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さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

新大関は何故負けるのか?

2023-09-22 | 浮生は夢

親分、心の安定という話ですが、新大関はどうして勝てないんでしょうか?これも心の安定の問題でしょうか?

その通りだ。大関になるということは大変なことで、力士にとっては夢のような地位なんだよ。関脇時代に3場所で33勝することが目安と言われている。このハードルは結構難関なんだな。最大の難関はその目安に近づいて来ると、周りが騒ぐだろう。本人も物凄いプレッシャーがかかって来るんだ。そんなハードルを乗り越えて大関になるんだよ。

大変なプレッシャーだと思います。でも、そのプレッシャーを跳ね除けて、凄い力を発揮しますよね。ところが、大関になってしまうとその力が全然発揮されないというのが不思議なくらいなんですよね。

そこが心の安定が出来ないからなんだよ。大関になると、先ずマスコミが大勢取材に来る。出身地では後援会が出来たり、大小のファンクラブが出来たりするんだ。あっちこっちからお呼びがかかるよな。ファンは大事にしなくてはと出かけて、大歓迎を受ける。気分はいいが、これが落とし穴なんだよ。

次の場所に備えて稽古はするんだが、目の前に大関と言う目標があった時とは違って、力が入らないんじゃないかな。新横関として場所を迎えると、周囲の期待はさらに大きくなる。勝たねばいけないと新たなプレッシャーがかかって来るんだ。この勝たなくちゃというプレッシャーで、思い切ったことが出来なくなるんだ。相手は新横関を食ってやろうと思い切りぶつかって来る。この差が出るんだ。もともと幕内上位の関取は実力は紙一重なんだよ。だから心の安定を少しでも欠いた方は勝てないんだ。

成程、だから新大関は勝てないんですね。心の問題なんだ。それにしても、白鵬は強かったですね。心の安定が並みじゃなかったということですか?

そう思うね。白鵬は恵まれた体力、精神力があったとは思うんだが、それだけじゃないな。何か心の修業を積んでいたと思うな。相撲についてばかりじゃなく、人間学についても、相当勉強していたんじゃないか。

モンゴル出身ということで、相当な障害というか、足枷があったんじゃないかと思うんですが、その中であの偉業ですからね。大したものですよ。

そこへ行くと日本人力士は恵まれた環境が、ここ一番という時に実力を発揮出来ない要因なんじゃないか。大関までは何とか届くが、横綱には届かないからな。せっかく届いた稀勢の里は残念だったな。無理をして大けがしてしまったからな。

モンゴル出身力士と日本人力士の差は心の問題でしょうか?

そう思うよ。やはり故国を離れて、命がけで挑戦しているんだから、その覚悟が違うよな。当分、横綱はモンゴル出身が続くんじゃないか。日本人力士の健闘を祈ってはいるが、中々無理じゃないかな。

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美人に生まれたら幸せか?

2023-09-21 | 浮生は夢

親分、今日もよろしくお願いします。

今日はな、美人に生まれたら幸せか?というテーマで話をしようじゃないか。女性にとって美人に生まれたらいいよね。何を着ても様になるし、歩いていても颯爽と見えるし、誰でも憧れるよな。

差別する訳ではなくても、何となく隅には置かないですよね。何かと得をする存在になるんじゃないですか。

そうだよね。ところで、じゃあ、美人に生まれたらそれで幸せか?という問題だ。お前はどう思う?

取りあえず、幸せですよね。不美人に生まれるよりは幸せですよ。でも、それだけじゃありませんからね。やはり、その美人が毎日どう生きるか、どんな人たちとどんな付き合いをするかによって、幸せだったり、不幸だったり、すると思いますよ。

そうだよな。美人が全て幸せになれる訳ではないし、その後の人生を見て見ないと解らないよね。かえって、美人に生まれたことが悲劇のもとになるかも知れないよな。要するに、人が生れて来たとき、色々な条件のもとに生まれて来るよね。お金持ちだったり、貧乏だったり、頭が良かったり、悪かったり、スポーツが得意だったり、苦手だったり、都会に生まれたり、地方の片隅にうまれたり、様々だよな。

そうですね。どんな親のもとに生まれるかはその人が選べることじゃないですからね。恵まれる場合もあれば、恵まれない場合もありますよね。結婚だってそうでよ。恵まれた結婚もあれば、恵まれない結婚もありますし、最初は恵まれていても、ある時から恵まれない状態になる場合もありますからね。本人の努力の問題もあれば、努力じゃどうしようもない場合もありますよね。

そうだな、誰もが幸せを望んでがんばっているけど、なかなか思い通りに行かないのが俺たちの人生だよな。会社生活だって、上を目指してがっばって、ようやく上の立場に立ったとする。そこは幸せなのかというと、もっと大変な状態が待っていたりする。命が縮まるような目にもあったりする。よほど平社員の方が良かったと思ったりする。

そうですね。外からでは解らない世界がありますからね。

俺が何が言いたいのかというと、大変な時はもちろんだが、そうでない時も、どんな時でも心の安定が大事なんだということなんだ。努力が報われて、好調の時も、人気が出てきた時も、反対に不調の時も、人気がなくなった時も、平常心でいることが大切なんだ。心の安定がグラグラしてくると、好調の時は落とし穴が待っているし、不調の時はさらにひどい目に遭うものなんだ。

