「鳥追舟」…家臣の裏切りに遭った母子は、鳥追い舟の賑やかな囃子の中、十余年間帰らぬ夫を思いつつ、鳥追い歌を囃しはじめる

2019-11-13 | 本/演劇…など

  鳥追舟(とりおいぶね)

家臣の裏切りに遭った母子は、鳥追い舟の賑やかな囃子の中、十余年間帰らぬ夫を思いつつ、鳥追い歌を囃しはじめる…。

作者 不明 金剛弥五郎とも
場所 薩摩国 日暮の里
季節 秋九月(旧暦)
分類 四番目物

登場人物
 前シテ 日暮殿の妻 面:深井など 唐織着流女出立(一般的な女性の扮装)
 後シテ 面:深井など 水衣女出立(労働に従事する女性の扮装)
 ワキ 日暮殿 掛素袍大口出立(下級武士の扮装)
 ワキツレ 家臣 左近の尉 素袍上下出立(下級武士または庶民の扮装)
 子方 日暮殿の子 花若 児袴出立(少年の扮装)など
 間狂言 日暮殿の従者 肩衣半袴出立(一般的な男性の扮装)

概要
 薩摩国日暮里の有力者であった日暮殿(ワキ)は、訴訟のため十余年間在京していたが、その留守を預かった左近の尉(ワキツレ)は、日暮殿の妻(シテ)とその子花若(子方)に、下人の仕事である鳥追いをさせる。やがて帰郷した日暮殿に見つかり、左近の尉は不忠の臣として斬られるところであったが、日暮殿の妻の取りなしによって赦される。

ストーリーと舞台の流れ
0 シテ・子方が音もなく登場し、最初からその場所にいるていで舞台に座ります。
1 〔名ノリ笛〕の囃子でワキツレが登場します。
 ここは、九州薩摩国 日暮の里。この里には毎年秋になると、笛・鼓・鳴子などで囃し物をして鳥を追い払う「鳥追舟」を飾り立てて、田の稲を食む鳥の群れを追う行事があった――。 この里の有力者であった日暮殿は、訴訟のために十年以上も妻子を残して故郷を離れ、京都に留まっていた。家臣の左近の尉(ワキツレ)はその留守を預かり、日暮殿の妻子の世話を命じられていたが、今年は鳥を追う下人がいないので、日暮殿の一子・花若に鳥追いの役をさせようと思い立つ。
2 ワキツレはシテと対話をし、退場します。
 左近の尉は日暮殿の妻(シテ)とその子花若(子方)のもとへ行き、花若を鳥追いの役にすると告げる。日暮殿の妻は、自分の主人に当たる花若に鳥追いをさせるとは何ごと、と憤るが、左近の尉は「それならば今日からは世話をしない、この家から出て行け」と脅す。幼い我が子を心配する母は、それならば自分が鳥追いの役を代わろうと申し出るが、一蹴され、見物人のふりをして舟に乗ることになった。
3 舞台に残されたシテ・子方は思いの丈を述べ、退場します。
 ああ、花若の何と不運なことか! 武士の子として生まれ、いつまでも栄えるようにと祈った甲斐も無く、落ちぶれ果ててしまった今のありさま…。 母子は、涙にむせびながら、鳥追いの支度をしに行くのであった。
4 ワキ・間狂言が登場します。
 一方その頃、日暮殿(ワキ)は無事訴訟に勝利し、故郷への帰路を急いでいた。 そこへ、笛や太鼓の音が聞こえてくる。従者(間狂言)に見に行かせると、それは鳥追舟であった。今年は特に立派だというので、日暮殿は従者を一足先に帰らせ、鳥追舟を見物しようという。
5 後シテ・子方・ワキツレが登場します。
 舟に乗っていたのは、日暮殿の妻とその子花若、そして左近の尉であった。親子は今の境遇を悲しみ、せめて七夕さまのように年に一度だけでも日暮殿に会えたならと、とりとめもないことを考えている。 左近の尉は、母子には舟で鳥追いをさせるよう命じ、自分は陸で鳥を払うからと舟から降りる。舟に残された親子は身の境遇を歎きあう。「日暮殿はこの秋には帰ると聞きはしたが、その言葉だけを残して時はむなしく過ぎてゆく。ただただ、花若の不運が哀れでならない…」と嘆く母。一方、花若は左近の尉の非情に憤り、この恨みを父に伝えたいという。母は、「たとえ訴訟が叶わずとも、日暮殿さえいてくれたらこんな事にはならなかったのに」と、親子の不運をなげく。
6 シテ・子方は鳥追いの囃し物をします。(「鳴子の段」)
 嘆く親子に対し、左近の尉は早く鳥を追えと責め立て、舟に乗る。 多くの舟が打ち鳴らす、思い思いの囃し物。そして、それに合わせるように吹く風の音。そんな中、「花若よ、悲しくとも気を励まして、あの水鳥を追いなさい…」と、母子は身の不運をかこち、帰らぬ夫への思いを募らせつつ、鼓を打ってさまざまに囃し立てる。涙ながらに打つ囃子は調子も整わず、その恥ずかしさも相俟って、我が身の不運が嘆かれるのであった…。
7 ワキはワキツレ・子方・シテと対話し、事件が解決してこの能が終わります。
 鳥追舟が田の面で囃し物をしている風情に眺め入っていた日暮殿は、とりわけ面白く飾り立てた一隻の舟を見つけ、近くに寄せさせてよく見てみると、何とそれは家臣の左近の尉に、あろうことか自分の妻子であった。花若から事情を聞いた日暮殿は、不忠の左近の尉を切り捨てようと刀に手をかける。 そのとき、妻が留めに入った。妻は、夫不在のままあとに残されていた十年以上もの歳月の、心細かった日々の恨み言を言い、左近の尉を助けてやって欲しいという。日暮殿はその言葉に免じて、左近の尉を赦してやった。 こうして事件は丸くおさまった。後に花若は家督を継いで、人徳ある立派な武士となり、家は子孫に至るまで栄えつづけたのであった…。

