目黒女児〈船戸結愛ちゃん〉虐待死事件 父親 雄大 被告人質問 2019/10/4 詳報(1)しつけがうまくいかず「怒りが強くなり暴力の方向に」

2019-10-05 | 身体・生命犯 社会

目黒女児虐待死、父親被告人質問詳報(1)しつけがうまくいかず「怒りが強くなり暴力の方向に」
2019.10.4 13:16
 《東京都目黒区で昨年3月、船戸結愛(ゆあ)ちゃん=当時(5)=を虐待して死なせたとして、保護責任者遺棄致死などの罪に問われた父親の雄大被告(34)の裁判員裁判の第4回公判が4日、東京地裁(守下実裁判長)で始まった》
 《雄大被告はグレーのスーツに紺色のネクタイ姿で入廷。うつむき加減で開廷を待った。裁判長から黙秘権のことなどについて説明があり、その後、弁護側の被告人質問が始まった》
 《弁護人はまず、雄大被告の出身地などを確認。雄大被告は岡山県で生まれ、小学生のときに千葉県、札幌市と転居。「(転居先では)嫌われないように、友達から好かれるように頑張っていた」と振り返った》
 《家族構成は両親と妹。雄大被告は母親について「子煩悩で過保護気味な感じもあったが優しい感じ」、父親は「仕事に真面目で質素倹約、地味だった」と説明。両親との関係について問われると、「一時的な反抗期はあったが、そんなに悪くなかった」とした》
 《大学卒業後はIT関係の会社に就職した。しかし、仕事に対するプレッシャーなどから徐々に体調を崩して退職。友人から誘われてススキノ(札幌市)の水商売の店に勤務し、その後、別の友人からの誘いで高松市の店に移った》
 弁護人「その店で誰と出会いましたか」
 雄大被告「(元妻で、雄大被告とともに起訴され、保護責任者遺棄致死罪で懲役8年の判決を受けた)優里(ゆり)さんです」
 弁護人「優里さんの立場は?」
 雄大被告「店内のキャストとして働いていました」
 弁護人「優里さんの家族について、どのように聞いていましたか」
 雄大被告「一度離婚歴があり、娘さんがいらっしゃると聞いていました」
 弁護人「優里さんとの関係はどうでしたか」
 雄大被告「数カ月後に交際することになりました」
 弁護人「結愛さんには会いましたか」
 雄大被告「交際して1~2カ月後に何度か会いました」
 弁護人「結愛さんの印象はどうでしたか」
 雄大被告「最初は照れくさそうにしてシャイな子だと思いました。慣れてくるとひょうきんな面もありました」
 弁護人「生活を一緒にしてからはどういう気持ちでしたか」
 雄大被告「日々が続くにつれ、結婚という気持ちが次第に大きくなっていったんだと思います」
 弁護人「それはどうしてですか」
 雄大被告「結愛の存在が一番大きかったです」
 弁護人「どうしてですか」
 雄大被告「両親がそろっていた方が子供のためには良いのかなという気持ちがあったと思います」
 弁護人「理想の家族というのがありましたか」
 雄大被告「明るく笑顔の多い家族だと思っていました」
 弁護人「子供に理想はありましたか」
 雄大被告「友達が多くて明るいかわいらしい子に育ってほしいと思っていました」
 弁護人「友達が多い方がよいのはなぜですか」
 雄大被告「親の目の行き届かないところで結愛のことを助けてくれると思ったからです」
 弁護人「理想についてどう思っていましたか」
 雄大被告「かなえばいいなと思っていました」
 弁護人「プレッシャーはありましたか」
 雄大被告「ものすごく強かったです」
 弁護人「どんなところにプレッシャーを感じましたか」
 雄大被告「親としての責任や、将来結愛が大丈夫かという不安です」
 弁護人「ほかには?」
 雄大被告「父親になれるだろうかという不安です」
 弁護人「血のつながりがないことについてはどうでしたか」
 雄大被告「大きな不安が結婚前からありました」
 弁護人「それはどうしてですか」
 雄大被告「周りから血がつながっていないことが悪いことと考えられると思ったからです」
 弁護人「生活を一緒にして結愛ちゃんについてどう思いましたか」
 雄大被告「食べ物に対する執着心が強いのかなということと、生活習慣が整っていないと思いました」
 弁護人「どういうところですか」
 雄大被告「朝起きる時間、夜寝る時間や歯磨きをする習慣がないことです」
 弁護人「どう思いましたか」
 雄大被告「今のままでは良くないと考えていくようになりました」
 弁護人「どうしましたか」
