分が導出したローレンツ変換を使って検算をしなかった」という事は指摘できそうです。
ちなみにアインシュタイン流の特殊相対論に対して対立しているのがローレンツ流の特殊相対論です。
その対立点は「静止系は物理的な客観的な存在であるのかどうか?」という点にあります。
そうして「その事については実はいまだに決着がついてはいない」のです。
そうであれば実は「この2つの学説が対立しながら今も存在している」と見るのが「正当な見方となる」のですが通説に於いては「すでに決着がついたもの」とされています。
さてこの通説の見方は当たっているのでしょうか?
そうして「静止系は物理的な客観的な存在である」がはっきりしますと「そこから新しい物理がはじまる事になる」のです。
注4:相対速度0.6Cの運動系の場合は距離0.5Cの距離での光の行き来はこうなります。
時計A=0秒 光が時計Bに向かうー>時計B=0.8秒 片道光速=0.5C/0.8秒
時計B=0.8秒 光が時計Aに向かうー>時計A=1秒 片道光速=0.5C/0.2秒
このままでは片道光速が1Cになりません。
それでアインシュタイン同期の条件式に従って往復時間の半分を時計Bに割り当てるのです。
往復時間は1秒であるので
時計A=0秒 光が時計Bに向かうー>時計B=0.5秒 片道光速=0.5C/0.5秒
時計B=0.5秒 光が時計Aに向かうー>時計A=1秒 片道光速=0.5C/0.5秒
こうすれば片道光速は1Cとなり現実と一致します。
さてこの場合時計Bに割り当てられた0.5秒と言うのは
『そこで私達は真空中の光の伝播速度は一点 A から一点 B へゆく途(=道すじ)で B から A への光線の伝播速度と同じ大きさであると定めたから』ではありません。
『常に光の往復時間の半分を時計Bに割り当てる』と決めたからです。
それはつまり「アインシュタイン同期の条件式がローレンツ変換ゆえに常に成立している」と言う事なのであります。
注5:アインシュタイン同期の条件式は「往復光速は常に1Cである」という実験事実とともに展開する事で「片道光速は常に1Cとなる」のです。
さてそうであればアインシュタイン同期は実は「片道光速は常に1Cとなる」と主張している事になるのです。
その部分を前のページから以下引用しておきます。
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1905年の論文でアインシュタインが提示している2つの式について
一つ目はアインシュタイン同期の条件式です。それはこういうものです。
tB=(tA’-tA)/2 ・・・①式
そうしてまた光速の定義式として次の式を「経験が往復光速を教えるもの」として提示しています。
2*(距離A~B)/(tA’-tA)=1C ・・・②式
ここで(距離A~B)は2つの時計が置かれた場所の間の距離です。
光が往復した距離をかかった時間で割れば光速になる、と言う式です。
ただしこの時の往復時間は時計Aで測定とします。
さてそれで②式から
2*(距離A~B)=(tA’-tA)*1C
従って
2*(距離A~B)/1C=(tA’-tA)
これを①式に代入すると
tB=(tA’-tA)/2
=2*(距離A~B)/1C/2
=(距離A~B)/1C
はい、何の事は無い1905年の論文でアインシュタインが主張している事は
「時計Bの時刻は2つの時計の間の距離を光速で割った値でよい」
と言っているだけなのであります。
もちろん時計Aを光がでた時刻がtAですから光が時計Bに届いた時刻tBは
tB=tA+(距離A~B)/1C ・・・③
となるのです。
さてこの式は結局の所「2つの時計を使った片道光速の測定ではその値は常に1Cとなる」といっている事になります。
というのも③式を変形すると
tBーtA=(距離A~B)/1C
ひっくり返して
1/(tBーtA)=1C/(距離A~B)
従って
(距離A~B)/(tBーtA)=1C
さてそうであれば結局の所アインシュタインは「2つの時計で計った片道光速は(実際の上り光速あるいは下り光速の値とは関係なく)常に1Cである」と主張している事になるのです。
そうしてその主張にはローレンツ変換も「その通りである」と同意するのです。
しかしながらその同意には「距離が離れた場合の時刻合わせの(暗黙の)定義の変更」が必要です。
変更された定義では運動系に於いては「時刻が合っている」とは「時刻合わせが済んだ2つの時計の針の位置は常に同じ場所を指している事」ではなくて「2つの時計の針はローレンツの局所時間分だけ常にずれている事」となるのです。
但し静止系に於いてはローレンツの局所時間分はゼロとなりますので「静止系での時刻合わせの定義は従来通りでよい」となります。
しかしながら時刻合わせの定義として「2つの時計の針はローレンツの局所時間分だけ常にずれている事」を使いますと「静止系、運動系の区別なく一つの時刻合わせの定義でOK」となるのです。
追記:以上の話は「静止系に於いては同時である事は同時刻である事が成立している」という事に対して「運動系では同時刻は同時ではない」という事の証明にもなっています。
なんとなれば「運動系で同時である事」とは「時刻合わせされた2つの時計を瞬間移動させて針の位置を確認すれば常にローレンツの局所時間分だけ針の位置がズレているから」です。
しかしながら「運動系に於いてはそれが『2つの時計が同時である事』」なのであります。
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