花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

あの日。志摩で誓った想い,今も忘れず。

2019年10月25日 04時44分30秒 | 勇気の心柱

こんにちは。

以下の記事は,4月26日に掲載した過去記事です。

ちょうど,8年くらい前に,神社の氏子さんや崇敬者さんとお寺の檀家さんを対象に孤独死や孤立死,幼児虐待を何とか防止出来ないかの起案(立案)していた時期がありました。8年を経過した現在も立案作業は進めていますが,もしかすると応用として昨日の記事のような事柄でも効果が期待できるのではないかと想い,そのことを今日は書かせて戴きたいと思います。日本人であれば,政治家であろうと政策の立案を担当する官僚であろうと公務員であろうと又,私たち国民であろうと社会のさまざまな問題点を何とかしたいと考えていることがあると思います。これは,理屈ではなく心情として誰でも理解できるのではないでしょうか?

しかしながら,一昨日も記事に書かせて戴いたように人それぞれが置かれている様々な現在の状況と真実「真理」と事実「現実」を踏まえて考えて見ると様々な問題を各人がそれぞれ承知で来ていても具体的に何か手段や方法を用いて出来るかと云うとなかなか難しいのが事実つまり,現実ではないでしょうか?あったらいいな。やれたらいいな。それは誰でも心中では同じであると私は考えております。よく,宗教家の方々と議論や協議をしているとやはり同じように「このままでは神社やお寺はなくなってしまう」と言われることがあります。私もその気持ちは理解できる面もあることは確かです。ただそう言った危機感を感じているのであれば,先ずは,宗教家自身が自分から自ら手を挙げ率先して行動に移さなければなにも変わらないのではないかといつも感じております。

危機に直面したら神仏に願いを掛ける。神仏に手を合わせればこの世の幸せをたくさん享受できる。祈れば大丈夫。おそらく,多くの宗教家がこのように考えていると思います。そう言った意味においては,宗教家だけではなく,わたしたち一般の人々も同じかも知れません。神仏に祈れば,神仏が助けてくれる。だから日本全国のパワースポットと呼ばれる場所に出掛けに行く。そこが,祭祀場であろうが,御神体であろうが,鎮守の森であろうが,磐座であろうが何ら躊躇することもなく集団で御神業だと言っては神域に入って行く。実際に,私もこれまで宗教家の方々に神仏に祈れば神仏の加護が得られるのだと聞かされることが多々あります。

これまでもブログの記事を通して,神さまから授かったリスクマネジメントと云う最強の手段と手法を書かせて戴いて参りました。わたし個人的には,この縄文時代から続くリスクマネジメントに勝る論法もないと考えています。そもそもリスクマネジメントと云う手法は,西洋諸国の考え方と思われている方も多いのですが,実はリスクマネジメントは日本が本家本元なのです。既に,縄文時代には高度なリスクマネジメントが確立していました。カタカナ文字にカタカナ言葉に日本人は弱いですから,きっと,リスクマネジメントは西洋の考え方であると据えられてしまったのだと思います。それでは,リスクマネジメントを一言で云うと何かと申しますとそれは「和の仕組」です。この和の仕組みを創り上げる事が出来る方法と手段はリスクマネジメント以外にはありません。

どれくらいのことが出来るのかは解かりませんが,神さまから授かったリスクマネジメントを駆使して,神社やお寺の護持を通じ,既計画案に応用させて見て行きたいと思います。リスクマネジメントは,どんな事にでも応用が利くところに凄さを感じてしまいます。少し,リスクマネジメントの基礎基本を書かせて戴きます。リスクマネジメントの起案作業における骨子は3つだけです。先ず,リスクマネジメントの基礎基本は①何の為にするのか?「目的と趣旨」が大前提となります。②次に,誰が何をするのか?「手段と役割」が小前提となります。③そして最後に,その事で誰が又は何がどうなるのか?「結果や効果」が結論になります。要は,大前提に小前提を当てはめて結論を導きだすのです。誰にでも簡単に出来ますので,身近なことに当てはめて見て下さい。

理想と現実の狭間にて 志摩で誓った想い忘れず。

い(伊)さ(雑)のはじまり(宮)ありがとう(感謝)

花咲あさひ 拝


い(伊)さ(雑)のはじまり(宮)ありがとう(感謝)

2019年10月24日 05時39分01秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

今日は,神主さんでもあり,古神道家でもあった小林美元先生が生前に書かれた著書「古神道入門 神ながらの伝統」の4を同書から一部を抜粋して前回同様,書かせて戴きたいと思います。

昔の人々は,伊勢詣と云えば,二見が浦の海で禊を済ませてから伊勢の神宮へ詣でると云うことが習わしでしたが,時代の移り変わりで参拝の習わしも徐々に変わって来ています。古神道の世界観や古神道家の間では,夫婦岩は「イザナギの神:男神」と「イザナミの神:女神」としています。そのイザナギの神とイザナミの神の間から太陽神「天照太御神」が誕生すると言われているのです。5月から7月の間にちょうど夫婦岩「夫婦神」の間から日の出の太陽「天照太御神」が昇るようすを観ることが出来ます。

それでは,以下,古神道入門 神ながらの伝統より。小林美元 著

第5章 弥栄(いやさか)の思想と信仰

なぜ,政治を「マツリゴト」というのか。

何度も申しますように,日本語というのは非常に古くから天体の動きを四十八の文字に写していました。あおうえい・かこくけきという一音,一音の声音が,宇宙を象徴的にあらわす符号として整序しておりました。

現代人が想像する以上に,宇宙の原理には精通していたのです。

ですから,

伊勢神宮の恒例のお祭り,二十年に一度行われる御遷宮のようなお祭りにしても,天体の動きに合わせて行われる。祭りを行う月と日と時を非常に大事にして,神代ながらに古代からのしきたりを厳重に伝承して行われてきております。

例えば,御遷宮の祭りは,北斗七星の運行と関係があります。

夕方七時頃,北極星の右上にあった北斗七星が時刻がたつとともに北極星の真上になり,それからだんだん時計の針と逆方向の左へと回っていきます。そして北極星の位置が,ちょうど北斗七星の柄の先の勺のところにくる時間に,神さまに勺で食事を捧げるということで,祭りが進められる。

この一例を見ても,天体の動きと祭りというものが,いかに密接にかかわっているかということが伺われるわけです。そういうことですから,村人の生活がまた社会的な発展に伴って段々と大きくなって,国として発展していく段階になっても同様に,その組織体を統御するために祭り事を行う。

そして国の祭り事が,そのまま村々を統治することになり,いわゆる政治にもつながっていく。

宇宙のカムとの深い関係,交流の中で,村人を一つに束ね結わうことが,祭り事でした。カムの意思に基づいて正しい統治を行なうという,政治の思想の姿があったわけです。だから政治を司る者は,少なくとも宇宙の運行とか自然生命に対する畏敬の念をもった人でないと尊敬もされず,その長たる資格がなかった。

明治の頃までは政治のことを政り事(まつりごと)とも称していましたが,しかし実際歴史的にみると,聖徳太子のように本来の意味での「祭り事」を意識した政治家は少ない。まして今日,政治というと,何やらどろどろとした権力闘争や駆け引きなどをイメージします。政治とは,「マツリゴト」であるということを忘却の彼方に押しやったかのようです。

