沖永良部修道院

2005-08-01 | 日録

 Sr.本田のお姿がここ何週も見えないので、昨日ミサのあとでSr.熊に尋ねたところ、沖永良部の修道院へ派遣された、と聞かされた。本田さんは、70代だ。
 もう十何年も、ミサのあと私はシスターたちを車で教会から修院へお送りしている。修女会も高齢化で、おまけに、近いとはいえ教会から修院への帰路は登り坂なので、シスター方は車でお送りするのを喜んでくださっているようだ。そうなる契機が、Sr.本田さんだった。ちょっとしたことで躓いて「転んじゃった」そうで、手を骨折されていた。それで「シスター、お送りしましょうか」と声を掛けたのだった。喜んで乗ってくださった。以来、「当たり前のように載せて頂いて・・」などとおっしゃりながら、それがシスターたちと私の、毎日曜日の習慣になった。
 私は信仰希薄で、朝7時からのミサでオルガンを弾くこととシスター方をお送りすることのために教会へ行っているに過ぎないような者である。そんな私が折に触れ襟を正させられるのは、シスターたちの姿に、である。
 上長の命令によって、どんなところであっても、彼女たちは数日の内に派遣されてゆく。
 70代のシスター本田は、決して丈夫なお体ではなかった。弱々しくさえ感じられた。その方が遠く南の修道院へ派遣されたことに、私は強い衝撃を受けた。どこまでも心優しい方であるけれど、イエスの名のもとに、血肉の絆・安楽の一切を捨てて、どのような場をも受け入れてゆく。ミッションの中で、召命を果たしてゆく。Sr.本田の場合、御歳を考えれば、苛酷とも映るが・・・。
 さきほどSr.本田さんとお電話でお話したところ、「黙想会の途中で上長から『使徒職が変わります』と云われ、黙想会の終わりに、沖永良部派遣を言い渡されたので『喜んで行かせていただきます』とお返事しました。急だったので、ご挨拶もできず。でも、喜んでいます」と。
 先の戦争のとき、コルベ師はアウシュビッツでナチにおっしゃった。「私を、その父親の代わりに地下室(餓死刑室)に送ってください。私は、カトリックの司祭です。私が死んでも、悲しむ家族はいませんから」。ナチが囚人に発言を許したこと自体、奇跡であった。独身のカトリック修道士コルベ神父は、一人の父親の身代わりとなって死んだ。「人が、その友のために命を与えるほど大きな愛はない」。聖書の言葉が成就(受肉)した瞬間だった。 鈍い私の心を訪れ、静かに語りかけてくる声がある。


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