莫言氏、体制寄り作家との批判も / 中国は人道主義を否定、民主主義も国際主義も分かろうとしない

2012-10-12 | 国際/中国/アジア

ノーベル文学賞に中国の莫言氏-体制寄り作家との批判も
WSJ Japan Real Time2012年10月12日9:28 JST
 中国の作家、莫言氏がノーベル文学賞を授与されることが11日、決まった。中国は2年前の反体制活動家へのノーベル平和賞授与で悪化した海外でのイメージを悪くしたが、今回の文学賞でこれを相殺できる可能性がある。
 しかし、文学賞授与は早くも議論を呼びつつある。本名・管謨業の同氏は、文化活動への国家支配をめぐる議論が高まる中で、一部の中国の芸術家や作家らから、その姿勢があまりにも政府寄りだと批判されている。
 スウェーデン・アカデミーは11日の声明で、世界中の中国文学講義でその著作が使われている莫言氏は、民話、歴史、それに現代の状況を幻覚を起こさせるようなリアリズムと融合させたと指摘した。同氏は中国国籍者としては初のノーベル文学賞受賞者となる。同国生まれの高行健氏は2000年に同賞を受けたが、1987年に同国を離れてフランス国籍を取得している。
 莫言氏―このペンネームは中国語で「しゃべるな」を意味する―のコメントは得られていないが、11日夜の国営新華社通信によると、同氏は「非常に驚いている」と述べたという。
 ノルウェーのノーベル賞委員会は2年前、中国内で服役している反体制活動家、劉暁波氏に平和賞を授与した。同氏は中国での言論の自由と自由選挙を求める宣言の中心的執筆者だった。この授与は海外でのイメージ修復を目指していた中国に大きな打撃となり、同国は授与に反発。平和賞を決める独立委員会が置かれているノルウェーに対して冷たい姿勢を取るようになった。平和賞以外のノーベル賞はスウェーデンの委員会が決めている。
 中国はまた、1989年にチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が平和賞を受賞した時も困惑することになった。同国政府はチベットの独立を扇動していると非難していた。
 今回の授賞は、中国が世界第2の経済大国として他の国々にソフトパワー、つまりメディアと文化への影響力の強化を計画している時に決まった。政府に批判的な人たちは、こうした努力が書籍や映画、テレビに対する政府の厳しい管理で妨げられているとしている。
 東部の山東省で55年に農家の子として生まれた莫言氏は70年代末、文化大革命の直後に現れた中国作家世代の中で最も称賛されている1人だ。76年に人民解放軍に入ったあと執筆活動を始め、87年の小説「紅い高梁」で高い評価を受けた。この作品はのちに張芸謀監督によって映画化され、映画は賞を受けた。
 莫氏の諸説の多くは英語に翻訳され、07年には「Life and Death Are Wearing Me Out(生死疲労)」がMan Asian Literary Prizeにノミネートされ、09年にNewman Prize for Chinese Literatureを受賞した。このほか一時的に中国内で発禁処分となった「Big Breasts and Wide Hips(豊乳肥臀)」や「Sandalwood Death」「Garlic Ballads」などがある。
 バージニア大学の中国文学教授チャールズ・ラフリン氏は「彼には田舎のバックグラウンドにもっともらしく結び付ける卑猥で純朴なフィクションの声がある」とし、「しかし、彼は、アバンギャルドなフィクション的ビジョンを使い、これがウィリアム・フォークナーやガブリエル・ガルシア・マルケスの影響をほうふつとさせる、神話的で不条理な性格を彼のほとんどの作品に与えている」と述べた。
 莫氏は執筆活動の初期の段階で、反体制的スタイルで文学界で評価されていたが、最近では一部の作家や中国の人道活動家らは、同氏がその偉大さを中国の表現の自由拡大のために使っていないと批判している。中国の公式代表団の一員となった09年の独フランクフルト書籍見本市で同氏は、亡命中国作家がスピーチをしようとしていたセミナーから他のメンバーと共に抜け出し、後に、一部の人には中国の検閲を言い訳に使っているように見えたスピーチを行った。
