特別対談 中沢新一×内田樹 「橋下現象と原発 これからの日本を読む」
現代ビジネス2012年03月01日(木)週刊現代
1950年生まれの同い年。対談本『日本の文脈』がベストセラーとなっている二人の思想家が、政界を席捲する橋下現象と原発をキーワードに日本人の国民性を説き明かす。進むべき道は、どっちだ。
■ヤンキー的なもの
内田 橋下フィーバーは、きわめて現代的な現象だと思う。
中沢 それはまたどういう意味で?
内田 彼は典型的なアンチ・パターナリスト(反父権主義者)でしょう。既得権益者に向かって、「われわれに権力も財貨もすべて譲り渡せ」という。世界のリーダーたちも現にどんどん低年齢化している。オバマもサルコジもプーチンも。
一昔前は、スターリンもチャーチルもルーズベルトもドゴールも、「国父」というイメージの老人たちが政治を仕切っていたでしょう。
中沢 ガンジー以外はみんなオヤジでしたね(笑)。
内田 国父は「私にすべて任せておきなさい、悪いようにはしないから」と言うだけ。国民はしかたないから父を信認して丸投げして、個別的な政策の適否なんか吟味しない。久しく国際政治はこの父たちの密室会談だった。
中沢 そのオヤジたちはいまや政治の世界では退場を迫られている。代わりに登場したのが兄ちゃんみたいな人たちで、彼らはおしなべて新自由主義を掲げて人気を得ている。
背景に「ヤンキー的なもの」の静かな台頭もあるかも。最近の日本各地の祭り文化を担っているのは実はヤンキーの方々です。昔はヤンキーの他に必ず「長老」みたいな人がいたもんですが、だんだん長老の存在感が希薄になりつつある。
内田 「父」は寡黙だし、説明しないし、腹が読めないけど、「兄ちゃん」は言うことがわかりやすいし、感情にも共感しやすい。彼らは無能な老人が権力や財貨を占有していることが許せない。だから、徹底的に「能力主義」的な仕方での社会の再編を要求し、反対者は容赦なく追放する。
父は反対者もゴクツブシも含めて身内の面倒だけは見ようという気があったけれど、「兄ちゃん」にはそれがない。
中沢 商店街でバッタリ出会った優等生をボコボコにするヤンキーみたいに(笑)、文化人やインテリを「悪者」にして徹底的に叩く。
内田 フロイトの言った「原父殺害」を思い出すね。男兄弟が力を合わせて父親を殺し、その富を分け合う。強大な父が去り、フラットな世界が訪れる。
中沢 でも僕たち自身、若い頃そうだったでしょう。オヤジを倒せって。
内田 そうなの。自分がやってる時は何をしているのかわからなかったけれど、60歳を過ぎて若い人見ているとわかるね。問題は、もう巨大な父なんかどこにもいないということ。それなのに、まだ「父を倒せ」と言っている。システムはずいぶん前からかなり壊滅的な状態なんだ。
「壊せ」というスローガンが出てくるのは社会制度が堅牢で奪還するだけの富がどこかにあるというのが前提なんだけれど、その現状認識はもう通じない。
中沢 「今の資本主義によって繁栄し続ける」という前提ですね。僕は週刊現代で『大阪アースダイバー』を1年間連載してくまなく歩いたけど、今の大阪は全然堅牢じゃなくなっている。東大阪の町工場や船場の古くからある店はボロボロになり始めている。
そういう大阪で「新自由主義的な発想でいかないと繁栄を維持できない」と言う人たちがいるけど、「今の繁栄」そのものがもうボロボロな幻想で。
内田 すでにボロボロに疲弊した労働者たちをさらに徹底した能力主義で格付けして非力なものを叩き落とすというのは、坂道を転げ落ちている時にアクセルを踏むようなものだよ。
■他とは異なる「大阪的原理」
内田 中沢さんは『大阪アースダイバー』の最終回で、橋下さんについて書いていましたね。
中沢 ええ。大阪から日本を変えると宣言するからには、「大阪的原理」をちゃんと大切にしてください、裏切ると大変なことになりますよ、と書きました。
内田 大阪的原理って、中沢さんの考えではどういうものなの。
中沢 大阪は古来、海民や渡来民が入ってきやすい土地で、古墳時代から墓守や皮革産業など人や動物の死にまつわる仕事もごく身近だった。そのためか異端者とか敗者に優しい、受容器のような性格を持つ都市であり続けてきた。
たしかにそこには差別もあるけど、社会的弱者に対する温かい眼差しが常にあった。6世紀末に聖徳太子が四天王寺を建立した時以来、そのことは連綿と可視化されてきました。
