2019年3月31日 四旬節第4主日 C年
神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させられた(第2朗読主題句 二コリント5・18より)
命の木を意味する十字架のキリスト。その目は深く閉じられ、細い身体が力なく下がり、両脇にマリアと使徒ヨハネがいる(ヨハネ19・25-27参照)。典型的な十字架磔刑図ではあるが、個々の要素の描き方が興味深い。 何よりも特徴は、十字架が枝のある活きた木として造形されていること。縁取られる緑色は、この木に生命力が込められていることを感じさせる。人類の創造(創世記2章4節以下)で言及される「命の木」を思い起こさせる。この「命の木」は楽園(神が人とともに、人が神とともにいる現実)の象徴であった。そして、イエスが息を引き取った十字架は新しい「命の木」であるという考えが生まれて、キリスト教美術においても表現されるようになる。また我々が親しんでいる聖金曜日の十字架賛歌でも前提となっている。「けだかいじゅうじかの木、すべてにまさるとうとい木、その葉そのはなそのみのり、いずこのもりにも見られない。うるわしいみき、さいわいなくぎ、とうといからだをになった木」(典礼聖歌336より)。
〈来栖の独白〉
四旬節第4主日(3月31日)の福音朗読は、ルカによる福音書 第15章(1-3 11-32)、いわゆる「放蕩息子のたとえ」。
「放蕩息子のたとえ」を聴くと、私は出エジプト記を想起する。そして、神は決して、博愛・平等の御方ではないと知る。偏愛の御方。そして、それこそが神であると考える。博愛だの平等だのの思想は、人間が作り出したものだ。
ルカによる福音書 - 第15章
1 さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。
2 するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。
3 そこでイエスは彼らに、この・をお話しになった、
4 「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。
5 そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、
6 家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。 7 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。
8 また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。
9 そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。
10 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。
11 また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。
12 ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。
13 それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。
14 何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。
15 そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。
16 彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。
17 そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。
18 立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。
19 もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。
20 そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。
21 むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。
22 しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。
23 また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。
24 このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。
25 ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、
26 ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。
27 僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。
28 兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、
29 兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。
30 それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。
31 すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。
32 しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。
――――――――――――――――――――――――
出エジプト記-15章
3 主はいくさびと、その名は主。
4 彼はパロの戦車とその軍勢とを海に投げ込まれた、/そのすぐれた指揮者たちは紅海に沈んだ。
5 大水は彼らをおおい、彼らは石のように淵に下った。
6 主よ、あなたの右の手は力をもって栄光にかがやく、/主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕く。
7 あなたは大いなる威光をもって、/あなたに立ちむかう者を打ち破られた。あなたが怒りを発せられると、/彼らは、わらのように焼きつくされた。
8 あなたの鼻の息によって水は積みかさなり、/流れは堤となって立ち、/大水は海のもなかに凝り固まった。
9 敵は言った、『わたしは追い行き、追い着いて、/分捕物を分かち取ろう、/わたしの欲望を彼らによって満たそう、/つるぎを抜こう、わたしの手は彼らを滅ぼそう』。 10 あなたが息を吹かれると、海は彼らをおおい、/彼らは鉛のように、大水の中に沈んだ。
11 主よ、神々のうち、だれがあなたに比べられようか、/だれがあなたのように、聖にして栄えあるもの、/ほむべくして恐るべきもの、/くすしきわざを行うものであろうか。
12 あなたが右の手を伸べられると、/地は彼らをのんだ。
13 あなたは、あがなわれた民を恵みをもって導き、/み力をもって、あなたの聖なるすまいに伴われた。