記者: Josh Chin、Paul Mozur、Jeffrey A. Trachtenberg
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劉暁波氏「早く自由に」=文学賞の莫氏会見、距離感も
時事通信2012/10/12-20:40【北京時事】
 ノーベル文学賞受賞が決まった中国の小説家、莫言氏は12日、山東省高密市で記者会見し、ノーベル平和賞受賞者で国家政権転覆扇動罪で懲役11年の刑に服している反体制作家の劉暁波氏について「できるだけ早く自由を得ることを望んでいる」と述べた。インターネットを通じて会見のやりとりが伝えられた。
 莫氏は「劉氏は文学を離れて、政治に熱中してしまい、もう交流はない。その後の活動についてもよく知らない。自由になれば、政治を研究することができるだろう」と述べ、劉氏と距離を置いていることを示唆した。
 出版の自由については「どの国にも出版に制限がある。中国の出版が完全に自由かと問われれば、当然そうではない。発禁もあるが、以前に比べれば、出版の幅は驚くほど広がっている」との認識を示した。
 日中両国間で対立している尖閣諸島の問題に関しては「争いは客観的に存在する。戦争では争いは解決できない。最も良い方法は1970年代に両国の指導者が採用した、問題を棚上げにするということだ」と中国政府の立場を代弁した。(2012/10/12-20:40)
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ノーベル賞:莫氏「劉氏の自由願う」 「体制側」に反論
毎日新聞 2012年10月12日 21時36分(最終更新 10月12日 22時33分)
 【高密(こうみつ)(中国山東省)隅俊之】ノーベル文学賞の受賞が決まった中国の作家、莫言(ばくげん)氏(57)は12日、自宅のある山東省高密市のホテルで記者会見を開き、10年にノーベル平和賞を受賞した中国の民主活動家、劉暁波(りゅう・ぎょうは)氏(56)=服役中=について「健康になり、自由になることを願っている」と述べ、長期化する劉氏の服役に懸念を示した。
 中国政府は莫言氏への文学賞は歓迎する一方、劉氏の平和賞の際には「内政干渉だ」と強く反発してきた。中国共産党員であり、中国作家協会の副主席である莫言氏による劉氏を擁護する発言は今後、波紋を呼びそうだ。
 一方、一部で「莫言氏は体制側の作家だ」と批判されている点について、莫言氏は「文学賞は政治賞ではない。共産党のためではなく、すべての人に向き合って書いている」と反論。「共産党と親しい私の受賞は間違いだと言う人は多い」との認識を示しながら「そういう批判をする人も党員だったりする。彼らは体制内部の人であったり、しかも体制内で多くの利益を得た人もいると知っている」と主張した。
 莫言氏は数千万人の餓死者を出したとされる1950年代後半の大躍進政策も経験している。会見では作品を書き始めた当時から体制批判という危険性や体制からの圧力を抱えていたと述べた上、「豊乳肥臀」など具体的に作品名を挙げながら「社会の暗部に対する私の批判が厳しいことが分かるはずだ」と語った。
 一方、尖閣諸島をめぐって緊迫する日中関係について「戦争で中国が勝ち、日本が負ければ解決するのだろうか。逆も同じだ」と述べ、中国国内で続く対日強硬論を否定した。
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『帝国の終焉』(「スーパーパワー」でなくなった同盟国・アメリカ)日高義樹著 2012年2月13日第1版第1刷発行 PHP研究所
(抜粋)
      

第5部 どの国も民主主義になるわけではない
 人類の歴史を見れば明らかなように、確かに長い目で見れば、野蛮な時代から封建主義の時代に代わり、そして絶対主義の時代を経過し、民主主義が開花した。ヨーロッパの多くの国々はこういった過程を経て豊かになり、人々の暮らしが楽になるとともに、民主主義、人道主義へ移行していった。鍵になったのは「経済が良くなり、暮らしが楽になる」ということである。
