うそつき
田中良紹の「国会探検」2011年5月30日 18:55
大震災以来の政治に感じるどうしようもない「違和感」の原因を考え続けてきた。
退陣の危機に追い込まれていたため震災を政権延命の手段と考えてしまうパフォーマンス政治。手柄を独り占めしたいのか「お友達」だけを集め、全政治勢力を結集しようとしなかった身内政治。パニックを恐れて情報を隠してしまう隠蔽政治。責任の所在が曖昧なままの無責任政治。「違和感」の原因は様々だが、終始付きまとうのは「国民は嘘をつかされ続けてきたのではないか」という疑念である。
例の海水注入問題では、当初東京電力が廃炉になる事を恐れて海水注入を躊躇したのに対し、菅総理の指示で海水注入は行なわれたと言われた。「国民の敵」東京電力と「国民の味方」菅総理という構図である。ところがその後、東京電力の海水注入を菅総理が55分間中断させたという話が出てきた。「国民の敵」が入れ替わった訳だ。
すると今度は「敵役」として原子力安全委員長が登場した。東京電力の海水注入が開始された後で、菅総理が海水注入による「再臨界」の危険性を斑目原子力安全委員長に問いただしたところ「危険性がある」と答えたため中断したとされた。これに斑目氏が噛み付いた。「そんな事を言うはずがない」と言うのである。結局、菅総理に「可能性はゼロではない」と答えたという事になった。
その時点で菅総理は「そもそも東京電力が海水注入を開始していた事実を知らなかった」と国会で答弁した。知らなかったのだから中断させるはずがないと言うのである。これを聞いて私の頭は混乱し始めた。海水注入を知らない総理がどうして原子力安全委員長に海水注入の危険性を問う必要があるのか。
それに「海水注入を渋る東京電力VS海水注入を指示した総理」という構図はどうなるのか。理解不能な話になった。理解不能な話を理解するには誰かが「嘘」をついていると考えるしかない。最も疑わしいのは「海水注入を知らなかった」と言い切った菅総理である。
菅総理が東京電力の海水注入を知らなかったなら原子力安全委員長とのやり取りも、当初言われた構図も信憑性が薄くなる。自分のパフォーマンスのために東京電力に「敵役」を押し付け、その代わり東京電力を潰さない、政府が賠償の面倒を見ると裏約束をしたのではないかと思えてくる。
いよいよ菅総理の「嘘」が追及される話になると思っていたら事態は思わぬ方向に展開した。東京電力が「海水注入の中断はなかった」と発表したのである。現地責任者の吉田昌郎所長が独断で注水を継続したという話になった。これで一件落着の雰囲気である。しかし何事も疑ってみる私の第一印象は「うまく逃げたな」である。
この話が裏を取る事の出来ない話になったからである。前にも書いたが福島原子力発電所の現場は今や日本の国民生活と日本経済の存亡をかけた戦場である。その指揮官の判断で結果的に国民生活が守られる方向になったとなれば誰も糾弾できない。しかも裏を取ることも出来ない。この話も本当かどうか分からないが事態を収束させる効果はある。そこに彼らは逃げ込んだ。しかしこれで「知らなかった」と言った疑惑は消えるのか。
放射性物質の拡散予測SPEEDI(スピーディ)を巡る菅政権の無責任ぶりをフジテレビが放送していた。SPEEDIは気象条件などから放射性物質の広がりをコンピューターを使って予測するシステムで、原発事故が起きた場合、そのデータは文部科学省、経済産業省原子力保安院、原子力安全委員会、関係都道府県などに提供される。
ところがその内容が国民には公表されていなかったという事で、番組は関係先を取材し、どこも自分の所管ではないとたらい回しにされる模様を放送していた。そしてスタジオの識者が「どうなっているのだ」と怒って見せるのだが、役所の担当者に怒ってみても仕方がない。
番組の中で細野豪志総理補佐官が語っていたように菅政権は「パニックを恐れて公表を控えた」のである。細野氏はその事を反省していたが、公表しなかったために被爆をしなくても良い人が被爆をした。これはその責任を誰が取るのかという問題である。ところが番組はそういう方向にならない。「日本の組織は滅茶苦茶だ」と責任の所在を広げてあいまいにし、「あいつもこいつも悪い」と鬱憤晴らしをして終るのである。
そして問題なのはこの番組で枝野官房長官がSPEEDIのデータを「報告を受けていない」と発言した部分である。番組はそこを問題にすべきであった。この発言が本当ならば霞が関を掌握しなければならない立場の官房長官は失格と言わざるを得ない。そんな政権に政治を任せておけないと言う話になる。
しかし原子力災害が起きている時に放射能データを官邸に報告しない役人などいるはずがない。つまり枝野官房長官も嘘をついている可能性が高いのである。むしろ細野氏が言ったように菅政権はパニックを恐れて情報を隠蔽した。それで周辺住民の被害は拡大した。その責任を追及されると困るので「情報を共有出来なかった」と嘘をついて組織上の問題にすりかえているのである。
番組はまさにそのように視聴者を誘導した。かくして国民は「日本は駄目な国ねえ」などと言って終る。おめでたい限りである。菅政権が国民のパニックを恐れて情報を公表しなかったとすれば、自らの危機管理能力に自信がなかったか、或いは国民を愚かだと思っていたかのどちらかである。
