五木寛之氏 「『親鸞』の最後は無造作に書く。それは決めていた」

2014-12-30 | 仏教・・・

五木寛之氏「親鸞の最後は無造作に書く。それは決めていた」
 日刊ゲンダイ 2014年12月29日  
 壮大なスケールで描かれた小説「親鸞」。その「完結篇」が先月、講談社から出版された。平安末期から鎌倉時代、激動の世を生き抜いた親鸞は90歳で静かに人生の幕を閉じる。その「死に際」に作者が込めた思いとは?
――3部作、全6巻という大作ですが、もう息もつかせないというか、一気に読みました。
  これは新聞小説で、北海道新聞から琉球新報までの30~40数社、全部合わせると大変な数字で驚きました。新聞小説は明治以降、何度か全盛期があるんですが、ここ10~20年くらいはお飾りのような存在、位置づけの新聞社もあったんじゃないでしょうか。僕は人がやってないことをやるのが好きだから、そこまで新聞小説が見放されているんなら、やってやろうじゃないか、という気になりましてね。あとから単行本にするとか一切考えずに一日一日、3枚足らずの物語の中に起承転結をつくって、明日はどうなるんだろう、待ちきれないという状況をつくってやろうと。密かな志を抱いて書いたんです。書き終えて、新聞小説に殉じたというか、最大限のロイヤルティーを尽くしたという気持ちです。
――だから、読みだすと止まらなくなってしまうんですね。五木さんは「親鸞は他力で書いた」というようなこともおっしゃっていましたね。
  そもそも、宗教家の教祖みたいな人を新聞小説の主人公にする例はあまりないと思いますよ。それを引き受けてくれる新聞社がたくさんあったのはありがたいことです。僕自身も老眼以外は健康でなんとか完走できました。それから、ここ10年くらいですか、いろいろなアプローチからの親鸞論が出ていますね。そういう時代の後押しもありました。僕は潮流の中の「流されゆく日々」を生きていますから、そうした流れに押し流されて書き終えた感じです。
――とはいえ、書き始めるにあたって、小説全体の構想というか、最後はどうしようかというものはあるわけですよね。
  僕が一番最初に考えたことはひとつだけです。親鸞の死を無造作に書こうと。本当に自然死というか、枯れ枝が折れるような死に方というか、とにかく、あっさり書こうと思ったんですね。僕は若いころジャズが好きでしたけど、モダンジャズではなくデキシーランドジャズが好きでした。あれは終わり方が唐突なんです。ブラームスの交響曲のようにしつこく、何度もジャジャーンとやらない。ポキッと折れるような、アレッて思う終わり方をする。親鸞もそう書きたかったのです。
■60~90歳までの生き方を語る哲学はない
――「完結篇」は親鸞が60歳以降、京都に戻り、90歳という、当時では考えられないような長寿を全うして、死ぬまでが描かれています。波瀾万丈ではないが、静かな晩年、死に際に多くの読者が興味を持ったと思います。超高齢化社会に入り、時代が下山の思想というか、死に方を求めているような。そんな気もします。
  日本人はローマが好きですよね。政治家から庶民まで興亡史を愛読しますが、「興」よりも「亡」、つまり、なぜ、ローマが滅びたかに興味があるのだと思います。大英帝国もスペインもポルトガルも黄金時代があって、盛りが過ぎ、老大国として生きている。経済活動は興隆期に発展するが、文明は成熟期以降に育つ。いかに豊かに、希望を見いだしながら余命を生きていくか。これは非常に大切なことだと思います。
――「親鸞・完結篇」にはそうした哲学が息づいているように感じました。
  ほとんどの哲学思想は青春期から壮年期の人間のためにあるように思うんですね。60から90までの人間の生き方、死に方というものを的確に語ってくれている哲学者とか思想書は見当たらないでしょう。そういう意味で親鸞は多くの人に振り返られるのだと思います。道元とか空海は早く亡くなっているし、キリストは30代で死んでいる。偉大な宗教家で90歳まで生きた人は少ないんです、ブッダが80、法然が80、蓮如は85ですが、90歳はいない。ところが、いまはみんな親鸞みたいに90歳くらいまで生きる。親鸞の晩年の思想とか生き方に大きな関心が集まるのはそういうことなんでしょう。これからはひとつの哲学で人生を語るのは不可能だと思います。青春期の、壮年期の生き方、晩年の過ごし方、最晩年の死に方と、それぞれ、きっちり考えていかないといけないんじゃないかと。
――時代が下山の思想を求めている?
  下山を寂しいとか悲惨だと考えないことですね。登山にはものすごくエネルギーが要りますが、下りるときはゆとりを持って、下界の風景を眺めながら足元を確かめて、一歩一歩下りていく。これもまた楽しからずやと。
――親鸞の晩年、死に方はある意味、理想ですか?
  そうですね。高額な治療を繰り返して、闘病を続けて死ぬ。あるいは死そのものに対して、のたうち回る。そういうのではなく、自然に、大げさなこともなく、静かに退場する。こんなふうに考えると、孤独死はむしろ、望ましいことかもしれないと思ったりします。単独死と言い方を変えた方がいいのではないか。昔は楢山とか間引きとかあって、今は言いにくい時代になっているけれど、どこかでそういうことを考えないと持たない世の中になっているような気もします。
■作家とは恐山のイタコと同じだと思います
――「親鸞・完結篇」にはひとつの答えというかヒントがあるような気がします。
  僕は昔から、作者が小説を書くんじゃないと言っているんです。数多くの人が心の中で夢見ながら作っている物語があって、そういうものを形にして表し、投げ返すのが作家であると。作家は代理人なんですよ。僕は作家というのは恐山のイタコと同じだと思っている。特に大衆文学というのは、ひとりの作家の個性とか才能を発揮するものではなく、そこに宿る木霊というか、その背景には物語を紡ぐ100万人の作家がいる。そんなふうに考えてきたんですね。
――その辺も「他力」ということなのでしょうか。
  他力ってのは呼び声なんですよ。こちらから働きかけるんじゃなくて、「おいこっちを向けよ」と呼ばれる。ですから、今後もそういう声が響いてきて、後ろから他力の風が後押ししてくれれば、80を過ぎても、またひと働きすることがあるかもしれません。
――それにしても、五木さんは大変お元気ですが、どんな生活で執筆活動をされているんですか?
  夜更かしですから、大体、12時ごろから仕事を始めて朝5時に終わって6時ごろ寝るというのがパターンです。夕方から各社との打ち合わせやインタビューですね。完全な夜行型で、健康法には興味はありますが、常識的な健康法とはまったく正反対。食べたい時に食べるし、食べないときは1日でも2日でもまったく食事をしないこともありますし、夜中にラーメンを食べることもある。野生動物のような暮らしです。よくここまでもったと思います。
――ありがとうございました。
▽いつき・ひろゆき 1932年生まれ。「さらばモスクワ愚連隊」でデビュー。「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞。「青春の門・筑豊篇」で吉川英治文学賞、「親鸞」で毎日出版文化賞。

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