寝屋川中1殺害事件 「私が死刑判決への控訴を取り下げた理由」 山田浩二 令和元年5月23日、24日

2019-12-24 | 死刑/重刑/生命犯

私が死刑判決への控訴を取り下げた理由 山田浩二
 2019/12/22(日) 14:46配信    

■ボールペン返納をめぐるトラブル
  〔はじめに〕
  以下に掲載するのは、2019年5月18日に死刑判決の控訴取り下げを行った寝屋川中学生殺害事件の山田浩二死刑囚がその直後、5月23日に書いたものだ。控訴取り下げで死刑が確定することになった山田死刑囚に接見して、なぜ取り下げたのかぜひ事実を書き残してほしいと依頼して実現したものだ。
  実はこの後、山田死刑囚はそれを後悔して、取り下げ無効の申し立てを高裁に行う。そして2019年12月17日、極めて異例なことに大阪高裁はそれを認める決定をしたのだった。 この問題について理解するためには、山田死刑囚が取り下げをめぐって自ら書いた手記が重要と思い、ここに公開することにした。(『創』編集部)

  令和に元号が変わり半月程経った5月18日土曜日の夜の出来事でした。
  この日は天候も良く、大阪拘置所は免業日ということで、午前中からラジオが流れました。免業日では午前午後とそれぞれ30分、計1時間の室内運動の放送が流れます。身体を動かすと5分もしないうちにうっすらと汗があふれる程、向暑にふさわしい1日。
  この日は免業日明けの5月20日月曜日に発信する「絆に重きの共助集団」がコンセプトのI’s Empire GroupのFamilyであり、ともに「絆」を大切に育てあっているG宛ての手紙を書いていました。諸事情でしばらくGとの手紙のやり取りが出来ない期間があり、5月16日に久しぶりにGから手紙が届き、腕をふるってGに宛てて返事を書いていました。
  私は、まとまった所持金がなく、無駄遣い出来ない状況の拘禁生活を送っている為、最低限の日用品は官所に頼っています。衣類や書籍類等は外部から拘置所窓口や郵送での差入れが認められるので、GPの伊藤寛士代表や仲間、同志の皆様のおかげで共助して頂き、官物衣類は卒業出来たものの、日用品は拘置所窓口等からの差入れ、あるいは自弁購入しかほとんど認められていません。
  なので手紙等を書く時に使用するボールペンや、洗面所に使用する石けんやハミガキチューブ等は官物を使用し、この日も朝からボールペンを貸与してもらって手紙を書いていました。
  書き出すと夢中になり集中する性格(昨年の精神鑑定では発達障害と診断されました)で、気がつけば午後9時の就寝時間前になっていました。就寝時刻の予鈴として午後8時30分にチャイムが鳴り、就寝まで残り30分だという合図が流れます。でも集中している私の耳に予鈴など聞こえる訳もなく、午後9時のチャイムが流れ、室内の照明が滅灯されて、そこで初めて「もうそういう時間なんだ」と気づきました。   貸与されていたボールペンは午後9時までには返納しないといけない決まりになっていて、午後9時までにインターホン(大阪拘置所新棟の報知機付インターホン形式)を使用し、返納するべきなんですが、ついタイムオーバーをする時がしょっちゅうある訳です。そういう時は職員が私の居室前まで来て「早くするように」と声をかけてくれて、私も区切りの良い所でやめてボールペンを返納します。私の性格上、中途半端にやめることが出来ず、区切りの良い所でやめようとする為、滅灯後も職員を待たす時がよくありまして、その時はいつも「申し訳ないです」と一言言って返納します。
  この日も滅灯後、なかなか区切りをつけられず、ボールペンの返納の為に職員が私の居室まで来ました。この職員の名前は知りませんが、私が生活しているC棟6階の夜勤巡回職員で、おおむね8日に1度、このフロアを中心に巡回しています。この日は免業日で本来のフロアの正担当がいない為、朝からこの職員が一日巡回していました。
  この職員は日頃から態度や言葉遣いが悪く、不出来者で人相も悪く、以前もささいな事でからまれた事があるので、余計なトラブルに巻きこまれたくない私としては、この職員とはなるべく接触しないようにしようと生活を送っていたんです。けれど、たまたまこの日、ペンの進みが良くて、なかなか区切りを見つけられませんでした。