どんな時にも心の安定ですね。

そうさ、お金持ちになろうが、会社の社長になろうが、美人と結婚しようが、そんなことで幸せにはならない。場合によっては、禍のもとになることもある。世の中は自分の味方ばかりじゃないからな。人には怨み、妬み、嫉妬というのがある。これが結構厄介な奴で、場合によっては犯罪も引き起こす。だから、晴れがましいことがあったら、注意しないといけない。決して自慢するような態度はダメだ。謙虚でいることだ。だから、良いことがあっても、悪いことがあっても、心の安定が必要なんだな。

成程ね。人生には良いこと、悪いこと、何でも来ますからね。

「禍福は糾える縄の如し」という言葉があるんだ。だから良いことがあっても、悪いことがあっても、慌てずに、落ち着いて、常に謙虚でいることだな。そうすれば、大きな間違いをしないで人生を送ることが出来るというものだ。

解りました。僕は良いことがあると喜びすぎるし、悪いことあるとつい何時までも引きずっちゃう傾向があるから気を付けましょう。

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心の安定

2023-09-20 | 浮生は夢

親分、ご無沙汰しました。

いやいや、こちらこそだ。とにかく今年の夏は異常な暑さだったからな。もう少しで俺も参ってしまうところだったよ。どうやらこうやら、猛暑もそろそろ収まる頃だろうから、又、始めようじゃないか。ところでな、このシリーズの4番目に「衣食住楽」というのをやったよな。

やりましたね。人は衣食住の他に何が満たされれば、幸せなのかというテーマだったですよね。それで、親分は楽しみを加えて「衣食住楽」と言ったんですよね。

そうだったな。でも、その楽しみを楽しむためには、ただ好きな事を持てば良いということにはならないよね。例えばだ、ここに人を殺して来た人が居たとするよな。そいつの楽しみは旅行することだとするよね。旅行する金も時間も充分あるとするよね。じゃあ、そいつは楽しんで旅行することが出来るだろうか?

それは楽しめないんじゃないでしょうか。罪の意識が付いて回るというか、おちおち旅行なんかしてはいられないでしょう。

そうだよな。そうすると、楽しみを楽しむためには胸を張ってというか、誰にも気兼ねしないで楽しみたいよね。

そうですよね。人に知られたらまずいという楽しみじゃいけませんね。違法なことは絶対本当の楽しみにはなりませんからね。

そうだよな。例えば、盗んだ金を持って銀座のクラブで遊んだとしても、心から楽しめることはないだろうな。何か後ろめたさがつきまとうだろう。

楽しむためにも正々堂々とした生き方をしなけりゃいけないということですね。

そうだ。「天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行く」これは孟子の言葉なんだが、誰にも憚ることなく、誰にも臆することなく、遠慮することもなく、正々堂々と生きてこそ、本当の楽しみというのは自分のものになるんだよ。

楽しんで生きるということは生易しくはありませんね。

心の安定がなければ、本当の楽しみは得られないと思うんだ。例えば夫婦喧嘩している時に飲みに行っても面白くないだろう。心の安定がないからだ。だから俺たちは常に心の安定を意識していることが必要なんだな。それが仏教でもあるんだ。禅でもそうだが、何のために座禅するかと言えば、心を安定させるためだと思うんだ。座禅している時だけじゃなく、常に心の安定を意識することだな。

そうですか。心の安定を常に意識することですね。直ぐに忘れてしまいそうですけど、それが大事なんですね。

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桓武天皇から始まった平安時代

2023-09-04 | 浮生は夢

桓武天皇(737~806)

親分、奈良時代に仏教の権力が強くなっていたということが解りました。ところで奈良から京都に遷都したのは桓武天皇ですよね。そして桓武天皇が最澄を遣唐使として唐に新しい宗派を学ばせるんですよね。桓武天皇の時代から平安時代になりますが、時代は本当に平安だったのでしょうか?

なかなか鋭い質問だな。実はな、平安どころか大変混乱していた時代だったんだよ。大体遷都なんてことをするのは平安じゃないからなんだな。前回話した道教の事件があったくらいだから、そこに子のいない女帝・称徳天皇が52歳で亡くなった。次の天皇は既に64歳の光仁天皇だが、8年後に息子に譲位している。その息子というのが、44歳の桓武天皇なんだよ。781年のことだよ。

ようやく安定するんですか?

ところが、ますます大変になるんだ。先ず最も信頼していた大臣・藤原種継が4年後に暗殺される。当時、朝廷の中心にいたのは藤原氏で対立していたのが、大友氏と佐伯氏だった。悪いことに、皇太子だった弟の早良親王が大友氏側にいたという嫌疑があったんだよ。

それは大変ですね。骨肉の争いになってしまいますね。

そうなんだよ。桓武天皇はやむなく相良親王を幽閉したのち、淡路に流刑するんだ。無実の罪と訴える相良親王は心労が祟って流罪先で亡くなってしまう。

気の毒なことですね。

ところが、その後次々と不幸に見舞われるんだ。夫人の藤原旅子、母の高野新笠、皇后の藤原乙牟漏(おとむろ)が相次いで亡くなるんだ。その上、自分の長男・安殿親王までも病気にかかったんだ。相次ぐ凶事にたまりかね、天皇は陰陽師に占わせる。すると、「相良親王の祟り」だという。

どん底に落とされたようなものですね。桓武天皇はそこから立て直すんですか?

