「脳死は人の死」参院でも可決 〈独白〉死刑存置のこの国で、あってはならない事が起きてしまった

2009-07-13 | Life 死と隣合わせ

「脳死は人の死」臓器移植法成立 A案、参院でも可決
朝日新聞2009年7月13日13時17分
 「脳死は人の死」を前提に、本人の意思が不明な場合でも家族の承諾で0歳からの臓器提供を可能にする改正臓器移植法(A案)が13日、参院本会議で可決、成立した。施行は公布から1年後。現行法は臓器移植の場合に限って脳死を人の死と認めており、死の定義を大きく変えるとの懸念もある。97年の同法制定後、改正は初めて。
 参院議員は現在241人。採決は押しボタン投票で行われ、欠席・棄権を除いたA案の投票総数は220(過半数111)、賛成138、反対82だった。野党有志が提出した子ども脳死臨調設置法案に賛成の共産党はA案に反対。他の主要政党は個人の死生観にかかわるとして党議拘束をかけずに採決に臨んだ。
 A案に先立ち、「脳死は人の死」を臓器移植の場合に限ることを明記した修正A案も採決されたが、投票総数207、賛成72、反対135で否決された。子ども脳死臨調設置法案はA案成立により採決されないまま廃案となった。
 A案をめぐっては、「脳死は人の死」と法律で位置づけることが、移植医療以外の分野にどんな影響を与えるのかが議論の焦点となった。宗教団体や、脳死後も心臓が長期間動き続ける「長期脳死」の子どもがいる家族らの反対が根強く、参院では野党を中心に移植要件の緩和に慎重な議員から修正を求める声が相次いだ。
 そんななか、A案が過半数の支持を集めたのは、衆院解散・総選挙も絡んで政局の流動化が予想されることから、今国会での改正実現を優先する議員心理が働いたものとみられる。
 A案は06年3月に中山太郎衆院議員(自民)らが提出した。親族へ臓器を優先的に提供することも認める。脳死からの臓器提供の機会が増えることを望む移植学会や患者団体が支持を働きかけ、衆院では263人(うち自民党が202人)の議員が賛成した。
 臓器移植法は97年10月に施行された。脳死からの臓器提供には、本人があらかじめ臓器提供の意思を書面で示し、家族も拒まないことが必要で、15歳未満からの提供は禁止されている。書面による意思表示は進まず、脳死からの臓器提供は12年間で81例にとどまっている。国内で移植を待つ待機患者が解消されない一方、世界保健機関(WHO)が渡航移植を規制する動きを見せたことから、今国会で改正論議が高まった。

〈来栖の独白〉
 本日午前は、名フィル広報部による「オーケストラの裏側」の話を聞きに行った。なかなか興味深かった。が、参院、臓器移植法改正案の行方が非常に気になってもいた。そして、帰宅して接した報道。落胆甚だしい。
 あってはならないことが起きてしまった。人が、またしても聖域に踏み込んだ。この国は、死刑を存置している。いま成立した悪法によって、負い目を持つ人が、これ以上ない「侘しきこと」を暗に示唆され、人権が軽きに翻弄されることにならなければよいが・・・。
 私は、不合理な考え方しかできない人間だ。優れて価値ある99匹の羊を放っても、迷い出た1匹の負い目ある羊の跡を追わずにはいられない(マタイ18.10~14)。「有用性」とか「有効活用」「優性」といった価値観に就くことが出来ない。惨めな羊の涙の一滴を捨てられない。この涙は無益だった。が、純潔だった。
 次のような人たちの思いも、切なく響く。   http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/fbeab328fc8592e268081e7a21c50f91
 東京都内で3月25日に開かれた移植法改正をめぐる集会。法改正に慎重な立場を取る、東京都大田区の主婦、中村暁美さん(45)が声を震わせ訴えた。
 中村さんは平成19年に長女の有里ちゃん(4)を亡くしている。有里ちゃんは17年12月に突然けいれんを起こし病院に搬送。急性脳症となり、「医学的な脳死」状態に陥った。
 現行法では、臓器提供される場合に限り「脳死を人の死」と定義している。だが、仮に法律が「脳死は人の死」と一律に認める内容だったら、入院直後に「死亡宣告」がされていたことになる。
 「『死』なんて納得できなかった」。中村さんは治療継続を要望した。人工呼吸器を付け、見た目は眠っているような状態だが、身長は伸び、体重も増えた。涙も流す。排泄(はいせつ)もする。
 「笑ったり、泣いたりできたときもいとおしかった。眠り姫になった有里もさらにいとおしくなっていった」と中村さんは振り返る。
 また、別の女性(55)は《私は脳死は人の死だと思っていません。脳死の状態では、まだ体もあたたかいし心臓も動いています。家族が脳死と判断されても、臓器の提供には絶対に反対します》という。
 かつて小児医療に携わった経験のある医師(35)は、現行法施行後81例しか移植が行われていないことに対し《社会的コンセンサスがまだ得られていない現状と受け止めるべきだ》と指摘する。医師は、仮にA案が通ったとしても《私はドナー(臓器提供者)の立場にもレシピエント(患者)の立場にもなりたくないし、家族がどちらかの状況になったとしても「提供しないよう」「移植を受けないよう」一生懸命説得に努める》とし、理由に《どちらも幸せになれるとは思わないから》としている。
 多くの反対意見を聞くと、根底に「感覚」として脳死を死と認められないということがあるようだ。「臓器をもらう」ことの“後ろめたさ”のようなものがあるようにも感じる。
 これまで何度も紹介したが、臓器提供がもっとも多くなるとされるA案でも、臓器提供や脳死判定を拒否する権利は保証しており、無理強いされることはない。だが、こうした「感覚」や「心情」を置き去りにすることが議論を進ませないことにもつながっている。 産経ニュース(信) 

http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/adagio/zohki.htm


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