大衆あおる政争の具 <命の償い 第5部 米、死刑と政治>(上)
2023年7月30日 中日新聞
米ワシントンに真夏の太陽が照り付けた七月二日、連邦最高裁の前で開かれた集会に五十人ほどが集まっていた。健康な参加者は三日前から飲み物以外を口にせず、死刑の問題点を挙げて廃止を訴えた。冤罪(えんざい)の危険や不公正な裁判、巨額のコスト…。
一九七六年のこの日、最高裁は、その四年前に出した全米の死刑を停止する判決を撤回。毎年恒例の集会は、それから半世紀近く途切れなく続く死刑制度に反対してきた。ただ今年は大統領選を来年十一月に控え、参加者には別の懸念があった。「あの恐ろしい男が戻ってくるかもしれない」
大統領への返り咲きを狙う前職トランプ(77)。機密文書持ち出しなどで刑事責任を問われているが、共和党の候補者指名レースを快走する。集会の運営者スコット・ラングレー(46)は「死刑への彼の姿勢には気分が悪くなる」と憤った。かねて死刑推進派だったトランプは在任中の2020年、17年間止まっていた連邦政府による処刑を再開。新型コロナウイルス禍に多くの人員を必要とする執行の強硬には死刑への賛否を超えた批判が起きたが、本人は意に介さず半年で13人を処刑した。
次期大統領選に向けた公約では、宿敵の現職大統領バイデン(80)を「我が国を流血と犯罪のドブにした」となじり、「麻薬密売人や人身売買業者にも死刑を求める」と訴える。不法移民の国境問題とも関連する犯罪への強硬姿勢を鮮明にして保守派にアピールするトランプに、ラングレーは「死刑を政治の道具にしている」と言い切る。
懸念はトランプだけにとどまらない。共和党内で候補者指名を争うフロリダ州知事デサンティス(44)は4月、12人の陪審員の全員一致が必要だった死刑判決を、8人の賛成で下せるようにした。5月には児童への強姦に対し「適切な罰が与えられるべきだ」として、死刑を適用できる法案に署名した。
トランプと決別して出馬した前副大統領ペンス(64)も死刑執行の迅速化に取り組む考えを示している。
銃乱射による大量殺人や子どもを狙った犯罪がやまない米国。国民の治安への不安を背に、大統領選の共和党候補者は死刑への積極性で支持拡大を狙う。
だが、その政治的効果には疑問符も浮かぶ。デサンティスのフロリダ州で廃止運動に取り組む弁護士マリア・デリベラト(44)は「死刑反対運動の現場には保守派も少なくない」と明かす。共和党は死刑制度を容認する。だが、支持層である保守派の一部には、「命の尊重」を理由に人工妊娠中絶に強く反対するのと同様、命を奪う刑罰に抵抗があるという。
市民団体「死刑を懸念する保守派」によると、全米で二百五十人の保守派指導者が死刑廃止を支持している。「そうした人々は死刑を容易にするような治安対策を嫌悪するだろう」とデリベラト。大衆をあおり、究極の刑罰を政治利用する危うさは、トランプら候補者にも跳ね返りかねない。(ワシントンで、杉藤貴裕、写真も)=敬称略
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日本と同様、先進国で死刑を続ける米国。民主、共和両党が激突する大統領選を来年に控え、死刑と政治との関係を探った。
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