米朝会談(2019/2/28)歴史的失敗の3つの理由 「トランプに安易な妥協はしないでいただきたい」という朝鮮人民軍の強いプレッシャー

2019-03-01 | 国際/中国/アジア

 2019.3.1
金正恩はどこで間違えたか...米朝会談歴史的失敗の「3つの理由」 そして気になる、こんな「予告」  
 近藤 大介 『週刊現代』特別編集委員
■人類にとって大きな後退
 1969年に初めて月面着陸を果たしたアポロ11号のニール・アームストロング船長は、こんな名言を吐いた。
「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」
 私は今回の「ハノイの決裂」の第一報を聞いて、皮肉にも半世紀前のこのセリフを思い出した。今回の米朝首脳会談を評して言えば、こういうことだ。
「一人の人間にとっては小さな退歩だが、人類にとっては大きな後退だ」
 トランプ大統領と金正恩委員長は、あえて「決裂」という道を選んだ。予定していた和やかなランチも共同声明の署名式も中止となり、トランプ大統領は記者会見を予定より2時間早めて行うと、そそくさとエアフォースワンに乗り込んで帰国した。
 両首脳とも、それぞれ「傷を負って」の帰国となった。特に、トランプ大統領の方は深刻だ。後述する「ロシア疑惑」とダブルパンチで、2月28日は「トランプがレームダック(死に体)化した日」として、記憶されるのではないか。ベトナム戦争の「サイゴン陥落」から44年を経て、アメリカは再び「ベトナムでの敗北」である。
 そもそも、トランプ政治は根本から誤りがある。それは、自分の会社経営の延長として、国家運営を行っていることによるものだ。何事も正規の手続きを踏まず、前例を無視し、言いたいことはツイッターで叫び、反対者はすぐクビにし、朝令暮改は日常茶飯事。それでもアメリカがガタつかないのは、「150年の栄光の蓄積」があるからに他ならない。
 会社経営と国家運営が決定的に異なる点が二つある。一つは、内政面で「トップの人格」が問われること。もう一つは、外交面で防衛が、会社経営に欠如していることである。
 内政面から言えば、現在、2016年秋の大統領選挙の際にトランプ陣営がロシアと「共謀」していたという「ロシア疑惑」が、大詰めを迎えている。アメリカ時間の2月27日には、トランプ大統領の顧問弁護士を10年以上も務めていたマイケル・コーエン被告が下院の公聴会に出廷し、7時間あまりも証言を行った。そしてその「衝撃の映像」が、全米に生中継されたのである。
 それは、「トランプは人種差別主義者で、詐欺師で、ウソつきだ」という宣誓証言に始まった。続いてコーエン被告は、トランプ陣営が、ウィキリークスにヒラリー・クリントン候補のメール暴露を頼んでいた疑惑について、「トランプ陣営は暴露が出る前に、暴露が出ることを知っていた」と証言したのだ。
 これで「ロシア疑惑」は一層深まったことになり、ワシントンでは早くも「大統領弾劾」という言葉が飛び交い始めた。トランプ大統領が「トップの人格」を持ち合わせていない指導者であることが、白日の下に晒されたのだ。
 私は「ハノイ会談」の2日間、CNNを長時間見ていたが、ほとんどすべて「コーエン証言」のニュースだった。アメリカでは、トランプ大統領が遠くベトナムへ飛んで、「世紀の会談」に臨んでいることなど、どこかへ吹っ飛んでしまっていた。
 ハノイにおいても、何度もトランプ大統領に「コーエン証言」についての質問が飛んだほどだ。トランプ大統領自身、ホテルのテレビで、「ハノイ会談」そっちのけで公聴会を観ていたという説も出ている。
 ともあれトランプ大統領にとっては、内政も外交も、ともに「凶」と出てしまった。
■シンガポールでの「奇策」
 当初、「ハノイ会談」の前段階として、米朝の実務者協議で話し合われていたのは、「韓国案」だった。
 もともと1年前に米朝を接近させたのは、生粋の「親北主義者」として知られる文在寅大統領である。文大統領は、アメリカには「北朝鮮の核とミサイルを廃棄させる」と説き、北朝鮮には「国連の経済制裁を撤廃させる」と説いた。この文大統領の「八方美人外交」に、それまでチキンレースで疲労困憊だった米朝は乗っかったのである。
 それによって昨年6月、トランプ大統領と金正恩委員長のシンガポール会談が実現した。当初、「仲介役」の文在寅大統領もシンガポールで合流しようとしていたが、翌日に補選を控えていたのと、トランプ大統領に静止されたことで断念した。
 シンガポール会談の後に両首脳が署名した「4項目合意」は、大枠のみを定めたものだった。シンガポールには世界中から約3000人ものジャーナリストが殺到し、私もその一人だったが、当時プレスセンターでは、シンガポール会談は「非核化の細部」を詰めきれていないため、失敗だったとする論調が支配的だった。
