正義のかたち:重い選択・日米の現場から/5 無期か有期か、揺れる胸中
*「量刑」に正解はない
自宅に戻ってきた夫の亡きがらは氷のように冷たかった。宮元篤紀(あつき)さん(37)は小学生の息子2人と、声を殺して泣きながら夫の体やほおをなで続けた。「だんだん温まってきて、今にも動いてくれるんじゃないかって」
07年11月、佐賀県武雄市の医院に入院中の夫、洋さん(当時34歳)は暴力団関係者と間違われ、射殺された。殺人罪などに問われた元暴力団組員、今田文雄被告(63)=上告中=の公判で、篤紀さんは「何の罪もない人を暴力団抗争に巻き込んで殺しても、社会復帰できるのでは不安で暮らせない」と死刑を望む意見陳述をした。
だが、死者1人で死刑判決が出ることは極めて少なく、検察側は無期懲役を求刑。「被告の年齢を考えると、無期でも実質死刑と同じです」。閉廷後、篤紀さんに説明する検事の目は潤んでいるように見えた。
08年6月の佐賀地裁判決は懲役24年。篤紀さんは、夫の仕事仲間ら十数人から「判決は軽過ぎる」という声を集め、書面にして検察側の控訴を後押しした。福岡高裁は09年2月、「最愛の家族を奪われた遺族の悲しみや苦しみは筆舌に尽くしがたく、極刑を求める心情も無理はない」と1審判決を破棄、無期懲役を言い渡した。
篤紀さんは、「塀の外」に出られる可能性がある無期懲役に本音では納得できないでいる。「執行しなくても、死刑を言い渡してほしかった」
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大分刑務所の単独室で01年9月、男が窓の手前の金網にシャツをくくり首をつった。奈良県月ケ瀬村(現奈良市)で97年、下校中の中学2年の女子生徒を車ではね、殺害した丘崎誠人受刑者(当時29歳)だった。
「むなしいですよ」。前年に大阪高裁の裁判長として丘崎受刑者に無期懲役を言い渡した河上元康弁護士(71)はニュースで自殺を知った。遺書は残されていなかった。なぜ自ら命を絶ったのか。「分からないことをせんさくしてくよくよしても……」。河上さんは自分に言い聞かせた。
奈良地裁は98年10月、「計画性がなく被告は反省している」として、当時の有期刑の上限(20年)に近い懲役18年を言い渡した。無期懲役を求めていた検察側は控訴した。
河上さんは、被告の反省の態度に疑問がぬぐえなかった。被害者の衣服に、なぜか切り刻んだ跡があった。控訴審の法廷でその経緯を尋ねても「覚えていない」と言うばかり。「事件の全貌(ぜんぼう)をきちんと言っていない」と感じた。何より結果の重大さを見逃せなかった。「必死に生きて成長している者の命を絶つのは、許されない」。00年6月、1審判決を破棄した。
弁護側は最高裁に上告。その9日後、丘崎受刑者は自ら上告を取り下げ無期が確定した。河上さんには今も、判決は間違っていなかったという自負がある。それでも、量刑の難しさを口にした。「『正解』のないものは世の中にいっぱいある。そういうものの一つかなと思いますね。僕はいつも迷っていた」【松本光央】=つづく
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■ことば
有期刑と無期刑
厳罰化の流れなどを背景に、有期刑の上限は05年の改正刑法施行で20年から30年に引き上げられた。法律上、無期刑も10年経過すれば仮釈放が認められるが、実際の仮釈放者の平均受刑期間は28年10カ月(08年)。08年には53人の無期刑が確定した一方で、仮釈放された無期囚は4人だった。99~08年の10年間に無期囚121人が獄死しており、無期刑が事実上、終身刑化しているという指摘もある。
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◇ 正義のかたち「重い選択・日米の現場から」「死刑・日米家族の選択」「裁判官の告白」 2010-04-12