中日ドラゴンズ 荒木雅博内野手「名手の誇り 職人の意地」「監督、本当に殺したいと思っていましたよ」

2012-03-04 | 相撲・野球・・・など

二宮清純レポート 2012.03.04 現代ビジネス
中日ドラゴンズ 荒木雅博 内野手34歳 「名手の誇り、職人の意地」
 ちょっとした事件だった。球界随一の名手同士のコンバート。職人と呼ばれた二塁手にとって、遊撃はまるで未知のフィールドだった。あれから2年、もがき抜いた男は、再び元の聖域へと帰る。
■落合さんを本気で恨みました
  セカンドとショートを野球の世界ではキーストーンコンビと呼ぶ。キーストーンとは二塁ベース。多くの打球がこの付近を通過し、野手と走者が知略を駆使してベースの争奪を繰り広げる。つまり二遊間はフィールドにおける要害の地である。
  落合博満政権下の8年間で4度のリーグ優勝を達成した中日には荒木雅博というキーストーン・プレーヤーがいる。彼の存在なくして落合中日の躍進はありえなかった。
  その荒木が落合に面と向かって、こう言ったのは落合がチームを去る直前のことだ。
 「監督、本当に殺したいと思っていましたよ」
  フフッと笑った落合、すぐさまこう切り返した。
 「ようオマエ、泣き言言わんかったなぁ」
  落合の命令で荒木がセカンドからショートにコンバートされたのは'09年のシーズンが始まる前のことだ。落合は'04年の監督就任当初から、セカンドの荒木とショート井端弘和のコンバートをほのめかしていた。結局、'09年は二人がともに故障したこともあり、プランを実行するのは1年先延ばしになった。
  このコンバートは専門家の間でも懐疑的な見方が支配的だった。なにしろ荒木と井端の〝アライバ〟は'04年から6年連続でゴールデングラブ賞に輝く、球界きっての名コンビなのだ。
  なぜ、この期に及んで息の合った二人のポジションを入れ替える必要があるのか。あのピンク・レディーだってケイちゃんとミーちゃんの立ち位置は不変だったではないか。荒木の心中も複雑だった。
 「落合さんは監督に就任した時から(コンバートの)話をしていたので、いつかはやるんだろうと心の準備はしていました。しかし、まさか本当にやるとは・・・・・・」
  高校(熊本工)時代は名の知れたショートだった。プロでも入団2年目の'97年には16試合、ショートのポジションについている。
  しかし、'02年にセカンドのレギュラーに定着してからは、数えるほどしか〝里帰り〟はしていない。久しぶりのショートは荒木にとって針のムシロだった。
 「一番ショックだったのはファーストまでボールが届かないこと。普通に投げたら全部ワンバウンド。思いっきり投げたら暴投になりました。
 暴投だけじゃありません。トンネルはするわ、はじくわ・・・・・・。〝オレ、こんなんで試合に出ていいのかな〟と落ち込みました。
  その頃は、冗談ではなく落合さんを恨みました。〝オレの野球人生、どうしてくれるんだ!?〟って。悔しくて眠れない日が続きました・・・・・・」
  セカンドとショート、同じ内野のポジションでありながら、動きはまるで違う。頭ではわかっていても、体がいうことをきかない。体に染みついた慣れとは、それくらい恐ろしいものなのだ。
  呻吟する荒木を目の前にしながら、しかし落合は一度も助け船を出さなかった。そればかりか、傷口に塩を塗り込むように、こう言い放った。
 「オマエ、もう戻るところはないからな。ここでダメなら、それは野球をやめる時だ」
  血も涙もないとは、このことだ。ここまで冷酷に言われれば荒木でなくても後ろから首を絞めたくなるだろう。
  荒木は腹をくくった。
 「僕にも意地がありましたよ。このままじゃ終われないって・・・・・・」
■宮本慎也のアドバイス
  そもそも、落合はなぜ円満なカップルに波風を立てるような無粋なことをしたのか。
  それに対する落合の答えはこうだ。