 だが、私はあえて、「会談は成功した」と書き、テレビ朝日の番組に出演した際にもそう述べた。それは、昨年6月の時点では、ともかく両トップが会うこと自体が重要だったからである。トランプ大統領がシンガポールで開いた記者会見で強調していたように、「これで核実験もミサイル実験もストップし、平和な世の中になった」のである。
 加えてシンガポールでは、「ここからが本当の山場だ」と感じたものだ。なにせトランプ大統領は、シンガポール会談で、いくつもの「外交の常識」を無視していた。まず「実務者が細部を詰めてからトップが会う」という方式を取らなかった。いきなりトップ同士に通訳を入れただけの「テタテ会談」を行い、その後に拡大会合を開くという「奇策」に出た。
 これは戦後の国際社会にはなかった外交方式である。これではトップ同士が、互いの見たくない部分に目をつぶって握手しても、その後に実務者同士の会談で細部を詰めていくと、難問山積となってしまう。
 図らずも、「6月以後」の米朝は、そのように袋小路に陥ってしまった。そもそもアメリカ側は、実務者のレベルでは「CVID(完全で検証可能、かつ不可逆的な核廃棄)が必須だ」としていながら、トランプ大統領は「核ミサイルがアメリカに飛んでこなくて、核拡散もなければよい」とする考えだ。北朝鮮もそのことは熟知しているから、とにかくトップ会談に持ち込んで、トランプ大統領を説き伏せてしまおうとする。
 その後も、米朝の仲介役を果たしたのは、文在寅大統領だった。文大統領が双方に提示した案は、2000年の南北共同宣言の「遺産」の復活だった。すなわち、先代の朴槿恵時代に停止した開城工業団地と金剛山観光を再度始めるというものだ。
 まず、国連の経済制裁に観光業は含まれていないので、金剛山観光を復活させるのはハードルが低い。また開城工業団地は、南北共同事業として例外的に認めてほしいと、文大統領はトランプ大統領に要請していた。「蟻の一穴」という言葉があるが、文大統領としては、少しでも突破口が開ければ、そこから広げて北朝鮮に課せられている国連の経済制裁を解除していけると考えたのだ。
 だが、文大統領も想定外だった事態が起こった。北朝鮮側が突然、ハードルを上げたのである。それは、「寧辺(ニョンビョン)の核関連施設の廃棄と引き換えに、すべての国連の経済制裁を解除せよ」というものだった。寧辺は北朝鮮の核開発の総本山とも言える場所だが、金正恩政権から見れば、「もはや過去の遺産」という認識なのだろう。
■北朝鮮が対米戦略を誤った3つの理由
 北朝鮮は、なぜこのような戦略に出たのか。私は、以下の3つの理由が重なった結果ではないかと見ている。
 第一に、トランプ大統領の性格や、置かれている状況を見透かしたことである。前述のように、トランプ大統領はロシア疑惑で大揺れである。そこで内政を外交でカバーしようとして、多少、不愉快な条件を突きつけられたとしても、妥協してくるに違いないと読んだのだ。
 昨年6月12日に、約半日間、シンガポールのセントサ島のリゾートホテルでトランプ大統領と行動をともにした金正恩委員長は、初対面のトランプ大統領に対して、どんな印象を持ったろうか――私はシンガポールで、何度もそのことを考えていた。
 米朝の対立が最高潮に達していた2017年9月22日、北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長声明」を発表した。要は、金正恩委員長からトランプ大統領へ向けた罵詈雑言なのだが、その中でトランプ大統領に対して使われた表現は、「怯えた犬(コプモグンケ)」「チンピラ(マンナニ)」「ヤクザ(カンペ)」「クソじじい(ヌクタリ)」「狂ってる(ミチグァンイ)」などである。
 これらの中で、直接会っても思い続けたのは、4番目の「クソじじい」ではなかったか。何といっても、1946年生まれのトランプ大統領と、1984年生まれの金正恩委員長は、38歳もの年の差があるのだ。二人が揃ってシンガポールのホテルの中庭を歩いた時には、まるで親子のように映ったものだ。
 おまけにシンガポールでは、トランプ大統領は首脳会談後の記者会見で、「私は丸25時間、一睡もしていない」とぼやいていた。日々の多忙な日程に加えて、アメリカからアジアに来た時差も加わったのだろうが、疲労困憊の老人の姿だった。
 もともとトランプ大統領という人は、習近平主席やプーチン大統領らと較べると、図太いタイプではない。見かけによらず小心者なのである。そのことは、「トランプ暴露本」として双璧をなす『炎と怒り』と『フェアー』でも、随所に描かれている。
 そのため、シンガポールで世界最高の権力者と対面した金正恩委員長は、「この男となら伍していける」と自信を深めたのではなかったか。実際、シンガポールで朝9時過ぎに初めてトランプ大統領と対面し、握手した時、金委員長の手は緊張のあまり震えていたが、ランチを挟んでホテルの中庭へ出てきた頃には、威風堂々としていた。
