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うさぎとかえるの里

鳥獣戯画をこよなく愛する自分の日本文化や日常に関する想いをつづります。

誠の群像。

2010-06-12 02:14:05 | つれづれ
随分と懐かしいものを見つけました。
というのも、修学院拝観許可に関連して、過去に後水尾院の芝居を見たので
そのパンフを探そうと思って棚をあさっていたら…(^^;)

星組の「誠の群像」のパンフ!!
懐かしい~…って、1997年星組(^^;)…今、一体何年だよ~~。

サブタイトルは、新撰組流亡記。
主役は土方歳三でございます。

この頃の星組って、私にとって星の黄金時代だったです、イヤ、星しか見ていなかったのか…!?

トップの麻路さきさんは「国境のない地図」がすごくよくて惚れたし、
改めてキャスティングを見ると…

沖田…絵麻緒ゆうさん
勝海舟…紫吹淳さん
山南敬助/榎本武揚…稔幸さん
湖月わたるさん、彩輝直さんまでいたんだ…

…その後、この方々達がトップになってから何度劇場に行ったことか…
懐かしいにもほどがあります(^^;)

…パンフの形式も今とは全然違うね、そもそも縦書き和文スタイル!
しかも、劇中のセリフまで書いてある~なんて親切!!

内容もすごく盛り沢山…芹沢暗殺、池田屋、山南脱走、鳥羽伏見、大阪、五稜郭、加納惣三郎までいる…

なんか真夜中に大変面白いものを見つけてしまった私なのでした…
今夜も眠れなさそう…(^^;)



積年の…。

2010-06-12 01:52:53 | つれづれ
念願かなって、修学院離宮の拝観許可書が届きました(^0^)

修学院といい、桂離宮といい、何度拝観申し込みをしてきたことか…(遠い目)

お庭というのも造詣の美もあることながら(小堀遠州系はどちらかというと
新発想的な部分に惹かれて追ってきましたが…)、やはりどこか造られた意味的な
ものがあるもので、日本文化と歴史好きには避けて通れないものと思います。

千年の都京都(千年以上だけど)ともなれば華やかなのは上辺だけ、
その裏には平安の頃から陰謀渦巻き、政争に敗れた数々の悲話があるのでございますが…

日本の歴史の中で避けて通れないのはやっぱり朝廷と武家の確執でしょうか…

と、修学院離宮もその代表例ですよね。

修学院離宮造営は、江戸時代初期。後水尾院自らが設計されたそうです。
その頃って、徳川幕府が公家諸法度、禁中並公家諸法度を出して、公家の生活を
厳しく制限した頃です。
つまり、公家は政治の社会に口出しせず、学芸に励んでおれというあまりにヒドイ。

これは徳川幕府創建期において、鎌倉時代の後鳥羽上皇やその末期の後醍醐天皇を
強く意識して、確固たる武家政治を目指そうとしたからだと思うのですが、
ぬかりなく徳川の姫を後水尾天皇に嫁がせて、姻戚関係を結んだりもしているんですよね。
かつての藤原氏のようだな~(^^;)

…と、そんな後水尾院を慰めるため(というのは口実と思うが)、幕府が大々的に
費用を出して完成したのがこの修学院離宮。

…とこんな感じだったと記憶していますが、そんな本を過去に読み、どうしても
行きたくなってしまったのでした。
丁度京都中心部よりも郊外の借景を取り入れたお庭に心を惹かれている時期でして…。

…それからもう数年経っていますけれど。
ちょっと遠いのが難点ですが、遠いついでに周辺にいくつか未踏破の部分も
あるので行ってきたいと思います。

そういえば、先日東武線で日光大猷院(三代家光廟所)の公開のポスターを見ましたが、
大猷院二天門の扁額は後水尾天皇の筆でしたな、確か…。
自分の奥様と別れさせられてまで結婚させられた徳川の姫とも仲睦まじかったといいますし、
お庭の費用も出してもらって、徳川に対する気持ちも最後は和らいだものかもしれませんね。