 〈守備の名手をあえてコンバートした大きな理由のひとつは、井端と荒木の守備に対する意識を高め、より高い目標を持ってもらうためだ。
  若い選手はプロ野球という世界に〝慣れる〟ことが肝心なのだが、数年にわたって実績を残しているレギュラークラスの選手からは、〝慣れによる停滞〟を取り除かなければいけない。
 (中略)
  監督という立場でドラゴンズの2、3年先を考えると、井端の後釜に据えられる遊撃手が見当たらなかった。そこに荒木を据えて2、3年後も万全にしておきたいという事情もあったわけである〉(自著『采配』ダイヤモンド社)
  '10年、荒木は12球団で2番目に多い20個のエラーを記録した。オレを使い続ける監督が悪いと開き直ったところで問題は何も解決しない。助けを求めた先は他球団の先輩だった。
 「昨年のキャンプの時です。ヤクルトの宮本(慎也)さんに〝食事に行きましょう〟と誘ったんです。名手からいろいろと話をお伺いしようと・・・・・・」
  言うまでもなく宮本はショートで6回、ゴールデングラブ賞を獲得している名手である。荒木にすれば〝溺れる者はワラをも掴む〟の心境だった。
  名手のアドバイスはシンプルだった。
 「ボールの追い方を考えなさい」
  この一言で目の前の霧が晴れた。そうか、そういうことだったのか・・・・・・。
  荒木の解説---。
 「セカンドの習性としてはボテボテのゴロを内野安打にしたくないんです。だから最初から前で守って打球を横に追っていく。それによって少々、送球の体勢が崩れてもファーストまでは近いから、何とかアウトにすることができる。
  ところがショートはそうはいかない。横に追っていってグラブに入れただけではファーストには間に合わない。ショートの場合、斜めから回り込むように打球を追い込んで、すぐにスローイングできる体勢をつくらなければいけないんです。
  そのために一番、重要なのは足。足が使えなければショートは守れない。僕の送球が安定しなかったのも、足が使えていなかったのが原因です。
  昨年、それを実践してみて、やっと落合さんが言っていたことが理解できました。〝あっ、監督が言っていたのは、これだったのか!〟と。落合さんは常々〝下半身を使え〟と言っていましたから・・・・・・」
■打球の「質」が見える
  荒木は'95年、ドラフト1位で熊本工高から中日に入団した。福留孝介(シカゴ・ホワイトソックス)、原俊介(元巨人)の〝ハズレのハズレ1位〟だった。
  その年の高校生内野手は銚子商の澤井良輔(元千葉ロッテ)とPL学園の福留が東西の両横綱だった。荒木は2度、甲子園に出場していたものの、目立った活躍はしていなかった。
 「実は2年の冬、全日本高校選抜チームが結成されてオーストラリアに行ったのですが、福留君や澤井君はメンバーに選ばれたのに荒木は選ばれなかった。そうした悔しさがプロでの成長のバネになったと思っています」
  そう振り返るのは熊本工時代の監督、山口俊介(現熊本大コーチ)だ。元巨人の緒方耕一や広島の前田智徳も、山口の教え子だ。
「荒木を最初に見た時、印象に残ったのは走る姿の美しさです。当時から身長が180cm近くある大型ショートでしたが、とにかく一歩目の出足が鋭い。前進守備でセンターに抜けそうな打球をよく追いついて止めていました。
  ある時、チームメイトが〝どうして捕れたんだ?〟と聞いたんです。荒木は〝打球が詰まっているのが見えたから追いかけたんだ〟と答えました。
  これには驚きました。要するに打球の質までちゃんと見えていたということですよ。ただ足が速いとか肩が強いというだけではなく、観察力や判断力がある。これは将来が期待できる、プロに行ける可能性のある子だな、と思いましたね」
  プロ入り1年目、二軍監督は正岡真二(現中日スカウト)だった。正岡と言えば現役時代は守備のスペシャリストである。ルーキーに基礎を叩き込むにはうってつけの人物だった。
