オウムの麻原彰晃、井上嘉浩、土谷正実、新実智光ら死刑囚の最期の瞬間 「その後、仕事できず」と検察幹部

2018-07-15 | オウム真理教事件

オウムの麻原、井上、土谷、新実ら死刑囚の最期の瞬間「その後、仕事できず」と検察幹部
2018.7.15 13:04 週刊朝日#オウム真理教
 地下鉄サリン事件など、オウム真理教の一連の事件で死刑が確定、麻原彰晃元死刑囚ら教団幹部7人の死刑が執行されて1週間が経過した。麻原はじめ、元死刑囚らの執行時の様子が次第に明らかになってきた。
「死刑執行の2、3週間前から『刑場の清掃がはじまった』という話が聞こえてきました。死刑がある前には、必ず念入りに数回、清掃があるのです。そして『テストもやっている』という声も入りました。テストというのは、死刑執行の装置、踏み台などが正常に作動して落ちるのかなど、確認作業をすることです。拘置所の職員の間では、正直、自分たちが担当になるかならないか、緊張感がありましたね。今回はオウム真理教の死刑囚であることは、容易に想定できましたから」(大阪拘置所関係者)
 死刑執行された7月6日、麻原元死刑囚は、毎朝7時の起床に合わせて、東京拘置所の独居房で目を覚ましたという。その後、朝食をすべて食べて食器を戻してほどなく、刑務官から
「出房」
という声がかかった。
 日常、運動も拒否し、独居房から出ることがない麻原元死刑囚。刑務官の声にも、ほとんど反応しなかった。だが、この日は複数の刑務官が麻原元死刑囚の独居房に入り、
「連行」
と声をかけ、連れ出した。
 通常、収容者が使用しない通路を通って、麻原元死刑囚は刑場へと向かったという。そこには「万が一」に備えて、複数の刑務官が通路には立ちは警戒していたそうだ。その時、麻原元死刑囚はさしたる反応がなかったという。
 刑場の前にある「教誨室」で椅子に座るように促された、麻原元死刑囚。
「今日、お別れの日がきました。教誨、どうしますか」
 教誨とは、死刑執行前に、僧侶や牧師から講話を受けること。そう聞かれたが、無反応で何も語らない麻原元死刑囚。設置されている、仏壇に手を合わせることもなかったという。何度も、同じことを聞かれたが、何も答えなかったという。
 遺書を書くかと聞かれたが、それにも
「……」
と返事はなかった。
「麻原元死刑囚は、普段は一日中、独居房の壁にもたれかかり、うつろな顔でボーっとしているだけ。しかし、3度の食事は食べます。この日、教誨室で死刑執行を知った時は、本当か?という感じで、キョトンとして信じられないという表情だったそうです」(法務省関係者)
 そして、遺体や遺品の引き取りについて尋ねられたが、そこでも答えはなし。
 そこで、刑務官が妻や長女ら、家族を具体的にあげて聞いた。
「四女」
そう麻原元死刑囚は、話したという。
ハッキリ聞こえなかったので、再度、刑務官が
「四女でいいのか?」
「四女なんだな?」
と何度か確認すると、うなずいたという。
 そして、刑務官が両脇を抱えるようにして、麻原元死刑囚を刑場の前にある「前室」に連れて行く。線香がたかれ、そのにおいが充満した「前室」で拘置所の所長が麻原元死刑囚に指揮書を読み上げて、死刑執行を告げた。
「麻原元死刑囚は、暴れたり、声を発することはなかった。だが、前室で目隠しをされ、両足を固定されたときには死刑が現実のものとわかったのか、顔がやや紅潮してみえたそうです」(前出・法務省関係者)
 そして、麻原元死刑囚は刑場へと消えたという。
 この日、東京拘置所では麻原元死刑囚だけではなく、遠藤誠一元死刑囚と土谷正実元死刑囚も執行された。
「通常、死刑執行は1日に2人まで。3人というのは異例です。麻原元死刑囚の執行の間に次の準備に取り掛かかり、とても慌ただしい状態でした。土谷元死刑囚は、執行前から精神的に安定しない日々で、執行を告げられてかなり驚いていたそうです」(前出・法務省関係者)
 大阪拘置所では、井上嘉浩元死刑囚と新実智光元死刑囚の死刑が執行された。
「井上元死刑囚は死刑執行が近いと思っていたのか、独居房でもせかせかした感じでいろいろノートに書いていましたね。新実元死刑囚は大阪拘置所に移送された後、毎日、獄中結婚した妻が面会に来てくれるのを心待ちにしていた。面会室では新婚のカップルのようにみえたという。だが、新実元死刑囚は精神的には、落ち着かない日々で、ソワソワしていて、『どうなるのだろう』とこぼすこともあった。東京拘置所では、独居房で瞑想したそうだが、大阪拘置所ではそんな余裕もなかったようだ」(大阪拘置所関係者)
 井上元死刑囚は、死刑執行の直前、最後の言葉として、自分の両親に
「心配しないでと伝えてください」
「ありがとうございました」
と述べた。
「こんなことになるとは思っていなかった」
 その言葉の意味が、オウム真理教に入信し、麻原元死刑囚と行動をともにしたことのなのか、それとも最近になって再審請求をしたので、まだ死刑執行はないと思い込んでいたのか、詳細はわからない。そして、2人の刑務官にはさまれるようにして、自ら刑場に歩を進めたという。
 その遺体は、両親に引き取られて、故郷で荼毘に付されたという。
 死刑執行には、検察庁の幹部が立ち会う。一般的には、高等検察庁の部長クラスが選ばれるという。
「死刑当日、執行に立ち会った幹部は検察庁に戻るなり、足元に塩をまかれてお清め。すぐ自宅に帰ったそうです。さすがに、そのまま仕事はできませんよね」(ある検察庁の幹部)
 残る6人のオウム死刑囚の執行は年内とされている。
 ※週刊朝日オンライン限定記事

