裁判員裁判について考える時、ほとんどの人は「もし私が裁判員に選ばれたら」との想定の上に考えるだろう。それが普通一般の姿である。殆どの人は重大事件の被告人になど、ならないものだ。だから、これから記述する事柄は、来栖固有の戯言として聞き流して戴きたい。「裁判員に選ばれたら」ではなく、「裁判員に裁かれるとしたら」という想定である。
先週帰省し、母を老人ホームから自宅(私には実家)へ外出させた。寝たきりとか車椅子の生活とかでなく、自分で歩ける母なので、私は帰省のたびに母を自宅へ帰らせ、一緒に食事をする。母の、それが最大の楽しみである。
お茶を淹れ、お寿司など母の好きなメニューを並べて、テレビのスウィッチを入れた。折りしも裁判員裁判の報道をしていた。
候補に挙げられたが最終的には裁判員に選ばれなかった青年のインタビュー。カジュアルな服装、普通の物言いの若者が「選ばれなくて、ホッとしました」などと言っている。母は静かに聞いていた。
「被害者」ほどではないが、「裁判員」という言葉に心波立つ私である。
「ね、お母さん。こんな兄ちゃん(インタビューに応じる青年)に裁かれるなんて、清孝が存命だったら、収まらないだろうね。『この兄ちゃん、何の資格があるんや。何の資格もない一般の市民、国民が、俺を裁く。こんな兄ちゃんに裁かれて死ぬ(死刑)なんて、俺、死んでも死にきれんで』って、清孝は怒りまくると思うよ。どれほどの屈辱と感じるか」。
母は、清孝という名前を耳にしただけで、早くも眼が潤んでいる。私は、続けた。
「郵政民営化と騒がれたときも、私は嫌でならなかった。国(裁判所)が下した宣告(判決)が、国の機関(郵政省)によって特別送達される。なのに、民営化となれば、民間会社の社員が届ける。国の権威が死を宣告し、国の機関が書面を特別送達するから、それなりに屈服する。なのに、こんな自由な(服装の)何の資格もないお兄ちゃんが宣告し、民間会社が書面を届けてくるなんて、『情けない』って清孝は嘆くだろうね」。
勝田事件は、確かに清孝に全面的に非がある。しかし、生い立ちに始まって事件に至るまでの人間関係は複雑である。一人の人間が、人との関わりの中で破綻し歪んでいった。誤ってしまった。疎外感、人間不信に悩まされた。そうして、終(つい)に、道を踏み外し、人として生きることができなくなった。
こんな闇に潜んだ魂は、そこらの兄ちゃんから「死刑」だなんて言い渡されたくはないのである。裁判が終わったときの感想として(記者会見で)、「いい経験をさせてもらった」「充実していました」などと、何ら迷いのない態の裁判員。何も気付いていない。人間の何者であるか、何も分かっていない。嘆きの何であるか、何も分かっていない。こんな人たちに、断じて裁かれたくない。
頷きながら聞いていた母が、言った。
「あんたのお陰で、私は拘置所へ行った。勝田に、あの子に会った。ガラスの向こうで、きれいな顔をしていた。人間の顔だった」
「お母さんが養子にしてくれたからよ」
「私は、あんたを尊敬していた。信じていたんだ。わが子の、あんたのすることに間違いはない、その気持は、今も変わらない。それでなくて、どうして、見たことも会ったこともない人間をわが子に迎えられるだろう。全部、ぜ~んぶ、あんたを信じて、あんたが愛おしかったから、勝田をだいじにしたかったんだ」
過去ことを少しく書いておきたい。
実は、確定(最高裁判決)が近づいた頃、清孝が「言えないことがある。どうしても、言えないことがあるんや」と言った。養子縁組を考えていた時期であったので、「言えないこと」とは何だろうと様々に私は思いめぐらし、勝田が京都の人であったので、もしかしたらの出身なのだろうか、などと詮索した。それで、残酷だと承知の上で京都のシスターに勝田の出自を調べてもらった。彼女は、の出身であった。「勝田さん、やないよ」、答えはすぐに返ってきた。
縁組の後だいぶ時間が経って、母に「もし、清孝がの出身だったら、お母さんは、養子に迎えたかな?」と聞いてみた。「迎えた。の人間でも、迎えた。もう、とか何とか、そんなことを言うのが嫌になっていた。飽きたんだ。そういう世の中に」。即答であった。
私は少なからず驚いた。それというのも、長い教師生活の中で「民主教育」を標榜する母の正体が、極めて強い差別意識に彩られていたことを私は知っていたからである。・朝鮮人・女性という3つの差別を母は濃く帯びて、しかし表面は民主教育を率先垂範する人間であった。この母の生きざまが、幼い頃から私の社会観、人間観を形作った。人の心と言葉と行いがそれぞれ違うということ、センセイと呼ばれる人の偽善性・・・。そのように観る私を、母は息苦しく感じていただろう。
いま母は認知症、介護認定1である。が、新聞を毎日読む。記憶には、ムラがある。びっくりするような些細なことを覚えているかと思えば、とても印象的なことでさえ忘れていたりする。
この前のゴールデンウィークであるが、オランダから張勇夫妻と娘3人そして日本在の張平さん(張勇の妹)がホームへ母に会いにやってきた。母は日中友好とかいって、数え切れないくらい中国を訪れ、中国や台湾に知人友人が多かった。張勇さんは中国人(黒龍江省出身)で、母が保証人となって日本の大学へ留学した。母のことを「日本のお母さん」と呼ぶ中国青年の一人であった。やがてオランダの女性と結婚、居もオランダへ移した。
その張勇さんが家族で訪ねてくれたのに、母はそのことを忘れていた。記念の写真を見せても、「忘れた」と言う。
そのような母である。たったひとりの母。清孝を受け入れてくれ、会いに拘置所へ行ってくれた。清孝という孤独な魂を、あたためてくれた。あの日を思うと、私は涙が滲む。
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「裁判員制度のウソ、ムリ、拙速」大久保太郎(元東京高裁部統括判事)
さだまさし氏は「信号も守れない人に裁かれたくない」と題する文章(高山俊吉著『裁判員制度はいらない』中の特別寄稿)の中で、「もうひとついいたいこと。たとえ兇悪犯人であっても、人としての尊厳は守られるべきです。素人判断を押しつけ、被告人を不安の淵に追い込んでもよいという理屈はないはずです」と言っている。これは千金の値のある言葉だ。本来ならば司法の指導的立場にある人が言わなければならない言葉であろう。それが民間の識者の口から出ざるを得ないところに、この制度の問題性が端的に現れていよう。
最高裁、法務省、日弁連は、もしどうしても裁判員法を施行するというのならば、以上に指摘した問題点について、国民にきちんと説明すべきであり、説明できないならば施行を断念すべきである。これが国民に対する誠実な態度であろう。今や司法は、その誠実性が問われているのだ。
清孝さんのどうしても言えないこと、何だったのでしょうね。(回答が知りたいのではないです。)100万回生きた猫の本に怒ってしまったのはどうしてなのだろうとも思っていました。あの話は「暖かい関係」がキーワードになっていると思うのですが、そういうものは万人に与えられているものでも、万人におもしろいものでもないのかななどと思いました。浅はかな感想を失礼しました。
コメント、ありがとうございます。後ほど、メールメッセージでお話させていただきます。
>100万回生きた猫の本
ほんとにいつも拙いブログやホームページをお読み下さいまして、恐縮と感謝です。