 「荒木に教えたのは、足の運びです。下が使えなければ守備はうまくならない。プロに入った頃の荒木はスピードがあり、守備範囲も広かったがスローイングに難がありました。それは足がうまく使えていなかったからです。
  といって、難しい練習をやらせたわけではない。基本的な動きの反復練習です。頭ではなく体で覚えさせました。守備がうまくなるのに近道はないんです」
  正岡には指導者として種田仁を一人前のショートに育てた経験があった。その時に学んだのが忍耐力である。
 「当時、チームではショートの立浪和義をセカンドにコンバートし、種田をショートに回す計画がありました。立浪に長く野球をやらせるためにはセカンドの方がいいという判断によるものです。
  問題は種田です。高校時代はサードを守っていたせいか、補球の際にボールと衝突するんです。これを直すのに1年かかりました。毎日、同じことの繰り返し。足を使って前に出る、後ろに引く。こっちが音を上げたら選手は付いてきません。教えることがいかに難しいかを、こちらが教わりましたよ」
  同じドラフト1位でも、立浪が天才なら荒木は努力家だと正岡は評する。
 「立浪はプロに入った時から自分のスタイルを持っていた。いい意味で練習中に抜くことも知っていましたね。ズルさもありました。
  翻って荒木は黙々と頑張る努力家。正直言って、あれほどまでの選手になるとは思いませんでした」
■これがやりたかったんだ
  落合が面白いことを言っていた。荒木は自分を過小評価している---。もっと自分のプレーに自信を持てということなのだろうが、本人はどこまでも謙虚だ。
「落合さんには〝試合に出る時くらいは自分を過大評価しろよ〟と言われたんですが、〝申し訳ありませんが監督、そこだけは直りません〟と答えました。
  だってプロに入った時、〝よくやって10年、代走とかやって終わっていく選手だろうな〟と思った僕が、今年で17年目のシーズンを迎えるんですよ。もう、それだけで信じられないんです。スイッチヒッター転向にも失敗したし、僕は器用な選手ではないんです。
  自分がうまいと慢心したら、練習に真剣に取り組むこともできなくなるでしょうね」
  高木守道新監督の方針もあり、荒木は、今季、再びセカンドのポジションに戻る。それを、あたかも予見していたかのように落合はこう述べている。
 〈この先、二塁手に戻るようなことがあれば、間違いなく以前を遥かに超えたプレーを見せるはずだ。遊撃手を経験したことにより、荒木の守備力は「上手い」から「凄い」というレベルに進化しているのだ〉(同前)
  広く知られるように「学ぶ」の語源は「真似ぶ」である。つまり「真似る」ことが上達の第一歩なのだ。
  荒木には忘れられないプレーがある。巨人を倒して西武が日本一を達成した'87年の日本シリーズ第6戦で、それは飛び出した。
  2対1と西武が1点リードで迎えた8回裏2死一塁の場面で秋山幸二の打球はセンター前に飛んだ。巨人のセンターはウォーレン・クロマティ。捕球すると、例のごとく山なりのボールを中継に入ったショートの川相昌弘に返した。
  このスキを一塁走者の辻発彦は見逃さなかった。フルスピードで二塁を駆け抜け、あろうことか三塁も蹴ってホームを陥れたのだ。試合を決定づける1点が入り、巨人ベンチは水を打ったようにシーンと静まり返った。
  実はこのプレーには伏線があった。三塁ベースコーチの伊原春樹はクロマティが緩慢な返球をすることに加え、中継の川相がホーム方向を振り向かないクセがあることを知っていた。いつか巨人の杜撰さを突いてやろうと、虎視耽々と手を回す機会をうかがっていたのだ。
 「僕、あのプレーが頭から離れないんですよ」
  振り返って荒木は言った。この時、荒木は10歳の少年だった。
 「たまたまテレビで日本シリーズを観たんです。すると、あのプレーが飛び出した。もう、すっかりハマっちゃいましたね。スキあらば先の塁を狙おうという僕の野球の原点は、あのプレーにあると思っています」
