さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

仏教の日本伝来(3)~本地垂迹説

2023-04-18 | 浮生は夢

聖武天皇(701~756)

親分、聖徳太子が創建した寺は今でもあるんでしょうか?

あるとも。太子が創建した主な寺を七大寺と言われるんだが、今でも健在だよ。中でも四天王寺や法隆寺などは有名だからお前も聞いたことはあるだろう。

そうすると、太子が憲法で「篤く三宝を敬え」と唱えたからには、古来からの神道はいらないことになってしまいますね。

それが、そうでもないんだよ。聖徳太子は仏教の寺も次々と創建しているんだけど、一方で神道の神も篤く祀っているだな。太子が創建した四天王寺の境内には鳥居があり、伊勢遥拝所、熊野権現遥拝所、守屋祠があるんだ。

聖徳太子には他にも仏教を広める功績があるんですか?

太子はかなりの高僧と言っても言い過ぎじゃないほど、仏教に精通していたんだよ。法華経、維摩経、勝鬘経(しょうまんぎょう)という三つの聖典を解説した「三経義疏」を著しているんだ。日本では鎌倉時代に次々と今日の宗派が形成されるんだが、その基本は法華経だと言われいるんだ。そして各宗とも母体となったのは最澄が開祖である天台宗だと言われている。その最澄が最も影響を受けて学んだのが聖徳太子が著した「三経義疏」なんだよ。

聖徳太子って凄い人なんですね。太子は神道を否定して仏教を起こそうとした訳ではないんですね。

そうなんだ。神道は国の守り神として、仏教は人心を一つにするために敬ったんだろうな。両方大事だったんだ。それが日本では矛盾しないで、長く両立していたんだから日本人の不思議なところでもあるよね。尤も、神道は宗教を超えるような自然崇拝だからな。神道の国の中に仏教があってもおかしくはないのさ。

でも、それはおかしいという人だっているんじゃないですか?

成程な。確かにおかしいという論争は常にあったみたいだよ。聖徳太子いらい益々仏教が盛んになってきて、終には出家する天皇まで出たんだよ。東大寺に大仏を建造した聖武天皇なんだ。その頃の神道の神々と仏についての関係をとく理論として、日本の神々は仏の化身なんだという「本地垂迹説」が広まるんだよ。

そうですか。それで日本人は違和感を持たずに納得したんですかね。

でもな、鎌倉時代になると、今度は「反本地垂迹説」といって、仏が神の化身だという説も出ているんだ。どっちが真実かは知らないが、所詮人間に解る世界ではないと思っているよ。

とにかく聖徳太子いらい日本は仏教国になったんですね。

仏教が浸透したというのは、それだけ日本人のレベルが高かったからとも言えるよな。

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