■言ってもないことで「調査」が確定した
   そんなひとり悪戦苦闘している中、その職員が私の居室前まで来て、滅灯後にもかかわらずフロアの全員に聞こえるようなデカい声で「おい! 時間やぞ! 早よペンを出せ!」と怒鳴ってきました。
  今思えば、ここで返納しておけばそれで終わっていたかも知れません。しかし、その怒鳴り声が気になって、なかなか区切れず、「ちょっと待って下さい」「もう少しだけ」と言って、うまく区切ろうとしていましたが、思えば思う程…という悪循環でした。
  また、その職員も黙って待っときゃいいのに「待たれん!」「早よせい!コラッ!」と注意指導以上の恫喝、威圧的な口調で私に言ってきました。急がされると余計に文面に集中出来ず、それでもなんとか区切りをつけれたので、あわてて「すいませんでした」と言ってペンを返納しました。
  この時、恫喝で急がされ職員の乱暴な言葉、威圧的な口調で、身の危険を覚える程でした。それがきっかけで私のパニックモードが入ったのかも知れません。
  けれどペンを無事返納し、もう用無しのはずなのに、その職員がいきなり私に向かって「おい、誰に『偉そうに言うな、あほ』って言ってるんや」「あほって誰に言ってるんや」「おい聞こえてるのか? もう一回言ってみろ」等と、滅灯後の静かな時間帯を、まるで世界中に響く程の大声で私に言ってきました。
  最初は言っている意味が理解出来ず「何すか?」と聞き返してましたが、先に変なスイッチの入った職員が「誰に『偉そうに言うな、あほ』って言ってるのか聞いてるんじゃ」等と言って、ようやくこの職員が言っている意味を理解し「そんなん言ってない」「落ち着いて話を聞いて下さい」等と返答しました。でも「嘘つくな、さっき『偉そうに言うな、あほ』」と言ったやろ」「誰に言っとるんじゃ」と聞く耳持たず。「こんな時間に面倒臭い地雷を踏んでしまった」と思いました。
  でもここで挑発に乗ってしまうと、とり返しのつかないことになるので「『あほ』なんて言ってないですよ」と伝え、あとはシカトして、今私がしないといけない事をしていました。
  するとその鬼軍曹は1人でブツブツ言いながらどこかに行きましたが、そのブツブツを電話で上司に報告していた事を知るのは、その数分後でした。私がひととおり用事を済ませて寝ようとすると、その鬼軍曹の上司みたいな人が私の居室前に来て、私に「さっき職員さんに『えらそうに言うな、あほ』って言ったやろ。その件で調査にする」と一方的に言われました。
  その時の私の頭の中は「?」でしたが、さすがにその職員の言葉を理解し、「ちょっと待って下さいよ。私はそんなこと言ってませんから、調査はやめて下さい」と訴えました。でもその職員は「言いたいことがあったら調査に来た職員に言いなさい」との一言でした。
   私も初犯と違いますし、その後の調査で「言った、言ってない」のやり取りとなり、最終的に職員の報告が正しいとなって、収容者が被害を被ることになるのは目に見えています。そうなれば真っ先に虚偽の申告だの因縁をつけられ懲罰になるので、それだけは阻止しなければと思いました。
 「話聞いて下さい」「職員にあほなんて言う訳ないでしょ?」「調査はやめて下さい」と必死で訴えましたが「就寝時間中だ、静かにしろ」「言いたいことは調査に来た職員に言いなさい」と、まともに話を聞いてもらえませんでした。私もここで引く訳にはいかないので、しばらくやり取りが続きましたが、結局は私の言い分を聞いてもらえず、居室から去って行き、私の調査が確定しました。