小書解説
・大返(おおがえし)
 「鳴子の段」の冒頭で、通常の演出では「打つ鼓、打つ鼓、空に鳴子の…」と謡うところを、はじめの「打つ鼓」を謡ったところで特殊な囃子が囃され、その間にシテが舞台を一巡するなどの型が入った後、「打つ鼓、空に鳴子の…」と再び謡い出す演出です。

みどころ
 農耕民族である日本人にとって、田の実りとは何ものにも代えがたい、大切なものでした。昔から人々は丹精込めて農耕に従事し、豊作を祈り、天の恵みに感謝していたのです。最近ではすっかり減ってしまいましたが、昔田んぼの中に立っていた案山子は、単に鳥獣を追い払うためだけではなく、実りをもたらす田の神の姿でもありました。 鳥獣を追い払うには、音を使うことが効果的であったようで、さまざまな地域に見られます。本作にも登場する鳴子はその代表的なもので、実際にひと昔前には空き缶をたくさんつけた鳴子などが使用されていたものです。説経浄瑠璃「山椒大夫」(森鴎外の同名の小説としても有名)でも、鳴子を鳴らし唄を唄って鳥を追う姿が描かれています。現代では、秋の鳥追いの民俗は多くの地域から消えてしまいましたが、小正月などの予祝の行事として、こういった習俗は残っています。 本作に登場する「薩摩国 日暮の里」こと鹿児島県薩摩川内市では、残念ながら本作に描かれたような鳥追いの行事は現代に伝わっていませんが、これと似た行事として、八月の盆の時期に、豊作を祈って川に舟を浮かべ、その上で太鼓を打ち唄を唄う虫追いの行事が行われています。
 本作では、秋の実りの季節、この賑やかな鳥追いの囃しの中で、それと対照的なシテの悲しみが浮き彫りにされます。十余年間も帰らぬ夫への恨み、家臣に裏切られたくやしさ、そして零落した現在の境遇のやるせなさ…。これらの感情が複雑に絡み合ったシテの哀愁が、本作のテーマとなっています。心の内にこの複雑な思いを抱えつつ、鳥追いの囃しにのって鳥を追うさまを演じる「鳴子の段」の、シテの心理描写にご注目ください。 (文:中野顕正)

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 ◎上記事は[銕仙会]からの転載・引用です

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