「首相が自衛隊最高司令官である事とは」「靖国参拝批判は内政干渉だ」 ジェームス・E・アワー

2013-10-31 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

【正論】首相が最高司令官である事とは ジェームス・E・アワー 
 産経新聞 2013.10.31 03:23
 首相に選ばれた当初、自身が自衛隊最高司令官を兼務していることを承知していないようにみえた前任者も何人かいたとはいえ、安倍晋三首相は、そのような責任があることを明確に認識している。彼はその任において単独で、もしくは、必要なら米国の協力態勢を求めて、日本の安全と幸せのために国を守る義務を有する。
 ≪靖国参拝批判は内政干渉だ≫
 さらにいえば、彼が日本の軍事上の最高権限者として、国家のために戦って亡くなった人々に尊崇の念を示すのは、それが同盟国米国であっても、当然である。米首都ワシントンで海兵隊将校をしている筆者の息子はたまたま、安倍首相がアーリントン国立墓地で米国の戦没者を追悼した際に、儀仗(ぎじょう)隊を指揮したことがある。したがって、日本の首相は靖国神社に詣でて戦没者に哀悼の意を表すべきでない、と外国人が言うことなどまず考えられないことだ。
 むろん、自分の靖国神社参拝の機会を利用して、中国が不当な文句を付けてくることが分かっているから、特定の時期には靖国を訪れないという選択肢が、首相にはある。そうした中国の言いがかりは日本の内政に対する重大な干渉になるだろうとはいっても、それは、日本の指導者が自らの裁量で自由に行える決断である。
 仮に、中国が有人あるいは無人の航空機を、尖閣諸島を含む日本の領空に送ることを選択したとしたら、最高司令官たる安倍首相は同じように、必要とあらば武力によってでもそれを阻止するかどうかという決断を迫られる。
 安倍氏以前の首相の一人が、2010年に日本の海上保安庁の巡視船に衝突してきた中国漁船の船長を釈放する決断をして以来、領空侵犯といった事態に発展するとの可能性は予見されてきた。船長が、不法行為に対する裁判その他の後難を免れるのを許したことによって、中国の行動激化は、ほとんど必然となり、いつ起きるかというだけの問題となった。
 日本の領空が侵犯され首相が対処しない場合、彼の「理性的」な抑制をたたえる者もいるだろう。中国もそれを喜ばしく思うだろうが、尖閣諸島に対する日本の主権に異を唱えるその主張を平和的、外交的に再評価することを目指すようになるとは思えない。
 ≪米国は尖閣で支援義務あり≫
 はるかにありそうなのは、中国側の段階的な行動激化だ。日本は(自国領の境界線に対する侵犯を阻止しなかったことにより)、尖閣諸島をめぐる領有権争い、中国が「平和的に(自らに有利に)」交渉したいと願う争いが、日中両国政府の間に存在することを暗黙の内に認めた、と論難してくるのをはじめとして、である。
 だが、日本が中国のそうした行動に武力で対抗するのは、あまりに危険で挑発的ではないか? そうすることは「レッドライン(越えてはならない一線)」を越えたり中国の「核心的利益」を侵したりすることにならないか?
 安倍首相はそんな感情的な、あるいは無謀な対応を取りそうにはない。とはいえ、首相は、自衛隊の最高司令官として日本に国家安全保障を提供する責任がある。私の個人的見解では、首相は、日本の領土を侵略から守る決断を下す権利を有しており、もし、中国が「日本の施政下にある領土」で自衛隊に報復した場合は、米国は日米安全保障条約第5条に則(のっと)って日本を支援する義務がある。
 武力行使よりも非暴力や外交の方が好ましくはないのか?
 しかし、それはまさしく状況による。もし、女性や小さな子供が邪悪な人間や異常者、あるいは野生動物に今まさに襲われようとしていて、近くにいた勇気ある男性が物理的な抵抗を行わなければ、無辜(むこ)の犠牲者の死や重傷という結果に至るのはほぼ確実だ。
 ≪不当武力に抵抗の意思持て≫
 つまるところ、自由というものは、市民や国家が、法の支配に確信犯的に従おうとしない人間やグループから自らを守ることをいとわないときにのみ、「自由」なのである。外交や非暴力というものも、法を順守することをよしとしない攻撃者が、不当な暴力は正当かつ強力な抵抗を受けるのだと悟ることによって抑止される場合にのみ、機能するのである。
 ただし、抵抗とは、自由な意思による勇気と信念に基づく行為である。もし、人や国が不当な威嚇や武力行使に対して抵抗する意思を持ち合わせていなければ、自由は失われるかもしれない。
 自由の喪失は、究極的には隷従に帰着しかねず、平穏ではあり得ても惨めな運命であり、日米両国のような自由諸国の市民たちが幸運にも直面しなくてすむ運命だ。それは、彼らの指導者たちが抑止力ある自衛能力を維持することにより国家の安全保障を提供する意思があれば、の話である。
 尖閣諸島における日本の主権に対してさらなる領土的な侵害が起きれば、安倍首相は難しい決断に直面するだろう。何人かの前任者たちと違い、安倍首相は、そうした決断は自分こそが下さなければならないものだということを分かっていると筆者は信じる。
(ヴァンダービルト大学 日米研究協力センター所長)
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します *リンクは来栖
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『防衛省と外務省 歪んだ二つのインテリジェンス組織』 福山隆著 幻冬舎新書 2013年5月30日第1刷発行 2013-07-28 | 本/演劇…など 

