クリスマス。そして今、野宿者イエスは1椀の雑炊を貰うため炊き出しの列に並んで

2008-12-24 | 日録

『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
 2008年12月25日 主の降誕 夜半のミサ (白) 
今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった
(福音朗読主題句)
 羊飼いの礼拝
レンブラント画
ロンドン ナショナル・ギャラリー 1646年
 これまた有名なレンブラント・ファン・レイン(1606-1669) の作品。1646年の作品には同様の「羊飼いの礼拝」がもう1点ある(下図)。これは、キリストの受難をテーマとした連作「十字架につけられるキリスト」「十字架から降ろされるキリスト」「埋葬」「復活」「昇天」の後、降誕をテーマとして描かれた。これらの一連の作品はミュンヘンのアルテ・ピナコテークに所蔵されている。表紙の作品はアルテ・ピナコテークのもののヴァリエーションにあたる。2つの作品の関係については諸説あるがここでは略す。近代的な情景描写作品として、生まれたばかりの幼子イエスを見守るマリアやヨセフ、それを囲む住民たち、そして画面右側には礼拝にやってきた羊飼いたち。羊飼いが礼拝にやってくる場面 (ルカ2・15-20)は早朝のミサの福音朗読で読まれるところだが、夜半のミサから早朝までの祈りと黙想の糧として掲げてみた。レンブラントの作品における光と闇との対照はよく知られたところ。この作品では、それが、人間の世界の闇に対して、救い主である幼子から無限にあふれ出てくる光の鮮やかさの対照をよく味わってみたい。光の側を見るとき、この作品は同時に幼子を愛情深く見守る聖家族をもテーマにしていると指摘される。美術史的には15世紀から徐々に聖家族の主題が現れ、16世紀、17世紀と増加してくる。レンブラントでも1640年代にこの主題の作品が多く描かれているといわれる。一般にも聖家族の信心が高まっていく17世紀の宗教生活を背景にしたものといえるのだろう。

〈来栖のつぶやき〉クリスマスに纏わる風物詩が私は好きではない。教会のクリスマス行事も然りだ。とりわけ今年のクリスマスには、違和感が強い。幼子イエスは、何処に生誕されたか。教会に、か? そうではないだろう。生活に困らない人の中(側)に生誕されたのではないだろう。イエスは馬小屋で生まれ、飼い葉桶に眠った。どの宿からも、宿泊を断られたからだ。身分が卑しかったから。そして今、イエスは枕するところも無く(野宿し)、一椀の雑炊を貰うために、NPO法人の炊き出しの列に並んでおられる。飢えと寒さに凍えておられる。

マタイ25、31~
 「・・・・お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』・・・」


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。