「未来への責任」団塊世代は全員が還暦を迎えた。1947年から49年までに生まれた670万人

2010-01-04 | 社会

日経新聞 社説 未来への責任(1) 繁栄と平和と地球環境を子や孫にも(2010/1/1)
 きのうで、団塊の世代は全員が還暦を迎えた。1947年から49年までに生まれた670万人。この世代は高度成長期に育ち、平和と繁栄を謳歌(おうか)した。戦後世代を象徴する人々である。
 この団塊の世代の子や孫は、親や祖父母より幸福な人生を送れるだろうか。そこに大きな疑問符がつく。
将来世代にツケ回すな
 経済の面では、デフレ基調が長く続き、今年度の1人当たり名目国内総生産(GDP)は10年前に比べ約5%少ない見通しだ。派遣社員など非正規社員の割合が3割を超え、所得格差も広がってきた。
 何より、財政や社会保障で若い世代ほど負担が重くなる。5年前の経済財政白書によれば、60歳代以上の人は、生涯を通じて政府に払う税金や社会保険料よりも、政府から受け取る年金給付や医療保険の補助など行政サービスが4875万円多い。一方、20歳代は受け取りが支払いより1660万円少ない。両世代の差は約6500万円にもなる。
 増税や年金給付の削減などの改革をしなければ、100年後に生まれる日本人たちは、今の貨幣価値で2493兆円もの公的純債務を負う(島沢諭秋田大准教授の試算)。
 負担をないがしろにして財政支出を続け、その帳尻を国債発行で埋めてきたツケが、今の若い世代や未来の世代にずしりとのしかかる。
 平和はどうだろう。冷戦終結から20年たったが、北朝鮮の核開発にみられるように20世紀型の脅威は去っていない。中国の21年連続での国防費2ケタ増加も、東アジアの長期的な安定にどんな影響を及ぼすか読めない。鳩山政権は日米同盟について前政権とは一線を画すように見えるが、それは賢明なのかどうか。
 長い目でみて最も深刻なのは地球温暖化問題である。大量の二酸化炭素排出によって温暖化が進み、このままでは海面の上昇だけでなく、異常な暑さや寒さ、大型台風や干ばつの多発など、人類の生存環境そのものが脅かされる、と多くの科学者が警告している。
 われわれ現世代は子や孫の世代を犠牲にして、繁栄や平和をたのしんではいないだろうか。自分たちが生み出した問題は自分たちで処理する。それが未来への責任だろう。
 敗戦から65年、日米安保条約改定から50年、年金増額など福祉元年から37年、温暖化防止の京都議定書から13年、21世紀の10年目。今年を日本の未来を考える元年にしたい。
 経済を長いデフレ基調から引き戻すには、財政・金融面から需要を喚起するだけでなく、長期の視点から経済体質を変える必要がある。
 デフレの原因として、時代を映した需要の変化に供給側が対応し切れていないことも大きいからだ。たとえば公共事業が激減し民間の需要も低迷する建設業界では、バブル最盛期の89年(約580万人)とそう変わらない517万人が働いている。転業などをせずに、皆が食べていくのはまず不可能である。
 潜在的に大きな需要があるのに、政府の規制などで供給が出てこない分野もある。自由診療や新しい医療技術開発に制約がある医療、新規参入にまだ壁がある電力や農業、保育、介護なども、競争を促進すれば、実は潜在的な成長分野である。
 若い人や将来世代が格差なく良い仕事に就けるよう人材の育成に力を入れなければならない。この面では政府とともに企業の責任も重い。
向こう10年間が勝負
 財政や社会保障を持続可能にするには、年金・医療給付や保険料、税金などの面から、現世代が解決策を出すべきだ。景気が持ち直した後に実施できるよう準備を急ぎたい。
 安全保障に関しては、日米同盟の意味合いを、未来の視点からもう一度考えてみる発想が大切である。
 地球環境を守るのは負担だけとは限らない。米中などの大量排出国を巻き込んだ二酸化炭素削減の枠組みができれば、低炭素社会に向けて、先進国は産業構造を大きく変え、新たな成長を開始する。技術力の高い日本は優位に立つはずである。
 これら未来に向けた改革を進める上での問題は「改革の担い手はだれか」だ。投票率が高い高齢者の人口に占める割合は高まり、現状維持を好む高齢者の声が政治に反映されやすくなった。この状況を変えるにはもっと若い人にも選挙権を与えるとともに、各界の指導者に若い人を登用する寛容さと勇気が求められる。 過去10年間、経済や社会保障の基本的な問題を解決できなかった。今から10年後には65歳以上の人口が29.2%と3割に近づく。この10年が勝負であろう。若い世代や将来世代の生活を守ることを真剣に考え、早く行動を起こすべきである。

