以下、前回の記事の4、の続きになります。
アリスとボブの間の距離が480光日の時に時計をリスタートさせます。
お互いが中間地点にある基準慣性系に対して静止しているO君の船を目指します。
アリスとボブの船はO君の船に対してそれぞれ0.8Cの相対速度で接近します。
この時にアリスとボブの間の相対速度はいくつになるでしょうか?という設問でした。
そうして「前のページでの答えは1.6C」でした。
さて「これはおかしいだろう。相対論電卓の答えと違う」という声が聞こえてきます。
通常の相対論の計算手順ではこのような場合は、たとえばボブの立場に立ってアリスの接近速度、相対速度を求める、とするならば「ボブの移動を止める為にボブと同じスピードで移動している観測者」を想定します。
そうして「この観測者にとってはボブ号は静止している」ので「その慣性系からアリス号をみればアリス号の接近速度・相対速度が分かる」という考え方をします。
ちなみにこれは「ガリレイ変換による視点の移動」といえます。
その結果アリス号の接近速度はアリス号が基準座標系に対して持っている相対速度0.8Cと新たに設定した観測者を立てた慣性系でボブ号を静止させるために与えた速度0.8Cとの「相対論的な加算になる」と考えます。
相対論電卓による計算では秒速292,524.8km、0.97576Cという結果を得ます。
物体Aの速度 v1 に秒速240000km(0.8C)、物体Bの速度 v2にも同じ値をセットしポチります。
https://keisan.casio.jp/exec/system/1161228695
答えは292,524.81・・・を得ます。
さて、相対論電卓はこのようにして「合成された速度は光速Cを超える事はない」と言うように主張します。
しかし当方は「いやボブとアリスの相対速度は1.6Cで光速を超えている」と主張します。
それでこの話「いったいどこで決着をつけるのか」という事になるのです。
それでまずは「相対論電卓の速度合成式がどうやって出てきたのか」を調べましょう。
【相対論】合成速度の導出 : https://blog.butsuri.org/6639/ :を参照します。
といってもややこしい(もちろん「当方にとっては」ですが)数式の運用には目が行きません。
そのページにある「問題設定」に書かれた絵とその説明文のみを参照します。(もちろんそれに続く数式を参照されたい方には「どうぞご自由に」と申し上げます。)
こちらの方の問題設定に翻訳しますとK0がボブ君、K1がO君、K2がアリスさんになります。
そうしてボブ君を静止させるためにこの状況にボブ君と同じ方向に同じ速度0.8Cで走る慣性系を立てたのでした。
それはまあ簡単に言いますと「ボブ君視点で状況を見てみた」という事になります。
さてそうしますとO君はボブ君に0.8Cで近づいてきていて、そのO君にアリスは0.8Cで近づいてきている様に見えます。
そうなりますと「ボブ君からみてアリスの接近速度を知る」という事は「まさにその絵の状況と同じではないか」という事になり、従って「相対論電卓の速度合成ボタンを押せば良い」という事になるのです。
しかしながら「基準慣性系の導入の話」をしてきた当方と致しましては「勝手に観測者を立てて視点を変更する事はできない」と異議を申し立てる事になります。
当初の問題設定ではO君が基準慣性系に対して静止していました。
それに対してボブ君とアリスが両側から0.8Cで接近してきています。
しかし「相対論電卓での計算の前提となったボブ君視点への変更」では「ボブ君が基準慣性系に対して静止している」という事になっています。
つまり【相対論】合成速度の導出 の「問題設定」で書かれている「K0という慣性系は実は基準慣性系である」という事になるのです。(注1)
そうであればここでもまた「双子のパラドックス(加速度運動なし)」で行った議論と同様に「O君が基準慣性系に対して静止している状況」と「ボブ君が基準慣性系に対して静止している状況」とは峻別しなくてはならず「同一の状況であるとは認められない」という事になります。
そうして「O君が基準慣性系に対して静止している状況」は「ボブ君が基準慣性系に対して静止している状況」に変換する事、「ガリレイ変換する事はできない」が結論となるのでした。
追記
従って始めから「ボブ君は基準慣性系に対して静止している」とし「O君はボブ君に0.8Cの速度で接近している」、さらには「アリスはそのO君に対して0.8Cで接近している」という状況であればその時は「ボブ君からみてアリスの接近速度は相対論電卓をポチればよい」という事になるのです。
また「そうでない状況の時」には「相対論電卓の速度合成ボタンはポチってはいけない」という事になります。
注1:仮にそうではなくて「任意に選んだ慣性系で物体の移動速度の上限が光速Cである」というのがこの速度の合成則の意味であるとすると、それはとても奇妙な世界になります。
ある慣性系Aの右方向への速度上限Cの速さがあったとします。
その慣性系に対して右方向に速度0.5Cで移動している慣性系Bは「当然想定できます。」
それはつまり「慣性系Aに対して0.5Cで右側に移動している慣性系Bの存在を禁止するものは何もない」という事です。(「いや禁止できる」と主張する方がおいでならば、その方は「何故禁止できる」のか、そのロジックを示さなくてはなりません。)
そうしてその慣性系Bの右方向への速度上限もまた光速Cまで許可されます。
そうして又その慣性系Bに対して右方向に速度0.5Cで移動している慣性系Cを想定する事は可能です。・・・
そうやってこの状況は「無限に続ける事が可能」であり、その結果は「そのような世界では速度の上限がない」という事になります。
・・・相対論電卓を「任意の慣性系を基準にした速度の加算に使える」とするならば、そういう事になります。
ちなみに慣性系A,B,C,・・・は独立であって、因果関係を持ちませんから、「そこにはそのような慣性系の集合の存在を禁止するものは何もない」という事になります。
以上の事とは逆に「この宇宙のどの空間においても定義されている基準慣性系に対してのみ速度の合成則が成り立っている」ゆえに「この宇宙での物の移動速度の上限が光速Cである=基準慣性系に対して光速を超えることが出来ない」と言えるのだと思われます。
さて、その事を受け入れるならば基準慣性系に対しては物の速度はーC<基準慣性系<+C、これを別の慣性系Aから見れば0<慣性系A<+2Cと見える、と言うだけの話であります。
他方で「光速度」と言うのは「基準慣性系から見た光の速度である」という事ができそうです。
追伸
・速度の合成則そのものが怪しくなってきました。
この件詳細は: http://fsci.4rm.jp/modules/d3forum/index.php?post_id=26794 :を参照願います。
PS:相対論の事など 記事一覧