切腹した大学生
産経新聞2012.12.29 07:33[from Editor]
昨年12月8日朝、石川県金沢市の石川護国神社で、22歳の金沢大生が切腹自決した。彼は北海道出身で金沢市に住む大学4年生、Sさんであった。警察が調べたところ、腹部と首に深い刺し傷があり、近くにはナイフと透明のビニールシートにくるまれた日章旗があった。
Sさんはナイフで腹を十字に切った後、自ら頸(けい)動脈を切って自決したものと判明した。この日は小雨が降っており、国旗を濡らさないようにビニールに包んだものと思われた。彼は黒のスーツにワイシャツ姿で、靴は脱いでそろえておいてあり、同日未明に人知れず自決したものとみられた。
彼が切腹した場所は、護国神社の境内でも奥まったところにある清水澄博士顕彰之碑の前であった。清水博士は慶応4年、金沢市の出身、東京帝大出身の憲法学者で、大正天皇、昭和天皇に憲法を講義したこともあった。その後、枢密顧問官などをへて、昭和21年から最後の枢密院議長を務めた。戦後の新憲法施行に反対し、施行の年の昭和22年9月25日、「幽界より国体護持と皇室安泰、今上陛下の御在位を祈願す」との自決の辞を残し、静岡県の熱海の海岸で投身自殺をした。その後、出身地の石川護国神社境内に顕彰之碑が建てられた。
昨年の12月8日は、昭和16年12月8日の大東亜戦争(太平洋戦争)開戦から70年。Sさんは大学で安全保障問題ゼミに属し、日頃、ゼミ仲間らに、日本の安全保障の在り方について、熱っぽく語っており、自決のかなり前から、政府がきちんとした安全保障政策をとらないことに絶望する発言をしていたという。
彼が自決した前年には、中国の漁船が尖閣諸島の領海で海保の巡視船に衝突、民主党政権が船長を釈放してしまうという失態を演じており、領土問題があらためてクローズアップされていた。
この事件は大学生の単なる自殺事件として処理され、地元メディア以外はほとんど報道されなかった。だが、平成生まれの青年が、日本の安全保障政策に絶望して、切腹という手段で死を選んだ意味は決して小さくない。
小雨降る中、暗い神社の境内で、靴を脱いで正座し、人知れず十字に切腹して頸動脈を切るというのは、なまなかな覚悟ではできない。これは国家、政府、国民に対する諫死(かんし)であり、憤死でもあろう。一周忌に当たり、あえて記した。(編集委員 大野敏明)
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神社で男性自殺か
8日午前9時45分ごろ、金沢市石引4丁目の石川護国神社を訪れた男性が、境内の石碑前であおむけに倒れている男性を見つけ、近くにいた土木作業員を通じて110番した。金沢中署員が死亡を確認した。
遺体のそばには日章旗が敷かれていた。金沢中署は状況などから自殺の可能性が高いとみて、身元の確認を進めている。同署によると、男性は黒っぽいスーツを着用、白いワイシャツのボタンを外し、腹など数カ所に刺し傷があった。ナイフが近くに落ちていた。(共同)
2011年12月8日13時3分 日刊スポーツ
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石川護国神社で自殺か
8日朝、金沢市の石川護国神社で男性が血を流して死亡しているのが見つかりました。警察は自殺ではないかとみて調べています。
8日午前9時45分ごろ、金沢市の石川護国神社の境内で「人が亡くなっている」と近くで工事をしていた作業員から通報がありました。
警察がかけつけたところ、境内の石碑近くで20代とみられる男性が血を流して仰向けに倒れ、腹や首など数か所に刃物で刺したような傷が確認されました。男性はすでに死亡していて、7日夕方から8日未明にかけて死亡したとみられます。近くにはナイフのような刃物のほか、日の丸の国旗などが置かれていて、遺体の下にはビニールシートが敷かれていたということです。遺書は今のところ見つかっていませんが、警察は現場の状況などから男性が自殺を図ったのではないかとみて調べています。
2011/12/08 Thu 18:03 石川テレビ
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