以上

現代の政治家のみなさんにも読んで頂きたい内容であります。今では,魑魅魍魎の世界となり,ほとんど貴族化している政治家の人たちの頭の中に政治とは「祭り事」であると考えている人がいるのでしょうか?言葉では選挙が近くなったりすると綺麗な言葉を並べますが,日々の政治活動との差は激しいものであるようです。おくそくですが,国体と政体との区別すら理解していない政治家がいても不思議ではなくなってしまっています。これは国家存亡にかかわる重大な事柄でもあるのです。国体とは「祭祀」です。政体とは「統治」です。即ち,祭祀の中心の座に座ることが出来るのは天皇陛下だけであります。そして,統治を司る頂点に存在するのが内閣総理大臣であります。自分は政治家であると言うのであれば,最低これくらいは深く理解して戴きたいと願うばかりです。

 ※ 天皇陛下を祭祀の頂点と表現する人もおりますが,これは違います。頂点ではなく中心です。

   天皇陛下を祭祀の頂点とした明治・大正・昭和の歴史を想い出してください。

    結果,天皇に剣を持たせ軍服を着せたのです。これは,大きな罪です。天皇が持てる剣は,草薙の剣だけです。

ところで,記事本文中に伊勢神宮の祀り事について記載されているように,式年遷宮や恒例祭事の際には,天体の動きに合わせながら執り行うと云うことが書かれております。つまり,北極星や北斗七星をお祀りしているのが伊勢神宮でもあるのです。ここでもう1つ古神道家の間で語られている大切なことを書かせて戴きます。伊勢の神宮は「内宮」と「外宮」の2つの御正宮が御座います。

その2つの御正宮の内,外宮にお祀りされている神さまを豊受大神と一般的に称されますが,その際に,内宮にお祀りされております天照太御神の食事を司る神さまであると云う語り(現在の定説)がありますが,この意味を取り違いされている方が結構,多いのであります。外宮にお祀りされている神さまは「地球神:国常立大神」で御座います。国常立大神をお祀りしていると云うことは地球上に存在するすべては,国常立大神さまのもので御座います。そのことが取り違いされてしまい,外宮の神さまは,内宮の神さまの食事を司る神さまだと解釈されてしまったのです。きっと,過去の文献などに基づいてそのような解釈が通説となって行ったのだと思いますが,外宮は,内宮よりも遙か昔に祭祀場として存在しておりました。つまり,内宮よりも外宮の方が古いのです。

またいつか,機会があればゆっくりと書きたいと思います。

毎晩,北斗七星に祈りを奉げていると「和する事」と声なき声が聴こえて来ます。

北斗七星が大好きな花咲でした。拝


伊勢神宮と出雲大社 天津神と国津神

2019年10月23日 04時32分44秒 | 祭祀と和の国

 

おほみたからにいたるまで かしこみ かしこみ もうす。この「おほみたから」とは,私たち国民のことをさします。天皇陛下が日々,神様への祈りとして捧げる御言葉です。すべての国民一人ひとりが日々の生活が平穏で,そして豊かに安寧に暮らせますようにと云う祈りの言霊です。なぜ,天皇陛下は,これほどまでに国民の幸せを祈り,願うのでしょうか?

昨日の記事「伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り」で,伊勢神宮について書かせて頂きました。やはり,天皇陛下の祈りのもとは日本神話の国譲りの中にあるようです。昨日の記事でも若干,その国譲り「日本神話」を引き合いにしましたので,今日は,この日本神話にある国譲りテーマに書きたいと思います。

1.私たちの国の神話に「国譲り」があります。

いま私たちが暮らすこの国は豊葦原瑞穂國(とよあしはらのみずほのくに)と云い,元々,この日本には先に暮らしていた所謂,先住民族がおりました。この先住民族は国津神の子孫で,仲よく平和な暮らしを営んでおりました。そして何よりも祈りを大切にする民族でした。その祈りの根底には,この世のありとあらゆるものには神様が宿ると云う思想を持ち合わせ,同時に,自然そのものを神様だと判っていました。そこに,天から天津神が降りて来て,国津神の神様へこの国と国民を天津神に譲るように説得をしました。その後,国津神は天津神に幾つかの条件を提示して豊葦原瑞穂國と国民を天津神へ譲ることに決めました。

私個人的には,この国津神の子孫とは縄文人を指しているのではないかと考えています。つまり,我々の遠い遠い祖先です。世界で最も永く,平和で,豊かな文明を築いていたのが縄文文明です。世界で一番古い文明でもあります。私たちは子供のころに学校でお米は弥生時代にもたらされたものだと教えてもらいましたが,実は,縄文時代には既に,お米はありました。御酒もありました。縄文土器から検出されています。

2.国津神の条件提示。国を譲った国津神と祈りを約した天津神

国津神の提示した幾つかの条件の中に①国津神をお祀りする立派な神殿を建築すること②天津神の子孫が未来永劫,丁寧に丁重に国津神をお祀りすること。ここまでが,一般的に国譲り神話に登場する内容です。しかし,あともう一つ昨日の記事にも書いたように3つ目があったのではないかと私は考えております。それは,次の3項.国津神の子孫の想い引き継ぐです。

3.国津神の子孫の想いを引き継ぐ。

①国津神の国民(子孫)が最も大事にしている精神「御蔵」を尊重し,お祀りすること。これが今の伊勢神宮に建つ御社殿です。ちなみに①は出雲大社です。②は天皇家を中心に,伊勢神宮の祭主(現在は,黒田清子様)や出雲大社の社家(出雲国造家)です。

4.いまなお続く聖なる祈り。

昨日の記事の通り,伊勢神宮の御社殿を現在の茅葺屋根に掘立て柱に造り替えたのは,天武天皇,持統天皇です。その天武天皇,持統天皇が縄文人の最も大切にしていた五穀豊穣の精神を又,収穫できた穀物を納める御蔵(高床式倉庫)を中心に置くことによって永遠に守り続けると云う決意を建築物を通して後世に示し,残しているのではないかと思います。その構想を誰が考えたのかは分かりません。しかしながら,我々,現代の子孫も伊勢神宮の御正宮で知らず知らずに,そして無意識に永遠なる祈りを捧げていることになるのです。その精神は歴代の天皇陛下にも承継され,近代では,昭和天皇の終戦の詔勅の一文にも見て取れます。そして,平成の世でも今上陛下の精神もまた同じであると私はそのように考えます。被災者とともに。被災者に寄り添いたい。一日でも早く被災地へ出向き被災者と言葉を交わしたいと思っておられると考えます。

5.むすび。

国津神の子孫である縄文人の最も特徴的な考え方は「平和」です。これに尽きるかもしれません。つまり,争いをしないと云う考え方であるのです。前にも「祖霊祭祀の日本人 祈りの民族」の記事でご紹介させて頂きましたが,とにかく争いを嫌います。それは縄文人の死生観に基づくものですが,その証拠に,全国の縄文遺跡から見つかっていないものが1つだけあります。

それは,武器です。つまり,人を殺傷するために使われる武器は発見されていません。ところが弥生時代を境に戦闘が始まります。戦い方を知らない民族(縄文人)は北へ北へと逃げるように移動したのです。それが現在の東北地方です。そう,鬼門です。

