「たった数か月の違いで死刑になる」事件当時“少年法”に守られた少年無期懲役囚たち 塀の中で語る“贖罪”

2022-08-06 | 身体・生命犯 社会

「たった数か月の違いで死刑になる」事件当時“少年法”に守られた少年無期懲役囚たち 塀の中で語る“贖罪”【報道特集】
  2022/8/6(土) 6:01配信

 今年4月に施行された「改正少年法」では18歳と19歳を「特定少年」とし、実名報道が可能となり、厳罰化が進んだ。一方、岡山刑務所で現在も服役するのは事件当時、法律に守られ実名を公表されなかった少年無期懲役囚。中には”死刑”を免れ、”無期懲役”となった少年もいる。少年時代の犯罪により、その後の人生をずっと塀の中で暮らすことになった少年無期懲役囚たちは今、何を思うのか。獄中で初めて報道特集のインタビューに答えた。

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■初めて「死にたい」と考えた 周りはみんな大人ばかり 夜中に一人、涙を流した少年無期懲役囚A
 
何かを忘れたいかのようにひたすら走り続ける男。19歳で事件を起こし服役している無期懲役囚Aだ。Aはキリスト教の洗礼を受け入信、精神的なよりどころにしていた。

少年無期懲役囚A
「初めて死にたいと考えました。周りはみんな大人ばかり。夜中になると一人で涙を流したりということもしょっちゅうありました」
 この日もグランドを走るAの姿があった。服役して22年、年は40歳を超えた。

少年無期懲役囚A
「最初に無期懲役と言われた時もそんなに真剣に考えてなかったのかなぁと。いまいちその実感が持てないというか人ごとのようで。本当に無期を重く受け止めたのは刑務所に来てからですね。罪名は殺人と死体遺棄です。時代が違っていたら、自分も死刑になる可能性はあったのかな」
 無期懲役という境遇について話し始めた。

少年無期懲役囚A
 「毎日同じ生活、同じリズムでやっていると、時間の感覚がおかしくなる。もうそんなに時間が経ったのかと。外と中では時間の流れがちょっと違う。
ーー22年間同じ風景ですか?
少年無期懲役囚A
「そうですね…。変わらない」

 Aは模範囚の中から選抜され“炊場”の班長になっていた。
全受刑者の食事の手配を一手に引き受ける重要な役目を今も続けている。

■「若すぎるは言い訳にならないが、後にならないと気づかないことある」少年無期懲役囚”B”は少年法に守られ、“死刑”を免れた17歳
 
少年無期懲役囚B
「17歳の時です。全部はちょっと言いたくないんですけど、強盗未遂、強盗致傷、強盗殺人死体遺棄とか。被害者は2人。亡くなっていない方もあわせたら全部で6人ですけど」

 少年法の第52条では『罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもって処断すべきときは無期刑を科する』とされている。
 死刑相当でも18歳未満には死刑を科せられない。17歳だったBはいわゆる“死刑無期”と呼ばれる少年だった。1999年、山口県光市で起きた母子殺害事件では18歳の少年の死刑が確定している。Bはいつもこの事件と自分の事件を比べてしまうと語る。

少年無期懲役囚B
「18歳1か月と、自分は17歳と3週間でしたけど。死刑と聞くと複雑な気持ちになる。たった数か月の違いで18歳だからそれで死刑に、吊される」

 事件で被害者家族が崩壊した事に触れると“後悔の念”が極まった。

少年無期懲役囚B
「被害者のご家族の関係まで自分が崩してしまって、孤独のうちに死なせてしまったのかなと思いました。本当に後から、後にならないと気づかないことってあるんですね。若すぎるっていうのは言い訳にならないんですけど。本当に情けないことをしてしまった。なんでこんな軽々しく、こんなことまでしてしまったんだろうと。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいですね」

 出口が見えない無期懲役刑はBに社会で生きる自信を失わせてしまったようだ。 

少年無期懲役囚B
「(刑務所を)出てもゼロのまま来てるから社会経験自体が。ここで生まれてここで育ったみたいな、それでポンと出されて何ができると。そっちの大きな不安の方が勝っているから、若くして出られたとしてもそれで本当にやっていけるかと言われたら自信はない」
■「死刑囚が拍手してくれた」“永山則夫”事件以来の凄惨な事件を起こした少年無期懲役囚C
 Cは50代。19歳の時の凄惨な事件は“少年犯罪の厳罰化”に拍車をかけたと言われる。1審死刑、2審で無期懲役に減刑された。まさに死刑と紙一重だった。

ーー死刑と聞いた時はどうでした?