 ◎上記事は[dot. ]からの転載・引用です
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【死刑執行】命令書にサインする法相と現場刑務官の苦衷…私も胸が痛む〈来栖の独白2018.7.7〉 
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《死刑とは何か~刑場の周縁から》 加賀乙彦著『宣告』『死刑囚の記録』 大塚公子著『死刑執行人の苦悩』
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麻原元死刑囚、最期の言葉は「ぐふっ」 井上元死刑囚「まずは、よし」 中川元死刑囚「誰も恨まず…」
 zakzak 2018.7.15
 13人のうち、7人の死刑が執行されたオウム真理教元幹部たち。邪教への信仰を抱き続けた者、麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚の欺瞞(ぎまん)に気づいた者…それぞれの思いを抱きながら、死への旅に立った。その断末魔とは?
【井上嘉浩元死刑囚】
 「こんなことになるとは思っていなかった」  教団「諜報省」のトップとして地下鉄サリンなど複数の事件関与し、「最も凶悪な男」と恐れられた井上元死刑囚。6日早朝、大阪拘置所の教誨室(執行室の前室)で刑務官と向き合った。
 刑務官「両親に伝えることは」
 井上元死刑囚「お父さん、お母さん。ありがとうございました。心配しないで」
 井上元死刑囚は高齢の両親の身を案じる一方でこう話した。
 「こんなことになるとは思っていなかった」
 井上元死刑囚は暴れたり抵抗することはなく、落ち着いて最期の時を迎えた。
 「まずは、よし」
 最後に残した言葉。これで良かったという意味か、これから何かに向かって歩き出す意味なのか、誰も真意は分からない。両親には、拘置所から「厳粛な面持ちで執行を受けた」と伝えられたという。その遺体は両親の元で荼毘(だび)に付された。
 通夜は7日夜、葬儀は8日に出身地の京都市内の寺で営まれた。高齢の両親は憔悴し、父親は「(被害者の遺族には)こういう苦しい思いをさせてきたんだろうな」と漏らしたという。
【中川智正元死刑囚】
 執行の6日早朝、広島拘置所の独居房から出された中川元死刑囚は刑務官が腕を取ろうとすると、「体に触れなくても良い、自分で歩いていく」と拒否。教誨室に通された中川元死刑囚は「実家の宗派と異なる」として仏教の教誨は断った。出されたお菓子や果物には手を伸ばさず、お茶を2杯だけ飲んだ。
 刑務官から最後の言葉を促されると、達観したかのように語った。
 「自分のことについては誰も恨まず、自分のしたことの結果だと考えています。被害者の方々に心よりおわび申し上げます。施設の方にも、お世話になりました」。中川元死刑囚の遺体は翌日、遺族に引き取られた。
【麻原元死刑囚】
 死刑が執行された6日午前7時、麻原元死刑囚はいつものように自室独房で目を覚ました。出された朝食は残さず平らげたという。
 7時40分、「その時」は突然、やってきた。
 「出房!」
 自室前で足を止めた刑務官は麻原元死刑囚を促した。促されて教誨室に入る。
 刑務官「お別れの日が来ました。教誨はどうしますか」
 麻原元死刑囚「…」
 刑務官「じゃあやらないんだね。遺体や遺品はどうする? 妻や子供たちがいるだろう」
 麻原元死刑囚は、呆然としたまま答えることができないようだった。
 刑務官「妻、次女、三女、四女…」
 すると、麻原元死刑囚は「あぁ、四女」と答え、名前も口にした。「四女だな」と確かめると、最後には「ぐふっ」と、意味不明の言葉を発したという。
 執行室で東京拘置所長から執行を告げられた麻原元死刑囚は午前8時すぎ、暴れることもなく、刑場の露と消えた。
【遠藤誠一元死刑囚】
 執行された7人のうち、その日のうちに遺体が引き取られたのは教団「厚生省」トップ、遠藤元死刑囚。執行前に唯一、オウムの後継団体「アレフ」に遺体の引取先を指定していた。
 公安当局や関係者によると、“隠れ信者”として信仰を保っていたとみられ、アレフに引き取られた。本人は散骨を希望していたという。アレフの関係者が立ち会うなか12日午後、火葬された。

 ◎上記事は[zakzak]からの転載・引用です
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2 コメント

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Unknown (高尾 由人)
2019-09-15 20:53:46
 amebaブログで〝テレビが広めたオウム真理教〞というブログ記事を書いている者です。(gooブログはまだやっていませんが、近々開設する予定です)
 オウム真理教の事件は、坂本弁護士一家殺害事件発生後の特にマスコミの対応の悪さに、被害を拡大した大きな原因があると考えています。

 端的に言うと〝犯人を無実扱いして報道した〞ということです。これを教団は徹底的に利用し、知名度の向上と信者数の増大に成功したのです。それにより、大量の資金を獲得し土谷正実に装置を買い与え、サリンプラント建設も達成できた訳ですから、テレビの責任は極めて重大だと言えると思います。
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高尾由人様 コメント、ありがとうございます。 (ゆうこ)
2019-09-15 21:25:03
 松井清人さんが『異端者たちが時代をつくる』という著書の中で、書かれていること、興味深く読みました。
■ https://president.jp/articles/-/29769
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