それ以降,現在に至るまで,日本人の宗教観は鬼門を最も畏れ,神聖なる方位として厚くお祀りしているのです。

その後,数千年の歴史を経て現代があるのであります。

記事本文掲載 終わり。

近年,地球温暖化などの影響からか「エコ」環境保護が世界的に注目されています。ここにも縄文人の考えと云うか知恵が伝えれて来ています。縄文人は,必要なものを,必要なとき,必要な分だけ頂くという考え方で暮らして下りました。つまり,根こそぎ採取するということはしないのです。エコの生活は,縄文人からの重要なメッセージかもしれません。

現在の学校教育では,日本神話を授業で教えることはありませんので,興味を持った生徒は自学自習で勉強しなくてはなりません。これは,この国にとっても不幸なことであります。世界的に観ても自分の国の神話を知らない国民はほとんどいません。日本人が外国人に馬鹿にされるひとつの話題として,よく言われるのが日本人は日本の文化や伝統を知らない。それで,他国の文化や伝統,歴史を勉強しようとしている。そんなんで恥ずかしくないのか?と言われています。これは,学ぶ側の責任よりも,伝える側の責任だと思います。伝える側が,もっと謙虚に,歴史に学び,子孫へ命の尊さを伝えることが大切なことではないでしょうか。

尚,本文中にある「国譲り」の一部を除き,他は,私個人の解釈であって,何ら文献等の学術的根拠を有するものではありません。したがいまして,個人の解釈によるものだとご覧頂ければ,真に幸いで御座います。拝

記事作成にあたって参考にさせて頂いた資料は,以下の通りです。

1.出雲大社と大国主大神「出雲大社公式ホームページ

http://www.izumooyashiro.or.jp/kamigami/izumo/index.html

2.出雲観光ガイド 国譲り「出雲観光協会公式ホームページ内」

https://www.izumo-kankou.gr.jp/1033

 

いさ(伊雑)のはじまり(宮)ありがとう(感謝)

花咲あさひ 拝


伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り

2019年10月22日 04時48分16秒 | 祭祀と和の国

災害時要援護者の概要を是非,御自身が住む自治体で確認して頂きたいと思います。

※地方自治体によっては,要援護者の資格要件が若干,違う場合もありますが,概ね同じようなものだと思います。

備えは,出来る時に,出来る事を,丁寧に。

 

 

令和元年十月二十二日 

いさ(伊雑)のはじまり(宮)ありがとう(感謝)

今日は,伊勢神宮について記事にしたいと思います。私も年に5.6度は参拝させて頂いております。

我が国,日本は太古の昔から神様へ五穀豊穣を祈る(感謝)国であります。その祈りは,今日の現代でも今上天皇を中心に伊勢神宮を頂点として全国の神社で御祭(祭事)されております。私は,経済の原点つまり,経済の本質とはこの五穀豊穣にあるのだと考えています。歴代の総理大臣も1年の仕事始めは,伊勢神宮からです。機会があれば神道と五穀豊穣として記事にしたいと思います。                                                                 

さて,伊勢神宮の外宮・内宮の両御正宮ともに御社殿は唯一神明造でお馴染みの茅葺屋根に堀立柱で構成されたシンプルでベストな建築様式です。世界的に観ても建築物として,とても評価の高い建築物と云われています。しかし私は,この質素にして美しい御社殿が疑問でありました。皆さんも伊勢神宮の御社殿は何かに似ていると思いませんか?

そもそもなぜ,このシンプルな建築様式が用いられたのでしょうか?そして,20年ごとに式年遷宮を斎行するのでしょうか?                                                                        式年遷宮を定められたのは今から1300年前の飛鳥時代に天武天皇が御制定され,第1回式年遷宮は後の持統天皇が最初に斎行されました。御存知の通り,我が国,最大の御祀事(神事)であります。

1300年前の日本には,既に法隆寺などに見られる建築様式が確立されていたのに何故,あの唯一神明造であるのか?

その理由は,私の個人的な考えですが,あの茅葺屋根に掘立柱の唯一神明造でなければならなかったのです。

そこには,壮大で永遠なる祈りの意味が込められているのです。   

参拝するとだれでも感じて頂けると思いますが,あの親しみやすさ,馴染みやすさを感じられるその訳は,我々,日本人ひとり一人に受け継がれている遺伝子(DNA)に記憶として記録され組み込まれているからではないかと考えています。なぜか,懐かしく,親しみやすく,馴染みやすい。それは,我々の遠い縄文時代の祖先の想いにまで行き着きます。

伊勢神宮の御社殿の原形は,縄文時代の高床式倉庫がもとです。つまり,この高床式倉庫を改良したのが伊勢神宮の御社殿です。                                                                    国譲りで国津神が天津神に豊葦原瑞穂国を譲りました。そして,天津神の子孫が,國津神の子孫が最も大事に,大切にしていた高床式倉庫を最も格式の高い唯一神明造に変え,永遠に祈り続けることを約束したのです。その壮大な物語が,伊勢神宮にはあります。そして,現代でもその永遠なる祈りが毎日,お祀りされております。正に聖地中の聖地だと思います。

きっと,天武天皇・持統天皇は,敗者を祀ることの大切さ,重要さを知っていて意図的に唯一神明造にされたのではないでしょうか。それと同時に,霊的な影響も知っていたと思います。これは,もの凄いことです。国を譲った国津神の子孫である縄文人が大切にしていた高床式倉庫に装飾品を設けて造り替え,神様の御宮として大事に,大切に,お祀りをする。それだけではなく,20年ごとに御社殿を丸ごと新しくし,常に若々しく保つ。現に伊勢神宮では常若と云う精神が伝わっています・

国譲りの決断をされた国津神の神様に。決して,忘れていません。国譲りの時にお互いで取り決めた約束ごとは天津神の子孫がちゃんと丁寧に,丁重に御守り続けております。と語りかけているように感じます。1300年も続く式年遷宮は,単なる御宮を新しくするだけではないのです。敗者や負けた相手を永遠に労り,その功績を讃え,称賛する。そのことで,争うことがなく国民一体となることを何よりも望んだのだと思います。そのことは,過去様々な文献でも照見されます。聖徳太子の和を以て,貴しと為す。などもそうです。もちろん,神道の大祓詞にもあります。

私は,ここに日本人特有の精神が見て取れると感じています。敗者を先ず祀ると云う思想です。これは,その後の武士道精神の根本としても残り,現代の日本人の精神でもあると思っています。負けた者を哀れみ,負けた者に対する情けや称賛,その功績を称える。そして,それができる民族が日本人だと思うのです。

伊勢神宮へ参拝を計画されている方は,そのような考えもあるのだなと思って御社殿に参拝してみて下さい。武力によって,相手を滅ぼしたり,制圧したり支配したりする考えは日本古来の考え方ではありません。拝


自我は真我に付き従う。大自然の摂理です。

2019年10月21日 07時20分05秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

 

