さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

達磨から禅が始まった。

2023-09-04 | 浮生は夢

宮本武蔵による達磨像

親分、いよいよ禅について考えてみたいのですが、いったい禅というのは何なんですか?

座禅することで知られているが、本当は何なのだろうか。勿論、仏教の一つの宗派ではあるんだろうが、他の宗派とは違う気もするし、一緒に考えてみようじゃないか。

先ず、禅というのは何処で、そして何時から始まったのですか?

うん、仏教の発祥地であるインドだろうとは思うんだが、はっきりしないらしいんだ。中国に伝わったのは5世紀の後半に達磨(ダルマ)が有名になったのが始まりのようだな。南北朝の宋の時代にやって来たと伝えられている。出身については良く解らないらしいが、南天竺の国王の王子として生まれたとか、ペルシャ生まれで各地を歩いて中国にやって来たとか、中国に来た時は齢150歳になっていたというのさ。

達磨と言えば、武帝とのやり取りが有名ですよね。

南朝の梁(りょう)を治めていた武帝が達磨を呼んで質問する話だな。

武帝は質問した。「わしは仏教を信仰しており、各地に寺を作り、僧を招き、経を広めた。どんな功徳があるだろうか?」 達磨「功徳はありません。」 武帝「何故、功徳がないのだ?」 達磨「人間界の功徳というものはただの煩悩です。仏の世界では何の価値もありません。」 武帝「真の功徳とはどのようなものだろうか?」 達磨「この世は空です。功徳は求められるものではありません。」 武帝「ではこの世に聖なるものはどこにあるのか?」 達磨「聖なるものなどどこにもありません。」 武帝「いったい、お前は誰なのか?」 達磨「知りません。」

結局、武帝はおちょくられたと思ったのだろう。そのまま武帝を返したという話だ。

確かに武帝にしてみれば、おちょくられたと思うでしょうね。

まあ、これも伝説だからな。ただ、人間界と仏の世界とを考えるヒントにはなりそうな話だよな。

達磨はその後どうしたんですか?

言い伝えによると、崇山少林寺にこもって、9年間の座禅をしていたとされている。達磨は簡単に弟子をとらない僧だったが、神光という僧が熱心に弟子入りを求めた。ついに入門することになり、名を慧可(えか)と改めた。この慧可が第2祖となり、中国に禅宗が広まったとされるんだよ。

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