ドイツが密かに「独自の核保有」を検討しだした複雑な事情
世界は決して「軍縮」などしていない
現代ビジネス 2018.08.24 川口 マーン 惠美 作家
■トランプが離脱した「イラン核合意」
ドイツのメディアは、トランプ米大統領のことは、彼が大統領に就任する前から現在に至るまで、バカか変人扱いしてきた。
ツイートばかりしている大統領がまともなわけはない。イスラエルの米大使館をエルサレムに移すのも、金正恩と握手するのも、NATO諸国はもっと経費を負担しろと脅すのも、中国に貿易戦争を仕掛けるのも、すべて気まぐれで、衝動的なだけ――。
だから、8月6日の夜、第2テレビのキャスターがワシントン特派員に向かって、「現在の米国のイラン政策では、トランプ大統領にはどのような戦略があるのでしょうね」と質問したとき、私は「トランプ大統領に戦略などないでしょう。いつもの気まぐれです」という答えを予想した。
ところが特派員は真面目な顔で、こう言ったので、私はびっくりしてしまった。
「次のことをよく理解しなければいけません。このハードなイラン政策は、トランプ大統領のアイデアではない。共和党がこの作戦の後ろについて、大統領を支えています。保守派は、イランがテロを支援し、中東に混乱をもたらしている犯人だと信じています。だから、経済政策を駆使して、そのイランに政策を変えさせるのが目的なのです」
トランプ大統領のしていることが、ひょっとして戦略的かもしれないとなった途端、それはトランプ大統領のアイデアではなくなるらしい。
トランプ大統領が離脱したイラン核合意とは、イランが核兵器を持てないようにするためという名目で、2015年7月に米英仏独中ロとEUが、長い交渉の末、イランとの間で結んだ合意だ。このあと、長年の対イラン経済制裁が外され、イランとの通商が解禁となった。
当時のオバマ政権はもちろん、ドイツ政府も、これであたかも中東に平和が訪れると言わんばかりの喝采ぶりだった。EU、とくに独仏には、早く制裁を解かなければ、インドや中国にイランの美味しいところをすべて取られてしまうという焦りが強かった(中国はイラン制裁に参加していたが、必ずしも経済制裁を守ってはいなかった)。
今回の核合意は、イランの弾道ミサイルの開発を禁止しておらず、また、地下核施設の閉鎖も義務付けていなかった。つまり、イランは、平和利用という建前で、その気になれば、ゆっくりながらも核兵器の開発ができる。
だからこそ、イスラエルはこの合意に強硬に反対した。イランが核兵器を手にすれば、イスラエルは、運がよければイランに隷属。運が悪ければ核戦争勃発で、国が無くなる可能性がある。
アメリカも、イスラエル寄りのトランプ政権ができるや否や、この合意の見直しを要求した。しかし、EUに反対されたため、5月に同合意から単独離脱。そして、独自の対策として、8月7日、イラン経済制裁の第一弾を再開した。
■ドイツ企業の苦悩
困ったのはドイツ企業だ。ここ2年、多くのドイツ企業が好機到来と、イランとの商売に飛びついていた。第1テレビのリポーターは、その熱気を「ゴールドラッシュ」と形容したほどだ。
ドイツとイランの関係は深い。すでに1920年代、イランの近代化にほぼ独占的に貢献したのがドイツだ。
当時、多くのドイツ人がイランに招かれ、同地の金融と産業を育てた。1940年代、イランの輸入の43%がドイツからだった。交易はその後、ドイツの敗戦で一時途切れるが、まもなく復活。70年代、イランで最初の原発の建設に着手したのもドイツの現シーメンス社だ(79年のイスラム革命でシーメンスは同事業から撤退)。
イランがイスラム共和国になってからも、ドイツの特権的な地位は続き、1984年には国交が正式に復活。今もイランでは、産業機械の多くがドイツ製、あるいは、その改良型だそうだ。
こういう歴史的経緯を見れば、核合意交渉の際、核を持たないドイツが、調停役として一番重要な役目を果たしたことも、なるほどと納得できる。そして、核合意成立後、ドイツ企業がイランへの大々的な投資に勢いづいたのも、単なる冒険というより、当然の帰結であった。
なのに、このたび、そのゴールドラッシュに急ブレーキが掛けられた。トランプ大統領がイランだけでなく、イランと商売をする企業も、アメリカ市場から締め出すと警告したからだ。
アメリカとの商売か、イランとの商売か、どちらかを選べと言われれば、ドイツ企業はもちろんアメリカを取らざるを得ない。
2017年のドイツのイラン向け輸出は、急激に伸びたとはいえ、30億ユーロで、全輸出額の0.23%。輸入に至ってはたったの4億ユーロ、全体の0.04%に過ぎない。それに比べてアメリカとの通商は、その35倍はある。
すでにベンツのダイムラー社は、イランでの活動停止を発表したし、化学コンツェルンのメルク社、ドイツ鉄道、テレコムなど大企業、そして、数々の中小企業がそれに続いている。
仮にイランとの商売を続けようとしても、決算を引き受けてくれる金融企業がなかなか見つからないらしい。中国は前回のイラン制裁の際、石油とのバーター取引などの抜け道を使ったというが…。
