花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

神社寺院とは何か? 神職と住職の役割とは?

2017年11月24日 00時00分07秒 | 結びの心柱

以下は「2016.11.17」の掲載http://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/573c5e7d9021f794c2ab7793baf82ca4?fm=entry_awc記事です。

こんにちは。明日は,私の知り合いの人の誕生日です。18日は観音様の縁日ですから忘れません。知り合いと云ってもお互い個別に連絡を取り合ったりする間柄ではありません。ですが,立派なお母さんでもあり,子供を4人も育てている方で,少子化の日本にとって何よりも有難いことです。このご時世で子供を4人も育てているのですから,いろいろな面で大変なことがあると思います。私の存在を忘れてしまっているかも知れませんので,誕生日の明日,メールでも送って見ます。元気でいると良いです。

今日は,朝から現代社会の問題を世間に提起させた悲しい結末の事件のニュースを読みました。介護殺人と云う最近,テレビや新聞などでよく報道されるようになってしまっている事件です。私が読んだ事件は,ちょうど2006年に起きたものでしたが,主文を言い渡した裁判官も心の中で相当な葛藤があったのではないかと想像しておりました。判決当日,被告人である本人は裁判官の問いに対し「生まれ変わったらまた母親の子供として生まれたい」と云う趣旨の弁を述べたようです。この被告人の言葉に,判決を言い渡した裁判官も声を詰まらせ,目を赤くしていたらしいです。判決そのものは温情判決としてニュースでも取り上げられていたようです。しかしながら,この事件は,判決と云う裁判規範性や法的規範性の外で終結することになってしまいました。

社会に復帰した本人を待っていたのは,とても厳しい現実でした。結果,本人は自死してしまったのです。本人がいつまでも大切に保管していたものの中に,母親と本人のへそ緒が遺体に身に着けてあった小さいポーチから発見され,メモ書きには一緒に焼いて欲しいと書かれていたようです。本当にこの様な事件は辛い出来事です。これでもまだ自己責任と呼ぶのでしょうか?

昨日まで書かせて頂いてきた「神様との約束事 仕事とは祭事であるぞ。 5」でも触れましたが,神社やお寺の総代さんをはじめ護持組織をとにかく動こかすことが出来れば,自分の神社や寺院の中にいる人たちにだけでも光を照らすことが出来るのです。大きな組織や団体を形成する必要もなく。お金がかかるものでもなく,不特定多数を対象とすることもなく,自分たちの神社や寺院に所属する氏子崇敬者,檀家信徒だけで良いのです。これがはじめの一歩となって,その波は日本国中の神社や寺院に波及して行きます。

そして,年に数回,氏子崇敬者さんや檀家信徒さんに祭事の案内や法事などの手紙を郵送していると思いますので,その中に一言だけで良いので皆さんへ宮司さんと総代さんが語りかけて頂きたいのです。難しい話や用語は使わず必ずお役に立てることがあります。何か困ったことがあった時にだけ,神社(寺院)と私たちを思い出してください。それだけで十分です。」と氏子崇敬者,檀家信徒さんに言葉かけをするだけでも救われる命があり,また明日も生きてみようと思って頂けると真に感じています。

今回ブログで掲載させて頂いた起案は「買い物困難者」の情報を元に立案させて頂いた過去のものです。しかし,課題は何でも応用が出来る仕組みになっております。たとえば「災害弱者」「介護」「高齢者の交通事故」「子供の貧困」等にそれぞれ変えて起案が可能です。但し,民間の企業が主体となると失敗する仕組みになってもいますので注意が必要です。神社とお寺にいる総代を動かせと神様から教えて頂き,神様から授かったリスクマネジメントを駆使して活用してみて下さい。きっと,誰かの助け舟に成ります。

事件の本人も,自分の実の母親を自分の手によって死なせてしまったこと。自分も母親の死を見たあとに自死しようとしたが,自分だけ助かってしまった心の重み。本人にしか解らないことの苦しみと悲しみ。さまざまな苦悩があったと思います。これから日本は,人類が経験したことのない少子高齢化が本格的に訪れます。そして,あまり報道されていませんが,世界中の国が日本がどうのように少子高齢化を乗り越えて行くかをじっと観察しています。特に,中国は一人っ子政策によって,数十年後には超少子高齢化時代を迎えます。それに備える為にも日本の政策と問題点や課題を見つめているのです。最大のチャイナリスクは少子高齢化です。拝


 

   

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝

 