社説 未来への責任(2) 外向いて行動する日本にこそ価値あり(2010/1/3)
 地球儀を眺めてみる。日本は小さな島国だ。巨大なユーラシア大陸が覆いかぶさり、左斜め上から朝鮮半島が突き出る。広い太平洋のかなたに北米大陸がある。
 島国日本は、世界から孤立しては生きられない。地球儀をみれば明らかだが、心配が尽きない。
日米で「成長中国」導く
 2010年は、日米安全保障条約改定から50年である。鳩山政権下の日米関係には暗雲が漂う。日韓併合100年にもあたる。前世紀の歴史のなかの事実は、今年の日韓関係に影を落とす。日米、日韓間の不協和音は、核で周辺に不安をまき散らす北朝鮮の抑止を難しくする。
 地球儀をゆっくり回しながら考える。いま世界は、どんな力学で動いているのだろう。約3週間前、コペンハーゲンで開いた第15回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)は、現在の世界システムの断面を見せつけた。
 1国1票の仕組みのもとでは合意をつくるのが難しい現実である。特に途上国の代表を自任する中国が事実上の拒否権を持った。問題が何であれ、日本が中国を説得しようとすれば、米国との協力が欠かせない。が、鳩山由紀夫首相は、オバマ大統領との会談さえ、できなかった。
 首相は、デンマーク女王主催の夕食会で隣り合わせたクリントン国務長官と言葉を交わすしかなかった。そこでの会話に関して首相が記者団に語った内容に対し、ワシントンに帰ったクリントン長官は、国務省に藤崎一郎駐米大使を呼ぶ形で、抗議の意思を示した。
 日米関係は「対等」でも「緊密」でもなくなってしまった。普天間基地の移設をめぐる首相の言動が原因である。警鐘が乱打されたが、首相には聞こえなかった。
 国際通貨基金(IMF)の見通しによると、中国の名目国内総生産(GDP)が今年には日本を抜いて世界第2位になる。日本にとって複雑だが、特に経済面では日中の相互依存の深まりは双方に利益となる。
 歴史を見ると、急激に台頭する国は対外摩擦を起こす。20世紀の2回の世界大戦の原因もそれだった。成長する中国は、いま軍拡、環境、人権などで摩擦がある。中国を国際社会に調和させる作業は、21世紀の地球社会の安定に不可欠である。日本にとって未来への責任でもある。
 米国と距離を置き、中国に接近する鳩山外交は、中国をそこに導くのに有効だろうか。
少なくともコペンハーゲンでは違った。
 鳩山外交の問題点のうち、2点を指摘する。第一に、安全保障と日米関係を軽視する傾向である。首相周辺は、対米貿易が日本の貿易額の13%であり、中国を含むアジアとの貿易が約50%を占めると強調する。
 それは経済の論理としても、正しくはない。日本の対中貿易には、米国が中国に投資した企業とのそれも含まれるうえ、中国で生産した製品の多くは米国向けに輸出される。
 第二に、内政の視点から外交を見てきた野党時代に培われた「反・親米」感情の危うさである。自民党政権による対米政策の否定であり、正確には冷戦時代の「反米」とは違うが、実質的には大差ない。
 人民日報が日米関係の悪化を伝えた。中国もそれが気になるからだろう。日本が今の反動で次は右に振れるのを恐れる、との解説も聞く。中国の拡大を恐れる東南アジア諸国も日米関係を心配する。
内政が外交を縮める愚
 年間100億円以下で済むインド洋での給油の代わりに、アフガニスタンに対し、5年間に毎年900億円の支援をする小切手外交も、内政上の思惑が外交をゆがめた例だ。
 他の途上国への無償資金協力の財政的余裕はなくなる。国際社会での日本の存在は縮むから、実は内向き・縮み志向のばらまきである。
 鳩山政権の対米姿勢に拍手する気分が日本国内にはある。不況がもたらす屈折感の影響だろうか。
 米国際教育研究所によると、08年現在の米国への留学生数は過去最多であり、上位5カ国はインド、中国、韓国、カナダ、日本の順。前年に比べた増加率は、中国の21.1%を筆頭に、インド9.2%、韓国8.6%、カナダ2.2%なのに対し、日本はマイナス13.9%である。
 日本が米国よりもアジアに向かう時、アジアは米国に向かう皮肉である。このすれ違いにこそ、日本の孤立への心配がひそむ。
 鳩山政権による日米同盟の空洞化は、1921年の日英同盟廃棄に始まり、敗戦に至る25年の歴史を連想させる。11月に予定される日米同盟の再確認を転機にしたい。20世紀の歴史をかみしめながら、地球儀を眺めてみよう。 (文字色の「赤」は来栖)