■頭が真っ白になり控訴取り下げ
   何故調査になったのか? 仮に私が調査になるような暴言を吐いていたら仕方ないけれど、そんな暴言は吐いてないし吐く理由がない。むしろ暴言はそっちだろ!と思いました。あの時、早く区切りの良い所で切り上げてペンを返納することしか頭になかったので、「偉そうに言うなアホ」なんて日頃から喧嘩ごしな態度で言葉遣いの悪い職員に対して自爆するような発言をする訳ないじゃないですか。ただでさえ口も利きたくない、顔も見たくないと思っているのに、よりによって私が暴言を言ったという妄想的事案で調査にされて訳が判らなくなりました。
  仮に「ペンを返納しろと言ったのにすぐ返納しなかった」みたいな事案の調査なら「すいません」と言いますが、「えらそうに言うな、あほ」等言ってもないことを言ったと因縁を付けられて、私の言い分もろくに聞かず一方的に調査となりました。
  何故? もうホンマに冗談ならやめて欲しいレベルです。私の頭の中ではすでに調査=懲罰の公式が出来上がっていました。今は懲罰になる暇もないのに~っていうか何故懲罰にならなければいけないのか? 調査なのか? 確かにペンの返納は少し遅れましたが調査になるようなこと?
  私も4年前の夏に逮捕され色々ありましたが、大半はこの大拘で過ごし、自分で言うのも何ですが、落ち着いて生活を送っています。「短気は損気」の精神で、理不尽な壁にぶち当たっても何とか乗り越えてきました。なのに何故こんなことに巻きこまれたのか?
   過去の大拘生活で色々な人を見てきました。それこそ大声を出したり、壁や扉を叩いたり蹴ったり、職員に暴言を吐いて非常ベルを押され保護室に連れて行かれる人もたくさん見てきました。けれど大半は保護室から戻ってきても調査にすらならず、何もなかったように生活を送っています。
  大きな声で職員に完全暴言レベル以上の発言をしている姿を数人の職員に現認されているにもかかわらず、職員に「黙っとけ!」と一喝されて、そのまま放置プレイです。なのに暴言など一切言ってない私が言い掛かりをつけられて、どうして調査にさせられないといけないのか?
  実は数カ月前から大拘の処遇や書信係からひどい嫌がらせを受けていました。私なりに我慢してましたが、5月18日C棟6階夜勤職員に嵌められてパニックとなり、私の我慢も限界を越えてしまったようです。おそらく懲罰も間違いないでしょう。完全に自分を見失っていて今後の希望も考えられず絶望しか浮かばず、頭の中が真っ白になり、気がつけばインターホンを押して控訴取り下げをしていました。これ以上の嫌がらせ苛められたり嵌められたりしたあげくの果てに調査懲罰という日々はもう無理、耐えられません。もうど~だっていいやという思いから、控訴取り下げ書をもらって記入し提出してしまいました。
  その後立ち合いに来ていた職員から「内容に問題があるので訂正してくれ」と言われましたが、もう取り下げ書も見たくないので「勝手に書き直して下さい」と伝えました。でも「それは出来ないんや。わしらは勝手に書き直しをすることが出来ないから自分で訂正してくれ。そうしないと提出出来ない」と言われました。控訴を取り下げる重要な書面なので内容の不備は訂正しないと駄目ですよね。けどその時はまだパニックで「シカト」をしてた気がします。
  しばらくして職員はどこかに行きました。おそらく職員が訂正してくれたんでしょう。ただ私はもう何が何だか訳が判らずパニックが起き、冷静な判断も出来ず、ずっとイライラしていました。
  今考えると何故控訴を取り下げたのか、他にも解決方法があったはずですが、その時は損得も考えられず、誰にも相談出来ない程、物事の見境がない程パニックになっていました。