少年無期懲役囚C
「当時は正直ショックみたいなところもありました。永山則夫さん以来だと言われました」

 永山事件とは1968年19歳の少年、永山則夫元死刑囚がピストルで4人を射殺した事件だ。永山元死刑囚には97年に死刑が執行されている。

 Cは1審で死刑判決を受けた後“死刑囚”として処遇されていた。2審判決で無期懲役に減刑されたニュースがラジオから舎房に流れた瞬間、予想外の事が起きた。

少年無期懲役囚C
「夕方にラジオのニュースで流れたんですね、減刑のニュースが。その時に独居房の中から拍手をしてくれた方が居たんですね。よかったと1人の死刑囚が拍手したらそれが(死刑囚舎房)広がっていった。それはみんな死刑囚の人たちが拍手してくれたんですね。そのことは忘れられないです」

2人の被害者遺族に対しての贖罪を淡々と語った。

少年無期懲役囚C
「自分が加害者じゃなくて、被害者だったとしたら、自分は今母しか居ないんですけど、自分の母も絶対加害者を許さないと思うんですよ。それが分かるだけに、辛いものがあります」
 胸元にある線は“規則違反無し”を示す線。黒は1年。黄色は5年。赤は10年。Cの場合は、合計19年間、模範囚だ。

ーー部屋に花もありますね。

少年無期懲役囚C
「珍しいんですけど、自分は買ってます。生きものと一緒で、実際に生きているので雑な扱いをするとすぐ枯れますし」

■仮釈放の無期懲役囚 35年の服役中"備前焼の名人"に
 皮肉な事に長い刑期は刑務作業の技術を飛躍的に高める。
 彼は備前焼の“名人”と呼ばれた無期懲役囚だ。現在70代後半。35年服役し3年前に仮釈放された。

無期懲役囚
「雑念が入っていたら、ろくろを引き上げるときにぶれて、形成がうまくできませんので」

ーーこの周囲は(無期懲役囚だということを)知らないでしょう?暮らしにくくなりますかね?バレたら

無期懲役囚
「それは難しいでしょう。いままで近所のつきあいしてくれる人たちの態度が変わってくるのも当然ですからね」

 備前焼の工房で働きたかったがコロナの影響もあり実現しなかった。仮釈放されても厳しい遵守事項で縛られ、違反すれば“無期懲役囚”として再び収監される。

無期懲役囚
「酒もやらん、タバコもやらん、ギャンブルもやらん、一切そういうことはやってないですから」

ーーやっぱり気を遣って生きてますか?

無期懲役囚
「(事件に巻き込まれないように)対人関係に注意しながら生きています」

■「これから先、何年生きられるかな」 駐車違反で再び収監 
 私たちは仮釈放されたものの、再び収監された無期懲役囚の存在を知った。仮釈放後、駐車違反などで再び収監され34年間服役している無期懲役囚がいた。 

ーーまた無期懲役で収監されるときは、ショックじゃなかったですか?

78歳 再収監 34年服役
「だいぶショックでした。駐車違反くらいは大丈夫やろなと思っていた。その自分の考え方が浅はかだったんですけど。これから先、何年生きられるかなぁって」

ーーここで終わる覚悟はできてるんですか?

78歳 再収監 34年服役
「はい、できています」

ギャンブル中毒で強盗殺人事件を起こした無期懲役囚が仮釈放後“遵守事項”に違反して競艇場に出入りしていることが発覚、再び収監されたケースもある。

■逃れようのない“後悔”と“生”への執念 死刑を免れた男たちの葛藤 

 出所者が一時身を寄せる更生保護施設 古松園。1897年、後に総理大臣になる犬養毅らが設立、岡山市長が歴代の理事長を務める。岩戸顕園長は少年院の元教官、保護司でもある。仮釈放後面倒を見た無期懲役囚は約30人。今も服役中の50人の身元引受人になっている。古松園の定員は20人。6人が無期懲役囚だった時期もある。

古松園 岩戸 顕 園長
「あそこ(古松園)は犯罪に関わった人がおるところということは知ってますわね。まさか岡山刑務所から無期がいっぱい来てるというのは知りませんわ」

ーーどこかに行ってくれないかという話になりませんか?

古松園 岩戸 顕 園長
「役員も町内会の人も入ってますからね」

“礼拝堂”には無期懲役囚達の位牌が納められている。仮釈放後、時を置かずに死亡するケースも少なくない。

ーー(死因は)ストレスとか人間関係からくる?

古松園 岩戸 顕 園長
「対人関係しかないですからね刑務所では。この方は胃がんだったんですね」

岩戸園長は犯罪記録を見る度にやりきれない気持ちに襲われるという。

古松園 岩戸 顕 園長
「もう生きたままドラム缶に入れて、コンクリート詰めにしたりとかですね。普通では考えられないですよ。強盗に入って、金盗って見つかったから殺したんです。被害者に何の落ち度もない」

ーー厳しいですね遵守事項というのは

古松園 岩戸 顕 園長
「そのための遵守事項で、無期についてはそれは徹底しますね。(遵守事項に違反し、再び収監されたら)もう出られないでしょうね多分。出さないですわ。せっかく無期で出したのにということですね」

全国の無期懲役囚は1750人。仮釈放の平均刑期は38年近くに及び“終身刑化”している。仮釈放の目処が立たない厳しい現実を元少年刑務所長はこうよんでいる。

『無期刑の子の年金、開始をしらせむと面会票書く父親卒寿なり』

逃れようのない“後悔”と“生への執念”。死刑を免れた男たちの葛藤が続く。

ーーだけどなんでまたここで身元を引き受けるんですか?

古松園 岩戸 顕 園長
「彼らが出るのであれば、いっぺんは人間らしい生活に戻してあげてね。自分の心が目覚めることをさせてあげればいいかなぁ」

(報道特集 2022年7月30日放送)
※情報提供は番組ホームページまで

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 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です


* 名古屋アベック殺人事件「謝罪 無期懲役囚から被害者の父への手紙」 生きて償う意味知る 月刊『世界』2009年8月号


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