令和元年十月二十二日 いさのはじまりありがとう

こんにちは。

大自然の摂理によって,もたらされることに不必要在庫の調整と云うものがあるのではないかと想像しております。

それはどういうことかと申しますと人は多くのものを持ち過ぎると一定のところで手放さなくてはならないものが出来てくると云うことであります。たとえばよく,運気の良い人が一転して置かれている状況が悪くなってしまった。こんな話を世間では聞くことがあります。実際に,私もそう云った御方が知り合いにおります。そのような状況に陥ってしまうと経済的にも精神的にも大変厳しい状態になってしまいます。しかしながら,そう言った厳しい不遇の時に去るものは,本来,その人にとって必要ではなかったものであり,又,与えられた役割を終えたが故に去るものであると云うことです。それは人でもモノでも言えるのかも知れません。

社会での成功者が一転して貧困になってしまうことがありますが,そのような不遇な状況に陥ったときに一番先に去るものはこれまで仲良く親しくしていた「人」であると聞くことがよくあります。それまで自分を慕ってくれていた人々が次から次へと自分のまわりから去って行ってしまったり,急に掌を返すような人も社会には現実に存在します。そう云った時の辛さや悔しさは言葉では言い表すことのできないことであると思います。金の切れ目が縁の切れ目と云う言葉も残っているくらいですから真理であります。

日本の言い伝えは本当に直球ど真ん中の言葉が多いですね。

そう云った厳しい環境に立たされた時にこそ自分自身を省みることが出来るように思います。これまでの自分の人生を振り返り,原点(中心)に回帰することで,さらなる飛躍が待っているのではないでしょうか?刀折れ矢も尽きた状態からの自分こそ本当の自分であると言い換えることもできるようです。何をやっても上手く行き,調子も良く絶好調のときに人は誰であっても傲慢になり過ぎてしまいます。これは人間の性(サガ)でもあるようです。そのような観点で観て見ると誰であっても例外なく同じであります。

人は多くのものを欲しがります。人よりも多くの財「お金やモノ」を持つことで安心すると錯覚を起こしてしまいます。しかしながら,本当に人よりも多くの財を得ることで安心することが出来るのか?と云うと決してそんなことはないようです。財を得れば,次は得た財を失うことへの恐怖心が芽生えてしまうからです。恐怖心は,さらに財を得ることへの執着心を産み出し,自分の我欲を強めて行きます。したがいまして,私たちが考えている財を得ると云う概念と安心感とは全く別なものであると云うことが言えます。

誰であってもそんなに大差はないのではないかと思いますが,やはり持ち過ぎると云うことには注意が必要な気もします。何かを得れば,何かを失うという言葉は個人的に好きな言葉ではありませんが,もしかすると,私自身がこの言葉に込められている奥を観れていないだけかもしれません。本当の幸福感や安心感は,手放すことからはじまり,手放す勇気と固執しない大切さを知ったときなのかも知れないと感じています。自我は真我に付き従うと云うことが大自然の摂理であるのです。摂理に反すれば滅びる訳です。

心柱(みはしら)神社を穢し,心神(しんしん)を傷つけることのないようにしましょう。拝


神様からの宿題と生きるための自由研究

2019年10月20日 04時28分06秒 | 勇気の心柱

 

令和元年十月二十二日 外在性神仏論から内在性神仏論への始まり。

いさのはじまりありがとう 

こんにちは。人はそれぞれ違った考えや思いを持っています。その違いを互いに尊重し合い,認め合うことが相手を思いやることに繋がるのだと私はそう感じています。特に,自分と意見や考え方が違うと云う理由で人をイジメるのは絶対に良くありません。私もよくイジメの相談や現場に遭遇することがあります。今の弱い者イジメは自分の立場を利用したものも多くありますが,イジメる人の特徴は決して自分よりも強い者と戦うことをせず,自分よりも弱い立場にある人をイジメるのです。要は,ただの卑怯者です。

よくイジメを正当化したいのか何なのか解りませんが,イジメられる人にも原因があるだの訳の分からない理屈にもなっていない屁理屈を言う人を偶に見掛けますが,イジメられる側にも問題があると云う言葉は,イジメを体験している人が自分の行動や行為,言葉や過去の行いを省みたときに,自分自身への戒めの言葉として使うものであって,人に言われる言葉ではありません。イジメる人とイジメられる人とではイジメる人の方に問題があるに決まっている訳です。コンプレックスなのか?選民意識なのか?

又,イジメられる人間にも問題があると云う言葉に似たような言葉で,人を外見で判断してはいけないと云う言葉があります。これも同じで,人は外見で判断するのだから身なりや身支度はちゃんとしないといけないと自分自身へ言い聞かすときに使うのです。明らかに自分よりも弱い立場にある人を言葉や力によってイジメをする人は,あの世で人間としての扱いをされません。自分の霊性も己の御霊も自分の先祖をも苦しめ,傷つけることになっています。イジメをする本人が不知故に犯す罪とも言えます。仏教の世界観に不知は罪と云う言葉がありますが,本当にそのとおりだと思います。暴力などの力で相手を征服したり,支配する根性は動物以下の霊性ですし,自分の優位な立場を利用するのはもっと最悪です。その様な人は,運気もどんどん低下し惨めな老後が待っています。うつ病や孤独になる傾向が強いように思います。観音経にも還著於本人 (げんじゃくお ほんにん)と明記されていますね。

私が意識的にしていることで参考になるかどうかは個人によりますが,自分にとって困難な事柄に遭遇した場合は,これは神様からの宿題なんだと意識して考えたり,積極的に取り組むように私はしています。禊ぎや試練と聞くと,ちょっと近寄りがたく,避けて通りたくなってしまいますし,私にはちょっとキツイです。しかし,考え方や想い,少しの視点の違いで人は困難に直面しても乗り越えて行けるだけのものを既に以ているとも思っています。それに本人が気が付いていないだけで,神様はすべてを観て知っていますから心配したり,不安になったりする必要は本当はないのです。たとえば,神様から「お前(私)は,この人に対し,どんな言葉を掛け,どんな行いで臨むのか?」「さぁ,今の自分と己の力で対峙せよ。こんな感じです。この宿題が溜まりに溜まるとパニックになります。訳が解らなく,収集も付かず,どんどん深みに嵌って行ってしまうのです。子供でも夏休みの宿題を8月の終わり頃にすると大変な思いをしてしまいます。私たちがちゃんと宿題や課題に取り組んでいるかどうか,神様は片時も離れず,じっと観ています。逆に言えば,自分よりも弱い立場にある人や動物をイジメている様子もすべて観ていることになる訳です。拝


祈りを忘れた宗教家 ~剣を箒にかえて~ 2

2019年10月19日 04時38分40秒 | 怒りの心柱

 

令和元年十月二十二日 外在性神仏論から内在性神仏論への始まり。

いさのはじまりありがとう 

こんにちは。

先日「祈りを忘れた宗教家 ~剣を箒にかえて~ 1」を書かせて頂きましたので,今日はその2を書きたいと思います。東京深川の神社にて悲惨な事件があり,神社の護持はちゃんと機能しているのか?素朴にそう感じたものですから,私の仕事上の解釈も若干踏まえ,少しだけ神社や寺院の護持についても書かせて頂きました。そして,宗教家には権力は必要ないとも書きました。何故なら,宗教家にとって必要なものは権力ではなく,権威であるからです。この私の考え方は,実際に現場で体験した事に基づくものです。

