5、時計Bからみた時のMN図
さて今度は立場を入れ替えて時計Bから見た時のMN図を考えましょう。
図2のプロット
y=x,y=-x,y=0,x=0,y=1.25x+5,x=-4,y=5 プロット -10<x<10, -10<y<10
図2の実行アドレス
https://ja.wolframalpha.com/input?i=y%3Dx%2Cy%3D-x%2Cy%3D0%2Cx%3D0%2Cy%3D1.25x%2B5%2Cx%3D-4%2Cy%3D5%E3%80%80+%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88%E3%80%80%E3%80%80-10%3Cx%3C10%2C%E3%80%80-10%3Cy%3C10
X軸、Y軸、±45°の線の説明は前回と同じです。
但し今度は時計Bが静止している、と見ますから、時計BがY軸上を下から上に移動します。
それに対して時計Aが左から相対速度V=0.8Cで接近してきます。
従って時計Aを表す世界線はy=5+1.25X となります。
距離Lは前回同様に4ですから、時計AはX=-4 で時計Bの時間が0秒の時にリセットされます。
それでこの場所で時計Aとすれ違う時計は時計Dです。
この時計Dは時計Bと同じ慣性系βにあり、時計Bとは同期が取れています。
こうして時計Dを使う事で時計AはX=-4の場所でリセットする事が可能となります。
それで時計Aがリセットされたイベントがイベント③となります。
従ってイベント③の座標は(t3,x3)=(0、-4)です。
さてそれで、時計Aはそのまま時計Bに接近し時計Bの時間で5秒後に時計Aは時計Bとすれ違います。
この時のイベントは前回イベント②としました。
このイベント②の時計Bから見たMN図での座標は(t4,x4)=(5、0)です。
時計Aはイベント③でリセットされそのままイベント②に向かって移動します。
したがって固有時の定義「2つのイベントの間を移動する時計の経過時間が固有時である」に相当するのはこの場合時計Aの時間経過となります。
それで時計Aの固有時τ①は
τ①^2=5^2-4^2 となり
従って
τ①=sqrt(5^2-4^2)
=3
となります。
あるいは時計Bの座標時5(秒)と時計Aの接近速度V=0.8Cを使って
τ②=5*sqrt(1-0.8^2)
=3
とも計算できます。
さてこうして見てきましたように「その2・固有時パラドックス」: http://fsci.4rm.jp/modules/d3forum/index.php?post_id=29825 :で示した内容がMN図を使う事でも確認できました。
その結果は時計Aの固有時と時計Bの固有時は3秒となりイベント②でこの2つの時計はすれ違うのですが、その時には時間の遅れは観測されない、という結論になりました。
しかしながら、実際の我々の住む宇宙では時間の遅れが観測されています。
そうなりますと時計Aと時計Bの固有時を計算した手順の中に間違いがある、と言う事になります。
さあその間違いはどこにあるのでしょうか?
「時間の遅れはお互い様」という前提の中にあるのです。
この前提にたって時計Aは「自分が静止系である」と宣言し時計Bの固有時を算出します。
そうしてまた時計Bも同様に「自分こそが静止系である」として時計Aの固有時を算出します。
その結果は「一つの状況しか現実には存在しないのにMN図が2枚出来上がる」という事態に至るのです。
そうしてこの状況はまさに「MN図の唯一性定理に違反している状況である」という事になります。(注1)
さて状況がここに至りて問題のありかが見えてきました。
つまりは「どこに静止系があるのか?」と言う事なのです。
時計Aが現実の静止系ならば図1が正しく図2は間違いです。
そうしてまた時計Bが実際の静止系ならば図2が正しく図1は間違いなのです。(注2)
さあそうなりますと「我々は実際の観測データからどうやって正しいMN図を描く事ができるのか?」と言う事になります。
そうしてそれが出来ますれば「固有時パラドックスは解消される」と言う事になるのです。
そうしてそれはまた「静止系がどこにあるのかが分かる」と言う事でもあります。
注1:この件、詳細につきましては「MN図の唯一性定理」: http://fsci.4rm.jp/modules/d3forum/index.php?post_id=28603 :を参照ねがいます。