 そうした前回の経緯があったため、金正恩委員長は、今回のハノイ会談に自信を持って臨んだ。側近たちがさまざまな「建議」をしても、自分はトランプ大統領を「落とせる」と過信したのではなかったか。
 思い起こすのは、2007年10月に平壌で行われた廬武鉉大統領と金正日総書記との南北首脳会談である。両首脳は、多くのことで盛り上がって、ご機嫌になった金総書記が盧大統領に、「もう一日ゆっくりしていったらよい」と勧めた。
 ところがこの提案に、廬武鉉大統領の側近たちが、こぞって反対した。北朝鮮から何が飛び出してくるか分からないとして、警戒したのだ。そこで廬武鉉大統領は、「側近たちが『次の予定も立て込んでいるから予定通り帰国してほしい』と言うもので」と答えて、金総書記の申し出を断った。
 すると、今度は金正日総書記の方が仰天した。北朝鮮では、自分の申し出を誰かが断るというシチュエーションがないのと、大統領が側近に説得されるというシチュエーションが理解不能だったのだ。
 この時の父親とまったく同じ心情を、今回、金正恩委員長は持ったのではないか。すなわち、トランプ大統領が妥結したいのに、ポンペオ国務長官をはじめとする側近たちに「それはいけません」と諫められるシチュエーションが理解できず、「大統領さえ説得できれば大丈夫だ」と考えていたからだ。
 もっとも、トランプ大統領も今回、同様の発想をした可能性があり、その意味では両首脳は「似た者同士」かもしれないが。
■北朝鮮に漂う不穏な空気
 北朝鮮が、「すべての経済制裁を解除せよ」という強気な態度を貫いた二つ目の理由は、北朝鮮国内での120万朝鮮人民軍の突き上げである。
 2016年5月に、金正恩委員長は第7回朝鮮労働党大会を開き、「核建設と経済建設」という「併進政策」を採択した。ところが前述のように、トランプ大統領とのシンガポール会談に臨むにあたって、2018年4月20日に朝鮮労働党第7期中央委員会第3回総会を改めて開き、「経済建設」のみに路線変更した。
 その際、金委員長は、「核建設は成功裏に完了したから、これ以上開発する必要がない」という方便を用いた。後に伝え聞いた話によれば、金委員長は朝鮮人民軍の幹部たちを集めた席で、「これまで生産した核やミサイル兵器は絶対に廃棄しないから、路線変更させてもらう」と断りを入れたという。
 それでも私は、第3回総会の「2つの決定」を読んで、愕然とした。「先軍政治」(軍最優先の政治)を貫いた金正日時代では考えられなかった「軍軽視」が顕著だったからだ。これでは、いつ軍のクーデターが起こっても不思議ではないと思った。
 その後、金正恩委員長が「経済建設」の目玉事業に据えたのが、元山葛麻(カルマ)海岸観光地区の開発だった。元山の葛麻半島を「北朝鮮のハワイ」にしようという国家プロジェクトだ。そして、100棟を超すリゾート施設を作る巨大工事を担わされたのが、朝鮮人民軍だった。これまで核やミサイルを華々しく開発し、飛ばしていた朝鮮人民軍が、リゾート地の工事現場に回されたのである。
 昨年12月20日、能登半島沖において、警戒監視中の海上自衛隊第4航空群所属のP-1哨戒機が、韓国海軍の駆逐艦から火器管制レーダーの照射を受けるという重大事件が起こった。この事件の真相はいまだ解明されていないが、1月末のこのコラムで詳述したように、ある韓国の関係者は、私に次のように証言した。
「金正恩委員長が『元山葛麻海岸観光地区』を視察中(注:朝鮮中央通信は昨年11月1日に金委員長の視察を報じている)、朝鮮人民軍による暗殺未遂事件が発生した。金委員長は一命を取りとめ、主犯格の軍人たちの大半は、ひっ捕らえられて処刑された。だが、そのうち5人だけは逃亡した。その5人が軍の船を乗っ取って、日本に向けて亡命を計った。
 そのことを知った北韓(北朝鮮)当局は騒然となり、自分たちでは追いきれないため、ホットラインを通じて文在寅政権に、拿捕を依頼した。そこで韓国は、海洋警察庁の警備艦はもとより、韓国海軍が誇る駆逐艦『広開土大王』まで繰り出して、日本海一帯を捜索した。
 こうした韓国側の不審な行動をキャッチした自衛隊は、P-1哨戒機を発進させ、偵察に向かった。韓国側は、この『隠密行動』の目的が発覚したり、北朝鮮船が日本に渡ったら、大きな国際問題になると恐れた。そこで非常手段として、自衛隊の哨戒機を追っ払うため、レーダー照射を行った。
 逃亡を図った朝鮮人民軍の兵士5人は、一人がすでに死亡していて、残り4人は飢餓状態にあった。そこで4人の緊急手当てをした上で、翌日、板門店まで連行して、北韓(北朝鮮)側に引き渡した」
 その後、日本の防衛幹部にも、この説を確認したが、「いろいろ検討したが、その説が一番有力に思う」と答えた。つまりそのくらい、現在の金正恩委員長と朝鮮人民軍は「緊張関係」にあるのである。
■朝鮮人民軍のプレッシャー…?