神社や寺院を私物化(自己の所有物)し,権力に終始し,執着する宗教家はどこかでほぼ落ちて行きます。

その理由は,いくつかありますが最も大きいというか宗教家が最も恐れることは,それは穢れです。穢れはつまり気が枯れるという意味です。そもそも神社寺院の護持と云うものは宮司さんや住職さんがするものではなく,地元の氏子,不特定多数の崇敬者,縁ある檀家と信徒の役割であるからなのですが,ここを勘違いし間違えてはならないのであります。気の毒が出て来てしまいます。

何故かと言うと,先ほども申し上げました通り,宮司さんや住職さんと云うのは「権力」ではなく「権威」であるからです。では,権威としての宮司さんや住職さんの役割とは何かと云うとそれは「」です。これに尽きます。祈ると云うと祈願や祈祷と据える宗教家が多いのですが,祈るとは「することです。聖徳太子のを以て貴しと為すです。和と云う言葉は神と云う意味ですから,和することが出来るその事,そのものに感謝するのであります。つまり,と云うものは神の御心そのものなのです。

神さま,仏さまと聞くと如何わしい新興宗教の勧誘と想像したり,神仏の存在を否定的に感じる人もいます。

でも何故か?和と云う言葉に違和感を感じる人はいないのではないでしょうか。 

つまり,和の国とは神の国であり,和の国に住む私たちは和の民「神の御子」となります。

これが大和民族と呼ばれる所以です。(わたし個人の解釈です。)

ですから,和の国に住む日本人としての誇りを持たねばなりません。

宮司さんや住職さんが護持そのものを支配するとそこには権力が生じてしまいます。つまり,実質的に自己の所有物として支配できてしまうのです。たとえば,護持会や奉賛会の人事権や意思決定の重要な機関の会長や会計監査の任命権であったり,又,工事などを行う業者を選ぶ選任権であったり,金銭などの財産権や処分権です。そのような物質的な支配権を握ってしまうと当然,自己の身を権力構造の中に置くことになってしまいます。しかしながら,権威は違います。権威とは多数の人(大衆)が権威者に自ら付き随うと言う意味合いですから,目先の損得や感情,金銭に躍らさせれることはないのです。逆に,それでは権威ではありません。

いつものように話は変わりますが,天皇は日本国の象徴であると云う大前提があります。それでは,外国人に天皇とは何ですか?と尋ねられたら,私たちは何と答えるのか?です。私は胸を張って「祈」祭祀と答えます。自然をも支配する思想を持った外国人には解かりにくいかもしれませんが,天皇霊を宿すと云う意味は祭祀の最高位に就く訳です。最高祭主です。過去の日本の歴史を見ると,天皇陛下が祈り「祭祀」を蔑ろにすると災いが起きて来ました。それが私たちが暮らすこの「和の国」日本であります。

この様な話をすると毎度の如く,左派の人々(特に,某討論番組に出演している論客のみなさん)が「それでは天皇は祈っていれば良いのか!」と言われますが,もっと政体と国体を勉強してほしいと思います。和「神」の国は,祭祀に基づいて政治を行うのであります。朝廷と幕府の関係でも分かる様にです。その証拠に,どんな権力者であっても天皇にはなれなかったのです。せめて自分の娘を天皇家に嫁がせるとか,南北朝時代のように南朝と北朝とに分けるぐらいでしか当時の権力者も出来ませんでした。

話を戻して次回に続きを書かせて頂きます。拝


祈りを忘れた宗教家 ~剣を箒にかえて~ 1

2019年10月18日 05時05分51秒 | 勇気の心柱

 

こんにちは。以下の記事は,過去記事です。

さて,先日は,東京の下町に御鎮座されます神社で,悲惨な事件が起きてしまいました。あの神社地域は,深川と云って東京大空襲の爆心地(中心地)であった場所です。焼け野原となった東京下町の復興を象徴する神社として戦後の下町を支え続けて来たのです。又,大相撲の発祥の地ともされ,地元や東京下町の人々で大いに賑わう御神輿「深川祭」でもとても有名な神社なのです。

先ずは,亡くなった方々の御冥福をお祈り致します。

神社や寺院は,宮司や住職の個別の所有物ではありません。私は神社や寺院の護持やマネジメントをさせて頂く仕事をしていますので「個別の所有物」と考えている宗教家がいることは真に残念なことであります。その様な基本的な事を忘れ,私利私欲に走り,氏子や崇敬者,檀家や信徒のことよりも自分のことを先ず優先させる身勝手さに言葉もありません。

今回の悲惨な事件となった神社を篤く崇敬し,信仰の対象とされて来た参詣者の気持ちを考えると虚しい気持ちにもなってしまいます。もしも,自分が同じように崇敬する神社であのような事件が起きてしまったら凄く悲しいことです。ただ,当該宗教法人の責任役員や総代会のメンバーは別です。神社や寺院の責任役員や総代会のメンバーになるということをこれを機に学ぶべきです。

とにかく神社や寺院の「護持」とは何か?を考えて頂きたいと思います。護持が機能していればと思うばかりです。

護持と云う言葉もあまり聞いたことがないかも知れませんが,護持には主に3つあり,氏子や崇敬者,参拝者における護持。これが1つ目。神社や寺院に建つ礼拝施設などの護持。これが2つ目。そして神社や寺院の運営「経営」の護持の3つです。この3つの護持を総称して「祭祀」と云います。たとえば,神社の境内に落ちているゴミを拾う。これも立派な祭祀ですし,護持であります。

したがいまして,護持と云うのは過去何千年と私たちの祖先が続けて来たものです。

私も業務で神社や寺院のさまざまな起案をしますし,計画の立案もします。そして,責任役員会や総代会へ出席して先の3つの護持について議論をします。中には1つの事柄で200回以上のカンファレンスを積んだものもありました。実際にある話ですが,何十年に一度の観音開帳というような記念事業は,その準備期間も相当なもので10年以上も前から計画の立案作業に着手しています。

しかし,ここでの主体は神社や寺院の神職や僧侶ではありません。あくまでも護持の主体とるのは氏子と崇敬者,寺院であれば檀家と信徒の皆さんです。つまり,神社の宮司や寺院の住職がするものではないのです。私のこれまでの経験上,宮司や住職が護持の主体となるとそこには権力が生じて来ました。この権力こそが宮司や住職には不要なものです。

その理由については,また書かせて頂きます。


神社とお寺で出来る公益活動 人の護持編

2019年10月17日 04時34分41秒 | 祭祀と和の国

 

こんにちは。神社とお寺の総代を動かせ!と自分の身体の中から声なき声が聞こえた日がありました。

突然,大きなわけの解からないフロー図を貼らせて頂きましたが,これ,約8年程前に埼玉県にある寺院で実際に「お寺で出来る公益活動PJ」の第1弾として起案「計画立案」したものなのです。いらっしゃらないとは思いますが,万が一,神社や寺院の関係者の方がこのブログをご覧になっているようであれば,是非とも氏子崇敬会や檀家総代会などで議案の提出を考えて見て下さい。

