さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

仏教の多様化(2)~7つの宗派

2023-05-24 | 浮生は夢

親分、中国にとって当時の仏教は政治的にもぴったりだったんでしょうね。

そうなんだ。唐王朝にとっては人心安定になくてはならないものだったんだ。その点では、発祥元のインドでは段々と仏教は離れていき、ヒンドゥー教が次第に定着していったんだよね。

そうですか、仏教の中心は中国や朝鮮、日本になって行くんですね。

うん、タイやインドネシア、ベトナム、それにチベットなんかは仏教国になるんだよね。

解りました。ところで、唐王朝では仏教の色んな宗派が出来るんですよね。どんな宗派なんですか?

いいか、華厳経を基本経典とする「華厳宗」、法華経を基本経典とする「天台宗」、玄奘を始祖とする「法相宗」、極楽浄土への往生を説く「浄土教」、戒律を研究実践する「律宗」、座禅修行により仏道を極めようとする「禅宗」があるんだが、その後にインドから新しく秘密の呪法の伝授、習得により悟りを開こうとする「密教」が加わって、主な宗派だけでも7つはあるよ。

覚えきれませんね。どうしてこんなにあるんですか?

だから、さっきも言ったように、仏の世界は解らないんだよ。だから、解釈の違いや仏道への取り組み方の違いが様々なんだ。ただ、やり方は違っても一心不乱に精神を統一して取り組もうするのは一緒だな。

そうですか。ただお寺に行って、念仏を唱えてくれば良いというもんじゃないんですね。

人それぞれだから、それで良いと思えばそれでいいんだよ。心が安心して穏やかに暮らしていければいいのさ。ただ、生死にかかわる悩みとか、重大な問題を抱えた時に、心を落ち着かせてくれる宗教として、役に立つかどうかが問われるんじゃないかな。お寺の坊さんに相談して解決出来るかどうか。その坊さんが果たしてどこまで、応じてくれるかが問題だよ。ただ、法事だけやっているお寺じゃ頼りにならないよな。

そうなんですよ。本当に困った時に、救いの手を差し伸べてくれるのが宗教じゃないですか。

そうだろう。だから、普段から学んでいる必要があるんだ。お寺の坊主に頼らなくても、自分で自分の生き方は学ばなくちゃいけないよ。解らないなりに少しづつ、やって行くんだ。「自覚聖智」という言葉があるんだ。これはな、人から教わるんじゃなくて、本人が気が付くということが、その人の聖智なんだよ。だから「色即是空」とか「諸行無常」とか難しいことなんか知らなくても、自分にとって、元気になれる考え方を知ってる方が大事なんだな。

例えば、どんなことですか?

あのな、旦那を亡くして、元気を失くしていたある女性がな、ある時から元気を取り戻したんだよ。その時、彼女が言った言葉がな、「天国っていい所なんだよね。だって、天国へ行った人は帰って来ないじゃないの。いい所だから帰って来ないのよ。」だったんだ。これは正にその人にとっては聖智なんだよ。他人からみたら、そんなの当たり前だというだろうけど。その人にとって納得出来る考えだったんだよね。だから俺達も普段から、自分の聖智を作って置かなければいけないってことさ。

成程ね、「自覚聖智」ですか。僕なりの「自覚聖智」を作らなきゃいけないな。がんばろう。

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