注2:以上の状況は「MN図に描かれるY軸=静止系は観測者が主観的に判断してよいものではない」と言う事を固有時の存在は物語っていると言えます。
つまり「特殊相対論は主観物理学ではない」と言う事になります。
そうしてここで言う「主観物理学」というのは「観測者依存の物理学」=「観測者がいればその数だけ静止系があるとする立場」を指します。
それでこの立場から「時間の遅れはお互い様」が出てくるのでした。
追記:時計のリセットについて
上記本文にて
「距離Lは前回同様に4ですから、時計AはX=-4 で時計Bの時間が0秒の時にリセットされます。
それでこの場所で時計Aとすれ違う時計は時計Dです。
この時計は時計Bと同じ慣性系βにあり、時計Bとは同期が取れています。
こうして時計Dを使う事で時計AはX=-4の場所でリセットする事が可能となります。」と書きました。
しかしながら実際は「時計Dとすれ違った時に時計Aのリセットボタンを押す」という操作は必要ではないのです。
コトバの上でリセットと表現していますが、実際は時計Aと時計Dはすれ違う時にお互いの時計の針の位置を読み取る、そうしてまたその時に自分の時計の針の位置を読み取って相手の時計の針の位置と伴に記録に残す、という行為をするだけです。
つまりは「時計に対しては何の操作も行わない=行う必要はない」のです。
そのかわりに「相手と自分の時計の時刻を観察し記録する」という観測・記録行為をそれぞれの時計に立っている観測者は行う事になります。
さてそのようにすると何故、時計Aが時計Bの時刻=0秒でリセットできたことになるのでしょうか?
時計Aにとって必要な情報はイベント③(=時計Aと時計Dのすれ違い)からイベント②(時計Aと時計Bのすれ違い)に至るまでに自分の時計の針がどれだけ進んだか、であります。
それは自分の時計の針を見ていれば確認できるのですが、それだけではそのデータは客観的なデータにはなりません。
それでそのデータの客観性を担保するのが時計Aとすれ違う時計Dと時計Bの役目です。
時計Dは時計Aすれ違う時に時計Aの針の位置を記録します。
そうしてまたこの時に時計Dは自分の時計の針の位置も記録します。
こうしてイベント③での時計Aの時刻と時計Dの時刻はそれぞれ、相手の観測者によって確認され記録されますので、後日、この2つのデータを突き合わせることで時計Aと時計Dの針の位置がイベント③でどこにあったのか、明らかになるのです。
そうしてこのデータについては、第三者の観測者がどのような速度でイベント③を観測しても、時計Aと時計Dがイベント③で指していた針の位置に影響を与える事はない=客観的な実在としての事実がそこにある、と言う事になるのです。
さてここで時計Bにとってみれば、時計Aとx=-4ですれ違ったのは時計Dなのですが、この時計Dは時計Bと同じ慣性系βに属しており、なおかつ時計Dは時計Bと時刻合わせが済んでいるのです。
従って時計Dが時計Aとすれ違った時の時計Aの針の位置=イベント③での時計Aの時刻は時計Bにとっても時計Dと同じに扱う事が可能になります。
つまり
イベント③での時計Dの時刻TD@イベント③=その時に原点に在った時計Bの時刻TB@原点
と言う事です。
そうして時計Bはイベント②で時計Aとすれ違います。
その時の時計Bの時刻は時刻TB@イベント②です。
そうして又その時の時計Aの時刻は時刻TA@イベント②です。
それでこの2つの時刻は時計Aと時計Bによって相互に確認されますので、客観性が保障された実在データとなります。
さて時計Bから見たMN図を作る、という立場からすれば、イベント②の時刻=イベント②の座標時が必要になります。
それは原点をゼロ秒とした時にイベント②で時計Bが何秒を指していたか、と言う事ですから、
時刻TB@イベント②ー時刻TB@原点
で計算する事ができます。
同様にして時計Aの固有時τAはイベント③からイベント②までに時計Aで計った経過時間ですから
時刻TA@イベント②-時刻TA@イベント③
で算出できます。
そうしてこの時に使った時刻TA@イベント③の値は時計Dでの時刻TD@イベント③によってその時に原点にある時計Bの時刻TB@原点 と関連がつけられているのです。
こうして、「時計Aのリセットボタンを押す」という行為なしで、原点にある時計Bの時刻とそれに接近しつつある時計Aの時刻がx=-4においてリンクさせることができ、これが実質上の時計Aのリセットの代用となるのでありました。
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