実際の波及性効果は抜群です。

フロー図の設置後の二次効果で茨城県の寺院では高齢者のリフォーム詐欺を事前に防止出来ました。

これ以外にも神社の氏子崇敬者さんや寺院の檀家さんの特性に応じて様々な起案が総代会や世話人会で出来ると思います。神社やお寺の中に「和の仕組み」を作って戴きたいと願っております。起案作業であれば,各方面の専門家を交えなくても自由に氏子さんや崇敬者さん,檀家さんたちとカンファレンス「会議・検討・協議」ができると思います。一般の参拝者にも自由意見として拝聴するのも良いかも知れません。いろいろな考えや意見が出て来ると云うことはとても良いことではないかと私は感じています。

そもそも今日はなぜ,このような大きな貼り紙をさせて戴いたかと云うと,前日,天川村と天河大弁財天社の連載記事で神社の護持について書かせて戴きました。その際に,現在の総代会を改革し天川村在中の氏子さんや全国に居る崇敬者さんの無料法律相談会等を提案させて頂いたと思います。つまり,総代会が主体となり,公益目的の一環として活動することを趣旨とした計画です。

そう云ったことから,実際に総代会で議案提出となった資料を載せております。上に貼ってあるフロー図では「買い物弱者支援及び御用聞き部門」と表記していますが,どんな事柄でも応用が利きます。たとえば,犯罪防止でも良いですし,災害弱者支援と云う計画案も素晴らしいと思います。助けに来てくれるかどうか解からない状態での被災は精神的にとても辛いものがあります。

それにしても,なぜ御用聞きなのか?と思われるかも知れませんが,この御用聞きを計画案に盛り込んだのにはそれなりの理由が御座いました。その理由とは,埼玉県が県民に対し買い物困難者に関する意識調査なる名目で自由意見を求めたときがあったのです。その際に,埼玉県民の方たちの意見の中でもっとも多かったのが御用聞きであったのです。どこの都道府県でも意識調査はされていますので情報の収集と情報の分析にはとても役に立つことが出来ました。社会福祉関連であれば厚生労働省でも教えてくれます。

社会の様々な問題を地域の特性に応じ,又,地域の弱みと強みを上手く活かせることが出来れば一つのモデルケースになると考えます。過疎地域にある神社やお寺の場合の地域として特性。逆に都会にある神社やお寺の地域の特性などはぜんぜん違います。経済状況も人口の構成も違います。過疎地域では人が少ないですが,逆に都会では食料生産能力がなかったりと地域によってバラバラなのが日本の1つの特性のようです。そう云った違った様々な環境の地域の中に神社やお寺はあるのですから,地域と共に共存共栄する神社と寺院であります。それを後方から支援するもの全国に存在する崇敬者さんたちの声や力でもあると私は考えています。

今日は,前回の天川村と天河神社の記事の補足として書かせて戴きました。

たとえば,上のフロー図で言えば「買い物弱者支援及び御用聞き部門」を運営する母体が総代会となります。

今日も明日も明後日も。日本弥栄!拝


天川行ったらこっちも寄ってよ。丹生川上神社下社。2

2019年10月16日 05時37分41秒 | 美しき水の国

こんにちは。

わたしが個人的に感じている丹生川上神社下社は古神道の祭祀場です。

古から伝わる古神道(自然崇拝に祖霊祭祀)を伝える神社もそして宮司さんも神職さんもすっかり存在しなくなってしまいました。神社に行ってもお寺に行っても御利益の話しや祈祷の受付ばかり大きくなって行き寂しい感じもしています。もうこれ以上,任せてはおけぬとすべての衆生を救うまで我,仏界には戻らずと救済の為に,山を下りた観世音菩薩は今でも裸足だと云うのに・・・。しかし,その様な中でも希望もあります。それは,最近の若い人たちが本来の日本信仰に目覚めはじめて来ていると云うことです。もしかすると,現在の宗教家よりも一般社会に居る若い人々の方が宗教家と云えるのかも知れません。わたしは個人的に古神道系の神社に期待している部分もあるのです。古神道を後世に伝えることで日本人の魂に再び息を吹き込めるのではないかと真剣に考えてもいます。このままでは日本人としての誇りだけではなく,民族そのものが存続できるかと云うくらいのところまで来ているように感じています。勿論,そんなことがあっては絶対にいけません。しかし,私たち日本人は少し資本主義に浸かり過ぎた感じもします。

それでは,昨日の続きです。

龍は,人間どうしの争いをとにかく嫌います。どうやら騒がしいのが苦手なようなのです。心優しい龍は,争いを嫌い里山の奥深くにその身を隠していると云う伝説もあります。人間が放つ憎しみや恨みや辛みの気が龍の身体を傷つけているようなのです。龍は,清らかな水を好みます。しかし,人間の激しい気が水の結晶を壊してしまっています。すると,龍は清らかの水を呑むことが出来なくなると云うわけです。丹生川上神社下社を数千年も前から守護している龍神も同じようにその身を隠してきた龍かも知れません。

龍は,清らかな水を呑むと書きましたが,正確には水の結晶を食べているのであります。

ですから,人間の争う気などで水の結晶が破壊されてしまい,龍は水の結晶を食べれなくなってしまうのです。

その後,数か月後にふたたび天河神社から今度は正式に参拝をさせて頂こうと予め予定して丹生川上神社下社へ向かいました。予定通り,神社の参拝者駐車場に車を止めて鳥居から境内に入ると「これか!」と思わず息を呑んでしまったのです。それは何かと申しますと龍神の正体が解かったのです。龍神の正体は建築物にありました。わたしは神社の建築物を撮影することができないので残念ですが写真はありませんが,龍神の正体は建物全体が龍神の身体になっているのです。つまり,拝殿が龍神の口に相当します。

そして,拝殿から裏手にそびえる御神体中腹に御鎮座される本殿まで続く階段が龍神の同体になります。したがいまして,拝殿の中に入ると龍の口の中へ,そして,本殿へと続く階段を登ると龍の同体の中に参拝者はいる事になります。これを観たときは正直,ビックリしたと云うか古来の宮大工の棟梁の霊性と霊格の高さを目の当たりにしました。さらに,完全(観世)に音霊を上手く観て建築されたと感服しました。ここまで正確に音霊「波動」を観れる人は,今では滅多に存在しません。ただ御見事の一言です。

まさに「世」の「音」を「観」る。観世音菩薩です。

わたしも若気の至りで棟梁に負けじと神社から放たれている音霊「波動」を集中して観てみました。すると,現在の拝殿の建築は比較的新しく,元の拝殿は今のような形状ではなく,龍神が大きな口を開けているような唐破風の拝殿であると確信しました。そして,後日,昔の拝殿を調べてみたところやはり,昔の拝殿は唐破風の構えをされていたようです。神社の建築物にも神さまの祈りが籠められております。丹生川上神社下社では大きな龍神が大きな口を開けて真の前の川をの水を呑みに行く姿を宮大工の棟梁が感じ取って建築されました。又,天河神社でも建築物に天河神社の神さまの祈りがちゃんと籠められています。天河神社の拝殿と本殿は親が子供を見守る姿を建物を通して表現して居るはずです。ですから,天河神社へ参拝すると母性を感じてしまうのでしょう。

そんなことを感じさせてくれる神社がこの丹生川上神社下社であります。

明日に続きます。


天川行ったらこっちも寄ってよ。丹生川上神社下社。

2019年10月15日 05時00分20秒 | 美しき水の国

 

こんにちは。地震が少し気になっています。防災意識を高めて行きましょう!

