NHK『100分で名著』
三島由紀夫「金閣寺」は、1950年7月に実際に起こった「金閣寺放火事件」を素材にして創作された、戦後文学の最高傑作とも称される作品です。戯曲化や映画化も果たし、今も、国内外で数多くの作家や研究者、クリエイターたちが言及し続けるなど、現代の私たちに「人間とは何か」「美とは何か」を問い続けています。番組では、戦後日本文学の代表者ともいえる三島由紀夫(1925-1970)の生涯にも触れながら、代表作「金閣寺」に三島がこめたものを紐解いていきます。
舞台は戦前から終戦直後の京都府。成生岬にある貧しい僧侶の家で生まれた溝口は、幼い頃から吃音に悩まされる感受性の強い少年。父親から「金閣寺ほど美しいものは地上にはない」と聞かされ続け、美しい景色をみては金閣寺への憧憬をつのららせて、いつしか自らの劣等感を忘れさせてくれる存在に。やがて金閣寺の徒弟となり得度した溝口は、戦争の中で金閣寺とともに滅んでいくことを夢みるようになりました。しかし敗戦が、溝口と金閣寺の関係を決定的に変えてしまいました。戦時中は「滅びゆくもの」として自分と同じ側にあったと思われた金閣寺は、自分からかけはなれた「呪わしい永遠」と化したのです。師である住職との関係、友人たちからの影響、女性との遍歴の中で深い挫折感を味わった溝口は、ついに金閣寺を憎むようになり、「金閣寺を焼かなければならぬ」と決意するに至ります。果たして、金閣寺放火に至った彼の心境の裏には何があったのでしょうか?
小説家の平野啓一郎さんによれば、この小説には「心象の金閣」と「現実の金閣」に引き裂かれながらもその一致を求め続けた主人公の苦悩を通して、現実と理想、虚無と妄信、認識と行為などに引き裂かれて生きざるを得ない私たち人間が直面する問題が刻まれているといいます。それだけではありません。三島が苦渋をもって見つめざるを得なかった日本の戦後社会の矛盾や退廃が「金閣寺」という存在に照らし出されるようにみえてきます。この作品は、私たちにとって「戦後」とは何だったのかを深く見つめるための大きなヒントを与えてくれます。更には、なぜ三島が自決という最期を選んだのかという謎にも迫れるというのです。
番組では小説家・平野啓一郎さんを講師に迎えて「金閣寺」を現代の視点から読み解き、私たち人間が逃れようのない「劣等感」や「美への憧れ」といった宿命や、「戦後社会」が私たちにとって何だったのかといった普遍的な問題について考えます。
◎上記事は[NHK 100分de名著]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2021.5.19 Wednes〉
三島由紀夫文学と聞いて感じることは、いつも同じである。人は、とりわけ小説家は、出自に多くが決せられる。そのことがものの見事に表れているのが、「金閣寺」に関する作品。三島由紀夫氏と水上勉氏による作品である。三島氏の作品を、もし林養賢さんが読んだらどうだろう。
私は何十年も前に水上勉さんの作品を、おそらく殆どの作品を読んだ。「金閣炎上」も。僻地に生まれ貧しく育った水上さん、やがて京の寺に徒弟として出され、「金閣寺」の主人公・林養賢さんと同じ辛酸をなめる。
金閣寺をテーマとするときNHKはやはり、水上さんではなく、三島由紀夫氏を選んだ。
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* 水上勉著『金閣炎上』 新潮社 昭和54年7月25日発行