だからこそ、僕は橋下さんに複雑な思いを持つんです。橋下さんはある意味、大阪社会のもっともディープな部分から出発しているから、こういう大阪的原理に敏感な人だと感じる。
内田 たしかに、彼のポピュラリティにはその「二重性」があるね。勝者総取りのグローバリストの顔と、被抑圧者の代表という顔を使い分けている。こういうキャラクターは大阪という政治風土からしか生まれないのかも知れない。
中沢 ところが、そういう橋下さんをかつぎ上げて、自分たちの思いを実現しようとしている新自由主義者たちには、大阪的原理はまったくわかっていない。逆に弱者にむごい大阪にしてしまう可能性がある。
そういう橋下さんが国政に打って出たらどうなるか、気になるところです。
内田 いや、東京ではたぶん通用しないと思う。彼の二面のうちグローバリストの面だけでプラス評価されているから。
でも実際には彼は府知事の4年間でグローバリスト政策では成果上げていないでしょう。大阪都だ、道州制だ、カジノだ、10大名物だ、維新塾だ、「船中八策」だと毎日のようにイシューを繰り出すからメディアは後追いするしかないけれど、政策成果の吟味は誰もしてない。
中沢 だとすればなおさら、大阪を変なふうに改造しないでほしい。弱者、敗者の受容器という大阪の歴史ある役割が、新自由主義によって消滅してしまうことが怖い。橋下さんも「選挙で勝ったから勝者」と単純に思わないで、自分の人気は目に見えない「大阪的原理」が支えてくれていると思ったほうがいい。
内田 彼の支持者の多くは既成制度の解体を支持しているけれど、それは混乱のどさくさまぎれに自己利益を増大できるチャンスがあると思っているからでしょう。こういう面従腹背で日和見の連中は少し逆風が吹き出したらあっという間に落ち目の橋下徹を見限るよ。
中沢 むしろ僕らみたいないったんは負け組になってた連中が、優しく迎え入れてあげる(笑)。
■原子力は「荒ぶる神」
内田 今の日本で統治者に求められているのは、対立を煽って共同体を分解することじゃなくて、小異を捨てて大同につくという国民的統合でしょう。
中沢 社会全体の免疫力を上げていく作業ですね。
内田 でも、3・11以後の国難的な危機に遭遇してもなお、政治家から「挙国一致」という言葉が出ない。菅さんが谷垣さんに連立を呼びかけたけれど、とても真剣な申し出だと思えなかった。
「ここで国民がまとまらないとどうにもならない」というつよい危機感があれば、三顧の礼を尽くしても連立を求めたはずだし、その言葉に誠意があれば、自民党だって、「政権の延命に加担したくない」というような党利党略を離れて連立に協力したと思うよ。
中沢 原発の問題もそうですね。国土の一部が損なわれるほどの被害をこうむって、さすがに直後は「脱原発」の声が高まった。でも財界とかメディアとか、声の大きな人が「推進に決まってるじゃないか」と言ったら、すぐ「そうかも」ともとに戻っちゃう。原因は、脱原発そのものがイデオロギーの域を出ていないからです。
今度の大震災で、日本人は大転換を起こすきっかけをもらったんです。その大転換は自然とのかかわり方を含めて、とても深くて大きな問題にかかわっていて、原発のことは、その一面の表れにすぎない。
内田 僕がブログに「テクノロジーにいいも悪いもない。使われ方が問題だ」と書いたら、「原子力技術は存在自体が悪だ」と書いてきた人がいた。ほとんど異端審問官のような口ぶりだった。硬直してるね。
中沢 原子炉の内部で起きる核分裂は、本来は太陽の内部で起きているレベルの現象で、生態圏に持ち込まれたことのなかったエネルギーです。この原子力技術そのものが、革命的な発明だったことは間違いありません。
内田 それ自体はすごい発明でしょう。
中沢 たしかに今の原発という発電システムには重大な欠陥があります。でも、原子力技術と、産業と利権に組み込まれてしまった原発の問題を一緒くたに論じると、本質が見えなくなってしまう。
内田 原子力は現代における「荒ぶる神」だと思う。一神教文化圏には「恐るべき神」に対応するノウハウがある。でも、日本人にはそれがない。原子力を世俗的なカネ儲けや外交手段のカードのように扱った。恐るべきものはもっと真剣に恐れるべきだったんだよ。
中沢 吉本隆明さんが「原子力を否定することは人間がサルに戻ることだ」と発言したのも、おそらく真意は別のところにあった。科学技術そのものを否定してはいけない、と言いたかったんだと思う。