しかし国民がどんなに愚かでも嘘はつき通せるものではない。それに仮に「海水注入を知らなかった」、「SPEEDIの報告を受けていなかった」のが真実ならば、それはそれで政権担当能力はゼロ。とても国難の時に政権を任せるわけにはいかないと言わざるを得ないのである。
〈筆者プロフィール〉
田中良紹(たなか・よしつぐ)
1945年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。
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「目くらまし」を見抜けぬ愚民国家
田中良紹の「国会探検」2011年5月17日 18:07
浜岡原発の停止要請は「目くらまし」だと前回書いた。ところがそれを「原子力政策の転換」と受け止める「おめでたい」論調が多いので呆れる。あのやり方はこの国の官僚が国民を支配するために使ってきた常套手段そのもので、見抜けなければ愚民と言うしかない。
福島原発の深刻な事故は国民の反原発感情を揺さぶり、今後のエネルギー政策に大きな影響を与える事が予想された。そうした時に支配者が考える事は世論を無視して強行突破することではない。いかにも原子力政策を転換するように見せかけながら、実際には変更の幅を極力変えないようにすることである。そのため「浜岡原発」が利用された。
官僚が「目くらまし」に使うトリックの道具は数字である。今回は「87%」という数字が使われた。「地震が起きる確立が87%」と言われると、感情でしか物事を考えない人達は「大変だ」と恐怖心が先に立つ。それでまともな思考が出来なくなる。支配する側はそれを狙っている。
福島原発事故は地震の確率が0.1%の所で起きた。論理的に考えれば地震の確率と事故とはストレートに結びつかない。どこの原発も事故は起こる可能性がある。それをそう考えさせないために支配者は「87%」に目を向けさせ、愚民はそれに乗せられる。
「87%」を問題にするなら、そもそもそんなところに原発を建設した事が間違いである。運転を停止しても地震が来れば放射能事故は起こる可能性があり、速やかに「廃炉」にするというのが論理的である。ところが菅総理が言った事は「安全策を講じるまでの運転停止」だった。それは「浜岡原発を継続する」と宣言したに等しい。
なぜなら安全のために投資をしたら、投資をした後で「廃炉」という選択肢はありえないからである。防潮堤の建設などには2年ほどの時間がかかるらしいから、運転再開を決めるのは自分ではない別の人間で「俺の責任にはならない」という計算も菅総理には働いたかもしれない。
それを本人が「歴史の評価」とか大見得を切るからチャンチャラおかしくなる。菅総理は「停止要請」によって浜岡原発の継続を宣言し、それ以外の場所にある原発事故の危険性から目をそらさせたのである。そう言われると困るから、「原子力計画をいったん白紙にする」と付け加えた。しかし「白紙」というのは「変更」ではない。自分は「白紙」にし、別の人間が極力「変更」しない形の計画にしてくれれば良いのである。
それをニュースキャスターが「菅総理は原発の見直しに踏み込んだ」とか言っているから「おめでたい」。「何年までに原発の割合を何%減らす」とか、再生エネルギーの開発計画を発表した時に言うべき事を、論理的に考えれば考えるほど「原発を継続する」と言っている時に言うのだから始末が悪い。
福島原発事故の教訓は「絶対の安全はない」と言うことである。どんなに想定しても想定外の事は起こる。どんなに安全対策をしても破られる事はある。だから最悪を考えて備えをしなければならない。ところが政府は「原発の安全性」を強調するあまり、不測の事態への対応をして来なかった。
原発のメルトダウンを知りながら、住民のパニックを恐れて発表したのは事故から2ヶ月以上も経ってからである。発表していれば対応できていた事ができなかった。その被害者は周辺住民である。放射能による健康被害が現れるのは5年から10年先の事だから、これも菅政権にとっては「俺の責任ではない」と言う事になるのだろうか。
日本が原発を54基持っているという事は、54個の核爆弾を持っているに等しい。つまり核戦争に備える思考と準備が必要なのである。敵は自然の猛威かもしれないし、テロ攻撃かもしれない。日本にミサイルで原爆を投下しなくとも、テロリストは小型スーツケースの原爆を都心で爆発させる事も出来るし、また海岸に建てられた原子力発電所を襲えば原爆投下と同様の効果が得られる。
ところがそうした備えがない事を今回の事故は示してくれた。警視庁の放水車や消防庁の放水車が出動するのを見て私は不思議でならなかった。核戦争に備えた自衛隊の部隊はいないのかと思った。こんな事では政治は国民も国土も守る事が出来ない。いちいちアメリカを頼らなければならなくなる。
考えてみれば日本のエネルギー自給率は4%に過ぎず、すべてはアメリカ頼みである。かつては国内の石炭に頼っていたのを1960年代に政府は無理矢理石炭産業を潰し、アメリカの石油メジャーが牛耳る中東の石油に切り替えた。ところが遠い中東の石油に頼りすぎる危険性が指摘されると、これもアメリカの主導で原子力発電を導入した。発電用濃縮ウランの大半はアメリカから輸入されている。
普天間やTPP問題で分かるようにアメリカの足の裏を舐めないと存続できない菅政権は、原発見直しのフリは出来ても「転換」は簡単には出来ないのである。
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