■「核不拡散条約」の根本にある矛盾
さて、トランプ大統領の動きに対して、EUも何もしないわけにいかない。そこで、他国の発した制裁にEUの企業が従うことを禁止する“Blocking Statute”を発動した。
この規則では、制裁に逆らって取引を続けたために発生した被害は、EUが保証することになっている。しかし現在、果敢にイランとの交易に乗り出す企業はなく、EUはアメリカの威力の前で無力をさらけ出した形になっている。「歯の抜けたトラ」と言われる始末だ。
いずれにしても、EUがすでに暗に認めているように、2015年の核合意では、おそらくイランの核開発は止められない。ザル合意というトランプ大統領の見方は正しい。
ただ、では、なぜイランが核開発をしてはならないかというと、ちゃんと答えられる人はいないだろう。なぜなら、これもまた、ザルのような核不拡散条約(NPT)に基づいているからだ。
1970年にできた同条約では、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5ヵ国だけが核兵器を開発、あるいは保有してもよいと決められている。中国は60年代半ばから核実験を繰り返し、保有国のメンバーにギリギリセーフで滑り込んだ。
それ以外の国は、核の開発も保有も禁止されている。条約は無期限有効で、改訂には保有国の5ヵ国が全員一致で賛成しなければならない。ただし、この5ヵ国には、核軍備を徐々に縮小していかなければならないという義務もある。そして、現在、それを誰も守っていないのは周知の事実。
同条約がなぜザルかというと、加盟していないイスラエルは、勝手に核開発を進め、今では100発から200発もの核弾頭を所有しているし、インドやパキスタンは加盟しているにもかかわらず、すでに核兵器を持っている。北朝鮮にいたっては、核開発を始めた時点でこの条約から抜けてしまった。しかも、これらの国々の核保有が、いつの間にか黙認されているのだ。
イランにしてみれば、なぜ自分たちだけが、核を触った途端、犯罪者のごとく扱われるのか、というところだろう。その答えは、「近所にイスラエルが有るから」だが、イランは、それならなおのこと、「そんな不平等で、欺瞞に満ちた条約は納得できない」となる。そもそも核不拡散条約は、根本に矛盾のある条約だ。
そして、この矛盾がある限り、核開発を試みる国は、おそらく永遠になくならないだろう。将来、核廃絶が叶うとしたら、そのときには、核よりももっと効果的な兵器ができているはずだ。
世界は、軍縮などしていない。その反対で、今、ドイツでさえ、独自の核保有の話がちらほら話題に上り始めている。それについては、改めて書きたい。
*PERSON 川口マーン惠美 作家
大阪生まれ。日本大学芸術学部音楽学科卒業。85年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。シュトゥットガルト在住。90年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞受賞。その他、『母親に向かない人の子育て術』(文春新書)、『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』(新潮選書) 、『ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか?』(祥伝社新書)など著書多数。最新刊は『世界一豊かなスイスとそっくりな国ニッポン』(講談社+α新書)。2011年4月より、拓殖大学日本文化研究所客員教授。
◎上記事は[現代ビジネス]からの転載・引用です
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◇ イランから見れば、米国が3万発を超える核爆弾を持ちながら、他国の核を認めないのは理不尽だろう 2012/2/2
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◇ 「日本は核を持つべきだ」 核とは戦争を不可能にするもの エマニュエル・トッド 『文藝春秋』2018/7月号
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◇ 『ユダヤとアメリカ 揺れ動くイスラエル・ロビー』立山良司著 中公新書
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◇ [原発保有国の語られざる本音/多くの国は本音の部分では核兵器を持ちたいと思っているようであり]川島博之 2011.5.10
◇ 広島原爆ドーム「核保有国でないから、こんな悲惨な被害を受ける」を心に刻むインド国防相 WiLL2013/5月号
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