でも、石原慎太郎さんが「吉本隆明もサルになると言っている」と引用したことで、「原発推進」の論理にすり替えられてしまう。ほんとうに吉本さんがおいたわしくて。
内田 原発は人間の要求に奉仕するただの道具にすぎないという話に落とし込んで、原子力に対する恐怖をごまかしてきたんだけれど、実際はそんなごまかしが効く相手じゃなかったんだ。だから、事故の後、「罰が当たった」という言葉が説得力を持ったんじゃないの。
■ビジネスの言葉では語れない
中沢 でもさっきも言ったように、脱原発がイデオロギーで終わってしまったら、財界などの大きな声に勝つことはできない。
「グリーンアクティブ」を立ち上げたのも、こういう状況を突破したいという思いからです。脱原発を掲げてはいますが、本当に僕が考えてもらいたいのは、その奥にある「日本人と自然のかかわり方」そのものであり、日本を本当の意味で豊かにできる産業の仕組みについてなんです。
キーワードは、僕らが愛用する「贈与の感覚」だね。
内田 レヴィナスは「始原の遅れ」という言葉で言うんだけど、僕たちはすでに見知らぬ誰かから贈り物を受け取ってしまっている。ここに存在していられるのは、僕より前にこの場所にいた誰かが僕のために場所を空けてくれたからだ、と。
だから、人間の最初の行動はすでに受け取ってしまった贈り物に対する反対給付義務を果たすことだ。それが贈与論の基本的な考え方だね。
中沢 教育もそうですね。僕が教師として教え子たちにいろいろ与えるのは、彼らから直接、何かが返ってくると期待するからではない。僕がすでに、先人から贈与を受けているから、それをつないでいく義務がある。
内田 大阪に話を戻すと、僕がいちばん危険だと思うのは教育基本条例。教育を効率とか費用対効果とかビジネスの言葉で語ろうとしている。
教育も医療も行政も、社会制度の根幹にかかわる制度は本来はビジネスが入り込む場所じゃない。
中沢 贈与の特徴は「時間差があること」。たとえば教育であれば、本来は世代をまたいで受け継がれていく。でもビジネスマンの発想では、「カネを払った分、役に立つものをすぐに寄こせ」ということになる。
新自由主義者たちが言う「グローバルな人材の育成」という教育理念は、まさに「すぐに役に立つことを教えろ」という消費者マインドに基づいている。そこには贈与の精神が欠如しています。
内田 体験的にもわかると思うけど、教育の成果っていうのは学校を出て何十年もしてから、不意に「ああ、あの時先生が言ったのはこういうことだったのか」と腑に落ちると、その瞬間に自分が受けた教育の意味がまるごと組み替えられる。
だから、成長の段階ごとに自分が受けた教育の意味は改訂される。教育のアウトカム(成果)を定点で数値的に量ることには何の意味もないんだけどね。
中沢 日本人と自然の関係にも同じことが言えます。自然は恵みをもたらしてくれると同時に、災害をもたらすこともあるけど、善悪や損得を超えて一緒にものをつくろうとしてきた。
内田 ヨーロッパではもともと「自然は征服すべきもの」だから。エコロジーはそれを反転させて今度は一方的に自然保護に転じたけれど、やはりきわめて観念的でしょう。日本の農民や漁民の自然との生活実感に基づいたかかわりとはずいぶん違う。
中沢 だから僕は、グリーンアクティブをドイツなどの緑の党とは、少し違うものにしたいのです。西欧の人の自然観を持ってきて、そこに市民運動を乗っけようとしても、日本では表面的な運動に終わってしまう。
たとえば城南信用金庫という東京の信金があります。いち早く脱原発を掲げ、地域経済と結びついた活動を強めています。この信用金庫は日本人の哲学に基づいて経済活動をしている。僕はそういう組織を日本中に増やしていって、日和見日本人の考えをそのうち変えていきたいと思ってるんです。
内田 橋下さんと違って、わかりにくいね(笑)。
中沢 いいんです、それは。長い時間をかけて理解してもらえれば。
内田 負けると思ってもやらなきゃいけないことがあるからね。負けてもいいじゃない。「落ち武者になった中沢新一」にも、ついていく人はいますよ。
中沢 ロビン・フッドだって、別に勝ったわけじゃないから。ずっと森にいただけで(笑)。
内田 政治家がカネの話ばかりしている時代に、中沢さんのように大ぶりの話をする人がいるとほっとするね。
■破壊だけしても仕方ない
中沢 なぜ「脱原発」が日本人に根づかないのかという話をしたけど、それも仕方がないと思うんです。民意も、それを形成するメディアも日和見だから。