先日まで書かせて戴いて来た,奈良県吉野郡天川村とその天川村に御鎮座される天河大弁財天社「通称:天河神社」をご紹介させていただいたら,やはり,ここの神社もご紹介させて戴かなくてはなりません(笑)。そして何と言っても,宮司さんと神職さんが素晴らしい御方なのです。宮司さんは,古神道タイプの御人ですから御蔭信仰や祈願信仰などの所謂,ご利益話などは一切されない方です。これまでの宮司歴で言いますと近畿圏の名立たる神社の宮司を歴任した後,平成21年の秋に丹生川上神社下社に赴任することになりました。

日本最古の水の神さまをお祀り申し上げる。丹生川上神社下社で御座います。

ここ丹生川上神社も凄い神社で,国家の重大事や天変地異などの国家に危険や危難が及ぶと朝廷から特別な奉幣を賜る国家にとってはなくてはならない重要な神社で,神社の社各を示す二十二社中の一社であるのです。何回かブログでも記事にさせて頂いてきた神社でもあります。わたしが初めてこちらの丹生川上神社下社を目にしたのは,やはり天河神社への参拝後,秘水ごろごろ水を採取した帰りがけに何気なく自動車を走行中に目に飛び込んできた神社でした。今でもその時のことをハッキリとよく覚えております。

天川村から国道か県道を自動車で走行し,室生龍穴神社へ向かっているときでした。その日はわずかながら小雨が降っていました。その走行中,なにげなく右側をフッと見てみると大きな龍が大きな口を開けてこっちを観ています。おもわず急いでブレーキを踏んで引き返して見てみると,そこには古神道系だと瞬時に解かる神社があり水への感謝拝礼所と書かれた立て看板が設置してありました。水と聞くと思わず身体が反応してしまう水マニアの私としては参拝させていただくしかないと思っていたのですが,室生龍穴神社へ着く時間も迫っていたので,その日は,正面の第1鳥居前から礼拝だけを済ませて室生方向へと再び自動車を走らせました。

しかし,そこからが凄い体験をしました。何かと申しますと先程まで小雨であった雨が,丹生川上神社下社を出発したとたんに大雨に変わり,さらに猛烈な雨になってしまったのです。運転するのがやっとなくらいで途中,あまりの猛烈な雨で車を停車させるほどでした。今までにあれ程の雨は経験がないほどでした。きっと,丹生川上神社下社の龍神が外出する時にちょうど私は鳥居に立っていたのかも知れません(笑)。わたしの気枯れに潤いを与えて下さっているような感じもします。その猛烈な雨は,室生の手前でピタリと止み,室生龍穴神社付近では嘘のように青空が広がっていたのであります。それにしても凄い体験をさせて戴きました。

そんな初めての体験をさせて頂いたのですが,家に帰っても丹生川上神社が気になって仕方がありません。そこでいろいろとあの神社の醸し出す雰囲気は何だろうと調べてみると,なんと二十二社中の一社であることが判ったのです。これまでも丹生川上神社下社と云う名称は二十二社の一社でもあると云うことでよく知ってはいたのですが,まさか天河神社の帰り道に存在するとは思ってもいませんでした。しかも,あれほどの強烈な気を放つ神社ですから,時代の古さと先人たちが如何にして神社を護持して来たのかを感じさせます。(創建は飛鳥時代)数千年と龍神が守護する正真正銘の水の神さまをお祀りする神社だと思いました。

龍は,人間どうしの争いをとにかく嫌います。どうやら騒がしいのが苦手なようなのです。心優しい龍は,争いを嫌い里山の奥深くにその身を隠していると云う伝説もあります。人間が放つ憎しみや恨みや辛みの気が龍の身体を傷つけているようなのです。龍は,清らかな水を好みます。しかし,人間の激しい気が水の結晶を壊してしまっています。すると,龍は清らかの水を呑むことが出来なくなると云うわけです。丹生川上神社下社を数千年も前から守護している龍神も同じようにその身を隠してきた龍かも知れません。

そして,2回目に参拝したとき,その龍神の正体が解かりました。

明日に続きます。拝


水の神から。穢すなかれ,汚すなかれ。再掲載

2019年10月14日 05時55分33秒 | 美しき水の国

御覧下さい。そして,次に備えてください。

 

こんにちは。

この度の台風19号の影響により,お亡くなりになられた御霊に心よりお祈り致します。

これまで,このブログで何度も何度も水に関する記事を掲載してまいりました。

その記事の中は,今思い返すと警告にも受け取れる記事や私たち人類への警戒に相当する内容がとても多いものです。 

やはり,繰り返し、繰り返し水に関する記事は今後も書き続けることが私のひとつの使命です。

水を汚せば大空は怒り荒れん。以下は,先月9月28日に掲載した水に関する記事の一つです。

一日の降水量が2000mを超える。こんな言葉を私たちはもうすぐ耳にして行きます。

一日も早い復旧が整いますように祈念します。

 

こんにちは。

昨日は,鹿島神宮にて御神水を賜り,すぐ近くの海で海の神さまにお祈りをして参りました。

帰りがけに,時間がありましたので麻賀多神社にも参拝させて頂くことが出来ました。

麻賀多神社では,いつも通りたくさんの方々が参拝に来られていてにぎわっていましたが,今回の台風での影響なのか境内の鎮守の木々が数本倒れていました。先日の台風から数週間経過した今でも茨城県や千葉県の一部の地域では,復旧作業に追われています。何年か前から,このブログでも水に纏わることを書かせて頂いて来ました。水に関する災害は,これから増々巨大化していくだろうと云う感じがしています。日本と朝鮮半島は,10月から台風シーズンに入っていきますので十分な備えを怠らず,事前の準備と避難想定をして行くことが大事なように思います。

一日も早く,もとの日常生活に戻れるよう祈念します。

 

水の神より

夜空に輝く星々たちは 水に恋をし光り輝く

太古の人はそれを知り 星の輝き目印に

水の湧き出る大地を求め 種々の種植え鎮守の森に

水を穢さず 水を汚さず

人の出入りを固く禁じ 水に感謝し 水奉る。

水が如何ほど尊いか 水は人の命の源

知る人少なき哀れなことよ。

水は万物恵みを与え 誇らず競わず素直に流るる

下へ下へとその身を任せん。

なれど必要あればすべてを祓い 必要あらばすべてを清めん。

穢すなかれよ 汚すなかれ

水を穢せばその身も気枯れ

水を汚せば空も荒れん。

水の如く素直に生きよ 水の如く謙虚であれよ。

逆らわず 競いもあわず 争わず

ただ己の身を低くして

多くの人に恵みを与えよ。


台風19号

2019年10月13日 07時08分20秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

 台風19号の影響により,今現在も救助を待つ人,被災されてしまった方々が一刻も早く安心出来ますように祈念します。


防衛省・自衛隊災害 災害対策Twitter開設

2019年10月12日 08時29分22秒 | 美しき水の国

 