先人から学ぶべきこと。

2017年11月20日 06時11分05秒 | 結びの心柱

 以下記事は「2016.12.3」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/a7e898de82ff058beacf51d05abc48fa記事です。

こんにちは。上の写真は,奈良の長谷寺「御本尊:十一面観世音菩薩」の登廊です。この長谷寺にも実は,菊理媛神様をお祀りしている場所があるのです。小さな御宮ですが,その昔,白山比咩(ひめ)神社から勧請を受けていたと云うのですから御本尊「十一面観世音菩薩」がこの長谷寺に御鎮座されているのも理由のあってのことだと思います。ちょっとした歴史探究も面白いものです。

ちなみに,長谷寺さんの白山神社へのお参りは通常,出来ません。境内の裏山に御鎮座されております。下座からは参拝できます。

さっそく,先日の記事「和の神 菊理媛神 前篇」の続きを書かせて頂きます。私なりの想像では,菊理媛神と云う神様は,紛議や紛争を円く治めることが出来る御働きも言葉が適切であるかどうか解りませんが,兼ね備えている神様であると考えております。さらに,言葉の神様でもあると感じていて,そのヒントとなったものは縄文神代以前から先住民族が暮らす地区や地域には,白山神様をお祀りされているようなのです。そして,その縄文人が最も恐れと敬遠していたことは何かと言いますと争いや紛争でした。その証拠に全国の縄文遺跡から唯一,発掘されていないものが武器です。つまり,人を殺傷するような武器は縄文遺跡からは見つかっておりません。したがいまして,戦い方も知らなかったはずです。そのことは,これまでも記事で何度か書かせて頂いて参りました。

しかし,なぜ縄文人は争うことを嫌っていたのでしょうか。好きや嫌いなどと言う感情だけではなく,もっと大きな理由が存在していたのではないでしょうか。勿論,死後の世界に対する死生観も存在していたことですし,停留思想も既にありました。この世に恨みや辛み,憎しみや怨念を残すと人(霊)は,あの世に帰ることが出来ず,この世の低い次元に停留してしまい子孫を見守ることが出来ないと云う思想です。日本仏教の死生観にある成仏と云う考え方は,この縄文人の死生観が元でもあると思っています。

今から何万年も前の私たちの祖先は,神様と直接,交信が出来ていて神様の御心をとても良く理解し,実生活の上で活かし,平和で豊かな暮らしをしていたのです。又,現代に生きる私たちとは全く違った言葉や文字(神代文字)を使い,その言葉や文字には霊が宿っていると考えていました。それを現代でも言葉や文字には霊が宿る言霊として受け継がれている精神的面があります。

争いや紛争を円く治めることの出来る神様(自論です)であり,言葉の神様(これも自論です)でもある菊理媛神様は,縄文以前から深く人々によって信仰されて来た神様ではないかと思っているのです。私も調べたことはありませんが,きっと,遙か昔の居住地や集落では菊理媛神様をお祀りしていたと思います。その名残も相まって,全国に分布されている白山神社は太古の集落地であった場所に多いのではないでしょうか。きっと,考古学を研究されていたり,個人で探求されている方であれば北陸地方や白山地区さらに,菊理媛神様に想いを馳せることがあると思います。ただ,弥生時代以降の古代日本史からを基準に考えると,結局,天津神か国津神のどちらかと云う偏った話になってしまうのです。もしかしたら隠された神様かも知れませんし,弥生時代の戦国の世から菊理媛神様みずから御隠れになられたのかも知れません。話が飛びますが,カゴメ歌伝説の謎なる解説は結構,インターネットや雑誌などでも盛んに取り上げられていますが,このカゴメ歌の最後の「後ろの正面」とは誰なのでしょうか?鶴と亀が統べった。

後ろの正面だぁ~れ?


   

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝

 


伊勢神宮に観る国津神と天津神の約束

2017年11月18日 07時03分15秒 | 結びの心柱

以下は,過去「2016.7.2http://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/53a82881c2058d54cc8fed073a21a3f4に掲載したものです。

 

今日は,伊勢神宮について記事にしたいと思います。私も年に5.6度は参拝させて頂いております。

我が国,日本は太古の昔から神様へ五穀豊穣を祈る(感謝)国であります。その祈りは,今日の現代でも今上天皇を中心に伊勢神宮を頂点として全国の神社で御祭(祭事)されております。私は,経済の原点つまり,経済の本質とはこの五穀豊穣にあるのだと考えています。歴代の総理大臣も1年の仕事始めは,伊勢神宮からです。機会があれば神道と五穀豊穣として記事にしたいと思います。                                                                 

さて,伊勢神宮の外宮・内宮の両御正宮ともに御社殿は唯一神明造でお馴染みの茅葺屋根に掘立柱で構成されたシンプルでベストな建築様式です。世界的に観ても建築物として,とても評価の高い建築物と云われています。しかし私は,この質素にして美しい御社殿が疑問でありました。皆さんも伊勢神宮の御社殿は何かに似ていると思いませんか?