ある生物学者にきいた話ですが、細胞には少数の善玉細胞とやっぱり少数の悪玉細胞があって、残りの大多数が日和見細胞だそうです。だから悪玉細胞が強い時は、日和見細胞が全部悪玉細胞になっちゃう。ところが悪玉細胞の支配が続いて調子が悪くなってくると、だんだん善玉が盛り返してきて、大多数の日和見細胞が今度は善玉細胞になびいて、自分まで善玉になる。
日和見自体に、いいも悪いもないんですね。それが生命体の法則なんだと思います。
内田 だから、「庶民の声」に、批評性を期待するのは無理なんですよ。
中沢 文化人とか知識人って批評性が命でしょう。でもテレビの討論会なんかで橋下さんを批判する文化人は、ボカボカに叩かれてしまう。ところがこういう人たちの機能を殺してしまうと、生命体の機能が危ない。まあ、みんなが善玉だとは言いませんが。
内田 僕は平気。テレビに出ないし、ネットに書かれた悪口も読まないから(笑)。
中沢 インターネットはそうした「呪いの言葉」が匿名で飛び交う空間で、僕自身は積極的に入っていこうとは思わない。でも、グリーンアクティブにはネットを新しいメディアとして政治的に活用できる若者たちに、仲間に入ってもらっているんです。
「アラブの春」の例もありますが、膨大な日和見細胞を善玉に変えることができるのは、あのメディアではないでしょうか。
内田 僕はその点は懐疑的だな。たしかにネットには破壊する力はある。でも、新しいものを創造する力はそれほどない。壊すほうが作ることよりはるかに簡単だから。
中沢 たしかに破壊だけしてもしょうがないからね。僕は革命の後、民衆が支配者の銅像を引き倒すシーンが大嫌いなんだ。すべてこいつが悪かった、みたいな二元論でね。
内田 僕も革命キライなの。「修正」主義者だから。統治システムは悪いところを少しずつ補正するしかないと思っている。
19世紀から後、一気に正義の社会を実現しようとした企てはすべて粛清と強制収容所に行き着いたでしょう。僕はマルクスが否定した空想的社会主義者の言い分に耳を傾けるべきだと思う。もう一度19世紀半ばの分岐点まで戻って、あの後に資本主義の進む道にどんなオルタナティヴ(代替)があったのか、吟味していいんじゃないかな。
中沢 実はマルクスがすでに面白いTPP批判をしてるんだよ。「自由貿易が進むと労働者がどんどん困窮し、格差は拡大する」って。そこから先がふるってて、「だから私は自由貿易に賛成である。資本家と労働者の二極分化が進み、革命が近づくから」って。
内田 マルクスって今読むと、そのまま現代日本に当てはまるからすごいね。確かに、このままゆけば、格差の拡大と労働者の絶対的窮乏化という「革命前夜」の政治状況が現出する。でも、マルクス主義的な解決法はもう無効を宣言されている。僕たちはまったく新しいオルタナティヴを考え出すしかない。
中沢 商品の単価×数量、GDPで国民の幸せをはかる時代はとっくに終わっている。それに代わる幸福の座標軸こそ、贈与の精神だと思います。
●なかざわ・しんいち/山梨県生まれ。思想家、人類学者。明治大学野生の科学研究所所長。『アースダイバー』『精霊の王』『日本の大転換』など著書多数
●うちだ・たつる/東京都生まれ。思想家であり武道家。合気道道場・凱風館館長。神戸女学院大学名誉教授。『下流志向』『日本辺境論』『呪いの時代』など著書多数
「週刊現代」2012年3月3日号より
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『日本の文脈』 内田樹、中沢新一著
同じ1950年生まれの「野生の思想家」同士の過去2年半における対談を中心に収録。農業、教育、宗教、思想、戦争、東日本大震災などについて、博覧強記さを隠さず論ずるが、3・11を分水嶺にするがごとく、論調が変化する。むしろ3・11によって、両者の持論が補強されているかのようだ。
それは、原発事故を伴った大震災によって、「辺境日本的な価値観や生き方」が、よりリアリティを持って立ち現れたからなのだろう。たとえば「贈与」の原理に基づく人間関係を生み出したい、あるいは地域の活力を高めて幸福感のある経済のあり方にするという考え方は、持論とみられる「重農主義」や「廃県置藩」を促進させる。
今「自分の知らないルールでゲームは進行している。とりあえず必死になってプレイしながら、ゲームのルールを発見してゆくしかない」と教える。知的刺激に満ちた「日本人論」であることは間違いない。
角川書店1680円