知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。8

2019年10月11日 05時10分50秒 | 美しき水の国

こんにちは。

天川村と天河大弁財天社「通称:天河神社」をテーマにした記事も今日で「その8」になりましたので,末広がりと云う意味でも今日で結びにしたいと思います(笑)。そして,その1からその7まで長々とダラダラと書いてしまったのでその内容を少しだけ整理しながら今日も書かせて戴きたいと思っております。インターネットなどで天河神社を検索するとさまざまな情報を入手できますが,難しいことはさて置き天川村一帯と天河神社は古神道の神域中の神域であると云うことです。参拝すれば何か良いことがあると云った次元ではありません。私はむしろそう云った所謂,願掛け信仰では参拝されない方が良いのではないかとさえ感じています。

南朝の天皇家が吉野を本拠地とした理由もここに在るのかも知れません。

そして,役行者さんや空海さん,日蓮さんの最大の修行の場となったのも解かるような気がします。

大自然や自然のエネルギーが強いところほど本来,易々と人間が立ち入って良い場所とは限らないのです。このブログでもこれまで書かせて戴いて来た御神体への入山にしてもそうです。その証拠に天川村一帯からは平安時代以前の遺跡物が見つからないと言われている所以なのです。流行りのスピ云々,霊能云々と云った御一行での興味本位の参拝はくれぐれもご注意された方がご自身の身の為です。さわらぬ神に何とやらと云う言葉もありますから。願いを掛けるという「願掛け」の言葉を一旦,ぜんぶ「ひらがな」にして,ご自身で別の漢字を当て嵌めて見て下さい。漢字を当て嵌めると本来の言葉の意味とは全く違うものとなることもあるのです。

それでは,その1からその7までの記事を整理しながら書かせて戴きます。

その1では,奈良県吉野郡に天川村と云う自然に恵まれ,水の聖地があると云うことを書かせて戴き,その水の聖地には太古から水の神さまをお祀りしている天河大弁財天社「通称:天河神社」と言う古神道系の神社が今も御鎮座されていることをご紹介させて頂きました。又,たくさんの芸能人や芸能関係者,企業経営者の参拝者も多く,神社を運営する為に必要な資金が不足しているようにも感じていましたので,神社を運営するには護持を司る総代会の組織を改革し,崇敬者さんの中から総代会に参加してもらい一般の参拝者とともに古神道の成り立ちや歴史,国家神道と神社神道の違いを学べる機会を設けることを強調させていただきました。

その2は,無視して頂いて結構です。つい,私事を書いてしまったので,あまり面白い話でもありませんので(笑)。

その3では,天河神社だけに限った事ではなく,現在,神社の運営は実に厳しい環境下に置かれていて,これからも人口の急激な減少も相まって増々,神社を運営して行く環境は厳しい状況下におかれて行くということを書かせて戴き,記事の最後に神社を運営・護持して行く上でもっとも資金が必要になるものが神社の祭祀施設「建築物」に在るのだと云うことも書かせて戴きました。

その4では,上記,その3の内容に基づき,特に自然災害のような場合になると突発的な資金的困難に陥ることがあるので,そういった困難な事柄に直面した場合,はたして氏子さんだけで神社を護持「御守り」することが出来るか否かと云ったことを問題提起させて頂きました。その為には,やはり全国に存在する崇敬者さんの力添えがなければ難しいと云うことも書かせて戴きました。

その5では,あらためて天川村と云う場所の素晴らしさを伝えさせていただきました。星々の輝く光がとても強く,わたし達の祖先は,天空に光り輝く星々で水の聖地であることを感知していたのではないかと云う私なりの感想も書かせて戴きました。天川村は世界に誇る水の聖地であります。そして,神社の護持には3つの役割「柱」があることをご紹介させて頂きもしました。3つの護持とは「神社本体の運営」と「祭祀施設でもある建築物」そして何よりも大切な「氏子崇敬者と一般参拝者」の3つの護持でした。

その6では,上記の3つの護持をバランスよく意識して神社の運営に役立てて行くことが大切なことであり,さらに,人の護持をより具体的に具現的にするために法律家などの専門家と提携して,予め氏子さんや崇敬者さんの生活に万が一の不測の事態が起きた場合も事前に想定し対処できる仕組みを書かせて戴きました。そして,不定期ですが法律家による無料法律相談会を開催することを提起させて頂きました。これはとても大切なことで,わたしも実際にお寺ですが実例が幾つか御座います。最後の方で少し,神社が護持を司るようなことはせずにあくまでも神社の護持の主体となるのは氏子崇敬者さんであると云うことも書かせて戴きました。

その7では,護持の話をメインに,天河神社の祭祀行事に日本古来から伝わる重要な祭祀の一つでもある祖霊祭祀を神道に復活させてはどうかと云うことを書かせて戴きました。祖霊祭祀「先祖供養」は,本来お寺の役割ではなく,神道の役割であったと云うこともお伝えさせて頂きました。そして,祭祀の祭は氏子さんや崇敬者さんが担う護持にあり,祭祀の祀は神社の宮司さんや神職さんの役割であると書かせて戴きました。つまり,祭祀には祭と祀と云うそれぞれ別々の役割があるということをお伝えいたしました。

ざっと,その1から昨日のその7までを少しだけ整理しながら再度,書かせて戴きましたが,やはり,今の神社神道に必要なのは温故知新であります。神社本庁を頂点として全国に都道府県神社庁を傘下に置いて,各地域の神社を統括して行くような組織形態の意味はどこにあるのでしょうか?神社庁に所属している地域の神社の宮司さんは神社本庁や所属する神社庁の顔色ばかり窺いっているのではないでしょうか?ましてや,政体「統治」を司る政治に口を出したり,一方,政治家が祭祀に口を出すような姿勢は,日本本来のまつりごとではありません。宗教団体が政治政党を結成し,国政に関与すると云うことがどう言ったことであるのか?

以前にもこのブログで天皇陛下の国体論と政治家の政体論を書きましたので宜しければ参考にお読みください。国体とは「祭祀」であり政体とは「統治」を意味します。この2つが合わさって結びとなります。なにか国体と政体と云うと概念が大きいですが,たとえば神社「祭祀」と氏子崇敬者さん「統治」の関係も同じであります。祭祀を執り行う国体には国体としての務めがあります。統治を行う政体にも政体としての役割がちゃんとあります。何かその大切なことを忘れてしまっているように思えてならないのです。

声を大にして言いたいのですが「統治は祭祀に付き従い,祭祀は君臨すれども統治せず」これが日本と云う国家です。

これまで天河大弁財天社には,何度か参拝をさせて戴きましたがとても優しい波動をいつも感じています。まるで自分の母親のような波動です。京都にも天河大弁財天にとてもよく似た波動を感じる神社が御座います。それは京都に御鎮座される貴船神社であります。貴船神社の奥宮と天河大弁財天社の波動は本当に良く似ています。貴船神社も天河神社も共に水の神さまをお祀りしております。以前から,このブログでも何度か天川村の秘水でもある「ごろごろ水」をご紹介して来ました。我が家の神棚の神さまへ天川村のごろごろ水をはじめて奉納できた時の感動は未だに忘れることが出来ません。御水マニアの私としては,ここ天川村の秘水は唸るほどの名水であります。水そのものから発している波動がもの凄いのです。満天の星々がキラキラと輝き恋するほどの御水です。

近年は,山道の整備も実行されて天川村へ行きやすくなっています。

奈良県へ旅行などに行かれる方には是非ともおススメしたい場所であります。

水の神さまへ。感謝。