そもそもなぜ,このシンプルな建築様式が用いられたのでしょうか?そして,20年ごとに式年遷宮を斎行するのでしょうか?                                                                        式年遷宮を定められたのは今から1300年前の飛鳥時代に天武天皇が御制定され,第1回式年遷宮は後の持統天皇が最初に斎行されました。御存知の通り,我が国,最大の御祀事(神事)であります。

1300年前の日本には,既に法隆寺などに見られる建築様式が確立されていたのに何故,あの唯一神明造であるのか?            その理由は,私の個人的な考えですが,あの茅葺屋根に掘立柱の唯一神明造でなければならなかったのです。                                                               そこには,壮大で永遠なる祈りの意味が込められているのです。   

参拝するとだれでも感じて頂けると思いますが,あの親しみやすさ,馴染みやすさを感じられるその訳は,我々,日本人ひとり一人に受け継がれている遺伝子(DNA)に記憶として記録され組み込まれているからではないかと考えています。なぜか,懐かしく,親しみやすく,馴染みやすい。それは,我々の遠い縄文時代の祖先の想いにまで行き着きます。

伊勢神宮の御社殿の原形は,縄文時代の高床式倉庫がもとです。つまり,この高床式倉庫を改良したのが伊勢神宮の御社殿です。                                                                    国譲りで国津神が天津神に豊葦原瑞穂国を譲りました。そして,天津神の子孫が,國津神の子孫が最も大事に,大切にしていた高床式倉庫を最も格式の高い唯一神明造に変え,永遠に祈り続けることを約束したのです。その壮大な物語が,伊勢神宮にはあります。そして,現代でもその永遠なる祈りが毎日,お祀りされております。正に聖地中の聖地だと思います。

きっと,天武天皇・持統天皇は,敗者を祀ることの大切さ,重要さを知っていて意図的に唯一神明造にされたのではないでしょうか。それと同時に,霊的な影響も知っていたと思います。これは,もの凄いことです。国を譲った国津神の子孫である縄文人が大切にしていた高床式倉庫に装飾品を設けて造り替え,神様の御宮として大事に,大切に,お祀りをする。それだけではなく,20年ごとに御社殿を丸ごと新しくし,常に若々しく保つ。

国譲りの決断をされた国津神の神様に。決して,忘れていません。国譲りの時にお互いで取り決めた約束ごとは天津神の子孫がちゃんと丁寧に,丁重に御守り続けております。と語りかけているように感じます。1300年も続く式年遷宮は,単なる御宮を新しくするだけではないのです。敗者や負けた相手を永遠に労り,その功績を讃え,称賛する。そのことで,争うことがなく国民一体となることを何よりも望んだのだと思います。そのことは,過去様々な文献でも照見されます。聖徳太子の和を以て,貴しと為す。などもそうです。もちろん,神道の大祓詞にもあります。

私は,ここに日本人特有の精神が見て取れると感じています。敗者を先ず祀ると云う思想です。これは,その後の武士道精神の根本としても残り,現代の日本人の精神でもあると思っています。負けた者を哀れみ,負けた者に対する情けや称賛,その功績を称える。そして,それができる民族が日本人だと思うのです。

伊勢神宮へ参拝を計画されている方は,そのような考えもあるのだなと思って御社殿に参拝してみて下さい。武力によって,相手を滅ぼしたり,制圧したり支配したりする考えは日本古来の考え方ではありません。