社説 未来への責任(3) 若者が負担できる年金・医療 築き直せ(2010/1/4)
 日本では生まれてくる赤ちゃんの数が減り続け、平均寿命は伸びている。それとともに経済の成熟度が一段と高まっている。少子高齢化のなかで年金や医療制度の持続性をどう高めるか。2010年代は、未来を生きる世代への私たち現世代の責任が問われる10年になる。
 子供の世代や、これから生まれる将来世代が大人になったとき、税金や社会保険料の負担はどうなるか。制度から受ける受益はどの程度か。
低負担・高福祉の無理
 それを見通しつつ年金と医療の再生に向け、負担と受益との関係を再構築する改革に取り組むときだ。
 税金など国や自治体に取られるお金は少ないほうがありがたい。一線を退いた後にもらう年金や病気になったときの医療は、手厚いに越したことがない。誰だってそう思う。
 そんな虫のよい話が続くはずもない。だが日本は戦後の一時期にそれを実現させた。1960年代から70年代前半にかけての高度成長期に、自民党政権は国民負担をさほど増やすことなく、年金や医療の大盤振る舞いに政策のかじを切った。
 福祉元年といわれた73年、高齢者医療を無料にしたのが典型だ。若くて豊富な労働力「団塊の世代」が社会に出た時期に重なる。人口ボーナスと呼ばれる現象だ。このボーナスによって、ときの政権は年金や医療を無理なく充実させられた。社会党など野党もその路線を後押しした。
 人口ボーナス期から数十年がたつと、かつて成長を支えた世代が高齢者になり、少子化の進行で現役世代の人口が相対的に減る時期が来る。これを「人口オーナス」と呼ぶ。オーナスは重荷を意味する英語だ。
 人口オーナス期は高齢層への財政支出が増え、現役に高い負担を強いる。また経済成長が阻まれやすくなる。これからの日本経済の姿だ。
 現役世代が背負う荷物がさらに重くなるのを、どう和らげてゆくか。
 まず高齢層に偏る給付の一部を若者に振り向ける必要がある。例えば年金への課税を強め、その税収を子ども手当の元手に回す。お金を配るだけでなく保育所の増設に民間の創意を生かす使い方を考えるべきだ。
 民主党政権の100日をみるかぎり、負担はあまり表面化させずに給付を充実させる方向を目指していると思わざるを得ない。有権者に聞こえのよい低負担・高福祉の路線だ。
 後期高齢者医療制度を廃止するのが典型だ。75歳以上の人への医療給付費を(1)国・自治体の税金(2)現役世代からの支援金(3)高齢者の保険料――の3財源で支えるしくみを壊してしまうなら、代わりの財源をどう工面するのか、展望を示してほしい。
 団塊の世代を含め、これからの年金や医療は高齢層も相応の負担を分かち合わざるを得ないのは、当事者も理解しつつあるのではないか。理解不足が残っているなら、その訳を粘り強く説明するのが責任政党だ。
 年金政策も今のところ無策に近い。長妻昭厚生労働相は記録問題には対応しようとしているが、肝心の制度改革は不熱心にみえる。
 足元ではデフレが会社員の賃金を直撃している。公務員でさえ給与が下がった。だが年金は物価が下がっても受取額に連動させない特例があるので実質的な価値は上がった。制度の盲点といってよい。放っておけば将来世代の保険料負担の上昇にしわ寄せされる。これも厚労相が説明を尽くし、直すべき課題である。
消費税増税、道筋つけよ
 65歳以上の人が総人口に占める割合が22%に達した日本は、高齢化の先頭を走る。政府推計では高齢化率は20年後に31%、45年後に40%を突破する。待っているのは14歳以下の子供が8%、15~64歳の現役人口が半数強といういびつな人口構造だ。
 少子化は克服すべき課題だ。だが出生数が増えても当面は働き手として年金や医療を支える側には回らない。即効性が期待できないのだ。
 それに備えて年金と医療の財源をいつ、どういう手立てで算段するのか、道筋を明らかにする時期だ。夏の参院選に向け、民主党は政権公約を見直して消費税増税への大まかな見取り図を示して戦ってほしい。
 国と自治体が抱える長期の借金残は860兆円規模だ。今は家計の貯蓄がそれを支えるが、高齢者が増えればその取り崩しが加速し、貯蓄率の低下となって表れる。向こう10年を見渡せば、政府は国債の借り換えに難渋する事態に直面する。そうしたときに備えておく必要がある。
 年金、医療の再生は野党も責任を負う。ちょうど1年前に民主、自民両党の有志の国会議員が共同でまとめた年金改革提言のように、党派を超え制度の安定を探る努力が不可欠だ。選挙になると有権者への甘言に走る候補者を減らす決定打になる。


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