【佐世保高1殺害】遺族が心境 事件から1年 2015.7.27

2015-07-27 | 少年 社会

 産経WEST 2015.7.27 22:50更新
【佐世保高1殺害】「なぜ起きたのか自問」と遺族が心境 事件1年
 長崎県佐世保市で高校1年の女子生徒=当時(15)=が同級生の少女(16)に殺害された事件の発生から1年が経過した27日、女子生徒の父親が市内で会見し「なぜこのようなことが起きたのか自問を続けて過ごしてきた。うそであってほしい。娘に会いたい」と心境を語った。
 13日に長崎家裁が少女を医療(第3種)少年院送致とする保護処分決定を出して以降、報道陣の取材に応じるのは初めて。この決定に「欲求のためにした行為を病気のせいと言うが本当か。(病気が)治ったら人を殺した罰を受けなくていいのか」と疑問を投げ掛けた。一方、平成9年の神戸連続児童殺傷事件の加害男性が手記を出版したことを受け、弁護士を通じて少女に同様のことをしないよう伝え、出版しないことを確認したと明らかにした。
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します
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〈来栖の独白〉
 神戸連続児童殺傷事件に係る手記出版の際にも同様の感想をもったが、「被害者遺族の言葉」ほどインパクトの強いものはない。遺族が加害者に反対の意思表明をすれば、それは絶対的正義として世論は支持し、公立図書館においてさえ閲覧に制限を設ける。この国の世論は、成熟していない。
 掛け替えのない我が子を奪われて判断を失うのも分からないでもないが、感情のみで突っ走っておられ、それを良しとしておられる。
 加害少年(少女)に器質的な病があり、また不幸な生い立ちや境遇があって、事件を起こすに至った。健康を取り戻すのは極めて難しいことが予想されるが、大切なことは「人が人として生きること」だ。人間性を取り戻すことだ。
 神戸連続児童殺傷事件・元少年Aの手記を読むなら、そこには元少年A氏の自己に対する容赦ない洞察と反省、他者への敬虔な眼差しと、周囲への謝罪と感謝、そして血の滲むような思いをして生きて来た苦難の歳月が伝わってくる。浅く未熟な人間性では、決してない。
 ところが、大方の人間は卑しい。自己の感情でしか人を見ず、物事を判断しない。
欲求のためにした行為を病気のせいと言うが本当か。
弁護士を通じて少女に同様のことをしないよう
 遺族の言葉である。
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『絶歌』元少年A著 2015年6月 初版発行 〈…関東医療少年院に入って2年目の夏。僕は17歳だった。〉
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【佐世保高1殺害・事件から1年】2015.7.27 殺人衝動抱えつつ 少女の更生模索 社会復帰後の支援課題 
◇ 佐世保高1殺害事件 少女の医療少年院送致決定 2015.7.13/想起される故山地悠紀夫死刑囚〈来栖の独白〉
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