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


平和の象徴 ~靖国神社~

2017年08月15日 15時48分36秒 | 結びの心柱

こんにちは。

先日,仕事の同僚と東京九段の靖国神社へ参拝させて頂きました。

あらためて靖国神社こそ,平和の尊さを伝える神社であるとそう感じました。

決して,軍国主義や右翼の聖地ではありません。


以下は,ちょうど一年前に書いた記事です。

こんにちは。先日,千葉県の成田市に御鎮座されます麻賀多神社へ参拝させて頂きました。御存知の方も多いと思います。麻賀多神社は,あの日月神示「ひふみ神示」が降ろされた天日津久神社があるところです。その帰り,隣の茨城県に仕事の用事があったので自動車で向かっている途中,阿見町と云うところを通過したときにあることを思い出していました。それは,2008年頃から研究していた神風特別攻撃隊「特攻隊」についてでした。この茨城県にある阿見町には,特攻隊への入隊を前提とされていた14歳から17歳までの若い人たちで構成された予科練があった場所です。私の大叔父も予科練から特攻隊へ入隊し,出撃の数日前に終戦を迎えました。今日と明日と明後日の3日間は,ただ純粋に国の為に朝夕と厳しい訓練に励んでいた予科練習生,愛する国と故郷,家族の為に尊い命を捧げた特攻隊員,そして,本土決戦で激戦地となった沖縄ひめゆり学徒隊を記事にさせて頂きます。いよいよ明後日,8月15日は71回目の終戦祈念日を迎えます。いま私たちに出来ることは,後世に伝え残すことだと考えます。

過去の関連記事です。「あなたは神風特別攻撃隊を知っていますか?」宜しければ,お読みください。

先ずは,下記の予科練から神風特攻隊として出撃される前にお母さんへ向けた遺言書をご覧ください。

 

僕はもう,お母さんの顔を見られなくなるかもしれない。
お母さん,良く顔を見せて下さい。

しかし,僕は何んにも「カタミ」を残したくないんです。

十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを
泣かせるからです。

お母さん,僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。
それが僕のあいさつです。母上様。

(資料出処:予科練平和記念館)

この遺言は,予科練から特攻隊へ入隊し,昭和25年5月4日に弱冠19歳と云う若さで,特攻作戦のため出撃され沖縄で特攻戦死された福島県出身の茂木少尉が大好きな母上様に宛てた最後の御手紙であります。

上の画像は,知覧特攻平和会館に所蔵されている,燃えさかる特攻機から6体の天女が特攻隊員を救い出し,昇天の様子を描写させた画です。目で見ると確かにこの画像は,作者の鎮魂の祈りが描写させて描かせたものですが,この画のとおりのことが実際に起こっておりました。日本神界の神々様から仏界におられる菩薩様も総出で戦禍に赴いた御霊の救出と昇天をさせておりました。きっと,この画を描写した作者には,後世に伝えるために神懸りにより筆を取らせて描かせたものです。

それでは,予科練について記事にさせて頂きますが,予科練を語る前に,特攻について少し書かせて頂きます。特攻隊には幾つかの部隊が存在しておりました。陸軍や海軍に所属し,予科練はその内,海軍に所属する「海軍飛行予科練習生」のことを通称:予科練と呼んでいます。特攻隊員の多くは予科練の所謂,卒業生で卒業後はほとんどの少年が特攻隊へ入隊しています。14歳から17歳ですから中学2年生から高校2年生の未だ未成年の子供たちであります。これが少年特攻と言われる所以です。今とは想像もつかないと思いますが,これが現実でありました。特攻隊員は18歳以上の若者が出撃されたと云う風習になっていますが,私が研究している課程で元特攻隊員の方とメールですがやり取りさせて頂いた際に,17歳未満の特攻隊員も存在していたと話されていました。

いまの若い世代の人は,特攻や特攻隊と云う言葉すら聞いたことがないかも知れませんが,私たちのすぐ近くの御先祖様です。この特攻と言う言葉は,特別攻撃の略称で,航空機や水上・水中兵器に爆弾を搭載して,当初から死を持って敵戦艦に体当たりして撃破するという攻撃です。つまり,はじめから死を覚悟して出撃するのです。本格的に特攻隊が部隊として編成されたのは,昭和19年(1944年)の10月です。特攻隊員13名が志願により選出され,第一次神風特別攻撃隊としてそれぞれ4部隊が結成されました。最初の特攻攻撃の戦果が確認されたのが10月25日でした。

しかしながら,私も研究をしていて実は,特攻一番機の前に伝説となった「特攻ゼロ号」が存在していたことが判りました。敵がいなければレイテへ行きますと言って飛び立った伝説の英霊です。正式に大本営にて特攻したのかどうかの確認が出来ていないために,伝説の特攻ゼロ号と呼ばれるようになったのです。また次の機会で記事にさせて頂きたいと思います。

毎度のように話が少し逸れますが,アメリカの9.11の悲惨な出来事をまるで日本の特攻隊のようだとマスコミがニュースなどでコメントしていたり,第2の真珠湾などと言っていたりしていましたが,これはとんでもないことです。9.11のテロリストと我が国の特攻隊の御魂を一緒にするような発言は無礼にもほどがあると思います。私たちの御先祖様と一緒にしないで下さい。おじいちゃんたちの悪口を言わないで下さい。今度,悪口を言っているのを聞いたら閻魔大王と不動明王に言いつけます。