 中国の場合は、明らかにヨーロッパの国々とは異なっている。そして日本とも全く違っている。中国は二十数年にわたって経済を拡大し続け、国家として見れば豊かになった。だが、すでに見てきたように貧富の差が激しくなるばかりで、国民は幸福にはなっていない。こう決めつけてしまうと親中国派の人々から指弾を受けるかもしれないが、中国国内の政治的な状況を見ると、依然として非人道的な政治が続いている。民主主義は全く育っていない。
 中国はもともと共産主義的資本主義と称して、共産党が資本主義国家と同じようなビジネスを行なってきた。中国という国家が資本主義のシステムを使ってビジネスを行ない、国営や公営の企業が世界中から稼ぎまくった。この結果、中国国家は経済的に繁栄したものの、中国人一人ひとりは幸福になっているようには見えない。
p95~
 「中国人は食べられさえすれば文句は言わない」
 中国の友人がよくこう言うが、中国人はそれ以上のことを望まないのかもしれない。つまり中国の人は「食べられる」以上のこと、つまり形而上学的な問題には関心がないのかもしれない。
 「民主主義、人道主義、国際主義といったものは我々には関係ない」
 こう言った中国の知人がいるが、中国だけではなく、ロシアの現状を見ても、封建主義から民主主義に至る政治的な変化を人類の向上とは考えない人々が大勢いるようだ。
p97~
 第2次大戦以来、人道主義と民主主義、そして平和主義を主張してきたアメリカのやり方が、アメリカ主義でありアメリカの勝手主義であると非難された。「アメリカ嫌い」という言葉が国際的に定着したのは、その結果であった。そうしたアメリカのやり方を、1つの考え方であり、1つの価値観に基づくものであると切り捨てているのが、ロシアの指導者であり、中国の指導者である。
p98~
 ヒットラーはドイツの誇りを掲げ、ユダヤ人を圧迫するとともに、反政府勢力を弾圧して経済の拡大を図った。中国もその通りのことをやっている。しかも、冷戦に敗れたロシアのプーチン前大統領が主張しているように、価値観の違った、そしてやり方の違った経済の競争が可能であるとうそぶいている。
 だが彼らの言う価値観の相違というのは、民主主義を無視し、人道主義を拒否し、国際主義に反対することである。中国やロシアについては、冷戦に敗れた国や第2次大戦に脇役しか与えられなかった国が自分たちのやり方で歴史の勝利者になろうとしているように見える。
p99~
 共産主義は冷戦の結果、民主主義とそれに伴う人道主義に敗北したはずである。ところが中国は、冷戦と同じ体制を維持しながら、経済の戦争には勝てるとばかり傲慢になっている。
 ヨーロッパの人々は中国の台頭をヒットラーの台頭になぞらえている。これに対して日本のジャーナリストや学者たちは驚きを隠さないようである。彼らは、ユダヤ人を抹殺しようとしたヒットラーと中国は異なっていると考えている。だが、共産党が絶対で、反対の意見を持つ者は犯罪者として牢獄に送り、言論の自由を認めていないという点では、中国はヒットラーと同じである。
 中国は明らかに人道主義を否定しているだけでなく、民主主義を理解しようとしていない。国際主義も分かろうとしない。
p100~
 ヨーロッパの人々は、歴史的な経験から中国が危険であるとして、ヒットラーと同じであると指摘しているが、歴史にナイーブな日本の人々は全くそのことに気がついていない。
 ヨーロッパの人々はヒットラーと戦い勝利を得たが、そのためにアメリカと同盟し手を携えて戦った。中国がヒットラーだという考えに驚くべきではない。新しいヒットラーである中国の共産主義の専制体制に対して世界の人々は、手を携えて戦わなくてはならなくなっている。「アメリカ嫌い」という言葉で中国の脅威から目を逸らす時代は終わったのである。
 *強調(太字・着色)、リンクは来栖
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