 雄大被告「優里さんと話し合いました」
 弁護人「どういう風に?」
 雄大被告「お互いの考え方を伝え合いました」
 弁護人「次第にどうなりましたか」
 雄大被告「優里さんに威圧するようになっていきました」
 弁護人「それはなぜですか」
 雄大被告「自分が正しいと強く思いすぎていたからだと思います」
 弁護人「その後の優里さんへの当たり方はどうなりましたか」
 雄大被告「どんどん強くなって行きました」
 弁護人「どうなったんですか」
 雄大被告「怒ることも多く、怒る声も大きくなりました」
 《平成28年4月に雄大被告は優里被告と入籍し、結愛ちゃんと養子縁組した。その手続きの際、雄大被告は「養父」という言葉が目にとまったという》
 弁護人「どう思いましたか」
 雄大被告「驚きと強いショックを受けました」
 弁護人「なぜですか」
 雄大被告「実父という肩書きがもらえると思っていたし、ほしいと思っていたからです」
 《雄大被告はこの頃、結愛ちゃんに近所に定期的に遊ぶような友人がいないことが気になっていたという。結愛ちゃんが公園で一人でシーソーに乗っていて、雄大被告に「パパ見て」と呼びかけてきたことがあったという》
 弁護人「どういう気持ちでしたか」
 雄大被告「喜びと少しおもしろいというのと、悲しみです」
 弁護人「どうして悲しみなのですか」
 雄大被告「4歳くらいだったと思いますが、4歳に至るまで誰もシーソーの乗り方を教えてくれる友達や大人がいなかったのだと思ったからです」
 弁護人「夏祭りのこともありましたか」
 雄大被告「私と結愛と2人で祭りを散策していました」
 弁護人「周りに人はいましたか」
 雄大被告「同じ幼稚園の親御さんがいました」
 弁護人「結愛さんはどうでしたか」
 雄大被告「私の横にずっといて、暗い顔をしていました」
 弁護人「何と言ったのですか」
 雄大被告「『私のことは気にしなくて良いから、友達と遊んでおいで』と言いました」
 弁護人「結愛さんはどうでしたか」
 雄大被告「『いや、いい』と暗い顔で言いました」
 弁護人「優里さんの証言では、日常的に友達がいたという趣旨の話がありましたが、認識が違うのですか」
 雄大被告「違くはないですが、優里さんの言っていた友達とはニュアンスが違うと思います」
 弁護人「どんなことが違うのですか」
 雄大被告「結愛のことを特別視してくれたり、毎日家に来てくれたりする仲の良い友達を本人も求めているのではないかと思っていました」
 《雄大被告は入籍した頃、結愛ちゃんの食事に対する姿勢にも疑問を抱いていたという》
 雄大被告「(入籍前まで)食べたい量だけ食べさせるようにしてきたと、優里さんから聞きました」
 弁護人「結愛さんの言葉がありましたか」
 雄大被告「どこかのタイミングで、『私はご飯さえ食べられれば友達も、ママも、おじいちゃんも、おばあちゃんもいらないから』と聞いて悲しかったです」
 弁護人「結愛さんのしつけはうまくいっていると思いましたか」
 雄大被告「私の中ではうまくいっているとはいえないと思っていました」
 弁護人「優里さんへの叱責はその後はどうでしたか」
 雄大被告「次第に結愛本人の方に気持ちが変わっていきました」
 雄大被告「鬼さんに食べられちゃうとか、お化けが出ちゃうと」
 弁護人「それでも効果がないとどうでしたか」
 雄大被告「怒りが強くなり、暴力の方向に向かってしまいました」
 弁護人「優里さんはどうしていましたか」
 雄大被告「見るような場面があれば、怒ったり泣いたりして止めていました」
 弁護人「あなたはどうしましたか」
 雄大被告「邪魔するなと言う感じで止めていました」
 弁護人「理想から少しずつ距離が出てきたのですか」
 雄大被告「どんどん離れて行っているというようには感じていたと思います」
 弁護人「どういう感情でしたか」
 雄大被告「焦り、いらだちだったと思います」
 弁護人「どんな風に?」
 雄大被告「口で説明してなぜやった方が良いのか、やったらこんな良いことがあると言いました」
 弁護人「次は?」
 雄大被告「繰り返すうち、うまくいかず怒りが増し、脅すようになりました」
 弁護人「どういう風に?」

 ◎上記事は[zakzak]からの転載・引用です


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