話を戻しますが,予科練は,海軍飛行予科練習生で年齢は14歳から17歳の即ち,少年航空兵のことであります。この制度が出来たのが,昭和5年6月1日で,第1期生79名でした。当初は,横須賀海軍航空隊に予科練習部を設置し,その後,全国から5,800名の志願者から厳選され昭和14年3月には霞ヶ浦湖畔に移り,大東亜戦争が開戦すると航空兵の増員が急務となったのです。そして,予科練習生は優れた搭乗員としての人間形成と,厳しい訓練をものともせず,航空兵としての実力を身につけて行きました。さらにエピソードの1つとして,昭和12年8月14日,中国本土に孤立する居留民団(日本人)を救助するため,暗夜の荒天を衝いて敢行した渡洋爆撃にその初陣を飾って以来,予科練を巣立った若人たちは多くの偉勲を重ね,大東亜戦争では名実ともに日本の航空戦力の中核となり戦ってきました。

しかし戦局は悪化の一途を辿り,敵が本土に迫った時,そのほとんどが神風特別攻撃隊員となって,一機一艦必殺の体当りを決行したのです。名も命をも惜しまず何のためらいもなく,ただ国を救うことのみに無限の未来を秘め祖国と家族を守るために尊い命を捧げたのであります。創設以来終戦までの予科練の歴史は僅か15年3ヶ月に過ぎません。しかしながら,祖国の繁栄と同胞の安泰を願い,たくさんの少年たちが全国から志願し,その予科練卒業生の8割が未曾有の国難に殉じ特攻による戦死をしたのです。私たちの今の生活があるのは,先の大戦で決死の覚悟で戦った英霊の御蔭であることは言うまでもありません。拝

予科練平和記念館公式ページ:http://www.yokaren-heiwa.jp/index.html

知覧特攻平和会館公式ページhttp://www.chiran-tokkou.jp/


 

 

 

 

 

 

   


芝桜 春季植付祭

2017年05月03日 18時47分20秒 | 結びの心柱

こんにちは。

今日,無事に第1期 春の芝桜植付祭が終わりました。

第2期は,5月中旬頃を予定しています。今年の春植えは108株です。

秋にはチューリップの栽培が始まります。

そして,来年の3月には神社とお寺に奉納させて頂きます。今から楽しみです。

ちょうど1年前,観音様に,芝桜を植えて元気のない参拝者に喜んでもらいなさいと教えて頂いた芝桜です。

咲かせよ咲かせ豊葦原瑞穂国に。拝


宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 祈り行じて省みる。                                                             感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えています。                                            一隅を照らす人であれ。その命ある限り。花咲 あさひ 拝                   ブログ開設325日目 記事数第223記 結びの心柱 


原子力発電 原発はナゼいけない?1

2017年04月18日 08時01分45秒 | 結びの心柱

 

こんにちは。5つの心柱から2つ増え,7つの心柱になりました。増えた2つの心柱は「勇気の心柱」と「結びの心柱」です。

私は,10柱あると思っていて,それを日常生活の中と仕事を通じて探しています。残り3柱です。

今日は,昨日の記事でも少しだけ書かせて頂いた原子力発電「原発」について書かせて頂きたいと思います

そもそも何故,原子力による発電「原発」を良いとか悪いとかと云う価値判断で決めるのでしょうか?

そんな抽象的な言葉よりも,もっと簡素に言えば,なぜ原発はダメなのでしょうか?

私自身も原発反対!原発再稼働絶対反対!と言う意味があまり理解できていませんでした。原発関連のニュースを見ていても何故?あの人たちは原発を再稼働することに反対なのか?また逆に賛成しているのか?それがいまいち良く理解できていませんでした

きっと,そのように感じている日本人は,私以外にも結構多い気がします。その原因はなぜなのでしょう?

しかしながら,その一方で,核や核兵器はどうですかと聞かれると無意識の内に絶対反対だ!と云う自分が存在しています。

この違いは何なのか?それを考えておりました。

そして,最近になってようやくその理由が解りました。それは,体験理解と学習理解によるものだと言うことが解りました。

その辺りのことをこれから記事にして行きたいと思っています。拝

追記:今日18日は観音様の縁日です。


宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 祈り行じて省みる。                                                             感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えています。                                            一隅を照らす人であれ。その命ある限り。花咲 あさひ 拝                   ブログ開設310日目 記事数第222記 結びの心柱