       

 (抜粋)
     日本は生き残れるか
 3・11――戦争に匹敵する事態
p185~
 国家的なクライシスを迎えた場合、まず第1にやるべきことは情報の収集です。質・量ともに十分な情報がなければ、「次の一手」について正しい判断や決定はできません。尖閣諸島漁船衝突事件のような事態が起きた場合、国のトップは、外務省、防衛省、警察庁、内閣官房内閣情報調査室といった部署に「収集すべき情報は何か」を伝え、そこから上がってきた情報を総合的に分析した上で、意思決定を行うべきです。
 しかしあのとき、そういったことが迅速に行われた形跡は、少なくとも私の知る範囲ではありません。おそらく、日頃からそういった危機に備えた訓練もなされていないのでしょう。対外情報機関(日本版CIA)も、情報を一元的に集め処理する機関も存在しないので、いざというときに総合的なインテリジェンスをどのように機能させるかという準備ができていないのです。
 菅政権時代には、戦争にも匹敵する事態が起こりました。いうまでもなく、2011年3月11日に発生した東日本大震災と、それに続く福島原発の事故です。
 あのときに菅直人という政治家が首相の座に就いていたのは、国民にとって実に不幸なことだったといわざるを得ません。というのも、彼が総理大臣になってから初めて自衛隊幹部と面会した時の第1声は、こんなものでした。
p186~
 「私が陸海空自衛隊の最高指揮官だそうですね。初めて知りました
 国家を預かる最高責任者の言葉とは到底思えません。国家の安全や国民の生命、財産を守るリーダーとしての自覚を全く持っていなかったのです。
 私は防衛駐在官としてソウルに赴任中、朝鮮戦争時の英雄として知られる白善(ペクソニヨプ)氏に親しくしていただき、いろいろなことを教わりました。韓国陸軍の創設に参加し、最初の陸軍大将に任じられた人物です。その白氏に、私はあるとき、「大軍の将はいかにあるべきでしょうか」と問いました。
 「大軍の将は、いま起きているありとあらゆることをすべてしらなければいけない」
 白氏は、そう答えました。つまり「インテリジェンスが大事」だということでしょう。
 戦場には、リーダーが知るべき情報が山のようにあります。例えば、現場の地形や気象、海軍なら、海の潮流や温度分布もそうです。潮流の具合によって音波の屈折も変わりますから、それがわからなければ敵を探知することもできません。
p187~
 独裁的な権力を発動しなければならないのが「危機」
 そういった細かい情報をすべて知らなければいけないのが、「大軍の将」です。(略)
 これは、口で言うのは簡単ですが、なかなか実行できることではありません。自衛隊でも、指導力に欠ける人ほど現場で気づいた「小さなこと」をワーワーと隊員に指図します。
 「それではいけない」と白氏は言いました。「現場で兵隊を激励するのはいいが、感情の起伏をあらわにして騒ぎ立てると、前線の兵隊は臆してしまう。じっくり見た上で、何か本質的な問題があれば、後で中央から電報で全軍に布告すればいい。それが大軍の将というものですよ、福山さん」
p188~
 ここで私が言いたいことは、もうおわかりでしょう。福島で原発事故が起きたときに菅総理が取った行動は、まさに「大軍の将」がもっともやってはいけないことでした。官邸に腰を据え、現場で起きていることをすべて把握するよう努めるべきところを、現場に乗り込んであれこれと口を出したのです。
 こうした失態は、もちろん総理の個人的な資質による部分も大きいでしょう。しかし、そこだけに原因を求めるわけにはいきません。どの政治家が総理のポジションにあったとしても、現在のインテリジェンスシステムでは同じようなことはいくらでも起こり得ます。日頃から危機に備えた準備や訓練を綿密に行い、さまざまな情報を統合的に管理するインテリジェンス機関がなければ、こうした事態に対応することはできません。
 日頃から実在するインテリジェンス機関を意のままに総合的に動かし、あらゆる情報を自分の下に集約できるシステムを構築し、タイムリーに適切な判断を下すのが、「大軍の将」としての総理大臣の役割です。その運営は、ある意味で全体主義国家に通じます。
p189~
 戦後日本において、これはもっとも忌み嫌われるスタイルです。もちろん私も、平時は民主主義的な意思決定が重要だと思います。
 しかし民主主義的な手続きは、意思決定までに時間がかかるのも事実。国家的なクライシスにおける意思決定は1分1秒を争うものですから、平時と同じ手続きを踏んでいる余裕はありません。一定の範囲で「大軍の将」である総理に決定権をゆだね、独裁的な権力を発動しなければ、国や国民を守ることはできないのです。  *強調(太字・着色)は来栖
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