■処刑台に立つ時には謝罪の気持ちを
   その時に控訴を取り下げるという行動が、今後、自分の人生や命にどう影響するのか落ち着いて考えていたなら、今回このような獄中記を書くこともなかったでしょう。そのような考える余裕を持って行動することが、その時は全く出来なかった。
  その答えが今です。身を持って「短気は損気」の言葉の重みを感じています。5月21日に毎日新聞、5月22日に読売新聞の記者が面会に来て、私が控訴を取り下げたことが報道されたことを知りました。自分の口で説明しないと判らないことなのでしっかり取材に応じました。   そして5月23日に、私のことを心配して下さり、東京から大阪まで『創』編集長の篠田さんが面会に来て下さいました。感謝です。ちなみに前日私宛てに篠田さんが「面会に行くので他の面会は断って下さい」という電報を打ってくれたそうですが、それはその時私の手元に届いてません。大拘書信の嫌がらせです。そして改めて今更ながら早まった判断、取り返しのつかない行動を取ってしまった自分が情けなく後悔と反省です。
  限られた面会時間なので、控訴取り下げに至るまでの経緯を説明しました。掲載された記事も見て頂いたそうですが、紙面として形に残るメディアで手の平を返すなよ!と毎日と読売の記者に説明してますが、篠田さんから「今回の事は山田さんの人生や命にかかわる大切なことだから自分の言葉で形にするべきだ」とアドバイスを受け、これまでの一部始終を書きました。
  両親や知人友人、伊藤代表やGPの仲間にはこれまでお世話になった感謝の心や絆等の思いを伝えられないまま、また被害者遺族に対する心からの謝罪の思いも伝えられず、カトリック教会関係者や神父さんの人達に対するお祈りや感謝も伝えられぬまま、すべてが中途半端に最期を迎えそうです。
  処刑台の上に立つ時は、そんな感謝の思いや絆心を脳裏に浮かべます。正直に今を生きたい、生きて償いたい、生きて謝罪の思いを伝えたい、死にたくないという気持ちが一番です。生きてこその絆ですからね。まだ死にたくないです。
  今、正直、すごく怖いです。廊下から足音が聞こえる度にドキドキします。確定後は外部交通も制限されます。ひとりぼっちになりますけど、これが確定です。
  くよくよしても仕方ないです。これまで築いてきた感謝の心、絆は確定後も私の心の中で育てて行きます。「心」の中ではひとりじゃないと信じて、残りの人生悔いなく生きます。刑が確定しても私の事忘れないで下さいね。いつか必ず戻ってきます。生きて戻ってくるのか、千の風になって戻ってくるのか約束は出来ませんが、このままでは終われない。
  控訴審で良い結果を出すのが今の私の目標です。私の死後に良い結果が出ても手遅れです。取りかえしがつきませんからね。なので今は死ぬ訳にはいきません。必ずいつか生きて戻ってくるから…その時が来るのを祈って欲しいです。信じて欲しいです。なのでさようならは言いたくないです。
  ちなみに最後に教えてください。訴訟書類使用目的で特別購入出来るインデックスやふせんに書き込んで整理した書類を宅下げするのも、相手に対する意思伝達になるといって不許可になるのは何故ですか? 一般に外部交通の受信及び発信の信書と第三者から差入れのあった検査済信書「保管私物」の違いは何ですか? 何故そのような「保管私物」の郵送宅下げや信書の同封が出来ないのですか? そもそも刑事収容施設法第50条って何ですか? それさえあればすべての郵送宅下げや同封発信が不許可になるのは何故ですか? それに対する具体的な理由の説明を求めても「官の都合」でごまかされるのは何故ですか? 第50条ってそんなに偉いのですか?
  1~2カ月前までは定められた手続きによって認められていたのに、この1~2週間をピークに第50条でほとんどの郵送宅下げがいきなり不許可になるのは何故ですか? プリントコピーやアンケートとかも当所指定の便箋に書き写して発信者として申請しなさいと言われましたが何故ですか? C棟6階の5月18日担当夜勤職員が私を嵌めたのは何故ですか? 書信係が私宛ての受信や発信を当日のうちに即日受発信処理しないのは何故ですか? 刑事施設の長の裁量権を行使するってどういう意味ですか? 裁量権の範囲を逸脱又は濫用していませんか? 外部交通(弁護士含む)や交友関係の維持を妨害するのは何故ですか?
  以上について私の刑が執行されるまでに教えて頂ければ…と願います。
  今まで本当に有難うございました。こんな形で終わりたくなかった。けどもう行数もありません。なので残念ですけどこの辺で筆止めをします。
  最後まで読んで下さり有難うございました。これを読んで下さった皆様方の先の幸を心よりお祈りします。また逢える日まで…。
  令和元年5月23日木曜日筆、24日金曜日

  最終更新:12/22(日) 15:09  

  ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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〈来栖の独白2019.12.24 Tue〉
>控訴を取り下げるという行動が、今後、自分の人生や命にどう影響するのか落ち着いて考えていたなら、
>「短気は損気」の言葉の重みを
>正直に今を生きたい、生きて償いたい、生きて謝罪の思いを伝えたい、死にたくないという気持ちが一番です。生きてこその絆ですからね。まだ死にたくないです。
 山田浩二という人、ほんとに自分勝手な人間。控訴取り下げについても、自分の被るであろう不利益しか念頭にない。
 生きて償うことなど、できはしない。せめて命を差し出して詫びる、人間にできるのはそれ(詫びる)だけだ。山田浩二氏の言っていることは、すべて<死にたくない>からだ。
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