  荒木の姿が辻に重なったのは'04年の西武との日本シリーズだ。第5戦の3回、1死無走者からレフトオーバーの打球を放った。
 通常なら二塁でストップする場面だ。ところが荒木はノンストップで二塁を回り、三塁に達した。レフト・和田一浩の緩い返球と、中継のショート・中島裕之が走者を見ないクセを知っていたのである。
 「あの時、初めて僕はプロ野球選手になったんだという実感を得ました。これがやりたかったんだ、と叫びたい気持ちでしたね」
  運命の巡り合わせか、昨季まで辻とは2年間、一緒に野球をやった。辻は一軍総合コーチとして荒木の指導にあたった。セカンドで史上最多、8度のゴールデングラブ賞に輝いた名手はサード、ショートを守った経験も持つ。ある意味、セカンドとショートの違いを誰よりも知る男だった。
 「それまでセカンドをやっていた者がショートになって一番困るのはファーストまでの距離感なんです。セカンドは打球を待って捕ってもアウトにできる。でもショートはそうはいかない。ジャッグルしたら、もう終わりです。荒木も最初のうちは、この距離感の違いに戸惑ったと思います。
  ショートへのコンバートに関しては不満もあったようです。グチもこぼしていました。言葉は悪いですけど、セカンドにいたらラクできますからね。
  そこで僕は言いました。〝言いたいことはあるだろうけど、先のことを考えろ。このコンバートはマイナスにはならない。選手寿命も延びるぞ〟ってね。実際、一昨年と昨年を比べると、はるかに昨年のほうが良くなったと思いますね」
■だから野球は面白い
  ここまで守備に誌面の多くを割いてきたが、昨季まで1528安打を放つなど攻撃面でも中日の躍進を支えてきた。曲者ぶりを遺憾なく発揮したのが昨季、日本シリーズ進出を決めた東京ヤクルトとのクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第5戦である。
  中日打線はこの日、ヤクルト先発・館山昌平に手玉に取られていた。5回が終わった時点で、ヒットはわずかに2本。中日の先発・吉見一起も好投し、ゼロ行進が続いていた。ゲームの内容から判断すれば、どちらが勝っても僅少差。1対0か2対1のスコアが予想された。
  6回裏1死から、1番の荒木が四球で出塁した。いつもより荒木はリードを約半歩分、広めにとった。実はこれ、「牽制球をもらう作戦」だったのである。
  本人の解説。
 「館山に血行障害があることは知っていました。僕が塁に出ると、彼の様子が変わったんです。執拗に指先を気にし始めた。それまでのピッチングが良かったものだから〝あれ、どうしたんだろう?〟と。そこでリードを広くとった。牽制球をもらえば、またヘンな仕草を始めるかなと・・・・・・」
 無言の挑発を繰り返す一塁走者に館山は5球も牽制球を投じた。それによって18・44m先の相手に対する集中力が鈍ったわけではあるまいが、カウント2-2からのシュートは高めに浮いた。精緻なコントロールを誇る館山にしては珍しい失投だった。
  井端がコンパクトに振り抜いた打球はレフトポール際に飛び込んだ。荒木の無言の挑発が引き出した決勝2ランだった。
 「あの日、館山のシュートはいいコースに決まっていた。打ち崩すのは容易ではない雰囲気でした。走るぞ、走るぞと揺さぶりをかけたのは〝ちょっとでも甘く入ってくれ〟という狙いがあったからです。
  結果的に井端さんのホームランが飛び出すわけですが、ああいう勝ち方をすると周りの誰も褒めてくれなくても、自分自身が一番うれしいんですよね。〝よし、今日はオレの勝ちだ〟って。井端さんの打球がスタンドに入った瞬間、〝よし!〟と思いましたよ」
  荒木雅博という男、知れば知るほど奥深く、味がある。今季、プロ野球を観る愉しみが、またひとつ増えた。
 「週刊現代」2012年3月3日号より
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