794年、相良親王が幽閉されていた「長岡京」から「平安京」に遷都した。死んだ相良親王には「崇道天皇」の諡名を贈り、諸国の国分寺で読経法要をしたんだ。

そうでしたか、桓武天皇も大変だったんですね。遷都の理由が解りました。

その後に、出直しを図る意味でも最澄を唐に送り、新仏教による立て直しを考えたんだろう。そして、比叡山延暦寺に天台宗が始まるんだよ。その他にも桓武天皇の業績としては坂上田村麻呂を征夷大将軍にして計4回の蝦夷(えみし)の討伐をやっているんだ。蝦夷とは関東から東北、北海道のことだよ。それが桓武天皇の25年の治世で、約400年続く平安時代の原点になったんだ。

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皇室の大事件「宇佐八幡宮神託事件」

2023-09-04 | 浮生は夢

道鏡

道鏡(700~772)

親分、ちょっと歴史を後戻りさせて申し訳ないのですが、奈良時代に僧侶の勢力が強くなり過ぎたから京へ遷都したということでしたよね。何か大きな事件のようなことがあったのでしょうか?

そうだったな。詳しく説明しなかったが、実は僧侶が朝廷にからむ大きな事件があったんだよ。大仏を建立したのは聖武天皇だったよな。この聖武天皇は仏教にのめり込んで、天皇の後継者も定まらないまま自ら上皇になってしまったんだ。男子は生まれて直ぐに夭折していて、皇女が1人いたんだ。その皇女が6人目の女帝・孝謙天皇となったんだ。聖武天皇の皇后だった光明上皇后が健在中は良かったんだが、上皇后が亡くなると、天皇としての重圧から孝謙天皇は長い病に臥せってしまうんだ。

天皇なんて、大変な重責ですからね。それでどうしました?

大臣の藤原仲麻呂は天武天皇の皇子を淳仁天皇として即位させ、孝謙天皇には上皇になってもらった。その孝謙上皇の病を看病していたのが僧侶の道鏡だった。孝謙上皇は道鏡のお陰ですっかり元気になったんだな。道鏡と仲良くなって、いつも一緒にいたんだ。これが問題になってしまうんだよ。

つまり男女の関係ですね。相手は上皇ですから問題ですね。

藤原仲麻呂は二人が余りにも接近するのはいかがなものかと、淳仁天皇に注意してもらうことにしたんだ。ところが注意された孝謙上皇は激怒し、「大きなお世話よ!あんたは私のお陰で天皇になったんじゃないの!その私に説教するの!黙りなさい!」それから上皇と道鏡側と、天皇と藤原仲麻呂側にひびが入り、ついには戦争になって藤原仲麻呂は殺され、淳仁天皇は流罪になってしまうんだよ。

それは大変な事件ですね。それからどうなりましたか?

孝謙上皇は現役復帰で称徳天皇になるんだよ。絶対の信頼を持った道鏡を大政大臣禅師とするんだ。道鏡は最大の権力を得て一族を次々と官職に付けるんだな。奈良の都は大混乱になっていく。さらに大事件が起こるんだよ。

さらなる大事件ですか?

道鏡は野心のとりことになって、自分が天皇になることを計画したんだ。大宰府の主神に「天下泰平には道教を皇位に就けることなり。」という宇佐八幡宮の神託があったと称徳天皇に奏上させたんだ。何も知らない称徳天皇は世の中が治まるならと乗り気になったが、神託の真偽を確かめるために、家臣の和気清麻呂を宇佐八幡宮に派遣するこにした。道鏡は清麻呂に「吉報を持ち帰ったら、お前の出世とお前の一族郎党全員を宮中に抱えてやる。」と言い含めて宇佐八幡宮に行かせる。

清麻呂の忠誠心が問われますね。

和気清麻呂が改めて受けた神託には、「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし。」とあった。清麻呂はそのまま宮中に持ち帰ったんだ。

無道の人というのは道鏡のことですね。早く追い払えという神託ですね。

そうだ。769年のこと。「宇佐八幡宮神託事件」といって、危うく皇室の歴史を揺るがす大事件だったんだ。これは道鏡と弟、大宰府の主神が仕組んだことが後で解ったんだよ。しかし、和気清麻呂はたいへんだった。称徳天皇からは「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」と改名させられ鹿児島へ流罪になる。道鏡はその途中で暗殺しようとするが、辛くも失敗する。翌年770年に称徳天皇は亡くなり、道教は遠く下野国に左遷され、世を去った。和気清麻呂は復帰して、桓武天皇のもとで要職に就き大活躍したという話だ。

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