 今回、なぜ金委員長は計50時間近くもかけて、陸路でベトナムまで行ったのか。また、前回のシンガポール会談の時は、なぜ距離的には十分、自分の専用機で行けるのに、わざわざ中国に政府専用機を借用したのか。
 私には、金委員長が、朝鮮人民軍による専用機爆破を恐れているからとしか思えない。金委員長の専用機を管理しているのは、朝鮮人民軍空軍なのだ。
 こうした事情から、「トランプに安易な妥協はしないでいただきたい」という朝鮮人民軍の強いプレッシャーが、金委員長の双肩に重くのしかかっていたのではないか。
 印象的だったのは、2日目の午前中の会議を終えてプールサイドに出てきた時の、金英哲副委員長のこわばった様子である。事実上の軍制服組トップである金英哲副委員長の、向かって右手に金正恩委員長が、左手にトランプ大統領が立っていたが、金英哲副委員長は、トランプ大統領のことなど見向きもせず、一心不乱に金正恩委員長だけを見据えていたのである。金委員長の側近たちにとっては、一瞬一瞬が「命がけ」だということだ。
 北朝鮮が強気に出た第三の理由は、経済の悪化である。国連の経済制裁が強化された2017年以降、北朝鮮経済は悪化の一途をたどっている。
 前述のように、昨年4月の第3回総会で「経済建設」のみに路線変更したものの、金委員長が「笛吹けど踊らず」である。金委員長は、元山葛麻海岸観光地区の建設で突破を図ろうとしたが、本来なら今年の「太陽節」(4月15日の金日成主席の誕生日)までに完成させるという当初の計画を、5ヵ月先延ばしにせざるを得なくなった。
 こうしたことから、国連の経済制裁を完全に解除しなければ、経済建設を担う若手テクノクラートたちからの突き上げを喰らうリスクもあった。もちろん、一向に経済が上向かないことで、北朝鮮国民の求心力も落ちていく。私は昨年、あるエリート亡命者をインタビューしたが、金正恩委員長に対する尊敬の念は、皆無だったという。
 ともあれ、こうしたことから、金正恩委員長の帰国後に、幹部の誰かが「見せしめ」として粛清されるリスクが出てきた。2015年4月には、金委員長のロシア訪問の下調整に失敗した玄永哲人民武力相(国防相)が、「シェパード犬に食い殺される処刑」に遭っている。今回は、最側近の金英哲副委員長が粛清されたとしても不思議ではない。
 金正恩委員長は、今年の「新年の辞」で、こんな「予告」を述べている。
「アメリカが世界の前で行った自らの約束を守らず、われわれ人民の忍耐心について間違った判断をして、一方的に何かを強要しようとし、引き続き共和国(北朝鮮)に対する制裁と圧迫へと乗り出すなら、われわれとしても仕方なく、国家の自主権と最高利益を守り、朝鮮半島の平和と安定を成し遂げるための、新たな道を模索せざるを得なくなることもありえる」
 北朝鮮をめぐる情勢は、再び不透明になってきた。
<PERSON>近藤 大介
 1965年生まれ、埼玉県出身。東京大学卒業、国際情報学修士。講談社『週刊現代』特別編集委員。明治大学国際日本学部講師(東アジア国際関係論)。2009年から2012年まで、講談社(北京)文化有限公司副社長。『パックス・チャイナ 中華帝国の野望』『対中戦略』『日中「再」逆転』『中国模式の衝撃』『活中論』他、著書多数。近著に『未来の中国年表』(講談社現代新書)『2025年、日中企業格差』(PHP新書)『習近平と米中衝突』(NHK新書)がある。
 
 ◎上記事は[現代ビジネス]からの転載・引用です
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